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イイね!
2011年10月25日

いつか行きたい、新城ラリー!

今年も、みんカラお友達さんたちからの現地レポートや動画等々で、

新城ラリーを遠くから楽しませていただきました。


いつか絶対、行きたいです!


子どもたちの給餌等に気を遣わなくなったころかなぁ。
行けるのは。


新城ラリーも憧れですが、もうひとつ。
彼の地へ行ってみたい理由があります。


そう!
新城といえば、奥三河。

あの、長篠合戦の舞台です。

寝返った奥平家を攻める武田軍。
すると武田を叩く絶好の機会と、
一派じゃ心許ない新鋭軍団、織田・徳川が一時手を組んで加勢しにいって、武田をやっつけた長篠の戦い。


長篠城主、奥平家の平家臣、鳥居強右衛門(すねえもん)が、命を惜しまず忠義に散った逸話でも有名ですが、それにもまして、、、

長い戦国時代の中の世代交代といいますか、近代化といいますか、革新といますか。
そんな境目にあった戦いが、この長篠の戦いだったと感じられ、
そういう点でも気になる合戦であり、古戦場跡なのです。

最強騎馬軍団を誇った武田が、滅びゆく刻でしたね。ここが。


このころ、織田以外はまだ、兵士と農民を分けていなかったので、
雄壮で知られた武田軍の兵士たちも、農繁期までには決着付けねば!
と焦る気持ちがあったりしたのも、敗因の一部だったのかなぁ、と。


長篠合戦といえば、とにもかくにも、織田軍の三段構え銃作戦が大きな勝因とされていますが、
鉄砲隊の画期的戦術といえば、雑賀孫一率いる雑賀衆。

でも、この時はまだ織田と雑賀は手を結んでいないとされているので、

実際どうだったのかなぁ?

本当に織田軍は三段構え銃で戦ったのか否か。
もしかしたら雑賀から情報か傭兵をパクッてたとか?

と、謎や疑問を誰何するのもまた楽しく。

だからこそ、一度は行ってみたい。
新城ラリーへ。








ブログ一覧 | ラリー・ダートラ | 日記
Posted at 2011/10/25 23:00:56

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この記事へのコメント

2011年10月25日 23:22
当時の武田軍は最強のものでした。
それが信玄公の死というあっけない幕切れにて、義明との連合政権も破綻に終わる。
要するに勝頼はその器ではなかったということですか。
徳川が結局はトラの威をかぶった狐、やがて天下を取る・・・。
八幡原の戦いとともに、日本の歴史が変わった瞬間ですよね。
んーそういう戦いの場所に僕も5年ほど住んでいました、といっても真田幸村の上田市ですが。
さて、歴史の本当の真相はいかに!!(*^^)v
コメントへの返答
2011年10月26日 0:49
信玄がもう少し長生きしてたら、どうだったのだろう?
とか、思いますね~。

>要するに勝頼はその器ではなかったということですか。

そういう事になるのでしょうかね。。。
そもそも、信玄は勝頼を嫡男が育つまでの後見人といいますか、つなぎ役として考えていたはずで。

だからこそ、勝頼に自分の死を隠匿せよ。そして自分の死後は甲斐を出ずじっとしていて、もし攻め込まれたら上杉を頼れ、と遺言したのでしょうね。


上田城の上田市に!
へぇ~。
秀忠が手を焼いて関ヶ原に遅れた原因となる、あの上田!
というか、真田家の長男が自ら攻めることになったという、、。

お兄さん、たしか、本多忠勝の娘が正室でしたよね。徳川につかないとならない立場だったんですよね。

でも、だから最終的には、真田の家が残ったわけで。しかも一藩主にもなって家を残したんですから大したものだなあと思います。

父と弟の事で、徳川に居ながら気まずいこともあったでしょうに。

ま、どっちに転んでもいいようにしておいた、抜け目ない父昌幸が1番偉かったのかなぁ、、とか。

考えたら朝まで考え続けられます。(笑)




2011年10月25日 23:48
リエゾンで長篠城の真横を通ります。
リエゾンで鳥居という駅の前を通るのですが
たぶん強右衛門が由来じゃないかと思います。
ってか鳥居強右衛門のキャラクターがこの街にはあります。
新城の隣の駅は野田城です、信玄の容態が急変したという・・・

お子さん達は御亭主に任せて、新城来ませんか?www
コメントへの返答
2011年10月26日 1:02
え~~!
リエゾンが長篠城の真横ですか!!
それもまた、たまらない構図ですね。

鳥居駅って、きっと強右衛門に由来してるんでしょうね。

あぁ、、野田城も新城のお隣なんですか。信玄が野田城攻めをしたあと喀血したと言われていますもんね。
野田城も意外と近かったんですね。

へぇ~。

なんだか、こういうリアルな土地ネタまで聞くと、ほんとにてんこ盛りだな、という感じで。

ますます、新城ラリーは、盆と正月状態でたまりまへん。(笑)

いやーもう、ほんとに行きたいですよ。
新城ラリー。

でもおっさんに任せていくと気持ちがスッキリしないので、あと数年は我慢です。(笑)

2011年10月26日 5:11
友人に長久手出身者が居ますが、それはもう「あの長久手の戦いの・・・」という話を熱く語ります(笑)
地元民しか分からないような逸話が残っている可能性があります。そういうのって、親とか親戚とかも子供に語り継いでいるみたい。

ただ、まあ逸話なんで、どこまでが真実かは測りかねますが・・・(笑)

個人的には、そのころに既に雑賀衆の中心人物が束ねかけていて、組み入った初期のように感じます。文献が残っている可能性は低いですけど。
コメントへの返答
2011年10月26日 21:21
ほぉ!
長久手ご出身のお友達が!
いやぁ、、聞いてみたいですねぇ。

真実じゃないものや脚色された言い伝えもあるとは思いますが、それも含めてその地域の人々が言い伝えてゆくって、それこそ歴史だなぁと思います。

文書に残らない口述の言い伝えも、また浪漫があっていいものです。
わたしはそういうほうを聞いてみたいですねぇ。

アイヌの人々のユーカラも、やはり同じく口述伝説で、文字の残さず伝えられたからこそ世界が芸術文化と認めているのじゃないかな、と。

それと、今、思ったのが、私たちよその者は、
「小牧・長久手の戦い」と一緒にしていますが、地元の人にとっては、別々の戦だったのなぁ、と。

それに気付きました。(笑)

長久手の戦いは、よく徳川と豊臣の夢のドリームマッチみたいに言われますが、私にはなんとも、現場の兵士にとってはやるせない悲哀に満ちた戦いに思えます。

なぜなら、戦の切っ掛けとなったご当人である信雄がさっさと逃げてしまって、
何のためにやる戦なんだかわからなくなってしまってるのに、それでも現場の兵士は戦うわけで。。。
豊臣も貴重な武将を多く失ってしまったのに、、。

こりゃやっぱり決着つかんな、とお互いに納得したあたりで和睦。
そんなこと最初からきっと分かっていたと思うんですよね。
あの性格の2人が対峙した戦なんですから。

取るか取られるか、という結果を出す戦と違うんですから、命を賭けた兵士も、命を失った兵士の家族も、浮かばれないよなぁ、、と思うんですよね。。。

そういう悲哀で考えると、幕末の鳥羽伏見の戦いも似たようなものですね。総大将が現場の戦士をうっちゃって、さっさと逃げてしまってる、という。
2011年10月26日 7:59
新城ラリーは今年はいけませんでしたが、昨年、一昨年は観戦しています。
楽しかったです。機会がありましたらぜひ一度観戦してみて下さい。
コメントへの返答
2011年10月26日 21:23
さすがに休みをもう取れなかったとか、、ですか?

新城ラリーはギャラリーも多くて盛り上がってる雰囲気ですし、グラベルとはまた違ったラリーがあるのだろうな、と思って、ほんとに見てみたいです。

いつか行きたいです。^^

2011年10月26日 20:27
わたくし・・・歴史は全然ダメダメなんですが
こんな風に土地と歴史を合わせると
楽しさ倍増ですね!
興味もドンドン湧いてきます。
色んな土地それぞれに歴史があるハズ。
近所から知識を増やしていってみたいです。
歴史とラリーのコラボレーションなら、100倍楽しいですね♪
      by.熊嫁
コメントへの返答
2011年10月26日 21:29
私は趣味が少ない人間ながら、その極めて少ない好きなものが、ラリーと日本の歴史(応仁の乱以降、西南戦争まで)なんですよ。

その数少ない好きなものが同じ場所にあるというだけで、本当に行ってみたくてたまりません。(笑)

東北や北陸、そして愛知に京都、大阪など、日本史の舞台になった場所に旅行に行くのが老後の楽しみです。(笑)
2011年11月6日 11:49
足跡から失礼します~。
僕は毎年オフィシャルに行ってる地元民ですが、上でもとじさんも書いてるように、合戦にまつわる場所がルート上に多数あります。SS内にもそんな案内看板があったりします。
リエゾン巡りがそのまま合戦名所巡りにもなりますし、長篠城の博物館も見応えたっぷりです。
長篠や野田のお城は有名ですが、それ以外にも小さな山城が多数あったようで、この地がいかに戦略的に重要な場所だったかがうかがえます。
ラリーのほうも、ターマックのイベントしか出ない選手も多いので、かえって新鮮な気持ちで観戦できるかもしれませんね。
ぜひとも来年、お待ちしておりま~す!
コメントへの返答
2011年11月7日 21:14
こんばんは!
コメントありがとうございます~。

ラリホでBEATさんと会ったとき、ちょこっとご一緒させていただきました。
その節はどうもでした。<(_ _)>

あ~!
地元だったのですか!

新城でのオフィシャルレポート、リアルで愉しかったです。
“ここでは書けない会話やエピソード”というのに、すごくそそられました。(w)

ほんとに、新城ラリーもそうですが、奥三河は戦国時代古戦場としてのあこがれの地です。

たしかに、有力大名のほか、無名の土豪が多数ひしめき合う時代であり、そういう場所柄ですから、小さなお城もたくさんあったことと思います。そういう日本史の表舞台に出てこない土豪たちが生きた要塞跡などもめぐってみたいと思っています。

来年、、、はまだ行けそうもないですが、ゆ~さんがオフィシャルをやっていらっしゃる時にぜひ見に行きたいです。

実は私、、、ターマックラリーを生で見たことがないので、そういう面でも、新城ラリーはあこがれです。

十勝でもターマックイベントはあるのですが、いつもその時期は他の用事で絶対行けないもので、、。

たぶん、、、初めて見るターマックは、、、怖いんでしょうね。。。(笑)

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