一泊二日の十勝遠征を終えて本日昼過ぎに無事帰還いたしました。いや、暑かったです

特に問題ないので実名でいきますが、行き先は十勝の本別町(興味ある方はググってください)。
今朝9時半頃お世話になった婆ちゃんの家を出て墓参りに行き、職場用のお土産を買いに道の駅本別へ。
ここは旧本別駅で、鉄道が廃線になり空いた土地を道の駅として利用しています。
で、お土産を探していると壁に貼られたポスターが目に入りました。ポスターは郷土資料館で開催されている第二次大戦中にあった空襲の展示会についてでした。
本別は当時も今も小さな町で軍事的に重要な施設はありません。なのになぜ?と思い見に行きました。
当時本別の近くには軍馬の産地として有名だった場所があり、本別駅から戦地へ送られ戦死した馬の記録やたてがみ、蹄鉄、写真、軍から馬の生産者へ贈られた感謝状などがありました。馬を貨車へ載せるための板の写真がありましたが、利口な馬は戦地へ送られるのが分かったのか、貨車へ載せるのを嫌がり抵抗した跡がありました。
他には本別出身で南方戦線や硫黄島で亡くなられた方がたの記録、本別空襲で亡くなられた方たちの遺影、爆撃で溶けたガラス、アメリカ軍艦載機が機銃掃射した時に落とした薬莢もありました。
この展示で珍しかったのは爆撃に関してのアメリカ側のレポートがあったこと。
それによると本来の目標は帯広にあった野戦航空整備基地。しかし当日帯広上空が悪天候のため発見できず、代わりの目標として本別が攻撃されたとありました。
40数機の爆撃隊は搭載した弾薬全てを本別へ集中し帰還。損害なし。
このレポートにはかなりの戦果を上げ作戦は成功、とありました。ただ、前にも書いたように本別には戦術上、戦略上重要な施設はありません。
そう、彼らは「たぶん軍事施設だろう」という推測に基づいて爆撃していたわけです。実際に被害があったのは橋や道路、小学校、木材工場でした。
この爆撃で本別町の市街地は大きな被害を被り30数人が犠牲になりました。中には川原にいて爆撃に曝され亡くなった子供もいます。
この爆撃を論評するつもりはありません。戦争の中で起きたことを後世の人間があれこれ言うのは簡単なことですし。
ただ、「何があったか忘れないこと」と「当時に想いを馳せること」は必要なんじゃないかな、と思いました。

Posted at 2011/07/27 19:53:44 | |
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ゆうさん旅日記 | クルマ