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並平のブログ一覧

2015年10月18日 イイね!

雲海

雲海昨日の朝。屈斜路湖に雲海が発生していた。
時間は、6時過ぎくらいかな。

車の中から撮ったので、クリア感に欠けるのが残念。
でもきれいだった。

昨日は、次男Rが進むかもしれない高校のオープンスクールの日。
それで早朝からのお出かけとなった。

本当は長男も「見ておきたい。俺も行く」と言っていたのだけど、
たまたま長男の高校の公開授業日と重なってしまったので、
一緒に行けなくて残念だった。

この高校には、特進コースや普通コースなど、全部で4つのコースがあり、
今回Rは、体育コースを見学体験した。

体育コースを選んで見学していた中学生は、男女合わせて60~70人くらいだったと思うけど、
さすがに皆、いい身体をしていた。

うちのRの身長は現在175㎝くらいで、
これまで集団の中にいて見つけにくい、、、と思ったことはなかったのだけど、
この日はRが埋もれていて全然見つけられなかった。(笑)
女子も皆、シュッとして背が高いし。

で、体育コースの生徒さんたちの実技発表がまた素晴らしかった。
体育コースだから、当然、各スポーツ部の主要部員が揃っているのだろうし、
素晴らしくて当たり前といえば当たり前なのかもしれないけれど、
球技系から体操系まで、一通りの体育実技をこなす身体能力の高さに目を見張った。

それを見るまで、私は、
「体育コースじゃなくても、普通コースでもいいんじゃないかな・・」と思っていたけど、
ちょっと意見が変わった。

体育コースの体育授業は、これは体幹のほか、運動神経を発達させることを目的としたメニューだと分かった。以前、スポーツドクターに聞いたことのある内容だ。
これ、いいと思う。

Rは、高校ではたくさんの仲間と部活動を頑張りたい、と目的を特化しているのだから、
体育コースでできる限り身体能力を高めながら、部活動も頑張ればいいじゃん。


ところが、当の本人は、
「おらにはこんなの無理。こんなに幅広くこなせない」と、軽く打ちのめされたようで。
「この高校に行くなら普通コース」言い切った。

誰でも最初からあんなふうにできたわけじゃないと思うよ。
入学してからあそこまでできる身体と技術を養ったのだと思うよ。

そう諭したけれども、Rは自分のインスピレーションを優先するし、
一度言い出したら考えを変えない子だから、体育コースはないだろうな。

そしてお昼は、学食の人気メニューをいただいて、
午後からは部活動への体験参加。

トラックでの練習後、室内練習場で基礎トレーニングをしていた時、
高校生部員がRのジャージ(の胸にある中学名と名字)をチラチラと見て、
「え? ●●●?」「 ●●●?」と中学校名を囁き合っていて、
そのあと、「弟?」「弟?」とも囁きあっていた。


中学名(というか地域名)は、なにせ、ニシネンJr.のおかげで、
北海道の陸上競技界では有名。

さらにニシネンJr.の弟? と間違われたのだろうか。
うちの兄ちゃんがそこまで知名度あるとは思えないしな。


最終的にどこを希望するのかはR次第だし。
この高校へ進んだら、たくさんの友達に知り合えて、自立心も育って、
Rの成長を促してくれるんだろうな、、とは思う。

でも、、、「やっぱ、近所の高校に行くよ」って言ってくれたら、
母さんはうれしいな。3年間、執行を猶予される、ってやつで。(笑)

だって、遠いもんなぁ。
週に1回、洗濯をしに行ってあげる、なんてわけにはいかないと思う。



帰り道、冠雪がきれいだった。
きれいで、なぜか悲しくなった。



Posted at 2015/10/18 23:13:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | scene | 日記
2015年10月01日 イイね!

釧路川

釧路川一昨日。かつての同僚と数年ぶりに会った。

現在は東京で広告企画会社を経営しているT子ちゃん。

今年夏から、仕事で連携させてもらえることになり、
たびたび打ち合わせを重ねてきて、今回は釧路まで来てくれた。


社員を牽引し、ナショナルスポンサーを抱える社長さんだから、
T子ちゃん、、、という呼び方もないのだろうけど。

話せば、やはり昔のまま、T子ちゃんと呼んでしまう。
で、T子ちゃんも私の事を、昔のまま、、旧姓の呼び名で呼んでくれる。

本元のクライアント様とともに、長い長い打ち合わせを経て、食事に行って、、。
その後、2人だけで釧路川を見下ろすBarへ。

いろんな話をしながら気が付くと、
「今の若いモンは打たれ弱い」「ガッツがない」「自分を売り込む逞しさがない」という愚痴にいきつく、、。(笑)

あぁ、、お互い、年を経たということだなぁ、、なんて思った。


T子ちゃんがいつも見ている夜景はとてつもなく大きくて煌びやかなんだろうな。

でも、ささやかな灯りをまとい、ひっそりと横たわる釧路川を、
私は、きれいだな、と思った。




Posted at 2015/10/01 12:00:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | scene | 日記
2015年08月26日 イイね!

標津町の会津旗

標津町の会津旗先日、野付半島を走った時、
すごく見た事のあるロゴを見てハッとしました。
かいづさんの御旗やないの!

車を駐めて石碑を読むと…。
幕末、北辺警備のため、現在の標津町に派遣されていた、
会津藩士とその家族200余名を讃え、標津町が建立した石碑でした。




ペリー来航以降、北方海防のため蝦夷地の海岸線を警備せよと、
幕府の命で東北諸藩の藩兵が派遣されていた、という話は、
さまざまな小説や地元新聞の記事で知ってはいたのですが、
会津藩兵の義勇を讃え鎮魂する碑を見たのは初めてです。

派遣命令は万延元年(1860年)に出され、
陣屋建設が進んだ文久2年(1863年)から慶応3年(1867年)まで派遣生活は続いたそう。

派遣年数は実質4年というところですが、寒さと野菜不足による壊血病で、
毎年春先には多くの人が亡くなっていたはずです。

会津藩兵が守っていた領域は、現在の別海町西別から紋別市までだそう。
車もない時代だから、かなり広いなあ。

しかし、、。
文久2年といえば、松平容保が京都守護職を(仕方なく)拝命した年くらい?
同時期に北辺守護も請け負っていたのです。
どっちか片方でいいじゃないの。

蝦夷地北辺警護も京都守護も、慶応3年まで。

これ、大政奉還やら王政復古やらで、
もう江戸幕府が日本を仕切る世の中じゃなくなったというので、
両方の守護が解かれたのでしょうが。。。

4年かあ。
戦乱や命の危機的環境下での4年って、気が遠くなるような長さだったんじゃないだろうか。

京都警護と、鳥羽伏見から甲州、そして国許、会津まで続く戦闘の日々。
一方、寒さと壊血病が待つ死の北辺。

どちらへ派遣されたほうが、まだましだったのか。
どちらのほうが、生存率が高かったのか。
想像がつかない。

原田康子さん著「風の砦」が、まさに東北諸藩の蝦夷地警護にまつわる物語です。
これは安政の年代に、幕府が松前藩からほとんどの領地を召し上げて(※1)
東北諸藩5藩くらいに海岸警護を命令していて。
蝦夷地の北のほうのエリアの警護をまかされた秋田佐竹藩の若い藩士と、
その地を管理していた本社の社員(担当旗本)の妻との禁断の恋が描かれていました。

最初に読んだのが二十歳くらいの時だったので、
あまり理解できなかったのですがね(ストーブという概念がまだなく
、蝦夷地でも特に寒い北の方なのに、火鉢ひとつで冬を越そうという無謀さだけは、
二十歳の私にも理解できた)。

話は、会津藩の北辺(オホーツク)守護に戻って。
幕末に蝦夷地警備のために藩士とその家族が派遣されていたことは、
会津藩の記録にもほとんど記されていなくて、会津の人々にも知られていないそうです。
でしょうね、、。
藩主容保が火中の栗を拾って、戊申戦争へと突っこんでいった
会津最大級の激動時代ですから。
蝦夷地の記録が、国許に残っているはずはないですね。

だからこそ、標津町に残る記録が貴重なのです。

なにげなく走って見つけて、思って…。
良かった。



※1=松前藩家老の蠣崎波郷がせっせと絵を描いてお金をつくり、幕府に賄賂を送り続けてやっと領地を戻してもらった松前領地を再び取り上げた有名なやつ)、
Posted at 2015/08/27 00:03:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | scene | 日記
2014年06月27日 イイね!

インパクトブルーの

インパクトブルーのゴム手袋。

いやー、あれ悪戯してさ、ピースサインにしてみたいなー、
とか思ったよ。

、、、、、、

嘘です。
正直なところ、
中指立ててみたいと思いました。
真っ先に。
すんません。


にしてもだ、あれ、なんのためにああしてるんだろう?

まさか飾り?
違うよなあ。

たぶん、、、保護用?
あの部分のパーツを守るための。
あそこらへんてたしか、牽引するためのパーツがある場所だよね。
だからかなあ。

それはいいとして、、、

私的には、
赤いボディだから、手袋は旅立ちのグリーンが合うと思うの。


ちなみにここ、銀行の駐車場。
Posted at 2014/06/27 23:42:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | scene | 日記
2013年08月06日 イイね!

鹿車との遭遇 2013

鹿車との遭遇 2013すっかり忘れてましたが、先週、鹿車に遭遇しました。
場所は、国道391号の遠矢付近。


実は、今年に入ってから鹿車とすれ違うのは3度目くらい。(笑)
いつも国道391号で夕方にすれ違うので、鹿車さんは、国道391で通勤されている模様。


結構な頻度ですれ違ってるから、いい加減、私の中では飽きていて、
最初に見た時のような感動や有難味がなくて、
“あ、居たなぁ”くらいの感覚ですれ違っていたのよね。

でも、先週遭遇したときはたまたま信号が赤で停車中だったので、
ケータイで写真撮ってみました。

遠くて小さくて分かりにくいでしょうが、対向車線上の2代目の車。
鹿の角が緑色に光ってます。
この時は赤から緑、、と、色を変えて発光していました。(笑)








Posted at 2013/08/06 00:16:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | scene | 日記

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