三陸の旅の帰り道。どうしても寄っておかなければ、と思った場所がもう一つ。
やはり4年前に訪れたJR常磐線 富岡駅。
岩沼市から国道6号線一本で南下してゆくことになるが、その沿道に、東日本大震災といえば外せない場所、福島第一原子力発電所がある。
今回、国道6号線が開通したので、そのすぐ脇を通ってみることにする。
この先、帰宅困難地域の表示。
2輪車、軽車両、歩行者は通行禁止とある。現に、前を走っていたバイクは、対向車線からきたパトカーに注意されて引き返して行った。
しかし、こちらは4輪でもオープンカー。フルオープンで走っていたが、パトカーからは特に何も言われなかった。
帰宅困難地域に入る。
4年前は確か、右の建物のところでUターンを指示されたと思う。
立番している警官の姿を見かけた。
福島第一原子力発電所への入り口。
この付近でも、放射線量は3マイクロシーベルト/時に届かないくらい。
防護服が必要な危険な線量は、発電所敷地内でも原子炉建屋付近の限られたエリアだけになったそうな。
ここに着く前はスキを見て車を止めて撮影でも、と呑気なことを考えていたが、流石にまだそんな雰囲気ではない。通常速度で通過する。
大熊町市街。
一見何事もなさそうだが、建物の中は封鎖されている。死んだ街だ。
住宅地を通過。
私有地の入り口にはフェンスが立てられている。
確かこの辺りで帰宅困難地域は終了。
目指す富岡町に入る。
さて、4年前に富岡町を訪れた時、震災から3年以上経過したというのに、被災時から殆ど手付かずの様子にショックを受けた。当時はまだ帰宅困難地域であり、復興は手付かずだったのだ。
これが当時の富岡駅。
津波で押し曲げられた看板もそのまま。
駅前商店街の様子。
そして今回訪れた富岡駅。
ほぼ同じ撮影地点を選んだつもりだったが、よくわからない。それほど当時の面影はない。
当時、道端のお地蔵様に真新しい花が備えられていて感激した。
つまり、あの破壊された街にも頻繁に花を供えに来る人がいたということだ。
当時は通り過ぎただけだったが、今度こそ手を合わせていこう、と決意してここを訪れたのだが、道の形さえ変わっているので、記憶だけが頼りでは、もうどこにあるのかわからない。あるいは撤去されてしまったのか。それがどうにも心残りだ。
JR常磐線も、この富岡駅までは電車が開通している。
当時は線路の様子を見て呆然とした。ここが元の姿を取り戻すことはあるのだろうかと思った。
それが今回の様子。
よくぞここまで。
復興に当たった方々の努力を思えば頭が下がる。
踏切を渡った先に富岡漁港がある。
これも当時は最初何があったのかわからず、宿に帰って調べて見て、漁港の跡と知って恐ろしくなったものだが、
今は漁港の再建に向けて動いているようだ。
当時の撮影ポイントは防潮堤のあたり。今は立ち入り禁止。
富岡駅前にはコンビニ兼軽食スタンドのようなものがあり、この日はそこで桜うどんを食べた。漁港が再開する頃には、そこで海鮮丼なども食べられるだろうか。その頃になったらまた来てみよう。
この日の放射線量、0.1〜2.8マイクロシーベルト/時。
このまま常磐道に乗って帰路に就く。上りの渋滞はそこそこだったが、途中のパーキングエリアが全て満車で難渋した。それでも22時ごろまでには帰れたと思う。
Posted at 2018/05/13 00:09:32 | |
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