お盆ですので、お墓参りをしてきました。
亭主のほうのお墓に行き、墓石に彫られた鬼籍の文字を見るたび、思うんです。
この記録以前にも、この一族はずっと遠い過去から繋がってきているはず。
ご先祖様は、どこからいつ、北海道へやってきたのだろう? と。
主人に聞いても、「知らない。石川県の輪島、、とかって聞いたような。あれ? それはおっかさんの方だったかな・・」と、はっきりしない。
私は別にいいのだけど、もし息子たちがいつか、こういう疑問を携えた時、教えてあげられないのは、残念ではないのかな? いいのかな?
自分は自分。自分の今と未来を大切にしたらいい。
それが一番大切だとは思うのですが、私は儒教的教えの寺小屋育ち世代なので、やはりご先祖様のことを尊敬するのが良いと思うんですよね。
自分の命の根元なんだし。
人は過去によってできているんだし。
尊敬するには、ある程度は知らないと具体的に尊敬できないので、少しは知っておけたらいいと思うのです。
私の実家の方は、わりとその辺が明らかなんです。
特に、父方の家は、しっかり記録が残っています。
富山からの移民だったそうですが、移住前のご本家とは今でもつき合いがあり、数年に1度はこっちのご本家の伯父が出向き、家系図に北海道移民組の変更・追加部分(誰が嫁いだ。嫁いできた。生まれた。没した。云々)を書き込んで来ています。
きっと、ある年、私の名前も(意外にも嫁いだ、と)除籍されているんでしょう。(笑)
明治30年に家を出て北海道を新天地としてから、富山の系譜と北海道の系譜の二股に別れて枝を伸ばし、続いているんですね。
きっと壮観だろうなぁ。1度見てみたいな。
伯父さん、コピーでも取ってきてくれたらいいのに。
お友達のいんどあさんが、北海道弁について道産子の方々にアンケートを依頼されてまして。
その時も思ったんです。
北海道に複数ある方言は、たぶん、出身地によるところが多いのだろう。
言葉と同様に、お国の生活文化も受け継がれていて然るべき。
そう考えると、この北海道にはかなり多種多様な、お国特徴があるはずだと思うのですが、、。
意外と、多種多様でもないように思えます。
移民団といっても、新十津川のような千人規模のものから数百規模までがほとんどだったと思います。
札幌市の西区八軒や二十四軒は、その名の通りの軒数だったわけなんですよね?
一集落を作っても、長い年月のうちに、出身地の生活文化や言葉が、現代北海道に吸収されるのは難しいことではなかったと思います。
では、今の北海道のスタンダードとは、いったい何か? あるのならば、何が由来か?
どこか大きな集落のそれが、主流となったのか? それとも、どこかとどこかのものが融合され、形成されたのか?
謎は尽きません。
だいたい、私の実家の出自が富山だと分かっていながら、「富山らしい生活様式なり精神はこれだ!」と、教えられた記憶もありません。
気質的に、辛抱強い人種だったとは言われていますが・・。
もしかしたら、海を渡って新たな地で生きるか死ぬか、という人生を選んだ時に、過去は踏襲しないことにしたのか、、。気になるなぁ。
司馬遼太郎さんの「北海道の諸道」にも書かれているのですが、
東京・深川の人々が移住した現・深川市は、以前は「東京・深川」に似ていたそうです。
玄関先に朝顔やひまわりが咲いていて、なんとも粋な風情があったのだそうです。
田園風景の中で異質な雰囲気があったと、、。
(今、玄関先の花など珍しいことではありませんが)
釧路市の鳥取地区。
ここも鳥取の人々が移住した地域ですが、今となっては、それらしい面影は伺えません。
移住からしばらく後は、鳥取らしさが息づいていたのでしょうね。
新十津川でも、大和から受け継ぐ生活文化は、少し残っているようなことが、「北海道の諸道」には書かれていました。
「茶がゆは、ないけれど、馴れずしはある。そして大和の時同様、宗旨は神道」と。
今でも、馴れずしはあるのでしょうか・・。
北海道の地名は移住者たちの出身地であったり、人名であったりいろいろです。(でも、アイヌ語地名由来が一番多いのでしょうかね)
月形は、福岡藩士の月形某という人の苗字が由来だそうです。
(司馬遼氏によると)
十勝の池田町も旧鳥取藩主の池田侯爵が農場地主となっていて、池田駅ができるとき、土地を寄進したことから池田駅と名付けられ、池田町になった、、、はず。。。
同じ池田町には高島という地域がありますが、これも高島ナントカ氏が大きな農場を持っていて、そのまま地名になったものです。
この2つの大農場で働く多数の従業員(土地の郷土資料には小作人と書かれています)は、やはり本州のどこかから移住させたそうです。
帯広市に中島町とか中島通という地名がありますが、これは中島みゆきの御祖父様が市に私地を寄進したことで、そう名付けられた、、と聞いたことがあります。
開墾以外の理由で、北海道に土着した人って、どのくらいの割合だったのでしょうかね。
厚田村出身の作家、子母澤寛さんの祖父は徳川の御家人で、徳川瓦解の後は彰義隊に加わり、負けて榎本艦隊で北海道入りして、五稜郭戦争で戦った人だそうです!
(私の好きな話し!)
晩年は毎晩、生粋の江戸弁で、江戸の話しや戦の話し、将軍様の話を、孫に話していたとか・・。
(子母澤寛が「新選組始末記」を書いたゆえん、でしょうね)
北海道の市町村、地域。それぞれに、いろんな由来やドラマがあるのだと思います。
それぞれ独自の生活文化を携えて集落・地域を作り、それらがパッチワークのように繋ぎ合わされてできたのが、北海道なんだと思います。
ひとくくりの大きな大地「北海道」ではなく、もっと小さな視点で、小さな地域・集落に近寄ってこそ、北海道の素顔とゆかりが見えてきそうな気がしています。
話は逸れますが、静内に移住した淡路島の人々の話は、映画「北の零年」などでは伺い知れません。多分・・。池澤夏樹著「静かな大地」朝日新聞社刊のほうがリアリティあって100倍良いと思います。
この記事は、
てっくり返す?とっくり返す? について書いています。