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2013年08月06日 イイね!

土方を撃った男

土方を撃った男先週の土日、このような集中講座を聴いてきた。

講師は、札幌市在住の歴史小説家であり歴史研究者。
史実を求め、綿密な取材を続けて来た方なので、
これまで知らなかった事をいろいろ聞くことができて興味深かった。


テーマの通り、幕末いろいろグラフィティ的な講座で、題材が全部で20以上もあったのだが、
私が一番身を乗り出したのが、
「土方最後の戦い」の項。

新撰組副長の土方歳三。
戊申戦争で転戦し、会津から仙台、そして箱館戦争では全戦で戦果を上げるものの、
1869年(明治2年)5月11日。
箱館総決戦で戦死。35歳。

北海道の199日が人生最後の日々だったわけだが、
35年のうちの199日は、土方にとってどのような時間だったのか。

新撰組副長の土方は、数々の粛正を行った鬼の副長で知られている。
しかし、この箱館での土方は仏だったそうだ。
旧幕府軍で戦っていた兵士が遺した記録によると、
土方は、脱退も許したし、悩み相談にも乗ってくれたという。
「慈母のごとき」と記された土方。

石田村の悪童から新撰組の冷徹副長、そして人生の最後は慈愛に満ちて。
時代も激動なら、人生もまた激動であった。

一本木関門(現在の若松町・駅前エリア)で銃弾を受け戦死したとされているが、
埋葬地も謎のまま。


先日の講座で、「土方を撃った男」について話しを聞いた。
講師の好川氏は、北大名誉教授である米田義昭氏の曾祖父、米田幸治氏が、
土方の狙撃者であった可能性が高いと、そう実感しているようだ。

箱館戦争時、米田幸治は松前藩士。26歳ながら八番隊を率いていた。
総決戦の時。一本木付近から騎馬で突進してくる若い兵士を見たという。
陣羽織を来た姿と先頭を切って来る果敢さから、きっと名のある指揮官だろうと思った。

米田隊長は部下に、「撃て!」と命じた。
しかし突進してくる指揮官の威風に押されてか、八番隊の部下達は誰も撃てない。
そこで米田隊長が自ら銃撃。

すると騎馬から陣羽織を着た若き指揮官が落馬した。

すぐに近づける状況ではなく、
米田隊長は銃撃戦と砂埃が収まってから撃った男を確かめに行った。
しかし、撃った陣羽織の男にはすでに首がなかった。
そこで米田隊長はその亡骸の上着をめくってみると、「土方」の文字が…。

実は、昭和40年代まで、土方を狙撃した者については何も分かっていなかった。
狙撃され馬から落馬して、、、という説が有力ではあったが、
異説もあり、曖昧だったところに、土方を撃ったらしき者の証言が急浮上して
歴史研究者や歴史作家が色めき立った、というわけだ。


なぜ昭和40年代まで衆知されなかったか。
それは、米田隊長から息子へ、そしてさらに息子へ、と家の中だけで語り次がれてきた逸話であったから。

米田氏の祖父が亡くなった葬儀の際、たまたま弔辞で、
「松前藩士の子で、父はあの土方を撃ったとされる・・・」という話しが披露され、
それを聞いていた誰かが、

「それはすごい話しだ」と世間に広めたらしい。

土方を撃った男・米田隊長の曾孫に当たる米田義昭氏はこう話しているそうだ。

「曾祖父が撃ったという陣羽織の若い指揮官が、本当に土方歳三であったかどうかは分からない。
しかし、曾祖父から祖父へ。祖父から父や自分へと伝承されてきた話しは真実である」


近藤勇は板橋で処刑され、首は京都三条河原で梟首。
土方は、このような最低最悪な仕打ちを受けないよう、側近者が必死に首を守ったのだろうと、
私は想像している。

身体と首の埋葬地はそれぞれ諸説あるが謎のまま。
明治20年代に土方の身内が室蘭警察に頼んで、函館市吉川町の極楽寺(の本堂の下)から
別の場所へ改葬した、という説があり、この説の支持者が多いらしい。

なにせ土方歳三だから、諸説あって良い。
箱館のどこかに眠っている、、、。
その事実だけで良いとも思う。








Posted at 2013/08/06 01:51:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | Bar MIBURO | 日記
2012年05月24日 イイね!

納豆に…

昨日見た、NHK大河ドラマ「新撰組!」でのこと。
試衛館の朝食で納豆が出て、原田佐之助が、
「納豆は食べられない」みたいな話しをしたことから、、、。

山南敬助さんが、「私は納豆に砂糖を入れる」と発言し、
その場を驚かせていました。

私も驚きましたがね。歓喜の意味で。

「あ、ここにも居た!」と、秘密結社の仲間と遭遇したような感覚でした。(笑)

うちの実家のほうは、みんな、
納豆にお砂糖とおしょうゆ入れて食べてましたよ。
学校のみんなも同じでした。当たり前の常識でしたね。

(今はもう私もやっていませんし、実家でもやっていません。
納豆のたれとからしを入れてます)

でも、短大の時だったかな。
なにげに、
「え? 納豆におしょうゆしか入れないの? 
お砂糖は入れないの?」と言って、
場を騒然とさせてしまいました。

もう、“きもちわるーーい!”だの、
“そんなの聞いたことなーい!”だの、
まるで鬼畜で変態で犯罪者みたいに言われて、
それからはもう、「納豆にお砂糖」は決して人に言ってはいけない。
と心に決めていましたが、、。

それにしても。
いやー。
山南先生も納豆にお砂糖派ですか!

なんだかうれしい。(笑)
マイノリティのニューリーダーを見つけた感。
禁忌が晴れたような気分。

で、山南敬助さんはたしか仙台藩だったはず。
そうか、東北もかぁ。

うちの実家の両親もそうですが、実家の地域は富山県からの移住者が多いから、
きっと「納豆にお砂糖」は北陸地域の風習なんじゃないかなー、と
予測はしていました。

それにうちのおっさんの証言によると、
義母さんも昔は納豆に砂糖入れて食べていたらしい。
義母さんの実家は加賀からの入植らしいので、
やっぱり北陸です。

そこへ新たに、仙台エリアもお仲間ですよ。
「納豆にお砂糖」エリアが広がって、ますますうれしい。
広がれば広がるほど、
私の生い立ちが、鬼畜で変態で犯罪者じゃないと証明してくれそうで期待が掛かります。

あ、そういえば。
「新撰組!」試衛館の納豆談義の時、香取慎吾さん演じる近藤勇が、

「俺の田舎じゃ納豆にきなこ入れてたぞ」と言って、
「え? うそ?」みたいな反応を受けてましたが…。

武州方面って、納豆にきな粉を入れる風習があるんですかね?

でも、納豆にきな粉、って。
牛乳にヨーグルトを混ぜるみたいなことだし、
これは変じゃないよね。
むしろ、栄養効果を倍増させるための自然な流れ?(笑)

とにかく。
山南敬助さんが納豆にお砂糖を入れる人種だと知って、
私はうれしくなったのですが、
実はこれは事実じゃなく、三谷幸喜のでっち上げだったとしたら…。
傷つくな、、。(笑)

このNHK大河ドラマ「新撰組!」では、
堺雅人さんが山南敬助役をやっていますが、
私の中の山南敬助イメージにすごく近くて、すごくいいんですがね、、。

ふと、、、
火曜夜のドラマ「リーガル・ハイ」でやっている
古美門弁護士の阿呆面を思い出して、、
つい吹き出してしまうのが自分でも切ない。

つまり、役者さんて、すごい、ちゅうことですな。


並平@子どもの頃、トマトにもお砂糖かけて食べていた
Posted at 2012/05/24 13:53:44 | コメント(7) | トラックバック(0) | Bar MIBURO | 日記
2012年01月09日 イイね!

新撰組について存分に語ってみよう

3連休、いかがお過ごしですか?
私は今夜、家族が釣ってきたワカサギを約200匹以上も
揚げるはめになりまして脚腰が痛いです。

爆釣で浮かれ帰ってきた3兄弟。

楽しかった1日が一転し、大量殺戮を見た母さんが超不機嫌。

まるでお通夜のようにしんみりと、次々揚がるワカサギ天ぷらを食べていた
3兄弟はちょっと可哀想でしたが、

今度から、「1回で無理せず食べられる分くらい」という量レギュレーションを忘れないためにも、
1回、このくらい嫌な思いをさせないといかん、と。

心を鬼にして不機嫌な顔をして天ぷら揚げてました。


という前置きはさておき。


みんカラ友だちのtさんが、新撰組の話題を書いていまして、
“そうそう、そうなのよ”という感じで触発されてもうたまりません。

私も新撰組作品について書いてみようと思います。

ほとんどtさんへの私信の乗りで申し訳ありません。

たとえば、、。
とあるバーのカウンターで、(ちょっと年の離れたw)奥さんが2人、
熱く語り合っている、、、。
子どもの教育の話しか?
フクハラで大根が安かった話しか?
それとも、独身時代の恋バナか?

と、耳を傾けてみたら。。。。

平助が、、とか、源三郎が、、、とか聞こえてくる。

奥さんたち!
し、、、新撰組の話しかい!!!

って、いうような。

そんなシーンです。

「燃えよ剣」はええですよ。
土方さんの生涯がだいたい分かります。
そして、司馬遼太郎先生が描く土方さんはやっぱり、いいな。。。
と思えました。きっと司馬遼太郎先生は、土方歳三が好きだったんでしょうね。

なんというか、
“あぁ、土方歳三は、案外幸せだったのかもなぁ”と思えるんですよ。

とりままさんが書いていた、「滅びの美学」。
「滅びの美学」は新撰組の生き様であると同時に
土方歳三の生き様でもあったと思います。
後に会津藩と幕府という後ろ盾を失って、孤児になった新撰組は、
近藤勇を失って夢と行き先を失った土方歳三と同じだったと思います。

でも、頭はいいし強いし。なかなか死ねなくて転戦するうち
結局函館まで来てしまう。

あれだけの知将ですから、函館では、もう旧幕府軍は勝てないと
分かっていたでしょうし、たとえ勝てても「武士の世」はもう来ない
のですから、土方歳三の頭の中には、「どこでどのように散ろうか」
という、死に場所探しのみでなかったかな、、と。
つまりは「滅びの美学」ですよね。美しいけれど哀しいですよね。


でも、「燃えよ剣」での土方歳三は、ただ哀しく滅んだのではなく、
人並みに情愛なんかも噛みしめつつ斃れたと思えて、私は感無量の読後感でした。

土方歳三さんの俳句集があるのですが
(島田魁が後に編集したんじゃなかったかな?)、
それを最初に読んだ時、正直、
「へたくそ」って思いました。(笑)
俳句や和歌を作るのが好きなんだなぁ。でも、巧くないな、と。

でも、土方さんが作った俳句などを読むと、
“この人、素直な人なんだな”とも思えてきます。

新撰組隊士の死因第一位は「切腹」というくらい、
ものすごい数の粛正が行われていて、
そのほとんどを指令していたのが土方歳三。
酷薄な面を持ちながら、まっすぐで素直な面も持っていたのだろうな、
と想像します。

あと、土方さんが好きなんだろうな、と思えるのが、
浅田次郎さんですね。
あの人が書く土方歳三は、盲目の長兄の前では
ただの末っ子になってしまうような、幼気な土方さんで、、。
破滅へ続く戦場への道すがら、故郷を通って、
愛する長兄と一目会う場面を作っていたりしていて、
たびたび、こういう小細工で泣かせます。

近藤勇にしろ土方歳三にしろ、
ひたすら武士になることだけが目標だったのだと思います。

実際、夢は叶って、近藤勇は一瞬旗本にしてもらえて、
(その時点ですでに幕府はなくなることが決定していたのですが)
この時の近藤、土方の心中はどんなものだっただろう?
と思います。

すでに新撰組の勢いにもかげりが出ているころだったので
幕府がカラ手形を切ったことに気付いていたかもしれませんが、
それでも念願叶ったことはうれしかったのだろうな、と。

あ、「輪違屋糸里」どうでしたか?
私は先に原作を読んでいて、その後、ドラマのオンエアで見たんです。
原作とほとんど同じ脚本でしたが、
原作では曖昧だった謎が、ドラマでははっきりさせてあって、
「なーるほどぉ」と思いました。

芹沢鴨が、音羽太夫を斬るじゃないですか。
ドラマでは、後から、「音羽太夫は久坂玄瑞の女だったから」
という理由がつけてあったのですが、原作ではそうなっていなくて、

「え? ただの無礼打ち? でも、釈然としないなぁ」と思っていたので、
この点ではドラマの親切さにプラス10点でした。

それにしても平間重助が温水さんて。。。私も笑いました。

「輪違屋」は今もあるんですよね?
やっぱり京都ってすごいです。あこがれの地です。
昨年末、実家の両親が京都旅行に行って、お寺めぐりをしてきたんです。
それを聞いて心の底から、“いいなぁ”と思いました。
海外も魅力的ですが、私にとっては最も行きたい場所が京都です。

それと「壬生義士伝」も読むか見るかしますよね?
DVDを見るのでしたら、映画版(中井貴一主演)の「壬生義士伝」か、
ドラマ版(渡辺謙主演 たしか4枚組くらい)の「壬生義士伝」のどちらかを選ばれると思うのですが、できれば両方ご覧になると大満足です。

でも、どちらか片方を、というのでしたら、
ドラマ版の方が内容が濃くて絶対いいです。

でも、映画版もこれはこれで魅力的なんです。
同じ原作ながら、それぞれ見せ方が違っていて、
映画版では斎藤一を佐藤浩一さんがやっていて、
これがすんごく迫力あってカッコイイ!

あと鳥羽伏見の戦いで、吉村貫一郎が突っ込んでいくシーンは、
映画版のほうがドラマチックです。

ちなみに、映画版「壬生義士伝」を見ていた時、
切腹の多少強引な介錯シーンでうちのRがビビリ泣きました。(笑)
そして、
「母さんの見るDVDは、首が取れたり血が出たりして怖いから、
今度からはおらのいない時に見て」と言われました。


あと、大島渚監督作品の「御法度」。
これは司馬遼太郎の「新撰組血風録」の中の2作品で
作っている映画で、ちょっとエキセントリックながら色香があって、
大島渚って、すごいなぁ、、と思えた分には見て良かったです。
ビートたけしの土方さんは微妙でしたが。


子母澤寛の作品は実際に、元彰義隊のお祖父さんに聞いた話や、
旧幕臣たちに取材をして書いたものなのでリアリティがあります。
「新撰組始末記」とか「新撰組遺聞」は、
司馬遼太郎先生も引用しているくらいレアネタ満載です。

ただし、、、読みにくいです。
子母澤寛さんは元新聞記者なので、文章はきっちりしているのですが、
昔の人の文章で、いわゆるエンタテインメントを創作する、
という意識のもとではないからでしょうね。


斎藤一の生涯を描いた「一刀斎夢録」も、
いいかげん新撰組関連を読み尽くした、、、
という時に読んでみると良いかもです。

斎藤一って、維新後に警視庁勤務していたのは有名な話しですが、
自分のことをほとんど語らない人だったようで、
なにを思いながら明治まで生きたのか?
が興味のつのる所です。そんな世間の興味がうまいこと集約されているのが、
この浅田次郎著「一刀斎夢録」です。
これは、最後の方で背筋に電流が走るような、すっごいオチがついていて、
「参りました!」と唸りました。


そうそう。
島田紳助がプロデュースした「新撰組リアン」だかっていうユニットがあったじゃないですか。
あれは、あの子たちが京都出身だから、「新撰組」の名前をつけたようですが、
あの安易さには呆れて物が言えませんでした。

作詞も島田紳助だったようですが、
その詞が軽いことこの上ない。

“この人、新撰組のこと何も知らないまま、思い入れもないまま
 雰囲気だけで作詞やプロデュースしてるな”と思えて、
新撰組の悲哀や盛衰の在りようを冒涜された感があって不愉快でした。


それと、先日、とりままさんも、
「戊辰戦争、、というか鳥羽伏見の戦いはなぜ起きてしまったのだろう?」
と書いていたじゃないですか。

私も、ずっと疑問だったのですが、、
今読んでいる、船戸与一著「新・雨月」に、そこら辺のことが書いてあって、

“大政奉還しようと、薩長と幕府派で毎日のように、鉄砲を打ち込んだだの打ち込まれただのと小競り合いを続けて、もうボコボコの沸騰状態。もう納まりようもなかったんだなぁ。国内での戦争って、こんなふうに始まるんだなぁ”と思いました。

あと、薩長の敵は幕府、というよりも、14代時代から政権を牛耳っていた、
一橋(慶喜)と会津&桑名兄弟に対する遺恨が、倒幕へのエネルギーとなったのだな、と思えてきたり…。

なんだか話しがずれてきましてすみません。

本当に、お酒を飲みながら、
新撰組の話しをうだうだとしてみたいものです。

あ、「大奥 第一章」の西島さん家光は、
屈折した性格や憂いを秘めた表情がそれっぽくてなかなか良かったです。
驚いたのが、かなり史実に忠実で、史実にあるエピソードや語録が
たっぷりちりばめられていたことです。
フジテレビやるなぁ、と。(笑)

今日、「柳生一族の陰謀」を見たのですが、
真田広之が初々しくて萌え♪
大原麗子がきれいでうっとり♪
ただし、時代考証がすごく変で(確信犯なのが憎たらしい)
そこのところがしっくりきませんでした。
明らかにいないはずの人が生きていたり、、。

あぁ、今日も「戦国鍋tv」はオンエアないんですね。残念です。
Posted at 2012/01/09 01:13:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | Bar MIBURO | 日記

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