• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2012年01月09日

新撰組について存分に語ってみよう

3連休、いかがお過ごしですか?
私は今夜、家族が釣ってきたワカサギを約200匹以上も
揚げるはめになりまして脚腰が痛いです。

爆釣で浮かれ帰ってきた3兄弟。

楽しかった1日が一転し、大量殺戮を見た母さんが超不機嫌。

まるでお通夜のようにしんみりと、次々揚がるワカサギ天ぷらを食べていた
3兄弟はちょっと可哀想でしたが、

今度から、「1回で無理せず食べられる分くらい」という量レギュレーションを忘れないためにも、
1回、このくらい嫌な思いをさせないといかん、と。

心を鬼にして不機嫌な顔をして天ぷら揚げてました。


という前置きはさておき。


みんカラ友だちのtさんが、新撰組の話題を書いていまして、
“そうそう、そうなのよ”という感じで触発されてもうたまりません。

私も新撰組作品について書いてみようと思います。

ほとんどtさんへの私信の乗りで申し訳ありません。

たとえば、、。
とあるバーのカウンターで、(ちょっと年の離れたw)奥さんが2人、
熱く語り合っている、、、。
子どもの教育の話しか?
フクハラで大根が安かった話しか?
それとも、独身時代の恋バナか?

と、耳を傾けてみたら。。。。

平助が、、とか、源三郎が、、、とか聞こえてくる。

奥さんたち!
し、、、新撰組の話しかい!!!

って、いうような。

そんなシーンです。

「燃えよ剣」はええですよ。
土方さんの生涯がだいたい分かります。
そして、司馬遼太郎先生が描く土方さんはやっぱり、いいな。。。
と思えました。きっと司馬遼太郎先生は、土方歳三が好きだったんでしょうね。

なんというか、
“あぁ、土方歳三は、案外幸せだったのかもなぁ”と思えるんですよ。

とりままさんが書いていた、「滅びの美学」。
「滅びの美学」は新撰組の生き様であると同時に
土方歳三の生き様でもあったと思います。
後に会津藩と幕府という後ろ盾を失って、孤児になった新撰組は、
近藤勇を失って夢と行き先を失った土方歳三と同じだったと思います。

でも、頭はいいし強いし。なかなか死ねなくて転戦するうち
結局函館まで来てしまう。

あれだけの知将ですから、函館では、もう旧幕府軍は勝てないと
分かっていたでしょうし、たとえ勝てても「武士の世」はもう来ない
のですから、土方歳三の頭の中には、「どこでどのように散ろうか」
という、死に場所探しのみでなかったかな、、と。
つまりは「滅びの美学」ですよね。美しいけれど哀しいですよね。


でも、「燃えよ剣」での土方歳三は、ただ哀しく滅んだのではなく、
人並みに情愛なんかも噛みしめつつ斃れたと思えて、私は感無量の読後感でした。

土方歳三さんの俳句集があるのですが
(島田魁が後に編集したんじゃなかったかな?)、
それを最初に読んだ時、正直、
「へたくそ」って思いました。(笑)
俳句や和歌を作るのが好きなんだなぁ。でも、巧くないな、と。

でも、土方さんが作った俳句などを読むと、
“この人、素直な人なんだな”とも思えてきます。

新撰組隊士の死因第一位は「切腹」というくらい、
ものすごい数の粛正が行われていて、
そのほとんどを指令していたのが土方歳三。
酷薄な面を持ちながら、まっすぐで素直な面も持っていたのだろうな、
と想像します。

あと、土方さんが好きなんだろうな、と思えるのが、
浅田次郎さんですね。
あの人が書く土方歳三は、盲目の長兄の前では
ただの末っ子になってしまうような、幼気な土方さんで、、。
破滅へ続く戦場への道すがら、故郷を通って、
愛する長兄と一目会う場面を作っていたりしていて、
たびたび、こういう小細工で泣かせます。

近藤勇にしろ土方歳三にしろ、
ひたすら武士になることだけが目標だったのだと思います。

実際、夢は叶って、近藤勇は一瞬旗本にしてもらえて、
(その時点ですでに幕府はなくなることが決定していたのですが)
この時の近藤、土方の心中はどんなものだっただろう?
と思います。

すでに新撰組の勢いにもかげりが出ているころだったので
幕府がカラ手形を切ったことに気付いていたかもしれませんが、
それでも念願叶ったことはうれしかったのだろうな、と。

あ、「輪違屋糸里」どうでしたか?
私は先に原作を読んでいて、その後、ドラマのオンエアで見たんです。
原作とほとんど同じ脚本でしたが、
原作では曖昧だった謎が、ドラマでははっきりさせてあって、
「なーるほどぉ」と思いました。

芹沢鴨が、音羽太夫を斬るじゃないですか。
ドラマでは、後から、「音羽太夫は久坂玄瑞の女だったから」
という理由がつけてあったのですが、原作ではそうなっていなくて、

「え? ただの無礼打ち? でも、釈然としないなぁ」と思っていたので、
この点ではドラマの親切さにプラス10点でした。

それにしても平間重助が温水さんて。。。私も笑いました。

「輪違屋」は今もあるんですよね?
やっぱり京都ってすごいです。あこがれの地です。
昨年末、実家の両親が京都旅行に行って、お寺めぐりをしてきたんです。
それを聞いて心の底から、“いいなぁ”と思いました。
海外も魅力的ですが、私にとっては最も行きたい場所が京都です。

それと「壬生義士伝」も読むか見るかしますよね?
DVDを見るのでしたら、映画版(中井貴一主演)の「壬生義士伝」か、
ドラマ版(渡辺謙主演 たしか4枚組くらい)の「壬生義士伝」のどちらかを選ばれると思うのですが、できれば両方ご覧になると大満足です。

でも、どちらか片方を、というのでしたら、
ドラマ版の方が内容が濃くて絶対いいです。

でも、映画版もこれはこれで魅力的なんです。
同じ原作ながら、それぞれ見せ方が違っていて、
映画版では斎藤一を佐藤浩一さんがやっていて、
これがすんごく迫力あってカッコイイ!

あと鳥羽伏見の戦いで、吉村貫一郎が突っ込んでいくシーンは、
映画版のほうがドラマチックです。

ちなみに、映画版「壬生義士伝」を見ていた時、
切腹の多少強引な介錯シーンでうちのRがビビリ泣きました。(笑)
そして、
「母さんの見るDVDは、首が取れたり血が出たりして怖いから、
今度からはおらのいない時に見て」と言われました。


あと、大島渚監督作品の「御法度」。
これは司馬遼太郎の「新撰組血風録」の中の2作品で
作っている映画で、ちょっとエキセントリックながら色香があって、
大島渚って、すごいなぁ、、と思えた分には見て良かったです。
ビートたけしの土方さんは微妙でしたが。


子母澤寛の作品は実際に、元彰義隊のお祖父さんに聞いた話や、
旧幕臣たちに取材をして書いたものなのでリアリティがあります。
「新撰組始末記」とか「新撰組遺聞」は、
司馬遼太郎先生も引用しているくらいレアネタ満載です。

ただし、、、読みにくいです。
子母澤寛さんは元新聞記者なので、文章はきっちりしているのですが、
昔の人の文章で、いわゆるエンタテインメントを創作する、
という意識のもとではないからでしょうね。


斎藤一の生涯を描いた「一刀斎夢録」も、
いいかげん新撰組関連を読み尽くした、、、
という時に読んでみると良いかもです。

斎藤一って、維新後に警視庁勤務していたのは有名な話しですが、
自分のことをほとんど語らない人だったようで、
なにを思いながら明治まで生きたのか?
が興味のつのる所です。そんな世間の興味がうまいこと集約されているのが、
この浅田次郎著「一刀斎夢録」です。
これは、最後の方で背筋に電流が走るような、すっごいオチがついていて、
「参りました!」と唸りました。


そうそう。
島田紳助がプロデュースした「新撰組リアン」だかっていうユニットがあったじゃないですか。
あれは、あの子たちが京都出身だから、「新撰組」の名前をつけたようですが、
あの安易さには呆れて物が言えませんでした。

作詞も島田紳助だったようですが、
その詞が軽いことこの上ない。

“この人、新撰組のこと何も知らないまま、思い入れもないまま
 雰囲気だけで作詞やプロデュースしてるな”と思えて、
新撰組の悲哀や盛衰の在りようを冒涜された感があって不愉快でした。


それと、先日、とりままさんも、
「戊辰戦争、、というか鳥羽伏見の戦いはなぜ起きてしまったのだろう?」
と書いていたじゃないですか。

私も、ずっと疑問だったのですが、、
今読んでいる、船戸与一著「新・雨月」に、そこら辺のことが書いてあって、

“大政奉還しようと、薩長と幕府派で毎日のように、鉄砲を打ち込んだだの打ち込まれただのと小競り合いを続けて、もうボコボコの沸騰状態。もう納まりようもなかったんだなぁ。国内での戦争って、こんなふうに始まるんだなぁ”と思いました。

あと、薩長の敵は幕府、というよりも、14代時代から政権を牛耳っていた、
一橋(慶喜)と会津&桑名兄弟に対する遺恨が、倒幕へのエネルギーとなったのだな、と思えてきたり…。

なんだか話しがずれてきましてすみません。

本当に、お酒を飲みながら、
新撰組の話しをうだうだとしてみたいものです。

あ、「大奥 第一章」の西島さん家光は、
屈折した性格や憂いを秘めた表情がそれっぽくてなかなか良かったです。
驚いたのが、かなり史実に忠実で、史実にあるエピソードや語録が
たっぷりちりばめられていたことです。
フジテレビやるなぁ、と。(笑)

今日、「柳生一族の陰謀」を見たのですが、
真田広之が初々しくて萌え♪
大原麗子がきれいでうっとり♪
ただし、時代考証がすごく変で(確信犯なのが憎たらしい)
そこのところがしっくりきませんでした。
明らかにいないはずの人が生きていたり、、。

あぁ、今日も「戦国鍋tv」はオンエアないんですね。残念です。
ブログ一覧 | Bar MIBURO | 日記
Posted at 2012/01/09 01:13:27

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

祝・みんカラ歴5年!
shinD5さん

200万円弱で買えるカババ アウデ ...
ひで777 B5さん

初洗車
2時パパさん

福島オフ会 ツーリング❗
のっち660さん

一日一膳^_^
b_bshuichiさん

今日は、静かにお仕事を😊
mimori431さん

この記事へのコメント

2012年1月9日 6:24




心を鬼にしたら、顔も鬼になってませんでした?(笑)
しわが増えるので、止めましょう♪



遺恨・・・仇討のように、家族にのみその権利があるというものに限定するなら、そう大きくならないでしょうけど、大勢が参加すると、その団体のみならず、バックボーンも憎んでしまいますからね。それが戦争でしょう。時代から学ばなければいけませんね。



関係ない話ですが、再び親戚の去世により、平清盛の第一回を見のがしました(泣)
コメントへの返答
2012年1月9日 18:52
心を鬼にするときは顔も鬼ですよー。
だって、送り出す時、「120匹以上は釣ってくるんじゃないよ!」と言ったのに、調子に乗って釣って来るんですからー。(=_=)

面白いからってむやみに生き物を死なせてしまうのが嘆かわしい。

やっぱり120匹くらいでお腹いっぱいモードになってきていたので、残りのうち30匹ほど揚げてお向かい様にお届けしたら、
霧多布産の昆布を頂いてしまいました。。
恐縮でした。。。

残りは今朝の朝ご飯でした。(笑)

紛争や戦争の禍根というのは、案外何百年後までくすぶったりするものだなぁ、と、歴史系の本を読みながら思います。

今はそうでもないかもしれませんが、
江戸時代までは、ご先祖の恨み辛みを子孫代々まで語り次いでいましたから。

生まれながらにして敵が明白、っていうのがあったのでしょうね。

毛利家でしたか、、。
関ヶ原以降、それこそ毎年毎年、新年の挨拶の時、筆頭家老が君主に、
「さて、殿。徳川へいつ攻め込みましょうか?」

「ふむ。。。まだ少し早いだろう」

と、毎回おきまりのやりとりを、それこそシャレにならないほどリアリティの迫った幕末までしていた、っていう逸話がありましたから。

それだけ遺恨を持って時を経ていたということで、それほど倒幕の意地を繋げてきた長州ですから、「やっぱりやったか」と、妙な天晴れ感もあったりしますが、こんなふうに260年前の火だねが後に勃発することもある、という教訓ですよね。

本当に、学ばなくてはなりませんよ。

上のブログでも書いた、船戸与一の「新・雨月 戊申戦役朧夜話」では、戦争の始まり方、というのが生々しく描かれています。

あぁ、、だから起こってしまったんだ、、。
と、とても腑に落ちるんです。

さすが、世界の民族間紛争を舞台に書き続けて来た船戸さんらしい仕事!
と感激しました。

つまるところ、、。
「やられたらやり返す」を、各地で繰り返していたら、いくら戦いをしないで収めようと奔走する人がいても、どこかで火ぶたは切られてしまうものなのだな、と思いました。

親戚にご不幸があったのですか。。。

平清盛に聖子ちゃんが出てましたよー。
この時代はよく知らないので、素で見ることができて新鮮でした。(笑)


2012年1月12日 13:51
すごーい!!
長年にわたって蓄積された新選組についての知識と、それに伴って醸成されたであろう新選組への愛情がにじみ出てます~(*´▽`*)
これから学ぼうとする私をガッツリ照らす灯台のような記事をありがとうございました(笑)

土方の俳句集としては読んだことがないのですが、俳句を一つだけどこかで見たことがあるんです。
許嫁がいながら隊士募集に応じる時のほのかな迷いのようなものを詠んだとかいう「知ればなんちゃら~恋の道」、っていうもので、いや、ちょ、かわいい~(^w^) って、嬉しくなりました。
あの(その時点での私の中での土方像はまだ本当に限られていて)土方歳三が、若かりし頃に、恋の道とな!?というそのギャップが、私を土方LOVEにしたといっても過言ではありません(笑)
その俳句集も、いつか読んでみなければと思ってます。

輪違屋糸里は、あれは話としては創作なんですよね?
で、あれは確か、並平さんがおっしゃるところの土方好きな浅田次郎原作ですよね。
あぁぁぁわかる!!
いやしかしこれも、もう一回見てみなくちゃです。
輪違屋、現存してますね。
京都にしてみたら、この時代のものなんて、多分まだ新しいんでしょうけど(笑)

年が明けてから元日以来、実は全然オビヒ○に出かけていなくて、DVDも借りられなければ本も買えない状態で(お風呂で読みたいので、あくまでもまずはTUSTAYAとかゲオで105円で文庫が買えたらと思ってしまい・・・w)、もういいかげんイライラしてきました(笑)
図書館で新選組関連の(実用書的な系統の)本を借りては来たけど読んじゃったし・・・。

出かけたいけど子ども達のこまごまとした宿題が終わらないんです・・・。
しかもうちの子たち、私がダイニングのお誕生日席でにらみを利かせてないとすぐサボるから私が休みのときにガッツリやらせなくちゃいけなくて、今もお誕生日席で娘の宿題プリントと息子の新聞スクラップの宿題を監視中なのですが、ふたりで「BAKUFUって統べろう」歌いながらやっていて、これ本当に大丈夫か!?って感じです(実話)。


盛大に話がそれましたが、これから新選組の本を読んだり映画を見たりして、思うところや疑問が生じたらばこちらに書かせていただきたいと思いますので、ここは今後とも奥様による隊士トークのための「BAR MIBURO」ってことでよろしくお願いいたします♪
コメントへの返答
2012年1月13日 17:08
いえいえ。。
私の周りにはあまり新撰組が好き、という人がいなくて、語り合える人がいなかったので、
ついついうれしくなって勝手なことを書き散らしてしまいました。

長男も戦国時代の話しには乗ってくるのですが、幕末は好きじゃないらしく、つれないんですよね…。

ですので、もううれしくてうれしくて。(笑)

>「知ればなんちゃら~恋の道」、っていうもので、いや、ちょ、かわいい~(^w^) って、嬉しくなりました。

あーー。
「しれば迷い 知らねば迷わぬ 恋の道」
ですね!

これ、当たり前の事じゃないですかー。それを真面目にそのまま詠んでいるのが、素直というか、案外純情なところもあるのか?(*´Д`*)

 と思えた理由でした。(笑)

決して巧くはないんですがね、、。
「恋の道」とか詠んじゃうのが意外ですよね。

それで、それと似た句で、

「しれば迷い しらねば迷わぬ 法の道」といのもあるんです。

これは「恋の道」のリメイクですよね。
こういう、リメイクをしちゃうところも、
「しれば迷い 知らねば迷わぬ・・」というフレーズが気に入っている証拠で、やっぱ、俳句が好きだったんだなぁ、、とか、
やっぱりナルシストかぁ。。。

などなどいろいろ想像できて面白いのです。
雅号が「豊玉」だったかな、、。
子どものころの名前に「豊」が付いているので、それで「豊」を雅号にした、、、というのが説だそうです。


辞世の句とされているのが、、、たしか、

この身は蝦夷の地に朽ちようと、魂は東(あずま)の君を守る・・・というような句だったはずで。

「東の君」って誰なんでしょうね?

まっとうに考えたら近藤勇なんでしょうけど、近藤勇はこの時点でもう亡くなっているし。
まさか慶喜公じゃないでしょうし。
実家のお兄さんたちかな、、と、
とっても気になるのです。

土方さんが魂だけでも守りたかった人って誰なんだろう?? と。

上記のような、
「しれば迷い 知らねば迷わぬ 恋の道」
のような、まっすぐストライクな句を作る人ですから、案外、江戸に好きな女性がいたのでしょうかね? そうであって欲しいような。。。


「輪違屋糸里」は、リテイルは創作みたいです。
芹沢鴨暗殺の夜、平山五郎が桔梗屋の吉栄を連れ込んでいて一緒に寝ていたのも、平間重助が糸里と一緒だったのは事実のようですが、吉栄と糸里が親友だったというのは創作のようです。

当時、八木家の子どもだった方が、後に子母澤寛の取材に、吉栄と糸里が通じていた様子はない、と語っていたそうです。

でも、吉栄はお梅さんとは仲が良かったようで(平山が芹沢派だったからでしょうね)、あの芹沢暗殺の日も、お梅と吉栄が2人でおしゃべりしながら男達を待っていた、、みたいな回想録もありました。

で、ですね。
あの夜、鴨&お梅カップルと、平山&吉栄カップルは、同じ部屋についたてを立てて分けて寝ていたんだそうですよ!

で、平間&糸里は別の部屋で寝ていたんだそうです。

同じ部屋でついたてだけって。。(笑)
ちょ、、そんな、、
ザワザワもぞもぞやら吐息まで聞こえちゃうじゃないですかねー。
(/ω\)ハズカシーィ

で、暗殺者たちが踏み込んできたきたとき、同じ部屋に居たのに、なぜか吉栄だけは斬られずいつの間にか逃げたものだから、「芹沢鴨 暗殺の謎 吉栄が嵌めたのか?」みたいな疑惑や想像が後から湧いて出てきたようです。

吉栄だけ殺されなかったのは、暗殺メンバーだった佐之助かだれかが吉栄のなじみだったとかで、それで、吉栄だけはうまく逃がしたとか、、そんな説もありますが。。。

吉栄はかわいい人だったそうです。
当時子どもの、八木家ご子息の談によれば、、。(笑)

芹沢鴨は水戸藩士の次男だか三男で、
地元では半端なポジションながら、新撰組内では歴とした武士だし、水戸天狗党上がりという泊があるから、そこら辺が近藤&土方にとっては目の上のたんこぶだったのだと思います。

芹沢鴨も、水戸時代に、ほとんど押し込みの強引な資金提供のかどで入獄してるんですよ。最悪、処刑されそうな成り行きだったのに、何かの恩赦で許されています。

一度そういう危ない目にあったなら、今度は気を付けて行動を改めたらいいのに、のど元過ぎればなんとか、、で。

新撰組でも同じように、お得意の押し込み資金供出をやっているから、そこを突かれて身の破滅です。

芹沢鴨の例には、
「同じ轍を踏んではいけないものだ」
という教えがありますね。(笑)


芹沢鴨は水戸藩出身で、永倉新八は松前旗本御家人の息子ですし、斎藤一も歴史は浅いながら御家人の息子のようで、、。

このように新撰組にも武士はいましたが、
農民や町民出身者や浪人など、士農工商ヒエラルキーのすべての組成人が集まっていたのですから、水面下に渦巻く蔑如や羨望、卑屈はものすごかったと思いますが、

それでも、
皆同じ組織の元、剣の達人と認められ、
京の市中を警邏する!
というお役目と立場は、晴れがましいものだったんじゃないでしょうかね。

武士に憧れていた人たちは特に。

だから同じようなことをしていても、
旗本家の次男三男で構成されていた京都見廻組とはまた違ったテンションがあったんじゃないかな、と。

歴史の断片から察すると、新撰組の人生は儚く悲哀に満ちていますが、でも、その短い時間の中に、個々隊士たちの輝ける日々があったのじゃないかなとも思います。

「俺、今、生きてるぜぇ~~! イケてるぜぇ~~!」みたいな、、。

それまで、彼らが欲しくてたまらなかったのは、、、多分、
自分の居場所や立場、ミッション、そして「義」の対象ではなかったかと。

新撰組隊士となることで、欲しかった諸々が与えられ、イキイキと京のまちを練り歩いていたのだろうと、、、。
そう想像しています。

とりままさんちのお子たちは、いつもしっかり宿題や作品作りをやってますよね。。

密かに感心してました。

うちのRは、言っても言っても、やりません。
私のにらみなんか全然効果なしです。

おっさんから焼きが入って、少し宿題ドリルに向かうんですが、1ページのうち、確信犯的に微妙にやり残してるのが腹たつ。

もう根っからの怠け者です。

長男は言わなくても計画に沿ってやる子だったので、宿題に関してはイライラしなかったのですが。。。

兄弟でもまったく違って不思議です。

今夜はおっさんが泊まりで新年会なので不在だっていうんで、Rにとってパラダイス。
これからゲーム&アニメ天国ですよ。
('A`)ハァ・・・・

というリアルな愚痴はさておき、
またいつでも、「BAR MIBURO」で熱烈お待ちしていますーー♪


プロフィール

トヨタソアラ→ホンダインテグラ→トヨタスターレット→三菱ekワゴン→トヨタプリウス→トヨタアクア(今ここ)
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

Type Rちゃんの走破性 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/11/14 00:14:45
Rally plus net 
カテゴリ:Rally
2011/11/22 10:53:46
 
Rallynasaura 
カテゴリ:Rally
2011/11/22 10:44:59
 

愛車一覧

トヨタ アクア トヨタ アクア
2020年11月6日(金) 大安吉日の午前9時に納車。
トヨタ プリウス トヨタ プリウス
2008年4月12日(土)の14時30分に納車になりました。雪が降る中、、。 私の仕事 ...
三菱 eKワゴン 三菱 eKワゴン
夫の通勤車だったekワゴン。 私の場合、軽自動車に乗った方が安全運転に徹するのではない ...
その他 その他 その他 その他
フォトギャラリーはブログアップ用画像置き場です。 自転車は長男の愛車です。 2008 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation