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並平のブログ一覧

2018年01月15日 イイね!

名前 移り変わり

先ほどまでテレビのQさま(幕末特集)を見ていたんですが、
武田鉄矢の坂本龍馬研究には感心した。

ただの龍馬好きの情報通じゃなくて、あそこまでいくと研究家と言ってよいと思う。
自分で古文書を集めて史実考察も行っているようですから。

有名な船中八策の、「今一度、日本を洗濯、、」のくだりを持ち出し、
「今一度、というからには、以前に誰かがすでに一回、日本の洗濯を行っていると龍馬は思っていたのだろう。では、それは誰か?」という謎を、古文書の痕跡をもとに推察しているんですよね。

そこに目を付けた武田鉄矢はすごいと思ったなぁ。
やっぱり惚れこまないと、そこに目はいかないものだよなぁ。

幕末といえば、今年のNHK大河ドラマがまた幕末です。
しかも今回は西南戦争までやってくれるはずなので楽しみです。

「西郷どん」の原作は林真理子さんです。
年末の紅白ゲストに林真理子さんが出ていたから、はて?なんで? と思っていたのだけど、あとから大河の原作と知って、そういうことか! と腑に落ちた。

ちなみに、林真理子さんの徳川慶喜は読んでいるのだけど、、、。
あれは、それなりに面白かったけど、慶喜の正室目線で書いてあったせいか、ちょっと物足りなかったな。せっかくいい題材だったのに。

物足りなかった原因は、一番知りたいこと、、というか触れてはいけないタブーに斬り込んでいなかったから。
(鳥羽伏見からの逃亡劇とか、大政奉還の本音とか、徳川政権と武家社会を消したあとの心中とか)

そんな経緯があり、林真理子著「せごどん」は、あんまり期待はしていないのだけど、でも、やっぱり大河ドラマは毎週日曜の楽しみなんだよなー。

その大河ドラマ中で、西郷吉之助の先生として赤山靱負が出てくるんですよ。沢村一樹さんが演じています。私、赤山靱負という人は知らなかったのだけど、薩摩で靱負(ゆきえ)さんと言えば、寛政くらいの時期に命をかけて土木工事を推し進めた平田靱負が有名。

響きは現代女性っぽいけれど、とにかく字ヅラが男前!
靱を負うとは、いかにも戦国時代の兵を彷彿とさせる勇ましい名前だと思う。
背中の矢筒からシュッと矢を抜いて、弓を射る、、そんな姿が浮かんでくる。

時々、時代小説にもこの名前の登場人物が出て来るのだけど、だいたいみんないい役。(笑)だから今回の大河でも、「いい名前だなあ」と、それだけで沢村一樹@靱負をドキドキしながら見ています。この2週間。

明治以前の男性名、、特に、武家の男子名には、「それをそう読むんだ」っていう名前がチラホラあるんですよ。
知ってしまえば歴史小説なんかでよく見る名前なんだけど、知らないと読めない名前が。

でもって、それらがどれもカッコイイ響きと、カッコイイ字ヅラをしてるんですよ。

主税(ちから)とか、帯刀(たてわき)とか、李長(すえなが)とか。このあたりが、私の好きな男子名。ただし、帯刀(たてわき)という男性は女性にモテる役で出て来ることもあるので、イメージ的には微妙。(笑)

読める名前でいえば、島左近とか高山右近もかっこいいと思う。
戦国武将だもんねー。
でも、、、右近って名前、もともとは女性名だったと思う。
百人一首に、右近という女流歌人の恋の歌があったよ。

読めない名前といえば、徳川家茂だって、これ、教科書で習わなかったら「いえもち」とは呼ばないでしょう。普通に「いえしげ」って呼ぶよね。

でもあえて「いえしげ」にしなかったのは、9代将軍の家重様(林修に似てる人)と被るからだと思う。単純にそれだけだったと私は思う。じゃあ、「茂」の字から離れたら良かったのに。なぜこの字の名前にしたんだろう? 先代・家定のセレクトだったのか? 磯田先生あたりはご存知なのかも。

家茂様といえば、子ども時代の「慶福」もまた福々しいよい名前なのだけど、これも素直に「けいふく」って読みたいよね。でも「よしとみ」って呼ぶんだよね。

この時代の徳川宗家や御三家ではやっていたのかな。「慶」を「よし」と呼ぶことが。

幕末の役人が何かの文書に「最近の若いやつの名前は読めない」と愚痴って書いてあったという記録もあるので、いつの時代も読めない名前があって、それが馴染んで、、、ということを繰り返してきたのかなあ。

まあでも、近代国家になる以前の日本は、名前を何回も変えられたし、「おいらの名前、読めないって言われたり、間違われたり、あんまよくないねー。でも元服するときに変えるからいいや。今少しの辛抱だ」とか、淡々としていたのかも。

今の時代はそうそう改名できないから厄介だけど。

実は私の名前は、読み間違えようがない、絶対に読める名前だから、読めない名前の人がちょっとだけうらやましかったりする。

地元の友人に、ちょっと読めない名前の女子がいて、その名前は、親戚の住職が仏教用語から付けてくれたという有難い名前で、字そのものは誰でも知っている字なのだけど、無知な人間には「読めない名前」だった。
でも、教養のある人や仏教を知っている人なら読める、意味の深い名前なんだって。

こういうのなら良いなー。意味があって読めないのなら。素晴らしい贈り物だよね。

無知の当て字で読めないのは子供が可哀そうだけど。

でもって、中学とか高校で教員をやっている同級生たちが、「近年、読めない名前の子がチラホラ出てきた」って言っていた。(笑)

「これまでは、こう読むので合ってるかな? もしかしたらこう読むのかも?」みたいな、読み方の予想が2つほどあって迷う、というのはあっても、まったく読めないという子はそうそういなかったけど、去年あたりから出てきただって。

とうとう来たか? キラキラ世代。

そう言われてみたら、、。
次男の同級生や先輩で、読めない名前の生徒は見ないけど、いっこ下の後輩に、読めない名前の子がいたわ。同じ陸部で男女一人ずつ。

そうか、2001年生まれから、キラキラネームが始まりだした、、のかな。

この、読めない名前。きっと漢字の国だけのことなんだろうね。
欧米なんかでも、時代によって名前の流行りとかあるのかなあ。
今でも、「ジョン」とか「ベン」とか「リチャード」は健在なのだろうか?(笑)
Posted at 2018/01/15 23:49:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | テレビ | 日記
2011年12月10日 イイね!

戦国鍋TV

知ってしまいました。

昨日は朝から、とりままさんのブログで超ワタシ好みな番組、
「戦国鍋TV」を知ってしまいました。

その場でハマって動画を次々見ていたら午前中いっぱい見ちゃって全然仕事にならず。(笑)

午後からは長男の授業参観があったのに、
またまたついつい戦国鍋TV動画を見てしまい、
ふと気付いたら参観授業が始まってる時間。

やべぇやべぇ、、と出かけたという。

社会人としても母親としてもいい加減な私ですが、
こういういい加減なところがラッキーポイントだったりするかもねー。

という都合の良い話しはさておき。

「戦国鍋TV」オモシロスギです。
こんな面白い、私好みな番組を、なぜ今まで知らなかったのか!?
過ぎ去った時間がやるせないです。


それで、パロディステージがなかなか秀逸なんですよ。
作詞の安部裕之さんて何者だろう?
作詞家じゃなくて番組企画者の匂いがするな、、と思って検索してみたら、
やっぱり放送作家だった。


いや、よく出来てる。
竹中半兵衛と黒田官兵衛。
秀吉が頼り切った2人の天才軍師を、兵衛’zにしちゃうという、
これこそ天才的パロディセンス!




これもパロディとして遊びきっているところはすごい。
笑えた。



有名な、「人生五十年、、」から入らないところがニクイね~。


でも、この作詞をしている安部裕之さんって、たぶん戦国マニアだとは思うのだけど、
あえてみんなが知っている定番のエピソードしか用いていないのがさすがプロ、と思った。

日本史マニアは、
皆があまり知らないニッチでディープな秘話をひけらかしたい性癖があるんですが、
そこをこらえてベーシックにまとめてるのは、さすが番組制作者だよなぁ、と。

なんだか基本中の基本を思い出させてもらった感があります。
ヒィヒィ笑いながらも、学ばせてもらいました。(笑)



Posted at 2011/12/10 23:09:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | テレビ | 日記
2011年11月29日 イイね!

NHK大河ドラマ 「江」が最終回でして

すみません。
またまたこんな話しで。

しかもまた、意味不明な独り言ですから、
ここも「夏の夜の路地裏酔っぱらい」よろしく
見て見ぬふりしていただいて結構ですから。^^;


それで、「江」が終わったわけなんですが。
ああいうの、いいなぁ。
って、しみじみ思えました。

結果的に、江は、考えられる限りのウルトラCで、
NHK大河の中で幸せにしてもらっていました。

歴史的には、江にも、辛いこと、
悲しいこと、悔しいこと、
残念だったことは数々あります。

でも、そういう数々を大河ドラマの中で解消したり、
解決したりして、
とても微笑ましく温かな家族物語で終わっていました。

きれい事ばかりでしたが、
それはそれで良かったです。
だって、見ていて心が温まりましたもん。

こんな時代ですから。
嘘でもいいから、心が温まるものがこの国にあって欲しいです。


たとえば…。
最終回で出てきた夫、秀忠の隠し子、保科正之。
この子の存在は、江は知ることなく亡くなったといわれています。

でも、大河ドラマの中では、江の知るところとなり、
江は幼気な隠し子・幸松(正之の幼名)と会い、
「この子も徳川の子」と抱き寄せて受け入れます。

自分の長男、次男とも引き合わせ、
3人で仲良く遊ぶ様子をほほ笑みながら眺める、、。

その場面は感動的でした。

だって理想じゃないですか。
その心の大きさって。

秘密にされたまま死ぬよりも、
知ってそれを乗り越え、昇華できるほうが
最高の地位へと上り詰めた女性にふさわしい、と。

脚本家さんは考えたのでしょう。


福(春日局)や長男・家光とも、
最後まで心は通じ合えなかったようだと、
歴史では伝えられています。

でも、大河では、うまいこと最後に仲良くなって
信頼しあっています。

それだけじゃなく、
戦の都合で無理矢理離縁させられた、
最初の夫、佐治一成とも再会できて、
お互いの幸せを喜び合う、、なんていう場面まで用意されていて、
もうファンタジックすぎてびっくりでした。

江の心残りを、ぜんぶ解消して
幸せにしてあげた脚本家さんはすごい!
女性目線の仕事だよなぁ。


話しは戻りまして、2大将軍・徳川秀忠の隠し子、
保科正之のこと。


将軍でありながら側室は持たなかった秀忠は、
7歳年上の妻、江を相当愛していたのでしょうが、
それと同時に頭も上がらなかったのだと思います。

江は嫉妬深く、夫の浮気相手の女中は激しく恐がり、
江戸城から逃走して身を隠した、と伝えられていますから。

だから、そういう江を慮って、
幸松をこっそり保科家の養子にしたのでしょう。

実際、秀忠が存命中は、保科正之は認知されていません。
このことは秀忠の側近数名しか知らない、
超トップシークレットだったそうですから。

そんな、時の将軍のトップシークレットも、
200年もたてば多くの国民が知る常識になっちゃうのだから、
時代って怖いわねぇ。

それで、秀忠が亡くなった後、三代将軍家光が正之を認知し、
この異母弟を会津藩主に引き立てます。

側室の子ではなく、秀忠が女中に手を付けて産ませた子供ですから、
正之もまさか、徳川の血縁と認められ藩祖となれるなど
思っていなかったと思います。

だから徳川への恩義も特別な大名としての自尊心も並大抵ではなく、
「何があろうと、絶対に将軍に従え。
それができない者は私の子孫ではない」

という強烈な家訓を残しています。

これですよ。
この絶対命令が200年ののちに徒となり、
藩を破滅に追いやろうとは…。

またこの話し。
幕末戊辰戦争に行き着いてしまうのですが。

でも、そうなんです。

会津藩9代藩主、松平容保が京都守護職のオファーを受けた時、
国家老は必死に止めました。
「火中の栗を拾うようなお役目、お断りください」と。

でも、朝敵となれども、「将軍を裏切るな」と代々受け継がれた
会津藩の精神が、将軍家と命運を共にし、
最後は凄惨極める会津戦争をもって、
藩祖の命を守ったのでした。

鶴ヶ城も、いつか行ってみたい場所です。
Posted at 2011/11/29 00:33:44 | コメント(5) | トラックバック(0) | テレビ | 日記

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