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ぎるでぃのブログ一覧

2025年07月20日 イイね!

中津大神宮(大分県中津市二ノ丁1273-1

中津大神宮(大分県中津市二ノ丁1273-15月4日

薦神社の次は・・・
中津大神宮(なかつだいじんぐう
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
明治維新期の中津城

中津城の模擬天守
文久3年(1863年)8月、中津城本丸南側に松の御殿が建てられ、中津藩江戸藩邸から戻った姫君らが居住した[3]。1871年(明治4年)7月の廃藩置県後、松の御殿は小倉県中津市庁舎や大分県中津支庁舎として使用された[3]。

1877年(明治10年)1月29日に西南戦争が勃発すると、同年3月31日には西郷軍(薩摩郡)に呼応した旧中津藩士の不平士族が中津隊として隆起し[4]、中津隊は松の御殿を襲撃して焼失させた[3]。

中津大神宮と中津神社の創建

中津神社の鳥居
1881年(明治14年)には中津城址に神宮豊前教会が創建され、1883年(明治16年)3月には松の御殿跡地に中津神社が創建された。

神宮豊前教会は伊勢神宮の分霊を奉迎鎮祭した神社であり、創建当初は豊前地域(企救郡・田川郡・京都郡・仲津郡・築城郡・上毛郡・下毛郡・宇佐郡)の参詣者に伊勢神宮の神宮大麻(神札)と神宮暦を頒布していた[1]。その後、神宮教や神宮奉斎会という名称だった時期を経て、戦後の1946年(昭和21年)に中津大神宮に改称された[1]。

中津神社は新魚町の六所神社、片端町の丸山神社(義氏社)、御小屋の稲荷神社、諸町の蛭子神社、八幡大江神社の分霊を合祀した神社である[2]。
・・・

となっていまして・・

中津城址に御鎮座しております

さて

こちらから・・


拝殿でお参りをしまして

無事御朱印をいただくことができました

そしてこの日の御朱印巡りはここまでで
この後は下関にとってある次の宿へと移動しました
Posted at 2025/07/20 18:57:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(大分県 | 旅行/地域
2025年07月20日 イイね!

薦神社(大分県中津市大字大貞209

薦神社(大分県中津市大字大貞2095月4日

宇佐神宮の次に
薦神社(こもじんじゃ
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
養老4年(720年)、大隅・日向の隼人の反乱(大隅国府襲撃)で大伴旅人が率いる大和朝廷軍および宇佐神宮の辛島波豆米(からしまのはづめ)率いる宇佐「神軍」が、薦神社の三角池に自生する真薦を刈って作った枕形の御験、薦枕(こもまくら)を神体に、神輿を奉じて日向まで行幸し、乱を鎮めたと言われる。この薦刈神事は現在6年ごとに行われる宇佐神宮行幸会の中で辛嶋一族が当時より行い伝えている[要出典]。

大貞の「貞」の字には占いの意味があると言われ、道教との関連性も指摘されている[要出典]。

薦神社と三角池は、「三角池と薦神社」として昭和51年(1976年)3月30日に大分県指定史跡、「三角池の水生・湿地植物群落」が大分県指定天然記念物に指定されており、神門は元和8年(1622年)に細川忠興の造営で、国の重要文化財に指定されている。社殿は江戸時代末期に建造[1]。
・・・
となっていまして・・

さっそくこちらから

境内へと・・

なんですが・・・ですね
実はこの後ちょっとした事件(事故?)がありましてですね

手水舎で・・
手を清めようとしまして
御朱印帳の入っている袋をちょっと脇に置いてですね←これが不用意だった
手を清めていた時に
(ちゃぽん)
( ;゚д゚)ェ..........................
.。o○)(水没しつつある袋in御朱印帳
アタフタヽ(Д´; )ノ≡ヽ( ;`Д)ノアタフタ
慌てて回収

・・・袋ずぶ濡れビェ──・゚・(。>д<。)・゚・──ン!!

えぇ・・大パニックですよ。。

発狂寸前状態で御朱印帳を出してですね・・
開いて乾燥を図りつつ(間一髪中までは浸水しなかった気配


参拝をしまして

無事(だったのか?)記帳してもらいました





もう‥この辺りは疲労が限界っぽいのかボロボロ行動状態
Posted at 2025/07/20 18:32:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(大分県 | 旅行/地域
2025年07月20日 イイね!

豊前国一宮 宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐2859

豊前国一宮 宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐28595月4日

宇奈岐日女神社の次は・・・
宇佐神宮(うさじんぐう
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647メートル)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。

延喜式神名帳にはそれぞれ「八幡大菩薩宇佐ノ宮」「比売神(ヒメカミ)社」「大帯姫(オホタラシヒメノ)廟神社」と記されており[2]、八幡宇佐宮などとも呼ばれた。また、神仏分離以前には神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして宇佐八幡宮弥勒寺と称していた。

八幡宮の総本社とされ古くから皇室の崇敬を受けているほか、称徳天皇時代の宇佐八幡宮神託事件でも知られる。参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。
・・・

となっていまして・・

社格等 式内社(名神大3社)
     豊前国一宮
     旧官幣大社
     勅祭社
     別表神社

です

流石に駐車場待ちの渋滞に吞まれましたが^^;
車を停めてから
まずは・・

こっちのほうに

向かってみまして

・・・
呉橋(くれはし)
西参道途中、屋根のついた神橋。鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝承がある。県指定文化財
・・・

を眺めたり
汽車ポッポ



眺めたり

してから


れっつ参拝♪

むむむ・・(さすがに広いな・・

え・・と・・

こちらから・・


え・・と・・


こっちを
・・・
西大門 (さいだいもん)
文禄(1592年 - 1596年)頃の建造とされ、安土桃山時代の様式
・・・

潜り抜けてですね

え・・と・・

この行列(特別参拝)ではなくて・・

こちらの

南中楼門(でいいのかな)側からお参りをしまして

あと通れないけれども

階段・・

と・・

下宮(御炊宮(みやけみや)
でもお参りをしまして

今回も無事記帳してもらいました

あとは・・

せっかくですので旅の記念に御朱印帳
Posted at 2025/07/20 17:53:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 全国一ノ宮 | 旅行/地域
2025年07月20日 イイね!

えらい人にはそれがわからないのですよ

今回は

実はうちの子のもうもう君ことホンダzちゃん
購入した時には着いていたはずのフェンダーについていた黒いゴムモール・・
納車時には取り外されちゃっていて;;(結構お気に入りポイントだったのに

曰く
「(純正部品のくせに)(エアロパーツも)外さないと車検に(検査員が)通らない」
らしくてですね・・

全く・・
フェンダーモールが無い?
「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」
まぁ・・飾りなんですけれども・・

・・・・飾り・・欲しいぢゃんょo(*`ω´*)oプンスカ

なので

つけちゃってみましたヤッタ──ヽ(〃∀〃)ノ──!!

やっぱりこっちのほうが男前(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

一応・・また車検の時に外すことになるはずなので
素人の浅知恵で

マジックテープで簡単に外せるようにもくろんでは見たものの
近くで見るとテープ丸見え(/ω\)イヤン
Posted at 2025/07/20 11:30:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ホンダZ | 日記
2025年07月19日 イイね!

宇奈岐日女神社(大分県由布市湯布院町川上2220

宇奈岐日女神社(大分県由布市湯布院町川上22205月4日

八幡朝見神社の次に
宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ/うなきひめ-/うなぎひめ-
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
祭神は以下の6柱。「六所宮」の別称はこれら6柱を祀ることによる。

国常立尊 (くにとこたちのみこと)
国狭槌尊 (くにさつちのみこと)
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと)
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 (ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
神倭磐余彦尊 (かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)
神渟名川耳尊 (かむぬなかわみみのみこと、第2代綏靖天皇)


ウナグヒメについて

由布院盆地(由布岳山頂より)
盆地は古くは湖であったが、ウナグヒメが開拓したと伝える。
現在の祭神は、上記のように6柱の神々である。一方『延喜式』神名帳に記される社名は「宇奈岐日女神社」であり、かつ六国史における神階奉叙は「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれていることから、当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている[1]。「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長の巫女が神に転じたと推測されている[2]。一方、「ウナギ(鰻)」に由来するとする説もある(後述)[1]。

このウナグヒメに関して、古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神であるウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破らせた。男が蹴破った結果水が抜けた湖は盆地となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという[3]。大男は「道臣命」と名付けられたといい、現在も末社の蹴裂権現社に祀られている。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある[4]。しかしながら盆地の底にあたる地点から土器が発掘されたこと等もあり[注 1]、考古学的・地質学的には湖伝説の真偽は明らかとされていない[4]。伝承の考証として、ウナグヒメを『豊後国風土記』にも見える「速津媛」(速見郡の由来)とする説や、ヒメヒコ制の指摘がある[4]。なお、類似の伝承は阿蘇地域の建磐龍命にも伝わる。

また、大分県から発見された古文書『ウエツフミ』(鎌倉時代、初代・豊後国主大友能直著。一般に偽書とされる。)によると、ウナギヒメは綿花の栽培を司る神であり、このあたり一帯がユフ(木綿)と呼ばれていたことからも、かつては木綿の栽培地であったことが推測される。 ただし、木綿(もめん)の日本伝来は8世紀であり、それ以前の古代における木綿 (ゆう)は普通、楮や麻などの樹木を用いた布を指す。
・・・

となっていまして・・


こちらから境内へと

参道を

とぼとぼ歩きまして

こちらの拝殿でお参りをしまして
無事記帳してもらいました








(これって・・・ワタシ・・・由布院にも立ち寄っていたってことなのよね・・・)
Posted at 2025/07/19 22:32:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(大分県 | 旅行/地域

プロフィール

「一応・・次期イベント保険にヤマト(Ⅲ)を建造。。実戦投入は・・まぁ・・次々イベくらいだろうけれども」
何シテル?   07/20 11:50
やりかたがよくわかんないです。。 やる気も薄いです 油断すると引きこもって艦これしちゃっていたりします・・・

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