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並平のブログ一覧

2007年09月26日 イイね!

今日の反省

今日の反省525キロ。今日、帰宅寸前、メーターを見て、脱力しました。
1日で、こんなに走ったのか、、。

脱力したと同時に、罪悪感もわき起こってきました。

たかだか、トータル文字数3000字にも満たない程度のことに、こんなに走行するなんて、、。
何、やってんだろ、と。

人命に関わる重要なことでもないのに。社会にどうしても必要なことでもないのに。
なくてもだれも困らない程度の事で、、。

と、いつになく、自分を否定したくなりましたね。

こういう自虐的な思考はイカン!
そこで、、、
2000文字程度、と思うからいけない。
2媒体分で、トータル167,000部。と考えてみよう。

すると、少し気が楽になって家に入る気力が沸いてきました。
家に入って、小僧たちの寝顔を見て、ダーから「おつかれ」のお言葉をいただいたら、
すぐに元気回復した気安いワタシ。

でも、今日はしっかり反省しなくちゃいけません。

なんとか無事に恙なく仕事を終えてきましたが、今日に関しては思慮不足でした。
確信犯的に無茶な予定を組んでいました。

少しでも出動日を減らして、落ち着いて原稿書ける日を作ろう、とか、楽できる日を作ろう、、と思ってしまって、
まとめて無理に取材を突っ込んでいたんです。

しかも2社分。

朝から釧路管内での仕事を入れて、昼過ぎからは十勝の北端。その後に南十勝で。
取材先ごとに対応可能な時間帯は限られていますし、移動距離が多い。それを重々分かっていながらも、「急げば間に合う」と、変な期待を持って望んだわけです。

でも、過去にその時間で着いていたのは、ekじゃない時なんですよね。
雨天とか強風じゃない時だったんですよね。
車の性能や天候のことも考えないで、「急げば間に合う」っていうのは、脳天気すぎました。

案の定、2軒目から時間が押して、最後の南十勝へ行くときは高速で南下です。
高速で行くにしても、私の車ではそんなに速度を出せないわけで、、
でも、帰りのこともあるからカメラマンさんの車で一緒に向かうわけにもいかず、、。

初めてekワゴンで高速道路を走ったんですがね。
時速90キロを超すとek、いつもと違う音がするんですよ。
風が強かったので、気のせいか車体がフラフラするんですよ。
正直、怖かったです。口の中が酸っぱくなってきました。

でも、前を行くカメラマンTさんも私に気をつかっているようで、ジワジワとゆっくり速度を上げながら様子をみてくれてるんですよね。
「小沢、、、どうだ? ついてこれっか?」って感じで。

だ、だ、大丈夫ですぅ。。。
って具合に私も頑張って行きましたが、本音は「もう限界・・」でした。

「時間がタイトなんだからVOXYで来るべきだった」
とか、
「足寄あたりにek置いて、カメラマンさんの車で南下して、帰りは帯広からバスで足寄に戻る、、という方法を取るべきだったか・・」
とかいろいろ後悔しながら頑張っていたら、

ジャンクションの料金所で止まった時に、前の車に乗っているディレクターさんから電話が入って、
「あと10キロくらい出しても大丈夫? 車的に、どう? 前のトラック、抜いてもいい?」と言われ、

もう胃にきてるのに、なぜか、「はい、大丈夫です」と力強く答えたワタシは何者でしょう?
ワケワカリマセン。

普段、すっかり時速60キロに慣れているので、高速に身も心もついていけないんですよね。
会社員の時は軽自動車でも平気で130キロくらい出していたのに。。
あの頃の馬鹿者精神と若気の至りが、この時ばかりは甦って欲しかったです。

余談ですが、、。
会社員の時、基本的にはランサーを使っていたのですが、車が空いていないと営業室のミニカを借りていたんです。それで爆走していた時、偶然、偉いお方の車をぶち抜いたようで、、。

月曜朝の朝礼で、「先週の金曜日、道央道を猛速で走っていた赤いミニカがいたようですが、危ないし、社名の入った車で甚だしい速度違反をするのは、云々、、」と、総務部長が静々と発言していました。
その時、チラッと私の方を見ていたので、車両使用表をしっかりチェックされてたんでしょうね。
通報者のS専務はゴルフだったと思われ。ちなみに私は、恵庭に行く途中でした。もちろん、仕事です。

ゴルフに行く人に見つかってのお小言は、ちょっと納得いきませんでしたが、一応神妙にしていました。


そんな話はいいとして、
なんとか最後の現場に着いたとき、カメラマンさんが気疲れと苛立ちで機嫌悪くなっていたらどうしよう、、。
と恐る恐る車から降りたら、

「小沢さん、サングラスかけてる顔さ、小柳ルミ子に見えた」って笑っているから、あ、怒ってない。良かった。Tさん、やっぱ、いい人だぁぁぁ。と、安心したんですが。

でも、小柳ルミ子って、、これは、なんか、喜べません。
このサングラスなんですけどね。
コチラのみなさんには、似合うと言っていただいたものの、小柳ルミ子似という微妙な事は言われていませんよ。

Tさん、それは何かの間違いです。
忘れてください。

そんなこんなで、反省いっぱいの1日でした。
もう、金輪際、無理な行程は組まないようにします。
いろんな人に危険や迷惑を強いてしまいますから。
急げばガソリンの無駄使いになるし、温室効果ガスも増やしちゃうし。
御用になる可能性あるし。
当たり前のことですが、いいことなんか何もありません。


それにしても、仕事が終わってからの帰路は気分的にも遠かった。
反省しつつの道のりで寂しくなってきちゃって、、。

愛しい彼氏から電話こないかなぁ、、。
と期待しても来ないし。
だから、給油した時にこっちから掛けてみたら、
若い方の彼氏が電話に出て、いきなり、「何?」とか言うんですよ。

冷たいなぁ。。

とりあえず特に用事もないから、
「今日はちゃんと練習に行った? 宿題やった? もうお風呂に入った?」って言ってみたら、

「あーーはいはいはい」と面倒くさそうな声で言われ、ブチッと電話切られました。(泣)


今日はカフェイン取りすぎで、眠気がきません。

でも寝なくちゃ。


先日のオールがまだ効いているし。
そうなんです。
先日、徹夜したんです。仕事じゃないのよ。
それが、もう、、すっごく良かった。

その良かったこと、今度、書きます♪
Posted at 2007/09/26 01:24:14 | コメント(9) | トラックバック(0) | 日記
2007年09月21日 イイね!

今日は暑い晴れ

今日は暑い15時まで時間が空きまして。

実家に寄って昼寝するには時間が半端。
モール温泉銭湯に行くのは、なんか面倒。
観たい映画もないし。

だから、パフェで涼んでいます。
先にカルボナーラ食べたんですけどね。。

空き時間に動くと余計なもの買っちゃうから、篭って食べるのが安全。(笑)
Posted at 2007/09/21 13:53:06 | コメント(9) | トラックバック(0) | スイーツ | 日記
2007年09月16日 イイね!

雨音を聴きながら・・・

本を読むのが好きだったのですが、大人になってからは雨音が聞こえてくるような心の余裕がなくなったのか、住環境がそうなったからなのか、、。

雨音を感じながら本を読む、、ということもなくなりました。

先ほどまで本を読んでいましたが、雨の音は聞こえませんでした。
でも、窓を開けると、、しっかり降っています。

今日は長男の野球の試合を見に行っていました。
雨はどんどん酷くなって、父兄たちは傘をさしながら&寒さに耐えながら見ていましたが、子供たちは雨なんか意に介していないようで、泥まみれになりながら、、、。元気ですよね。

親が自分の子供の試合のために、休日に1時間以上も掛けて野球場へ行き、雨の中観戦するのは、、これは当たり前だと思うのです。苦でもないわけです。楽しみなんです。

でも、親じゃない人が同じように観戦してくれて、応援してくれるということは、、とても有難く、心が温まるものなんですね。
今日、初めて、実感しました。

実は、今日の新人戦大会に、長男のクラスの担任の先生が応援に来てくれていたのです。

クラスを代表する悪たれ4人が、揃いも揃って地域の野球チームに入っていまして、、。
春先の家庭訪問時も、「野球の4人は、ほんっとに悪い!」と、先生は歯に衣着せず言っておりました。

その悪い子たちが、新人戦ということでやっと公式戦に出るチャンスを得まして、それで見に来てくれたんですね。

やっぱり自分のクラスの子って、特別なんですね。いつも困らされているはずの悪たれたちが打席に立つと、先生はひときわ大きな声で声援を送っていました。
父兄達はみんな観覧席に座って傘を差しながら見ているのに、先生はずっと傘もささず立ったまま、フェンスの手すりに身を乗り出して、、。

先生、傘を持ってきているのに、どうして傘を使わないんだろう??

そう、ずっと思っていたのですが、ハッ、と思い至りました。
もしかしたら、この雨の中、子供たちが濡れながら頑張っているから、だから自分も同じように、、、という気持ちだったのかな、、と。

そう思うと、とても有難い気持ちで胸が熱くなりました。


息子も、先生が来てくれていたことは、うれしかったようです。
はっきりとは言いませんでしたが、、、。


家で見ている分には気にならないのですが、ああして同じスポーツをしている子たちの中にいると、うちの長男はとても体が細く見えます。

「野球やってます」と言うと、野球経験がある人には必ず、「線が細いな、、いっぱい食べろよ」をいう言葉を返される息子です。

細いなりに身長はそこそこあるし、それなりに固い筋肉がついて逞しくなってきていると、私は思うのですが、ほかの子の中にはいるとやはりガタイの貧相さが歴然としていて、、忙しいと適当なご飯しか作ってあげられない後ろめたさや申し訳なさを感じてしまいます。

亭主が言うには、強肩でもないらしく、、。
それでも、正捕手目指して頑張っている息子が健気で可愛い。
公式戦に登録されたことや開会式に出られる、、というようなささいな進歩にさえ喜ぶ心を、うれしく思います。

放りっぱなしにしていても、先生たちに育てられて、ちゃんと子供は成長してる。
そのことに感動しつつ、放りっぱなしにしていることに、またもや心苦しく思ってみたり。

体に恵まれないことを恨むことが、いつかあるかもしれないけれど、無心で楽しめる今の時期を謳歌してもらいたいな。


一方、、生まれた翌日から食欲旺盛で、今も兄を凌ぐ食欲を誇る次男は、さすがにいいカラダをしています。
亭主いわく、「兄貴よりもいい肩してるから、いい玉投げるぞ」だそうで。
なのに、野球に対する情熱は淡く、、いつも仮病を使って練習をサボりたがる子です。(笑)

私が仕事で出ている時は、90%以上の確立で練習をサボっています。
まったくもう、、。(笑)


まだ雨は止みませんねぇ。
明日も降るようですね。

明日も違う大会があります。
雨の中は可哀想だなぁ。。

と、私は思ってしまいますが、雨でもなんでも、子供は平気なのかもしれませんね。

大人がどう思おうと、子供は自分が置かれた環境や状況を嘆くでもなく、ただ無心に生きるのかもしれません。
そういう逞しさが愛おしい。

すべての子供に、精一杯、自分の命を生きて欲しいと思う。


この記事は、《ムコ多糖症》 バトン について書いています。
Posted at 2007/09/16 01:35:19 | コメント(6) | トラックバック(0) | Thinking | 日記
2007年09月13日 イイね!

反骨の農民画伯

坂本龍馬の話から、ちょっこーさんの話しになったので、ついでに書いておこう。


昨年、2006年は、坂本直行さんの生誕100年記念の年で、十勝でも記念の作品展示などが行われていました。直行さんが生まれた場所は、釧路です。
坂本家は根室から北海道上陸し、その後釧路に留まっていたのですね。


坂本直行はよく、「反骨の農民画家」と呼ばれます。
なぜ反骨の・・なのか?

私が想像するに、、

北海道大学を卒業し、学友らが一流商社に就職する中、直行さんは十勝南部で開拓農家として生きる道を選んだことが、、「反骨の・・」と言われる由縁なのかな、と思います。

大学時代は山岳部に所属し、道内のいろんな山に登って、風景をスケッチしていたそうです。


直行が最初に開拓の鍬を下ろしたのは、十勝の広尾町豊似地区。
数キロ行けば太平洋に出る地域です。
静かで鄙びたところです。

この十勝南部は日高山脈の裾野で、直行さんは日高の山々を望む風景を、とても気に入っていたと言われています。

私も日高の山を見ながら育ちました。
春になっても雪を頂く険しい山々が連なり、「ここから出さないぞ」と言っているようでした。
だから、「絶対、あの山脈を越えてやる!」と心に誓って大きくなったのですが・・。

1度は越えたものの、また、越えて戻って来ちゃってるんですよね。(笑)

今は、日高の山を望むのが大好きです。牢獄の砦にも見えません。
勇壮な連山は、私の原風景だと思っています。


直行さんが描く花の絵は、六花亭の包装紙などで見ていたので、もう、とても馴染みの深い絵で、あるのが当たり前だから、有難いとも何とも思っていませんでした。

花自体も、身近に咲く花々ですし。

ハマナスもフキノトウも、、。
季節が来たら、足元に咲くのが当たり前。

広尾町豊似の海岸にも、ハマナスはたくさん咲いていたでしょう。
私が育った町も、夏に海岸部へ行けば、ハマナスが咲いていました。

その、十勝のハマナス、、。
今は減ってきているようです。
海岸部で馬の放牧が少なくなり、そのせいで稲科の植物が増えて、ハマナスの群落を凌駕しているのだとか。

時代と共に産業のありようも変わる。
そうすれば植生や風景も変わる。

そういうものなんですね。


もう一つ。

直行さんの絵が描かれているものとして懐かしいのは、「サイロ」という児童詩集。
あれはいつからいつまで刊行されていたんでしょうね。
私の子供のころはありまして、いまは、もうありません。

六花亭の社長が十勝の文化支援として、管内の児童が書いた詩を編纂し、定期的に刊行していました。その表紙に、やはり直行さんが書いた「サイロ」の絵が描かれていました。

(六花亭の創業者は、前身の千秋庵時代から、画家としての直行さんを支援していたそうです)


サイロとは、、今はもう使っているところはありませんが、牧草を貯蔵・発酵させる、円柱型の倉庫みたいなものです。今は、白か黒のビニールなのか樹脂なのか分からないけど、とにかくそういうもので牧草を巻いて、牧草ロールにしています。


時々、詩集「サイロ」を見ては、●●小学校●年、●●●●、と書かれた所属と名前を見て、「ふーん・・こういう子がいるんだなぁ」と、思ったりしていました。


直行さんにしても、開拓農家の厳しさと毎日戦い、、ついには、農業を断念して、街に住んで絵を本業としました。

「開拓の厳しさに耐えかね、家財道具を引き払い、開拓途中の土地を残して故郷に帰る人々を何人も見てきた。彼らの心を思うと、涙が出た」
そう語っていた直行さん。自分が断念する時は、どんな気持ちだったのか。


土佐と坂本龍馬の系譜。
それを秘めながら、耕し、描いた人生でした。



Posted at 2007/09/13 18:19:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | | 日記
2007年09月12日 イイね!

龍馬が蝦夷地で何をしたかったのか

「輪違屋糸里」から坂本龍馬の話になったので、ついでに龍馬の話を、、。

坂本龍馬を暗殺したのはだれか?
これはもう、諸説いろいろあって、この2百何十年もあれやこれやと詮索されてきたことですね。

私は、だれが龍馬を暗殺したのか、、は、あまり興味がありません。

むしろ、龍馬が生きていたら、日本という国の段取りを付けた後、何をしていただろう?
と、そこが気になります。

龍馬は蝦夷地に興味を持っていました。
池田屋事件の前あたり、龍馬は勤王党のだれだったかに北方視察を命じています。
どうやら、浪士を集めて蝦夷地移住をしようとしていたフシがあるのです。

ところが池田屋の変があって、その計画は頓挫。



龍馬の実家は土佐で武士相手に金貸し業を営んでいた裕福な郷士でした。
でも、明治になって武家が解体されると貸し付けたお金が戻ってこない。
家は当然没落してしまいます。

そして、龍馬の兄の後を継いだ坂本直寛が北海道開拓を目指して根室から北海道入りました。
たしか明治30年代の頭頃だったと記憶しています。
そしてその後札幌へ移り、今でも坂本家のご本家は札幌にあるらしいですが、、。
どこにあるんでしょうね??

その直寛の孫が、坂本直行。
六花亭の包装紙の絵を描いた人です。はまなすとか、、。

龍馬と坂本直行が縁者であることは、これは北海道では結構知られていることだと思います。


龍馬は実家に蝦夷地のことを手紙で知らせていたんでしょうかね。
そして、その話を伝え聞いた直寛が、蝦夷地を目指したのでしょうか。



Posted at 2007/09/12 01:53:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | Thinking | 日記

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