宮古市に一泊した翌朝、周辺地域を回る。
まずは北側の赤丸、田老地区に向かう。図によると入江の奥を埋め尽くすように浸水が及んでいるのがわかる。
そこから南側の赤丸、少々小さくて見にくいが、細長く水が入り込んだ場所が中の浜。
(近隣にある女遊戸(オナッペ)という地名が気になって仕方がないが本題とは関係ないのでとりあえずスルーする。気になる人は調べて欲しい)
原爆ドームのように震災のシンボルとなりつつある、たろう観光ホテル。
周辺は整備が進み、専用の駐車場に案内板まで設置されているが、周りが小綺麗になるほど建物の痛々しさが目に刺さる。
建物は4階部分まで床上浸水、3階部分は壁の一部を除き全壊。その下の部分に至っては鉄骨を残すのみとなっている。
予約さえあればガイド付きで上の階に入れるよう整備されているようだ。
これが被災前の様子。
周辺にも住宅はあったようだが、今は空き地が続くのみ。
しかし、よくぞ残ったものだ。
今回の地震により、田老地区全体が地盤ごと2mも東に動いたという。
これがその跡。右が本来の地標の位置だが、それが左の位置まで移動している。
田老の防潮堤の上から周辺を眺める。
昭和8年の三陸沖地震の大津波により、三陸沿岸で最大の被害を出した教訓から造られたもので、高さ10mある。下から見上げると本当に大きい。現に昭和35年のチリ地震津波では死者を出さなかった。
だが今回の津波はこれを乗り越えてきた。
田老漁港の製氷貯氷施設。これも津波を生き残った建造物だが、上の方の「平成」の表示に注目。
17.3m、今回の津波はここまで達した。
将来また来るであろう津波に備え、沖の方ではさらに高い防潮堤が急ピッチで建設されている。
もう目が眩むほどの高さだ。
さて、田老地区を後にして、国道45号線を少し南に降ったところを左に曲がり、狭い道を抜けてトンネルを潜った先に中の浜がある。
ここに震災メモリアルパーク中の浜がある。
震災の遺構を保存する公園として整備されている。
震災前は海水浴場と隣接したキャンプ場だったという。これはその時代のトイレの跡。
奇跡的に原型を保っているが、垂れ下がった屋根の防水シートが不気味さを盛り上げる。
同じくキャンプ場の炊事場の跡。
屋根は流失、柱も引きちぎられ、柱の鉄筋が触手のように空を掴む。
公園の奥の築山から海を望む。
この小さな入江を埋め尽くすように津波が押し寄せてきた、というのは、画面の右端にちらと見える表示でわかる。
高さ17m、海水がここまできたという印だ。
両側の山肌に点々と設置された表示。
最大で21m。表示から下は樹木が生えていないのがわかる。
津波はこの入江の奥深くに侵入し、奥にあった集落に壊滅的被害をもたらしたという。
さて国道45号に引き返す途中の道に、新設された防潮堤があった。
これまたものすごい高さだ。
田老でもそうだったが、三陸沿岸では今、入江という入江にこのような高い防潮堤が建設されている。
これでは三陸じゅうの海沿いで海が見えなくなってしまうが、地元の人にしてみれば、海などもう見たくもないのかもしれない。
Posted at 2018/05/08 22:23:37 | |
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