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スピード気合いRSのブログ一覧

2010年09月25日 イイね!

城シリーズ! 水戸城

城シリーズ! 水戸城
大好評につき、城シリーズの復活です!

左の写真は、水戸藩9代藩主 徳川斉昭
幕末を荒々しい気性で生き抜いた様から、諡号(贈り名)を「烈公」と言います。
最後の将軍、徳川慶喜の父でもあります。



2009年11月21日
佐倉城の後に水戸城(藩校 弘道館)に行ってきました。
しかし、思わぬ渋滞に遭い、現着17時数分過ぎ。
入館できず、友人と共に水戸駅で名物の弁当を買って帰りました。




そして翌日、今度は一人で水戸城(藩校 弘道館)に行って来ました。

水戸藩は、徳川家康11男 頼房を祖とする徳川御三家の一つです。
頼房の3男 光圀が2代藩主となり、「烈公」とは対照的に「義公」と呼ばれています。

写真は、家康公11男 初代水戸藩主 頼房公所用の甲冑
画像はありませんが、二代藩主 光圀公の甲冑はめちゃくちゃカッコイイです!。




藩校 弘道館
創立は、1841年(天保12年)8月。
第9代水戸藩主の徳川斉昭によって水戸城三の丸内に作られた。
文武両道を教育方針とし、馬術や剣道やという武道のほかにも、広く諸科学、諸学問が教育・研究された。


ちなみに斉昭公は、子作りにも力を入れていた?様で、子供も37人、さらに兄嫁や、長男の嫁にまで手を出して、中には自害する女性も居たとか。



手ブレ写真




尊皇攘夷
光圀は学問を好み、大日本史の編纂を行い、水戸藩に尊王の気風を植え付けた。水戸藩で生まれた水戸学は幕末の尊皇攘夷運動に強い影響を与えた。




孔子廟
興味が無いので、解説省略
初の一般公開がされていたので、一応みて見る事に。




学生警鐘
水戸藩9代藩主 徳川斉昭公自鋳の鐘と言われている。
弘道館の学生に時を告げたり事ある時の知らせに用いられた。
鐘の内側には、烈公直筆の鋳造由来が刻まれている。
ただし、これはレプリカ。
本物は弘道館内に展示されている。




八卦堂
昭和20年の空襲により消失




弘道館石碑(八卦堂の中)
八卦堂消失の際、石碑も上と裏面にダメージを受けました。
昭和28年に八卦堂を再建し、石碑裏面もコンクリートで補強されています。

「弘道とは何ぞ 人能く道を弘むるなり」
から始まる教育方針と学生心得を記した、弘道館記
碑面の記文は烈公自らが書き、また同寸法の木版で一枚刷りの木拓も作成され、その一枚が弘道館内にも展示してありました。




大手門
今はその面影はありませんが、古写真を見ながらその姿を重ねて往時を偲んでみます。




坂東市万蔵院で、大手門の左門扉が120年ぶりに発見され、復元をめざす!
募金してきました!
また他の一部は豆腐やだか魚屋だかのまな板に使われていたとか。




大手門復元の募金をすると、水戸藩士になれます(謎




薬医門
現在は水戸第一高校敷地内に移築されています。




偕楽園から徳川博物館へ向かう
博物館では、水戸藩伝来の甲冑をはじめ、家康公の甲冑コレクション写真集なども販売していましたが、価格3500円と高価だったため、購入を断念。
偕楽園は日本三名園の一つで、他には金沢の兼六園、岡山の後楽園があります。




水戸城
現在の地図との合成




15代将軍 徳川慶喜
将軍時代と晩年
烈公(斉昭)の7男




水戸藩にも有能な人材が数多く居ましたが、幕末の動乱で皆命を落とし、遂に明治政府に人材を輩出する事はありませんでした。

元々この地は佐竹氏が治めていましたが、関ヶ原の戦いの際に徳川方に味方しなかった事から秋田の久保田に移封され、その際に美人を根こそぎ連れて行ったため、秋田美人という言葉か生まれたそうです。
また、その為に水戸には美人が居ないとかいう逸話が残っていますが、女性の美人の遺伝子を女性しか継承しないわけではないので、これは迷信だそうです。
Posted at 2010/09/25 21:09:09 | コメント(5) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2010年05月16日 イイね!

城シリーズ!掛川城

城シリーズ!掛川城
今日は家族サービスで、富士芝桜まつりに逝ってきました。
朝4時起きです。






意外と見所もなく、1時間半で切り上げ、いよいよ・・・

!!?(謎



掛川城天守閣 霧吹き井戸 御殿


天守閣内
鯱 石落とし 山内一豊像(やまうちかつとよ)と読ませている
手ぶれ写真 スカートひらひら 階段を上る時、目のやり場に困った野田(謎

石落としの役割を教えると、いそいそと石を投げつける真似を始めた

御殿 再建現存 重文 だった様な気がする
槍 螺鈿(貝殻を漆で固めて研ぎだしたもの ここでは関係ないが前田慶次郎利益の螺鈿の槍も現存している)


そして掛川城 大手門 大手門パーキング 大手門番所 一豊と千代




そして、たまたま近くでやっていた、ハチマルミーティング
たまたま、会場に迷い込んでしまった


ハゲしく手ぶれ写真
粉してるだけある野田(謎

手に持ってるのは何な野田?

今日はたくさんの方とお話が出来ればと思って行ったのですが、だいたい皆さんとお話が出来たかと思います。
非常に(自分だけ)楽しい時間を過ごす事ができました。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
また宜しくお願い致します。

家族サービスのハズだったんだけど、いつの間にか自分サービスになっちゃったw


※画像など問題がある方はご連絡下さい!修正致します。
Posted at 2010/05/17 00:44:45 | コメント(21) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2010年05月04日 イイね!

城シリーズ! 現存天守 弘前城

城シリーズ! 現存天守 弘前城
今年もGWは北の大地方面に遠征してきました。
今回は隠密行動でしたので、この事を知っている人は、このブログを見るまで誰一人と居ないはずなんですが(謎
あんなチッチャイ画像で特定できるとは…恐るべし。

2年前のGWは、こんな感じでこんな所にいました。
大混雑で、まともに駐車も出来ませんでした。




今年は、やっぱりここにいました!


いつも通り、高速道路を法定速度で巡航です!
宮城のSSでは、11km/リットル超えを叩き出しました!!過去最高記録


あっという間に目的地付近に到着。
朝5時半なので、駐車場もガラガラ…???

満車でした(汗
無理矢理、監視小屋と車の間にネジ込んで来ました。
ぶつけられたら嫌なので、隣の車のナンバーも撮影です。


駐車場の目の前が公園です。
ピンクの花びらが川に落ちて、桜の川が出来ていました。
噂には聞いていましたが、なんとも美しい…。
 ピンクの花びら大好きです(謎!


追手門(大手門)
元は北向きの城だったので、搦手門だったとか。
つまり…







城シリーズ! 現存天守 弘前城

南側の追手門から入り、北向きに歩いて行く。
ここで既に感動です。


写真左:未申櫓(ひつじさるやぐら) 南西の意
写真右:辰巳櫓(たつみやぐら) 南東の意

やっぱり城は朝に限ります!

杉の大橋
三の丸から二の丸へ渡る橋と、その下の濠(辰巳櫓側


桜のトンネルと西濠
北に進むと春陽橋が架かる


出店も非常に多い。
ここまでの数の出店が並ぶ場所は、日本広しと言えども、そうは無いだろう(適当


かーちゃん忙しそうに走ってますが、この車こそ正に忙しそうに6時頃から城中を走り回ってましたよ。
ドライバーはオッサンでしたが…。
城の東西南北に出店がたくさんあるので、非常に忙しそうでした。


下乗橋から撮った天守閣 と、たか丸くん
子供らが割り込んだので、割り込み返して撮影した【ヤス丸くん(謎】と天守閣


VPJR30改氏と会合
秘密の工房を視察し、次の目的地まで先導して頂いた。
マフリャー出口にはカバーが付けられていた・・・ハズなのだが(謎


このまま蝦夷へ?(エゾ
山本商店(謎
今回はブリジストンの成田タイヤ商会は無かった野田(超謎


途中でカン黒の鉄仮面とすれ違ったのだけれど、誰だかさっぱり分かりませんでした。
3人乗ってましたが・・・。

発光田?→十和田湖方面の峠道を抜けていく。
ガソリンスタンドで給油したら、あとは峠道でした。
写真を見て気付いたのですが、いつの間にかマフリャーが全開に…。
は・はやい…


コーナーの度に引き離されて行きます。
とても素晴らしい景色なのに、写真もろくに撮れません(ToT)


次の目的地まで何時間も先導して下さいました。
しかもお土産まで頂き、きっと一生頭が上がりません。

センターキャップを失くされたそうですが、もしやあの峠で外れて私の車で…。

そして、だいぶすっ飛ばしますが、最後の最後は、いつもセンターキャップを付けられる様に臨戦態勢(謎のもっこりもこさんと会合です。
車を並べるのは、宮城観光の時以来です。


宮城に入った頃にもこさんにイタヅラ電話をしてみると、
 も 「お疲れ様です。いま帰りですか?」
 ス 「は?何がですか?」
 も 「VPJRさんのブログで、小っちゃく写真出てましたよw」
 ス 「マジっすか!? 今日の事は誰にも言ってませんて言っておいたのにw」

ネタバレしてましたww
この後、翔鶴改さんからもハゲ増しのメールがw

もこさんが高速のパーキングに来てくださると言うので、お茶くらい奢りますよという約束だったのですが、気が付けばコレでした。


しかも、逆にお土産を頂いてしまって…。

左がVPJR30改さん りんごジュース
右がもこさん ずんだもち (既に食ってますがw)

どちらも美味しくて、最高のお土産でしたよ。
ジュースに至っては、例のホームビデオでお馴染みのカツゲンの様なやりとりは出来なそうです(エゾ

今回は家を出る前に少し寝て行きましたので、青森までは余裕でした。
しかし、トータル34時間の工程ですので、さすがに15時半頃から1時間と、帰りに20分寝てしまいました。
体力の限界!!
もっとゆっくり行きたかったのですが…。

フォトギャラリー①
フォトギャラリー②
フォトギャラリー③

つづく…


Posted at 2010/05/06 03:23:28 | コメント(11) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2009年11月29日 イイね!

城シリーズ!現存天守 彦根城

城シリーズ!現存天守 彦根城2009年11月29日
二日目は朝8時半から彦根城に行って来まして、こちらはナント、現存天守の一つです!



めんどくさいので、記憶で書きますが、徳川四天王である井伊直政を初代とし、二代直孝、三代直澄と、井伊家14代が治めた城です。


その後、明治維新の廃城令や戦災も免れ、旧国宝保存法の城郭第一号に指定されたほど。
現在は、日本に12城残る現存天守のひとつで、その中でも4つしか指定されていない国宝となっています。


この天秤櫓も重要文化財指定されています。


この鐘は今でも時報を告げているとかいないとか書いてありましたが、忘れました。


ちょっとブレました。


中はこんな感じ。


安政の大獄で知られる、井伊直弼


本来、直弼は藩主になる筈では無かったが、兄はみな養子に出され、あとを継ぐ筈だった兄の急死だったかなんだかで、急遽藩主の座が転がり込んできたラッキーボーイです。
それまでの三十数年間、この埋木舎(うもれぎのや)で、様々な趣味や勉強をしていました。
その教養が、藩主になってから活きたのです。

埋木舎(うもれぎのや)とは、直弼が後に自ら付けた名だか何だかで、このままここで埋もれていく筈たった住まいに付けた名前みたいです。
あくまでも記憶なので、間違いがあるかも知れませんが・・・。


近くの博物館には、歴代藩主の遺品などを中心にいろいろ展示されてますが、興味があるのは甲冑だけです。
これは6代直恒の世子時代の甲冑ですね。
井伊家では、藩主のみが兜の脇立てを許され、藩主以外は前立てなんです。
これは前立てだから世子時代のものです。
でも、歴代藩主の甲冑に引けをとらないカッコ良さです!
でも、この天衝き前立ては、明治時代に直されたんだか作られたんだかだそうです。


これは二代直孝所用(三代直澄若年の指料とも?)と伝わる、朱漆塗蛭巻鞘大小拵(しゅうるしぬりひるまきだいしょうこしらえ)で、井伊家らしい朱色がカッコイイですね。

Posted at 2013/06/05 00:05:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2009年11月28日 イイね!

城シリーズ!篠山城

城シリーズ!篠山城2009年11月18日

本日3ヶ所目の城ですが、ここがまた非常に辺鄙なところにあるので、17時の閉館までにどうしても間に合わなかった野田!

事前に篠山城へ電話して、少し待ってて貰うようにお願いし、なんとかパンフレットとスタンプだけは頂くことが出来ました。


ろくに見る時間も無くスタンプだけ押すのは我々のルールとしてはご法度なのですが、リベンジできる場所でもないので、今回は仕方ないです。


それでも、写真を撮れる範囲で撮影しました。


篠山城は、慶長14年(1609年)、徳川家康が大阪城の豊臣氏に備え、大阪や京都から山陽や山陰へ通じる交通の要所に築城しました。
天下普請により築城工事は進められ、総奉行はあの池田輝政、縄張りは築城の名手 藤堂高虎です。
本丸と二の丸は全て高石垣で囲まれ、その外側に三の丸と堀が巡り、3つの角馬出しで虎口を固めていました。



これから彦根の宿に向かうため、車を走らせます。
ナビ通りに進んでいくと、なんとも狭い道を走らされ、遂には・・・



右に自動車乗り入れ禁止の看板がありますが、奥から手前に向かって走ってきたんで、そんなのわかりません!
段差で先が見えなくて慌てて止まったんですよ。
そしたら、コレです。

スロープの幅を調整して一人が誘導しながら降りたのですが、DRだったら絶対に通れないデス。




Posted at 2012/03/02 22:43:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

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