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2022年06月09日 イイね!

栃木県足利市歴史探索~足利学校、鑁阿寺編☆

栃木県足利市歴史探索~足利学校、鑁阿寺編☆今日は休日。
ダラダラしてからちょっとドライブがてら栃木県の足利の方にいってみることにしました。

そのまえに食事です。
道の駅かぞわたらせにあるさくら食堂さんの蕎麦です☆

だいたい休日のお昼はお蕎麦屋さん巡りもしていますがこちらも美味しかったですよ♪

さて、足利市内に入りました。

まずは、定番ですが、足利学校です☆
駐車場は近くの太平記館に停めました(無料)。
実は何度も足利に足を運んでいるものの初めて来ました(笑)



まわりはお堀で囲われています。



足利学校(あしかががっこう)は、下野国足利荘(現在の栃木県足利市)にあった、平安時代初期(もしくは鎌倉時代)に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関になります。

室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であり、
「坂東の学校」と称されたそうです。

まず、拝観料を払って入館するとDVDにて15分ほど足利学校の概要説明を観ることができます。

こちらを観てから散策です。



孔子像。

正一位霊験稲荷社。





足利学校門。

足利学校の成立や、初期の体制については記録が残っておらず、しばしば論争になったようで。

①川上廣樹説

伝承によればかつて足利学校は下野国の国学であった、という。

明治期にこの説を唱えた川上廣樹(足利藩家老を務めた武士で漢学者)によれば、当初、都賀郡の国府に併設されていたが、足利家が将軍家となると、ゆかりの地に国学を移設したのだという。

②前澤輝政説

下毛野国(のちの下野国)が作られた際、国府は現在の足利市伊勢南町付近に置かれたとし、このときに国府に併設して国学がおかれ、これが足利学校の由来で、創立は8世紀であるとの新しい国学起源説を明らかにしている。

③小野篁創設説

別に有力視されている説は、『鎌倉大草紙』に基づき、平安時代の小野篁(おののたかむら)によって839年(承和6年)(または842年(承和9年))ごろに創設されたというものである。

④足利義兼設立説

このほか、12世紀末に足利義兼によって設立されたという説がある。

この説は、『高野春秋編年輯録』巻七(1719年(享保4年))に、12世紀末の文治年間ごろ、足利義兼が足利に寺(現在の鑁阿寺)と学校を持っていた、という記述があることを根拠にしている。

ただし、現存するにもかかわらず、鑁阿寺側には該当する記録が残っていない。

⑤上杉憲実開設説

極端な主張では、足利学校は上杉憲実が開設したもので、1432年(永享4年)以前には存在しなかったという説もある。

しかし、近年注目される文書として、「長徳寺文書」には、応永30年すなわち1423年に足利学校が存在したことの傍証になると考えられる。

更に上杉憲実よりも前に足利持氏が足利学校の再興に関わっていた可能性を示している。



いろいろな説があるがどれも決め手にかけるらしく今でも論争はつづいているようである(笑)








孔子廟。

木造小野篁坐像。

木造孔子坐像。


さて、平安時代初期(もしくは鎌倉時代)に創設されたと伝えられる足利学校。

室町時代の前期には衰退していたが、1432年(永享4年)、上杉憲実が足利の領主になって自ら再興に尽力し、鎌倉円覚寺の僧快元を能化(校長)に招いたり、蔵書を寄贈したりして学校を盛り上げた。

その成果あって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から来学徒があり、代々の能化(江戸時代には「庠主(しょうしゅ)」と呼ばれるようになる)も全国各地の出身者に引き継がれていった。

上杉憲実は1447年(文安4年)に足利荘及び足利学校に対して3か条の規定を定めた。

この中で足利学校で教えるべき学問は三註・四書・六経・列子・荘子・史記・文選のみと限定し、仏教の経典の事は叢林や寺院で学ぶべきであると述べており、教員は禅僧などの僧侶であったものの、教育内容から仏教色を排したところに特徴がある。

従って、教育の中心は儒学であったが、快元が『易経』のみならず実際の易学にも精通していたことから、易学を学ぶために足利学校を訪れる者が多く、また兵学、医学なども教えた。

戦国時代には、足利学校の出身者が易学等の実践的な学問を身に付け、戦国武将に仕えるということがしばしばあったという。

享禄年間(1530年頃)には火災で一時的に衰微したが、第7代庠主(能化)、九華が北条氏政の保護を受けて足利学校を再興し、学生数は3000人と記録される盛況を迎えた。

この頃の足利学校の様子を、キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学)」と記し、足利学校は海外にまでその名が伝えられた。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、後北条氏と足利長尾氏が滅び、足利学校は庇護者を失うことになったが、当時の第9代庠主三要は関東の新領主である徳川家康に近侍して信任を受け、家康の保護を得て足利学校を守り通した。

江戸時代に入ると、足利学校100石の所領を寄進され、毎年の初めにその年の吉凶を占った年筮(ねんぜい)を幕府に提出することになった。また、たびたび異動があった足利の領主たちによっても保護を受け、足利近郊の人々が学ぶ郷学として、江戸時代前期から中期に二度目の繁栄を迎えた。

しかし江戸時代には京都から関東に伝えられた朱子学の官学化によって易学中心の足利学校の学問は時代遅れになり、また平和の時代が続いたことで易学、兵学などの実践的な学問が好まれなくなったために、足利学校は衰微していった。

学問の中心としての性格ははやくに薄れ、江戸時代の学者たちは貴重な古典籍を所蔵する図書館として足利学校に注目していたのみであった。

明治維新後、足利藩は足利学校を藩校とすることで復興を図ったが、明治4年(1871年)、廃藩置県の実施により足利藩校である足利学校の管理は足利県(のち栃木県に統合)に移り、明治5年(1872年)に至って廃校とされた。

廃校後、方丈などがあった敷地の東半分は小学校に転用され、建物の多くは撤去された。

また、栃木県は足利学校の蔵書の一部を県に払い下げようとしたので、足利学校の建物と蔵書は散逸の危機に瀕したが、旧足利藩士田崎草雲らの活動により、蔵書は地元に返還され、孔子廟を含む旧足利学校の西半分とともに県から地元に返還された。

地元足利町は1903年(明治36年)、足利学校の敷地内に、栃木県内初の公共図書館である足利学校遺蹟図書館を設立し、足利学校の旧蔵書を保存するとともに一般の図書を収集して公開した。

また1921年(大正10年)、足利学校の敷地と孔子廟や学校門などの現存する建物は国の史跡に指定され、保存がはかられることになった。

1980年代になり、小学校の移転、遺蹟図書館の一般図書の県立足利図書館への移管が行われ、史跡の保存整備事業が始められた。

そして1990年(平成2年)に建物と庭園の復元が完了し、江戸時代中期のもっとも栄えた時分の様子が再現された。
(Wikipedia引用、要約)



旧足利学校遺蹟図書館。





方丈。

さて、方丈の中は資料館のようになっている。
フラッシュなしで写真撮影O.K.でした(笑)



入口にあるのが体験版宥座の器(ゆうざのき)。

器が空のときは傾き、ほどよく水を入れると正しく水平を保ち、水をいっぱい入れるとひっくり返ります。

孔子はこの宥座の器を見て弟子たちに「満ちて覆らない者はいない」と教訓したとしたとされます☆

実際に実演しました(笑)



中興した上杉憲実像。

中央が孔子。



仏殿。
学校自体は、寺院の建物を利用し、本堂には千手観音の像があったそう。

本堂の他に別途、孔子廟が設けられていた。



針尾清司作銅製『宥座の器』。

方丈からの景観。



全国各地の教育遺産群。







石祠。

平成8年には当時のベルギー国王王妃殿下と皇太子殿下も訪れている。

足利学校歴史年表。

書院の風景。

最盛期の足利学校。

孔子像。



発掘と復元の様子。

足利学校の釈奠(せきてん)。
釈奠とは孔子および儒教における先哲を先師・先聖として祀る儀式のことである。

衆寮(学生寮)。



これらが足利学校では見学出来ます☆

2015年(平成27年)4月24日には国の日本遺産審査委員会によって「近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―」のひとつとして日本遺産に認定された。

ここ、足利学校が、日本で最も古い学校として知られ、全国から儒学、易学、兵学、医学などを学徒3000人が学んだとはホントにすごいことですね♪




足利市では今も教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしているそうですよ☆


そして足利学校を後にし度々訪れる鑁阿寺に向かいました。






正式名称は真言宗大日派本山、金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(ばんなじ)で通称大日様と呼ばれています。

本尊は大日如来様。
創建年は1196年(建久7年)
開基は鑁阿(足利義兼)になります。

こちらは何度も訪れているので詳しいことは省略します(笑)

本堂。(国宝)

鑁阿寺の大銀杏(天然記念物)



鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)でありました。

やはり珍しいのは四方に門があり、お寺のまわりに土塁とお堀で囲っているところから鎌倉時代の武士の館、とりわけお城に近いです☆

本堂は密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重である。平成25年(2013年)に国宝指定されています。
(Wikipedia抜粋)



経堂。



多宝塔。



御霊屋(栃木県指定有形文化財(建造物))



大酉堂。

校倉(大黒天)



蛭子堂。

本堂裏。

稲荷社。





鐘楼。



弘法大師像。

太鼓橋(栃木県指定有形文化財(建造物))



御朱印。





足利学校と鑁阿寺は隣接しています。

足利学校の歴史を知るとまた鑁阿寺の見方も変わってくるものです♪

太平記館にて。


太平記館にてソフトクリーム食べてから帰りました(笑)


いろんな歴史を知れて勉強になりました☆

それではまた♪
Posted at 2022/06/22 10:48:19 | コメント(0) | トラックバック(0)
2022年06月08日 イイね!

ファミリーカーにもなればスポーツカーにもなる☆

ファミリーカーにもなればスポーツカーにもなる☆弄り応えはある。
MT車ならばかなり遊べる☆
そして中古パーツが多くスズキ車の流用もかなりできる。
エンジンが良いのでスポーティーにも変えられる♪
比較的壊れやすい車と聞くが私の車は28万キロまで頑張ってる(笑)
Posted at 2022/06/08 23:47:09 | コメント(0) | クルマレビュー
2022年06月01日 イイね!

群馬県寺院巡り~吉祥寺、水澤寺編☆

群馬県寺院巡り~吉祥寺、水澤寺編☆今日は休日(笑)

今回は前にも行き非常に良かったお寺に行ってきましたよ☆

広大な境内。

ちいさな滝。









そうこちらは群馬県利根郡川場村にある、臨済宗建長寺派青龍山吉祥寺です☆





自然の中にひっそり佇む山門。





山門の2階には文殊菩薩様を中央に十六羅漢像。

それはそれは圧巻。

大黒天。





以前紹介しているので詳細は省略しますが(笑)

禅宗寺院ならではのきれいな境内。

静かに鐘楼をつく。



創建年は1339年(暦応2年)。
開山は中巌円月禅師。

東国花の寺百ヶ寺群馬11番札所に指定されています☆

鐘楼堂。



釈迦堂。
木造釈迦如来坐像(県指定重文)

そして、本堂内部へ。





禅宗様のすばらしき建造物。



素敵な枯山水に茅葺きの釈迦堂。

本堂内部。
本尊は釈迦三尊像(普光殿内)

涅槃像。







滝が流れる美しい庭園。





観音様。

鬼子母神。









↑以前こんなのあったかなぁ?
床に映るハート(笑)
正直こんなことしなくても良いお寺なのに(笑)



本堂の回廊では江戸千家流のお抹茶と和菓子も楽しめる(笑)









春は水芭蕉や桜、初夏はあじさいなどが境内を彩ります。



御朱印。

とても素晴らしいお寺ですのでオススメです。
しかも平日ならば空いてます(笑)

さて、吉祥寺を後にしご飯です。

やはりお蕎麦(笑)



ゆたきそばさん。



天ぷらとせいろ☆
美味しかった(笑)

ご飯も食べて久しぶりにお寺だけじゃなく観光をしようと吹割の滝へ向かいました♪

駐車場に停めて林道を歩くと見えてきます☆



昨日の雨で少し水かさが増しているでしょうか?

勢い凄いです☆



下見て歩いていると吸い込まれそうになってしまいます(笑)







遊歩道がありますが水しぶきでマイナスイオンいっぱいです(笑)







なかなか良かったです♪


さぁ、時間が少しあるので帰りがてら渋川の方に向かいました。

こちらも久しぶりにやってきました♪

水澤観世音♪

駐車場は少し登った本堂脇ですので一度おりて仁王門に行きます☆

仁王門。







天井壁画も素晴らしい☆







風神・雷神



石段を上がると本堂です。

鐘楼堂。

清昌大神。




観音堂(本堂)。

群馬県渋川市、天台宗五徳山水澤寺。

本尊は十一面千手観音で、坂東三十三観音第16番札所である☆



こちらの壁画も素晴らしい☆

ちなみに水澤寺の創建年代については不詳であるが、飛鳥時代に上野国の国司・高光の開基により創建されたと伝えられている。

江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられた由緒あるお寺☆





仁王門・観音堂・阿弥陀如来像も市指定文化財。

六角二重塔(県指定文化財)。



こちらは六道輪廻の思想からです。

六道には下記の6つがある。

①天道(てんどう、天上道、天界道とも)
②人間道(にんげんどう)
③修羅道(しゅらどう)
④畜生道(ちくしょうどう)
⑤餓鬼道(がきどう)
⑥地獄道(じごくどう)

このうち、天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)という。

ただし修羅道を悪趣に含めて四悪趣(四悪道、四趣)とする場合もある。

①天道は天人が住まう世界。
②人間道は人間が住む世界。
③修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界。
④畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
⑤餓鬼道は餓鬼の世界。腹が膨れた姿の鬼になる。
⑥地獄道は罪を償わせるための世界。

日本では11世紀ころ、六道の各々に配当された六地蔵が各所に祀られ、大いに庶民から信仰された。

観音菩薩の導きで六道世界より救われるという観音信仰である。

その六つの世界に応じたそれを六観音とよび天台宗と真言宗とでは、人間道のそれが不空羂索観音と准胝観音とで異なっている。

七観音とよばれるものは、この二観音を含めたものである。

仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)。
(Wikipediaより要約、引用、抜粋)


つまりこちらの六角堂中には六地蔵尊が安置されていて、回転する珍しい構造になっています☆

左回りに3回まわすことで自分の真心の供養を望めます☆

十二支の守り本尊

七福神。







飯綱大権現。







龍王辨財天(龍王弁財天)。



御朱印。

こちらも私の好きな板東三十三箇所霊場です☆

第十六番札所です。

ちなみに釈迦堂は到着時間が遅くしまっていて見れませんでした(T_T)


しかし、久しぶりですが来れて良かったです♪




帰りの夕食は近所の田口屋さんで特上鰻重食べました☆

とても美味しかったです♪

今日は非常にリッチな旅行をしました(笑)


それではまた♪
Posted at 2022/06/22 13:42:14 | コメント(1) | トラックバック(0)
2022年03月31日 イイね!

桜特集②~鴻神社、慈眼寺編☆

桜特集②~鴻神社、慈眼寺編☆さて、桜特集①の続きです♪

こちらは別の日に訪れたものです☆





埼玉県鴻巣市、鴻巣総鎮守、鴻(こう)神社です!

私には関係のない子育て、安産の神様です(笑)





庚申塔。

見事な桜でございます☆

手水舎。

拝殿。

鴻巣宿の中心にあった氷川社、熊野社、雷電社を明治6年(1873年)に合祀し鴻三社と号したのが始まりである。

その後、明治35年(1902年)に、日枝社、東照宮、大花稲荷社、八幡社を合祀して、社号を現在の鴻神社と改めた。
(Wikipedia抜粋)

樹の神とコウノトリと卵かな♪

鴻の宮。
こうのとり伝説の伝わる社。


『こうのとり伝説』

昔、「樹の神」と言われる大樹があり、人々は「樹の神」の難を逃れるためにお供え物をして祭っていた。

これを怠ると必ず祟りが起こり人々は恐れ慄いていた。

ある時、一羽のコウノトリが飛来して、この木の枝に巣を作り卵を産み育て始めた。

すると大蛇が現れて卵を飲み込もうとした。

これに対しコウノトリは果敢に挑みこれを撃退させた。

それから後は「樹の神」が害を成す事は無くなったという。

人々は木の傍に社を建て「鴻巣明神」と呼ぶようになり、土地の名も鴻巣と呼ぶようになったと伝えられている。
(Wikipedia抜粋)



なんじゃもんじゃ稲荷。



幸宮弁財天。

三狐稲荷神社。

御神木。





宿神社。

鴻神社。
旧社格は村社になります。

◎御祭神は6柱

・素戔嗚尊(スサノヲ)

・父:伊邪那岐命(イザナギ)

・母:伊弉冉尊(イザナミ)

・速玉男命(ハヤタマノオ)→以前書いたイザナギの唾。

・事解男命(コトサカノオ)→その唾を掃きはらう神。

別雷命(ワケイカヅチ)→以前書いた賀茂社の祭神。
雷除けの神。



本殿。

御朱印です☆

参道の桜は非常にキレイでした♪

さて、桜特集①の忍城を見た後ご飯にしました!


以前から良く通る道で気になっていたお蕎麦屋さん、どんまいじゃんさんにお邪魔しました☆

おばぁちゃん1人でやっていましたがすごく良かったです!

天丼せいろセットです。
お蕎麦の風味も良くすごく美味しかったです☆

さて、桜特集最後はこちらです。



埼玉県坂戸市、真言宗智山派由城山福聚院慈眼寺です☆

こちらは、しだれ桜と閻魔様で有名なお寺です♪

ネット見て初めて来ましたが良かったですよ!

ちょっと雨と少し時期が早かったようですがなかなかの美しさです♪





雨降ってきましたが、本来は菜の花と垂れ桜が絶景のようです☆

ホームページの写真はこちら!

(ホームページより)
樹齢250年以上とも言われているしだれ桜は坂戸市の天然記念物に指定されています!

しかし、そんなことより本堂の参拝が可能な上に堂内撮影O.K.と言う珍しいお寺でした☆
(ホームページによると堂内拝観は要連絡とのことです)

若いお坊さん曰くSNSに挙げて頂いて広く仏教を知って欲しいとのこと(笑)

であれば出来るだけ詳しく書かせて頂きますとも☆
(Wikipediaより調べさせて頂きましたのでご了承下さいませ!)

まず正面入口に見えます三像。

向かって左から准胝観音。
真ん中が地蔵菩薩。
右が八手観音菩薩かな?(違っていたらすみません)。


『准胝(じゅんてい)観音』

日本の真言系では変化観音とされて真言宗系では「六観音」の一尊に数えられ、日本の天台系では観音ではなく仏母とされる。

真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称す。

天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。

①地獄道 - 聖観音
②餓鬼道 - 千手観音
③畜生道 - 馬頭観音
④修羅道 - 十一面観音
⑤人道 - 准胝観音
⑥天道 - 如意輪観音

という組み合わせになっている。

悪いことをしたら地獄に落ちる!って良く言われるやつは、天国と地獄の間に6つの世界が存在し、今我々がいるのが人道である☆


『地蔵菩薩』

釈尊が入滅してから弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされる。


『八手観音菩薩』

人々を救う8つの道具を手に持った観音様。

外陣からの閻魔様☆
素晴らしい!

こちらが閻魔天。


『閻魔天』

インド神話のヤマが仏教に取り入れられ、天部となったものである。
運命、死、冥界を司る。
密教においては各方位を守護する八方天、十二天の一尊となり、南方焔摩天とも呼ばれる。

真言宗系の曼荼羅の閻魔天は、このようにインド風の服を着た姿(いわゆる菩薩形)で、温和な表情をしている場合が多い。

塗香をし、いざ内陣へ♪

左から順番に、
①大日如来・金剛界
②軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
③大威徳明王(だいいとくみょうおう)


『金剛界、胎蔵界大日如来』

大日如来は真言密教の本尊である。
この辺は難しくてわかりません(笑)
ただ、真言密教では、異なる姿の大日如来を対とし、一体とすることで、その教えもふたつでひとつのものである。


『軍荼利明王』

密教において五大明王の一尊。南方の守護神で、ものごとの発生、持続にあたってさまたげになることを取り除くとされる。


『大威徳明王』

密教において五大明王の一尊。西方の守護神で、六面六臂六脚で、神の使いである水牛にまたがっている姿で表現されるのが一般的である。
阿弥陀、文殊が人々に教えを導く為に恐ろしげな姿をとったと言われる。

④愛染明王(あいぜんみょうおう)


『愛染明王』

真言密教で信仰する明王の一つ。
人間がもっている愛欲をむさぼる心、つまり煩悩も仏の悟りの智慧 (ちえ)に等しいことを意味する。

つまりは愛欲に染まっていても悟りの境地へと繋いでくださる唯一の明王なのではないでしょうか(笑)

⑤阿弥陀如来


『阿弥陀如来』

大乗仏教の仏。 西方の極楽浄土の教主で,生あるものすべてをすくう仏。

⑥聖観世音菩薩


『聖観世音菩薩』

仏教の慈悲の精神、すなわち仲間に対する友情と悩める者に対する同情とを人格化したもの。
すべての事物を自由自在に見ることができる仏様。
観自在菩薩とも言う。

⑦興教大師正覚坊 覚鑁(しょうかくぼう・かくばん)上人


『覚鑁上人』

平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。
興教大師と呼ばれる。

⑧虚空蔵菩薩


『虚空蔵菩薩』

知恵が虚空のように広大な菩薩。



⑩本尊/十一面観世音菩薩


『十一面観世音菩薩』

密教系の尊格であり、奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益を祈願して祀られた。

十一面観世音菩薩は頭上に11の仏面があるもので、四方だけでなく十方を見つめ、すべての人を救うという意味がある。

⑪不動明王


『不動明王』

密教特有の尊格である明王の一尊。 大日如来の化身とも言われる。 また、五大明王の中心となる明王でもある。 真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。

煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。

⑨千手観音菩薩


『千手観音菩薩』

千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。

千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。

ちなみに千本も手がないじゃ~ん!って思いますよね。

日本では合掌手を含め42手で表されるのが一般的である。

左右20手ずつ(脇手)。
と合掌の2手(本手)。
千手観音の手は1本で天上界から地獄界までの25の世界(三界二十五有)を救うと言われております。

40の脇手にて25の世界を40回救う(25×40=1000)ことから千手観音と呼ばれております☆

ちなみに大阪府にある葛井寺(ふじいでら)の本尊、十一面千手千眼(せんげん)観音菩薩坐像(国宝)は、現存する日本最古の千手観音像にして、文字通り千本の手を持つ数少ない「真数(しんすう)千手」の代表作である。

⑩弘法大師空海


『弘法大師空海』

言わずと知れた真言宗の宗祖です☆

弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あり、歴史上の空海の足跡をはるかに越える。
中世、日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖が弘法大師と解釈されたことも根拠となっているが、寺院の建立や仏像などの彫刻、聖水、岩石、動植物など多岐にわたり、特に弘法水に関する伝説は日本各地に残っている。
弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった弘法水の伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼる。

いづれにしても空海が慈善事業や社会福祉活動をしていたという事実は正しくその功績は計り知れないと思います☆

そして奈良時代の行基上人もまた日本の偉大な人物であり、日本の政治家も少しは見習って頂きたいものである(笑)

⑪普賢菩薩


『普賢菩薩』

修業を司り、釈迦如来の慈悲行を象徴し人々を救う賢者の仏である。

⑫釈迦如来


『釈迦如来』

歴史的に実在した仏陀であり、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダッタ、ゴータマ・シッダールタ、ガウタマ・シッダールタ、瞿曇悉達多)を尊ぶ呼び名である。釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来、釈迦牟尼世尊に同じ。

⑬文殊菩薩


『文殊菩薩』

諸仏の智慧をつかさどる菩薩。
その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本の真言律宗では慈母供養の象徴とされる。

ちなみに釈迦如来の脇侍として文殊菩薩を左に普賢菩薩を右に侍し、形成されることが多く釈迦三尊と呼ばれております☆

⑭馬頭観音菩薩


『馬頭観音菩薩』

観世音菩薩の化身で,六観音の一つ。
馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされる。
しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰され、3面8臂,4面8臂などのものもある。

⑮金剛夜叉明王


『金剛夜叉明王』

密教における五大明王の1人で、北方の守護神。
を襲っては喰らう恐るべき魔神(夜叉)であり人々の畏怖の対象であったが、後に大日如来の威徳によって善に目覚め、仏教の守護神五大明王の一角を占める仏となった。
仏教に帰依した金剛夜叉明王は悪人だけを喰らうようになったと言われ、ここから「敵や悪を喰らい尽くして善を護る、聖なる力の神」という解釈が一般的となり、故に日本においても古くから敵を打ち破る「戦勝祈願の仏」として広く武人たちに信仰された。

⑯降三世明王


『降三世明王』

仏教における明王の一尊。五大明王としては東方に配される。阿閦如来の化身とされる。
ヒンドゥー教の最高神として崇拝されていたシヴァと妻のパールヴァティーは共に「過去・現在・未来の三つの世界を収める神」だったがヒンドゥー教を救う為に仏教に改宗させたという。
降三世明王の名はすなわち「三つの世界を収めたシヴァを下した明王」という意味なのである。

そして最後に
⑰大日如来・胎蔵界の仏像がある。

これが慈眼寺で参拝出来る仏像になります。

凄いですよ☆
調べるの大変でしたが(笑)

しだれ桜を見に行ったつもりでしたが本堂内の拝観が出来るとは思いませんでした☆

また参拝させて頂こうと思います♪

御朱印です☆
いろいろありましたが可愛い閻魔様にしました(笑)


それではまた♪
Posted at 2022/04/22 10:56:22 | コメント(1) | トラックバック(0)
2022年03月31日 イイね!

桜特集①~總願寺、忍城、諏訪神社編☆

桜特集①~總願寺、忍城、諏訪神社編☆今回は桜特集として埼玉県の桜を取り上げます☆

埼玉県の桜といえば、秩父の美の山公園や川越公園、幸手の権現堂桜堤、熊谷桜堤、長瀞などが有名ですが、私の場合は人のいない寺社の桜が大好きであります。
そして桜の木の本数より風景の一貫としての艶やかさを重要視しております☆

その中で毎年訪れるのがこちら。

總願寺黒門。

仁王門。

埼玉県加須市にある関東三大不動、真言宗智山派不動ヶ岡不動尊總願寺です☆
内容は過去あげているので省略します♪



本堂



ちょっと天気が悪く映えてませんが境内にほどよい本数の桜がとてもキレイです☆









抜けも良く境内からの山門辺りもキレイです☆



鐘楼堂と桜。

歴史ある本堂とのコラボレーションはなかなかのものですよ☆





本堂。

仁王門と桜。



本尊は不動明王である。







以上が總願寺の桜です☆
近くの川沿いで撮影しました(笑)



川沿いの桜もキレイです☆

続いて埼玉県行田市にある忍城(おしじょう)にやってきました!

その前に向かいにある諏訪神社と東照宮を訪れました♪

こちらは通称、忍(おし)諏訪神社/忍(おし)東照宮と言われます!

諏訪の大木。



忍東照宮。



忍東照宮拝殿。

社伝によると東照宮は、松平忠明公が寛永2年(1625)、大和国郡山城内に創建、松平家の移封に伴い各地に遷座、文政6年(1823)に桑名藩より忍藩への移封により、忍城内に遷座しました。代々100石の社領を拝領していましたが、明示維新に伴い、明治7年当地へ移っています。

祭神は徳川家康公、松平忠明命、八幡大神です。





摂社:多度社、一目蓮社。



摂社:二の丸稲荷社

忍諏訪神社。

社伝によると忍諏訪神社は、建久(1190年頃)年間、忍三郎・忍五郎家時等一族が当郷へ居住した頃に創建されたとも、成田親泰が延徳3年(1491)に忍城を構築した際に持田村鎮守諏訪社(持田諏訪神社)を遷座したとも伝えられます。明治維新後、忍城内にあった神社を当社境内に遷座したといいます。

祭神は建御名方命、八坂刀売命です。
2神は夫婦になります(笑)



『建御名方神(たけみなかたしん)』

「古事記」に見える神。 大国主命の子。
天照大神の使いの建御雷神の命に服さず力くらべをしたが負け、信濃国(長野県)諏訪湖まで逃れ、同地に鎮まったという。 諏訪神社の祭神。

こちらも大国主神の子供で出雲系になります!
まー簡単に言えば大国主神と天照大神による権力闘争です。
俗に言う国譲りの話ですが天照大神の使いの建御雷神に負けた建御名方神は長野の諏訪湖に逃れました。

これが主祭神の諏訪大社です☆


さてここで社号の話を。

俗に言う『神社』『神宮』『宮』『大社』とは。

『神社』とは特に基準が無いため
10万社あるともいえる全国各地に鎮座する大部分の神社が「神社」と名乗っています。
神社は神道の神をまつる施設の総称であるため『神宮』『宮』『大社』も神社といえます☆

『神宮』と『大社』

いづれも全24社です。

『神宮』は主に皇室と特別な関係性をもつ神社のことを言います♪

平安時代に「神宮」という社号が生まれた当時は伊勢神宮(三重県)、香取神宮(茨城県)、鹿島神宮(千葉県)の三社のみが「神宮」の社号を名乗っていたそうですが現在では神社本庁の許可を得て名乗れるようです☆

『大社』とは祭神と神社名を共有する神社の系列の頂点に立つ神社、信仰の本源となる神社をいいます。

ただ、24社のうちもともと大社とは出雲大社だけで、残りの23社は戦後から名乗っております。

しかし、平安時代の社格制度の「官幣大社」や「国幣大社」という極めて高いランク付けがされていることも「大社」という社号を名乗る基準だといえます☆

ちなみに出雲大社。
本当の読み方は「いづもおおやしろ」です☆

通常神社の参拝方法は2礼2拍手1拝ですが、出雲大社では2礼4拍手1拝をします。
これは「四季を表し実りと繁栄を祈願する」とか「東西南北の4神に敬意を示す」からだと言われております☆

5/14の例大祭では2礼8拍手1拝をするそうです♪
これは無限を意味する8で神様に対して限りない拍手でお讃えする儀式だそうでその日以外は略式で4拍手と言われております☆


そして最後、『宮』とは、親王すなわち皇室の皇子や皇孫を祭神とする神社に与えられるのが「宮(ぐう)」と呼ばれる社号です。

ただし、社号の制度とは関係なく伝統的に「宮」を名乗る神社も数多く存在します。

徳川家康を祭神とする東照宮(栃木県)、菅原道眞を祭神とする天満宮(京都府)などがそれに当たります。

これが社号の簡単な話になります(笑)☆


いづれにしてもこちらの諏訪神社も諏訪大社系列、つまり出雲系といえますね☆



御朱印は書き置きです。


そして入館はせず忍城(おしじょう)一帯を散策してみます。

伝進修館表門。














ちなみに観光客が橋を渡るのをひたすら待ち、この場所で撮影していたら、1組のご夫婦さんが
「ここはベストショットの場所ですね~撮らせてもらっていいですか?」
と話かけられました(笑)

後に3組並んで撮ってました(笑)



『忍城』

室町時代中期の文明年間に成田氏によって築城されたと伝えられております。

数度の城攻めを受けて、一度も落城しなかった要害堅固な城として知られる。

戦国時代には関東七名城の一つ、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された。

江戸時代に入ると忍藩の藩庁あるいは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となり、阿部氏の時代には御三階櫓が新たに建設されるなどの城郭改修や城下町の整備が行われた。

明治維新後、1871年(明治4年)の廃藩置県と同時に廃城となり、1873年(明治6年)に土塁の一部を残して取り壊されたが、城跡は県指定記念物の旧跡に指定されている。

また、本丸跡には御三階櫓が再建され、水堀や沼地の一部は水城公園として整備されている。

2017年(平成29年)4月28日に文化庁が認定する日本遺産ストーリー「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成資産(文化財)のひとつに加えられた。
(Wikipedia抜粋、要約、引用)


『忍の浮き城』

1478年(文明10年)ごろ、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれている。

翌年、これに反発する扇谷上杉家に忍城を攻められるものの、同家の家宰太田道灌の仲介によって和解して以後、成田氏が領有した。
河越夜戦後、北条氏が関東に勢力を伸ばすが、成田氏はこれに反発した。

1559年(永禄2年)、上杉謙信が関東に遠征してくると成田氏はこれに恭順した。

1561年(永禄4年)の上杉謙信による小田原城攻めには、当時の城主の成田長泰も参加している(小田原城の戦い)。

しかし、鶴岡八幡宮での関東管領就任式後に離反。

1574年(天正2年)には上杉謙信に忍城が包囲され、城下に火を放たれたが持ちこたえている。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉の関東平定の際、城主・成田氏長は小田原城にて籠城。

『忍城戦記』などによれば氏長の叔父・成田泰季を城代とし、約500人の侍や足軽のほか、雑兵、農民、町人など3,000人が忍城に立てこもった(忍城の戦い)。

豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成で、大谷吉継、長束正家、真田昌幸等も加わった。

三成は、本陣を忍城を一望する丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28kmにおよぶ石田堤を建設した。

しかし忍城は落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となった。

このことが、忍の浮き城という別名の由来となった。


『江戸時代以降の忍城』

徳川家康の関東入部後は、家康の四男の松平忠吉が忍城に配置され、以後、忍藩10万石の政庁となった。

忍城の城下町は、中山道の裏街道宿場町としての機能や、付近を流れる利根川の水運を利用した物流路としての機能を兼ね備えて繁栄する。

また江戸時代後期からは、足袋の産地として名をはせるようになる。

廃藩置県に伴い「忍県」の県庁が二の丸に置かれたが、その後廃城となって城内の構造物はほとんどが撤去され、城跡は公園(成田公園、後に忍公園)として整備された。

忍公園が拡張され、1988年(昭和63年)2月17日には行田市郷土博物館が開館、御三階櫓は博物館の一部として「忍城鳥瞰図」や文献などを元に、鉄筋コンクリート構造によって外観復興されている。

周囲には土塁の一部が残存している。
2017年(平成29年)、続日本100名城(118番)に選定された。
(Wikipedia抜粋、要約、引用)


ちなみに最初に紹介した總願寺の黒門は忍城の北谷門を移築したものである。

城下町行田の忍城は映画「のぼうの城」の舞台となりました。

文明年間(1469~1486)に山内上杉氏配下の豪族成田親泰が築城したとされ、関東七名城の1つに数えられました☆


『関東七名城』

①太田城(茨城県)
②宇都宮城(栃木県)
③唐沢山城(栃木県)
④金山城(群馬県)
⑤前橋城(群馬県)
⑥忍城(埼玉県)
⑦川越城(埼玉県)




天気良ければもう少しキレイだと思うのだが(笑)

城内に入ります♪









桜がキレイです☆


史蹟忍城の鐘。




キレイですね~☆









お花いっぱいです(笑)

忍城は緑あふれる憩いの場でした♪


以上桜特集①です☆

②へつづく。
Posted at 2022/04/20 20:30:02 | コメント(2) | トラックバック(0)

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