注意:前半はぶっちゃけ鬱系ネタになりますのでいつもとノリが変わります。
旅も折り返しの6日目を迎えました。心配していた台風も旅に大した影響もなく通り過ぎ、今日は快晴ということもあって本来予定から外していた観光ポイントへ向かうことに。
本来行くのが中々に困難な場所なので、観光ルートから外していましたが、ある意味台風と呉市の観光スポットが閉まっていたおかげで訪問することができました。
それはどこかと言いますと・・・・・
山口県周南市の大津島という小島です。
そこに何があるかと言いますと・・・・
回天記念館という施設がひっそりと建っています。
回天ってなんじゃらホイ?って方もいらっしゃるかと思うんですが、旧日本帝国軍において世界中にその名を知られKAMIKAZE ATACKという言葉まで生まれた神風特別攻撃隊は皆さんもご存知だと思います。あれは戦闘機が爆弾抱えて敵艦に体当たりするんですが、回天は魚雷に人間一人分の操縦席を取り付けて操舵可能な人間魚雷として敵艦に体当たりするという・・・
これ考案した奴あきらかに頭のネジが3桁はずれてんだろって兵器です。
大津島にはその回天の訓練基地が存在し、今では記念館がその名残を語り続けています。
で、周南市の徳山港から船で行くわけですが、高速艇とフェリーの2種類がありましてですね・・・
流石に今回はオイラも厳島で学んだので車おいていきましたヨ。
●大津島まで高速艇で18分・フェリーで44分、波止場に到着
流石に今回はオイラも石見銀山で学んだのでレンタサイクルを借りましたよ。
・・・・記念館まで徒歩10分丘の上なのでレンタサイクル使うと逆にしんどかったけどナっ←教えてくれてもよかったじゃんかよおばちゃん・・・
●なにはともあれ記念館に到着。建物までの道の左右には回天で散っていった方々のお名前が・・・
●記念館の右手には実物大と思われる回天が・・・・
で記念館へ入るわけなんですが、極秘任務なため家族にも言えず黙って散ることになるんだとか。当時の隊員の求婚と別離の手紙とか展示されているんですが、もう言葉がでてきません。
また断面模型も展示されていました。
●船首側から(中央の白い四角いのが操縦席
●横から(右端の棒みたいのが潜望鏡と思われる。
・・・・動く棺桶という表現がピッタリだな・・・・
●ちなみにこんな感じで潜水艦の甲板に搭載されていたそうです。
これに乗って散っていった方々は10代~20代の若い人達だったそうです。当時敗戦濃厚だったが為に起死回生の一手として実行されてしまったわけですが・・・・
白旗あげるタイミング見誤ってこれから国の復興に必要になるであろう若い人に特攻させるとか悲劇以外の何もんでもないと思いました。
で記念館を後にし、回天の訓練跡地へ・・・・
●当時このトンネルを通って回天を訓練地まで運んだそうです。
●トンネルを抜けた先には訓練施設の名残が・・・
今のご時世でこんなもんに進んで乗りたがる奴はいないでしょう。
まさに環境によって人は鬼にも仏にもなるんだなと思わされました。
まぁ回天だけに限らず、色々と
トンでも兵器が研究・運用されているわけですが・・・
こんなもん考え付く奴もアレですが、Goサイン出す奴の方がもっとアレですね。
閑話休題
で本土に戻ってきたのが14:00頃。本当はこの後 戦艦陸奥の記念館がここから2時間ほど走ったところにあるんですが、行こうと思ってたけど時間的にきついのでパス。
明日の角島大橋に備えて萩のほうへ移動開始。
●途中で道の駅 萩往還にて休憩。
●ここには吉田松陰ゆかりの地として松陰記念館がありました。
なんかここの食堂では瓦そばなる名物を取材しているテレビ局の人がいましたよ。今度機会あれば食ってみよう。
●で先へ進み笠山展望台へ
夕日がきれいでしたがカメラがダメダメっすなw
回天でほぼ半日つぶれましたが、いい勉強させていただきました。
●今回の走行ルート
明日は角島大橋の方へ行ってから大分入りを考えてまっす。
Posted at 2016/10/06 22:14:10 | |
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ロードスター | 日記