4/28高速道で潮来迄行き、ひたすら海沿いを走って東北6県を
一周し、新潟・直江津港へ、そこから志賀高原、八ッ場・吾妻侠を
経由し、浦和から首都高で5/6帰宅の9日間ドライブをして来た。
計画・準備として
・今回は車中泊主体とする
・出来るだけ海岸沿いをドライブする
(計画では2500kmを予定)
・駅の道が載っている「JAFドライブMAP」を用意する
・寝袋、長座布団(敷布団代わり)、セーター等準備し、窓開けての
就寝リハーサルをする
・休憩時用に飲み物、インスタントコーヒー・スープ、みかん、菓子類
(1)総走行距離----------2637km
・運転時間(出発~停車)---64H
・平均速度-------------41.2km/h
・給油量--------------147.2L(¥16,658)
・燃費-----------------17.9km/L
(車両表示は18.0km/L、タンク残量から計算したスマホ表示は17.9km/L)
(2)DPF再生回数---------15回
・DPF再生間隔----平均176km
(最短150km、最長208km)
・今回のオイル希釈量--オイルゲージから0.3L位。
出発前---Hより11mm位上(オイル交換直後既にHより2mm上だった)
帰宅後---Hより17mm位上(6mm=約0.3L)
*オイル面位置はいずれも冷間時の位置
再生終了時のOIL_DIL数値:15回合計は52=平均3.7g/気筒÷比重0.8*4気筒*15回≒0.28L
(OIL_DILPID:2203e1の最大数値を勝手に解釈しての計算であり信憑性なし。
この数値と希釈量との関係についてフォロー中)
(3)備忘録
・
昭和の車
宮城・長沼で初代?フェアレディZが駐車していた。
また下北半島、脇ノ沢ーむつ間でローレルが前を走っていた。
調べたらC320型で何れも昭和50年頃(40年位前)の車だった。
嬬恋でもS50年代のブルーバードが前を走っていたので、信号停車で写真撮ろうとしたら
すぐ青になり左折。残念。
そして、道の駅・出雲崎では昭和30年頃(60年位前)のメグロ愛好家一行と出会った。
70代?と思しきドライバーたちで、揃いの名前入り上着を着ている。
一行は写真を撮ろうとしたときすぐ出発したのでこれも撮れず残念。
メグロは本田ドリームに負け?川重(カワサキ)に買収されたと記憶している。
この頃(’50年代)は、今や目にしない陸王や校医が乗っていた本田ジュノー(スクーター)、
チェーンでなくシャフトドライブ(ライラック)付単車があった。
また、自転車の前輪リム(宮田)、後輪リム(BS)、後輪タイヤ(社名?)をローラーで回すもの、
後輪をVベルト(トヨモーター)で回すもの等、後付け?エンジン車全盛時代で懐かしい。
これらの原付自転車は昭和30年頃、小学校先生達の通勤車でもあった。
今、市販されているとしたら自転車にも原付きにも簡単になるBSが一番欲しい。
・
長沼で戦前、戦後活躍した発動機運転会
この中に多分100rpm位で一瞬上死点で止まるものや、
米国製で1回の爆発で12~13回転する、その名もECONOMYという珍しい物があった。
即売もあり15万円とある。
この石油発動機は戦前からあり、農村機械化の源流である。
展示運転していた人の奥さん(70代)は石油の匂いがたまらないとの事。
運転中の石油発動機は殆ど600~700rpmで2~5馬力位。重量50?~100kg?
・
震災復興
震災後6年経過。
福島の原発付近は、外見上余り被害を受けたように見えない外食店、GS、事務所、そして
一般家屋も並んでいるが、今だ立入制限地域で誰もいない。
道路端の水田も稲でなく葦?が我が物顔で成長していた。
立入制限地域を過ぎると風景ががらりと変わる。
福島県北部から岩手県にかけ、四方八方で市街地、護岸、道路工事中である。
女川駅前は市街地整備完了、富岡駅前は整備終了も近いように見えたが、南三陸、陸前高田、
田老地区などは、まだまだ整備工事中で未舗装もある。
ナビも追いつけないくらい道の位置が変わるとの事。
道路付け替え等整備されたところは非常に走り易いが、
全域整備が終了するのにどれ位かかるのだろうか。
整備完了すると道路事情も随分と良くなるだろう。
安全のために仕方ないのかもしれないが、海が見えない高いコンクリ防潮堤には?
個人的には100年の計を以って、海岸沿いに「幅数十メートルの土手に松林」の
防潮堤にして欲しかった。(細川護熙さんが提唱していた)
・2600kmを走って
良くぞ毎日300km走ったものである。
車中泊用に6℃用の寝袋を用意したが、東北の朝方は厚着しないとちょっと寒かった。
予定では2500kmであったが海岸沿い、同じところを2回、間違い走行等で100kmオーバーと
なった。
車にとって、今回の2600kmは日常走行の5000km以上に相当するのではと思う。
排気温度は日常400℃に殆どならないが、今回は坂道では400℃以上が普通?でカーブも多く
足回りにもかなり負担を掛けた。
例えば、龍泉洞から田野畑に向かうのに、小本街道から44号線に入ったが、
ここから田野畑間約10kmは、山道、坂道、カーブ道であるが60~80km/hで走り抜けた。
対向車がないとはいえ、年寄りのすることではない。
これは後ろにハリヤーがぴったり付いていたので上りカーブで減速し、上り直線でのハリアーの
加速を確認したかったためである。しかし車間距離はずっと同じであった。
便利・重宝3つ
一つはTorqueで、何と役に立つアプリであることか。
車両データと走行地図をスマホに記録するだけで、後日いつでも確認できるのだから。
2つ目はコンビニ、どこでもお湯を貰えるのでスープを飲むのに事欠かない。
3つ目は道の駅に温泉があること。疲労回復、汗流しに最適。
高速道のシャワー設置SAよりはるかに多いのではと思うがどうだろう?
景色の良い所を撮りたくても停められないところがある。
ドライブレコーダーが必要だと痛感。付いていれば4つ目の便利・重宝に加えられただろう。
残念だったのは、デジカメがすぐ電池切れとなり、ピンぼけスマホ写真になったことである。
反省、充電コード忘れずに!
この東北一周完了で、日本一周走行するには
主な残り区間が、直江津~米子間、紀伊半島、小倉~鹿児島間となった。
何とか来年中(75歳迄には)には完了したいものである。
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初日走行:175km 4H08M運転
4/28 16:00出発
自宅→近くのGSで満タンにし高速道で潮来まで走る。
ここから一般道で北上し
20:38 茨城・高萩のコンビニ着。ここで了解を貰い駐車場に泊。
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2日目走行:282km 7H27M運転
4/29 6:16出発
高萩→第二原発付近(立ち入り禁止で水田は葦の原、沿道の建物は当時のままで14:19の時計が見えた)→JR富岡駅前(以前来た時の面影は全くなく駅舎、周囲の家屋も撤去し街作り最中)→道の駅・そうま(久々に燕の巣を見る)→松川港(港湾工事中)→亘理駅(城の図書館あり)→鳥の海ふれあい市場(昼食)→七ケ浜→
16:34 JR女川駅着(駅前は整備完了。駅に温泉(ゆっぽ)があり入浴、ここの駐車場で泊
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3日目走行:269km 6H17M運転
4/30 5:32出発
女川→雄勝湾付近のパーキング隣に個人が建てた慰霊碑で、地元の人に会う(祖母が孫を学校から自宅に連れ帰って犠牲になったと話してくれた)→神割崎→南三陸→長沼フートピア(石油発動機大会、ここに初代?フェアレディZが止まっていた)→道の駅・大谷海岸(ここは元駅でホームはあるが線路は途中から無い)→奇跡の1本松→碁石海岸(穴通し磯)→
16:10 道の駅やまだ着、泊
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4日目走行:311km 7H22M運転
5/1 5:51出発
やまだ→浄ケ浜→道の駅・シートピアなあど→道の駅・いわいずみ→龍泉洞(内外温度差6℃、池の深さ最大100m)→(山・坂道を飛ばした)→道の駅・田野畑→北山崎(昼食)→道の駅・のだ(塩運びの牛像あり)→道の駅・みさわ(開拓時を模した造形物あり)→(338号線を快適に北上。338号を左折して180号に入ると原野の中に突然?原燃施設が見えてきた)→
18:31 道の駅・よこはま着、泊(大阪NoのKで車中泊の70代後半夫婦と出会う)
給油 51.0L(久慈市 893km走行)
5日目走行:360km 7H47M運転
5/2 5:39出発
よこはま→尻屋岬(馬2頭に出会う)→恐山(硫黄風呂あり、入浴)→薬研→(下りのカーブ道で、のろのろ運転。のろのろ部分の平均時速27km/h)→大間岬(昼食)→(佐井から上り下りの山道へ。直線距離が短いカーブの連続で2度と走りたくない道)→仏ケ浦→道の駅・わきのさわ→道の駅・よこはま→
16:42 道の駅・浅虫温泉 ゆ~さ浅虫着、泊
6日目走行:324km 7H29M運転
5/3 5:56出発
浅虫温泉→下北半島蟹田港(ここで外国製?の大型キャンピングカーで、脇ノ沢から大間に行くと言う人に会ったのでアドバイスする)→(途中松の街路樹、珍しい)→平舘→竜飛岬(風強し)→青函トンネル記念館→泊龍ライン→十三湖(岩木山が美しい、昼食)→千畳敷→不老不死温泉(入浴)→十二湖→不老不死温泉(帽子を忘れ取りに戻る)→道の駅・みねはま→
17:46 道の駅・おおがた着、泊
給油 37.0L(大潟村) 898km走行
7日目走行:339km 8H3M運転
5/4 6:05出発
おおがた→男鹿半島入道崎→こうもり舞台→鵜ノ崎海岸(ゴジラ岩あり)→寒風山(大潟村など見え景色良し)→道の駅・あきた港(満車で駐車出来ず)→(7号線途中事故で渋滞)→道の駅・岩城(昼食)→にかほ市フェライト子供科学館(雪の鳥海山がきれい)→遊佐町釜磯(睡魔に襲われ1H仮眠)→遊佐町から鳥海ブルーライン→鳥海山(大平山荘)→にかほに下りてくる(7号線を約15km2度走る)→道の駅・鳥海→
18:39 道の駅・あつみ着、泊
8日目走行:308km 7H47M運転
5/5 5:40出発
あつみ→瀬波温泉(趣ある家並み)→ラウンド交差点あり(自転車も時計回りの標識)→俵岩→弥彦神社(鶏の鳴き比べ、新郎新婦に出会う)→寺泊(昼食、大混雑)→道の駅・越後出雲崎(単車メグロ愛好家一行と出会う)→直江津港→道の駅・ふるさと豊田→中野市(社名無しのバスを見かける、行先は北志賀・落合?→
17:23 道の駅・やまのうち着、泊
9日目の走行:269km 7H39M運転
5/6 5:38出発
やまのうち→万座に向かう途中道路端に猿の家族、停車したら両手を合わせ物乞いの体。そのまま走り出したら餌をやらぬようにと注意書き→国道最高地点(2172m)→下り始めて気圧を見たら800mb台後半、下るに従い数値が増えてくるのがよく分かる→道の駅・八ッ場ふるさと館→道の駅・吾妻峡(薄いベニヤ板で飛行機を作り販売していた。1分位飛ぶ由)→道の駅・よしおか温泉→17号線深谷→(熊谷付近で新緑の欅街路樹が美しい)大宮→浦和から首都高→
16:17 自宅到着
給油 49.0L(嬬恋村 走行631km)
給油 10.15L(自宅近く 走行215km)