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桃色ぞうのブログ一覧

2018年05月27日 イイね!

軽井沢ミーティング2018まとめ

年々駐車場のチケットが取りにくくなる軽井沢ミーティング。
何となく面倒くさくなって2年ほどご無沙汰だったが、久々に行ってみようと思い立ち、クルマ抜き、イベントのみの参加をしてみた。

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なぜ行ってみようと思ったかといえば、
新幹線なら飲みながら行ける
というどうしようもない理由。

しかし、大宮の駅を出てからわずか40数分で軽井沢駅についてしまうので、思ったよりゆっくり出来ない。チマチマ飲んでいたら慌てて降りる羽目になった。

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トークショー。

出るとも出ないとも明言されないまま、雑誌にも載らないうちから堂々と展示されていたナゾのND。この角度で見ると本当に美しい。
ホイールの色が少し明るく、サイドミラーがボディ同色なのがわかる。


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このチョコレート色の幌が実にシックでいい。白のボディカラーにも合うはず。

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ガラスの写り込みで外からではうまく映らないため、ギリギリの撮影アングルで見にくいが、ルームミラーの裏側にカメラがある。ロードスターにもついに自動ブレーキが実装された。

ロードスターの自動化にはとやかくいう人が多いが、個人的には、対向車線のロードスターとか道路脇のクルマ屋に置いてある25万円のジャガーとかに注目して前のクルマに追突しそうになったりするので、自動ブレーキはあったほうがいい。

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内装はタン。Vスペシャル以来の伝統の設え。


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NA6が復刻されるとのことでトークショーでも話題だったが、当時の純正ホイールもENKEIにて再生産される。しかも当時はまだなかった
MAT製法により、当時より軽く強いそうだ。
しかし某ミーティングでは、スポークにあった鋳造肌のザラザラがなくなったとツッコミが入り、現在それを再現するため調整中だとか。しかしそれはちょっとどうかと思う。あのザラザラ肌は鋳物屋にとっては恥だろう。

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真ん中(黒)がNA純正、右(タン)がNA Vスペ純正の内装カーペット。左のNB以降のカーペットに比べ、パイルが太く長いのがわかる。
これを作れるメーカーがなぜか今、世界中にどこにもないそうな。
工業製品というのは少し目を話すと作られなくなり、供給が途絶えてしまう。作り続けるというのは重要だ。
今回のNA6の復刻では、なるべく近いものを、現実的な価格で再現したいとのこと。

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気になるパーツ。ついにマキシムからND用のエキマニが出た。
曲げの形状と溶接の仕上がりは流石という他ないが、少々径が物足りない。やはり騒音規制が厳しいので無闇に太くできないのだろう。スペースもきついので、集合までの長さも純正と大した違いは無さそうだ。

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何とNA、NBにレトロフィットできる電動パワステユニット。
前に重ステのNAに乗っていた経験から、油圧ポンプのトルク損失が無い分、加速は確実に早くなるだろう。

ただ、電動パワステ(EPS)の手応えや操作感覚は、半ば人工的に作りこむ必要があり、メーカー各社味付けに苦労しているが、この製品の場合どうなのだろうか。

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なんだかんだで結構楽しかった。

帰りは隣のショッピングモールで一杯と企んでいたが、シャレオつな店ばかりでオジサンにお酒を飲ませてくれるところがない(日本酒と焼酎の飲める店があったが何故か販売中止)。
仕方なく駅の売店のビールの品揃えが充実しているのを頼りに、帰りの車内で一杯。いい気分になって1駅乗り過ごすところまで楽しんだ。
Posted at 2018/06/05 23:07:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ雑談 | クルマ
2018年05月04日 イイね!

三陸の旅その5 福島 大熊町〜富岡町

三陸の旅その5 福島 大熊町〜富岡町三陸の旅の帰り道。どうしても寄っておかなければ、と思った場所がもう一つ。

やはり4年前に訪れたJR常磐線 富岡駅。

岩沼市から国道6号線一本で南下してゆくことになるが、その沿道に、東日本大震災といえば外せない場所、福島第一原子力発電所がある。
今回、国道6号線が開通したので、そのすぐ脇を通ってみることにする。
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この先、帰宅困難地域の表示。
2輪車、軽車両、歩行者は通行禁止とある。現に、前を走っていたバイクは、対向車線からきたパトカーに注意されて引き返して行った。
しかし、こちらは4輪でもオープンカー。フルオープンで走っていたが、パトカーからは特に何も言われなかった。
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帰宅困難地域に入る。
4年前は確か、右の建物のところでUターンを指示されたと思う。
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立番している警官の姿を見かけた。
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福島第一原子力発電所への入り口。

この付近でも、放射線量は3マイクロシーベルト/時に届かないくらい。
防護服が必要な危険な線量は、発電所敷地内でも原子炉建屋付近の限られたエリアだけになったそうな。
ここに着く前はスキを見て車を止めて撮影でも、と呑気なことを考えていたが、流石にまだそんな雰囲気ではない。通常速度で通過する。
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大熊町市街。
一見何事もなさそうだが、建物の中は封鎖されている。死んだ街だ。
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住宅地を通過。
私有地の入り口にはフェンスが立てられている。
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確かこの辺りで帰宅困難地域は終了。
目指す富岡町に入る。
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さて、4年前に富岡町を訪れた時、震災から3年以上経過したというのに、被災時から殆ど手付かずの様子にショックを受けた。当時はまだ帰宅困難地域であり、復興は手付かずだったのだ。

これが当時の富岡駅。
津波で押し曲げられた看板もそのまま。

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駅前商店街の様子。
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そして今回訪れた富岡駅。
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ほぼ同じ撮影地点を選んだつもりだったが、よくわからない。それほど当時の面影はない。

当時、道端のお地蔵様に真新しい花が備えられていて感激した。
つまり、あの破壊された街にも頻繁に花を供えに来る人がいたということだ。

当時は通り過ぎただけだったが、今度こそ手を合わせていこう、と決意してここを訪れたのだが、道の形さえ変わっているので、記憶だけが頼りでは、もうどこにあるのかわからない。あるいは撤去されてしまったのか。それがどうにも心残りだ。




JR常磐線も、この富岡駅までは電車が開通している。
当時は線路の様子を見て呆然とした。ここが元の姿を取り戻すことはあるのだろうかと思った。
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それが今回の様子。
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よくぞここまで。
復興に当たった方々の努力を思えば頭が下がる。

踏切を渡った先に富岡漁港がある。
これも当時は最初何があったのかわからず、宿に帰って調べて見て、漁港の跡と知って恐ろしくなったものだが、
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今は漁港の再建に向けて動いているようだ。
当時の撮影ポイントは防潮堤のあたり。今は立ち入り禁止。
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富岡駅前にはコンビニ兼軽食スタンドのようなものがあり、この日はそこで桜うどんを食べた。漁港が再開する頃には、そこで海鮮丼なども食べられるだろうか。その頃になったらまた来てみよう。

この日の放射線量、0.1〜2.8マイクロシーベルト/時。
このまま常磐道に乗って帰路に就く。上りの渋滞はそこそこだったが、途中のパーキングエリアが全て満車で難渋した。それでも22時ごろまでには帰れたと思う。
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Posted at 2018/05/13 00:09:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2018年05月04日 イイね!

三陸の旅その4 岩沼市 仙台空港付近

三陸の旅その4 岩沼市 仙台空港付近さて気仙沼に一泊した後は帰り道となる。
その途中に気になる場所があるので行ってみた。
例によって浸水範囲概況図で見ると。alt
仙台空港付近は低地が多く、浸水範囲は今まで見てきた三陸沿岸とは比べ物にならないほど広い。この付近、被災時は水田がほとんどだったようだが、海岸線と平行に走る南貞山運河と海の間に挟まれた赤丸の部分には、そこそこの規模の集落があった。

その跡地が、千年希望の丘 相野釜公園。
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実はこの近辺、4年前にも一度訪れている。
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当時は被災地域の広さと荒涼とした風景に呆然としたものだが、あれから復興も進み、見違えるほど風景が明るくなった。



公園には高さ11mほどの丘が3つほどある。
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これは震災がれきと津波堆積物を再利用して造られた。
津波の襲来時、この近辺に元からあった、高さ11mの丘に登って三人が助かったという事実があり、それを教訓として作られたものだ。いざ津波が来た時の避難場所として、また内陸に向かう津波の力を削ぐ役割も期待しているとか。
階段の左側の看板は今回の津波の到達予想高。

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丘の上からの眺め。
避難場所といえば、目の前の嵩上げした道路より先は、走って辿り着けそうな位置に高台は無い。

この公園では、震災で残った住宅の跡が、震災遺構として保存されている。
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被災前の様子がイラストに描かれている。
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何もかも破壊されてなお、かつてそこにあった人の営みを雄弁に物語るトイレ。
笑って良いやら泣いて良いやら。
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浴室のタイル。
トイレといい、住宅の水回りは意外に頑丈。それが切ない。
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土台にタイルなど貼って、洒落た家だったのだろう。
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公園の外にあるのだが、すぐ近くにある、被災したお屋敷。
周りが平らなのでランドマークとなっている。
一階部分が失われている。
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4年前にも見たのだが、いくらか片付けられているようだ。これも震災遺構として保存されるのだろうか。
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この近辺に6つあった集落は、なるべく以前の形を残したまま、より高台の方に集団移転したという。この付近の土地は今後人が住むことなく、公園兼津波の緩衝地帯として整備されるという。その所為か、この公園は辛い記憶を封印するように美しく整備されつつある。桜の苗木も植えられていたので、将来は桜の名所になるかもしれない。

震災の記憶を風化させない、とはよく聞くが、ここではここの暮らしがあり、いつまでも観光客向けの悲劇を演じ続けるわけにもいかないだろう。そろそろ区切りが必要だ。
Posted at 2018/05/12 22:37:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 走り | 旅行/地域
2018年05月03日 イイね!

三陸の旅その3 陸前高田〜気仙沼

三陸の旅その3 陸前高田〜気仙沼さて、宮古を立って国道45号を南下する。
三陸道を使うと早いのだが、所々工事中で下道に降ろされる。まあ、下道の方が海に近いので景色はいい。

しかし低地に差し掛かると、造成地のような平らな場所に疎らに真新しい建物が点在する光景が何処にでも見える。これら全て津波に洗われた街だ。

それと、イ○ンを始め、スーパーやドラッグストアなど、全国展開している大手流通チェーンの大型店舗がやたらとあちこちにある。
想像だが、地元に古くからある流通網が、津波とその後の交通の寸断で壊滅してしまい、それらが立ち直る前に、大手が一斉に網を掛けてしまったような感じがする。まあ地元の人にとっては前よりも便利になるのだろうが、観光客にしてみれば、北関東あたりに腐るほどあるような景色に三陸が覆い尽くされるのは惜しいような気もする。

さて、目標は陸前高田、そして気仙沼。
前回のように、浸水範囲概況図で見てみると。
どちらも市街がすっぽり津波に洗われているのがわかる。
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実際、陸前高田に降り立って見ると、見渡す限りの広範囲を津波に侵食されているので、カメラの視界になかなか治らない。
一番イメージに近いのはこの写真だが、これでもまだ狭い感じがする。
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少し向こうに見える低い土手は、嵩上げされた国道45号線。この向こうにもさらに平地が広がっている。
ちなみにNDが止まっているところが、元の国道45号だったところ。


そしてこれが、上の図にも道の駅の表示で見える、旧:道の駅高田松原(タピック45)。
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もともと津波の避難施設として設計されていたため、建物は残っているが、今回の津波で上部をわずかに残して水没したという。
少し前までは近くまで行って中を覗くこともできたらしいが、いまは工事中で広範囲に閉鎖されている。内部は完膚なきまで破壊されているらしい。


こちらは市営の定着促進住宅。alt
若年層の定着促進のため建てられた住宅だったが、これも最上階のベランダの手すりが隠れるあたりまで浸水し、4階以下は壊滅している。


気仙中学校。
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屋上の手前の角に看板のようなものが見えるが、津波は屋上の少し上まできたようだ。
なお、ここの生徒教職員は、いち早く高台に避難し全員が無事だったという。市内で最も津波の到達が早かったというが、その的確な判断に感服する。


ここも内部は完全に破壊されている。
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ちなみに気仙中学校は今年3月をもって閉校、第一中学校と統合して、新たに高田第一中学校として4月に発足している(記事)。

さて陸前高田といえばすっかり有名な奇跡の一本松。
ここは少し歩いて海沿いの方に移動する必要がある。
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これが実際の一本松。
ただし現物は2012年時点で壊死してしまい、いまここにあるのは複製品ということだ。
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背景にある建物はユースホステル。
震災前から閉鎖され、人的被害はなかったようだが、完全に水没した上に、左半分は地盤が沈んだため折れてしまっている。今まで見た建物の中では損壊の具合が一番大きい。
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宮古の場合、これまで見てきた震災遺構はすでに公園として整備されつつあり、見かけ上は何となく心の整理がついてしまったようにも見えるのだが、陸前高田の場合、まだまだ震災の強烈な「現場感」が抜けていない。
報道によると、土地の嵩上げが大規模なため復興が遅れているという。

「防災ではなく減災」として、低い嵩上げで済ませた地域は復興が進んでいるため批判もあるようだが、実際に訪れた感触でいえば、陸前高田は三陸の他の地域に比べ街の規模が大きく、中心市街では避難すべき高台が遠くになる場所も多い。また街ごと高台に引っ越すにしても、代替地を用意するのは容易ではなさそうだ。同じ場所に住み続けるとなれば、次の津波に備えて土地の嵩上げと高い防潮堤は必須だろう。何でも公共工事だから叩けばいいというものではない。

そんなわけでこの一本松にしても、まだまだ工事現場のような感じで落ち着かない。
まあ、少し前までは土砂を運ぶ巨大なベルトコンベアが縦横に巡って空を覆っていたというが、いまはそれも撤去され、将来はこれら震災遺構をまとめた地域に祈念公園が整備されるという。いずれここも少しづつ落ち着きを取り戻すだろう。

そして本日の終点、気仙沼。
ここもやはり広範囲に浸水し、空き地が目立つ。宿をとったのは接着剤の香る新築のホテル。窓からの眺めも復興半ばといったところ。
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食事のできそうな繁華街からはかなり離れた宿なので、30分ほど掛けて歩くことになる。
途中に漁港があるので、漁船の写真など撮りながらさして苦痛でもなかったのだが、今思えば被災地応援のためタクシーでも使えばよかったと反省。
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被災地応援といえば、各地から増援が相次いだと見えて、目当てのお店は2箇所とも満席で途方にくれた。
あちこちほっつき歩いて覚悟を決めて入ったのがこのお店。
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これが大逆転で、白身の刺身盛り合わせ、黒ソイの煮魚、モウカの星(モウカザメの心臓の刺身)となかなかの珍味。中でも酒飲みの舌を直撃したのがアワビの肝豆腐(肝をペーストにして卵豆腐のように固めたもの)。興奮のあまり寿司を一貫も頼まなかったのは心残りだが、お酒も地元の男山のいい奴があって時間を忘れる。いい夜だった。
Posted at 2018/05/09 23:41:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 走り | 旅行/地域
2018年05月03日 イイね!

三陸の旅その2 宮古 田老地区〜中の浜

三陸の旅その2 宮古 田老地区〜中の浜宮古市に一泊した翌朝、周辺地域を回る。
まずは国土地理院発行の浸水範囲概況図をもとに、エリアを俯瞰してみる。


まずは北側の赤丸、田老地区に向かう。図によると入江の奥を埋め尽くすように浸水が及んでいるのがわかる。

そこから南側の赤丸、少々小さくて見にくいが、細長く水が入り込んだ場所が中の浜。
(近隣にある女遊戸(オナッペ)という地名が気になって仕方がないが本題とは関係ないのでとりあえずスルーする。気になる人は調べて欲しい)
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原爆ドームのように震災のシンボルとなりつつある、たろう観光ホテル。
周辺は整備が進み、専用の駐車場に案内板まで設置されているが、周りが小綺麗になるほど建物の痛々しさが目に刺さる。
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建物は4階部分まで床上浸水、3階部分は壁の一部を除き全壊。その下の部分に至っては鉄骨を残すのみとなっている。
予約さえあればガイド付きで上の階に入れるよう整備されているようだ。
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これが被災前の様子。
周辺にも住宅はあったようだが、今は空き地が続くのみ。
しかし、よくぞ残ったものだ。
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今回の地震により、田老地区全体が地盤ごと2mも東に動いたという。
これがその跡。右が本来の地標の位置だが、それが左の位置まで移動している。
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田老の防潮堤の上から周辺を眺める。
昭和8年の三陸沖地震の大津波により、三陸沿岸で最大の被害を出した教訓から造られたもので、高さ10mある。下から見上げると本当に大きい。現に昭和35年のチリ地震津波では死者を出さなかった。

だが今回の津波はこれを乗り越えてきた。
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田老漁港の製氷貯氷施設。これも津波を生き残った建造物だが、上の方の「平成」の表示に注目。
17.3m、今回の津波はここまで達した。
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将来また来るであろう津波に備え、沖の方ではさらに高い防潮堤が急ピッチで建設されている。
もう目が眩むほどの高さだ。
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さて、田老地区を後にして、国道45号線を少し南に降ったところを左に曲がり、狭い道を抜けてトンネルを潜った先に中の浜がある。
ここに震災メモリアルパーク中の浜がある。
震災の遺構を保存する公園として整備されている。
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震災前は海水浴場と隣接したキャンプ場だったという。これはその時代のトイレの跡。
奇跡的に原型を保っているが、垂れ下がった屋根の防水シートが不気味さを盛り上げる。
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同じくキャンプ場の炊事場の跡。
屋根は流失、柱も引きちぎられ、柱の鉄筋が触手のように空を掴む。
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公園の奥の築山から海を望む。
この小さな入江を埋め尽くすように津波が押し寄せてきた、というのは、画面の右端にちらと見える表示でわかる。
高さ17m、海水がここまできたという印だ。
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両側の山肌に点々と設置された表示。
最大で21m。表示から下は樹木が生えていないのがわかる。
津波はこの入江の奥深くに侵入し、奥にあった集落に壊滅的被害をもたらしたという。
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さて国道45号に引き返す途中の道に、新設された防潮堤があった。
これまたものすごい高さだ。

田老でもそうだったが、三陸沿岸では今、入江という入江にこのような高い防潮堤が建設されている。
これでは三陸じゅうの海沿いで海が見えなくなってしまうが、地元の人にしてみれば、海などもう見たくもないのかもしれない。
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Posted at 2018/05/08 22:23:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 走り | 旅行/地域

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「カレーのアタマで飲む。
このジャンク感がたまらない」
何シテル?   07/05 17:51
桃色ぞうです。 酒とクルマ、趣味の両立に悩むロードスターのり。良く訓練された酔っぱらいだけに見える、ピンクのゾウを探し求めて行方不明の旅。 たまに大麦代駐車...
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