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ぎるでぃのブログ一覧

2025年07月07日 イイね!

天岩戸神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1

天岩戸神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-15月1日

高千穂神社の次に
天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ
へと行ってみました
こちらはうぃきによりますと
・・・
東西両本宮は元来は独立した別の社であった。ともに皇祖神天照大神を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。

天岩戸神社西本宮は創祀の時代を詳かにしないものの、岩窟(天岩戸)を神体とするのは、古くからの信仰形態を示すものであるとされる。社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源であり、弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたが、戦国時代にたびたび焼失したという。元禄4年(1691年)にまとめられた寺社明細記録『高千穂旧記』[2]には「天ノ岩戸」についての記述の中に「拝殿有、四方見通に建たり、前ニ鳥居有」とあるのみで神社としては記載されておらず、簡素な遥拝所としての造りであったと考えられる。その後棟札によると、宝永4年(1707年)に荒廃した社地を整地し、文政4年(1821年)には延岡藩主の援助で社殿を再建したという。 天保8年(1837年)にこの地を訪れた松浦武四郎が紀行文(『西海雑志』[2])に記した「道の傍に二間に四間の遥拝所あり」がそれを指していると考えられる。天保12年(1841年)にこの地を訪れた豊後の医師賀来飛霞はその紀行文(『南遊日記』[3])に、「殿アリ扁シテ(扁額に)天磐戸ト書ス」と記している。『日向地誌』[1]でも、明治4年(1871年)に「天磐戸神社」と改称されるまでの旧称は「天磐戸」(神社とは書かれていない)としている。明治6年(1873年)村社に列し、同30年に社殿の造営が行われた。また明治24年に旧岩戸村の村社神楽尾神社、同42年に旧山裏村の杉圍(杉ケ越)神社や旧岩戸村の年神社など、明治以降近在の村社や無格社を合祀している。
・・・
となっていまして・・

とりあえず

西本宮へいってみました

鳥居をくぐって

こちらから

拝殿でお参りをしまして
無事記帳してもらいました

あとは・・

神楽殿と

こちらの

川沿いに

歩いて。。。(天安河原)


天安河原宮にも行ってみました

そして・・この日の放浪はここまでで精いっぱいで
次の宿が人吉のあたりなので
後は移動タイム。。。(ぃゃぁ・・・もぅ・・強行軍><
Posted at 2025/07/07 22:31:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域
2025年07月07日 イイね!

高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037番地

高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037番地5月1日

上色見熊野座神社の後
高千穂神社(たかちほじんじゃ
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
高千穂は日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地と伝えられるが、天孫降臨伝承と在地固有の信仰が融合し、更に熊野修験も加わるなど複雑な信仰を包含する。また、槵觸神社は古来より当神社の春祭りに対して秋祭りを行うなど、当神社と密接な関係を持つものでもあった。

社伝によれば、三毛入野命が神籬を建てて、祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば朝廷からの神階授与があったことになるが、『延喜式神名帳』の記載はない。また、天慶年間(938年 - 947年)に豊後国から大神惟基の長子の政次(高知尾太郎政次)が当地に入り高知尾(高千穂)氏を興したが[3]、社伝によると同氏は当神社を高千穂18郷にわたる88社(高千穂八十八社)の総社と位置づけて崇めたといい、以後も当神社に深く関わるようになったと見られている。

中世になると土持氏の勢力が入り、建久8年(1197年)の『建久図田帳』では妻万(つま)宮(現・西都市の都萬神社)の社領中に「高知尾社八町」、地頭土持宣綱とあって、当神社は妻万宮の管轄下にあったようであるが、同じ頃高千穂氏によって紀州の熊野信仰がもたらされたようで、その後高知尾庄と呼ばれるようになった当神社の社領は、建長6年(1254年)4月26日の関東下知状案[4]を見ると熊野山領とされており、地頭職には高知尾政重が就き[5]、鎌倉時代中期までは熊野山領に組み込まれたようである。また社伝によれば、源頼朝が天下泰平祈願のために畠山重忠を代参に派遣して多くの神宝を奉納、この時重忠によって現存する重要文化財の鉄製鋳造狛犬1対が献納され、境内にある「秩父杉」(高千穂町指定天然記念物)も重忠自らが植えたものといい、文永・弘安の役には敵国降伏祈願のために勅使が差遣されたという。鎌倉時代中頃からは高知尾庄に北条氏被官の安東氏の勢力が進出して来る一方で、熊野別当の後胤を称す浦上氏も預所職を務めるなど当神社を含めた一帯の支配を強めるようになった[6]。また、鎌倉時代末期から高知尾氏に代わり島津氏が地頭となる一方、高知尾氏も三田井氏を称して三田井郷の地頭職を所持するなど、この頃から社領や神事を巡る相論が頻出しだし、南北朝時代にはこれに加えて南朝方に与する阿蘇氏の勢力も進出、社伝によれば征西将軍懐良親王による祈願のための神宝が奉納されたというが、以後阿蘇氏支配の下、「高千穂郷総鎮守」[7]として崇められた。

近世には寛永年間(1624年 - 1644年)に延岡藩主有馬氏から200石の寄進を受け[8]、元禄10年(1697年)に同藩主三浦明敬による親拝[9]、内藤氏も例祭に代参を差遣し神事料を寄進するなど、歴代延岡藩主から崇敬を受けた。

1871年(明治4年)7月に延岡県の県社、11月に美々津県の県社とされたが、宮崎県に改組されると1873年(明治6年)に村社とされた。戦後は神社本庁に参加し、1971年(昭和46年)に別表神社となった。
・・・
となっていまして・・

こちらの鳥居から境内へと

こちらの拝殿でお参りをしまして
無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/07 22:08:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域
2025年07月06日 イイね!

上色見熊野座神社(熊本県阿蘇郡高森町上色見2619

上色見熊野座神社(熊本県阿蘇郡高森町上色見26195月1日

阿蘇神社の次は・・・
上色見熊野座神社(かみしきみ くまのいますじんじゃ[1][2]、かみしきみ くまのざじんじゃ[3][4
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
阿蘇カルデラ外輪山の南東部、国道265号から南方の穿戸岩(うげといわ)という穴の空いた大岩へと登っていく途中に鎮座している。(この穿戸岩に関しては、阿蘇大明神(健磐竜命)の従者・鬼八(きはち)法師が蹴破って穴を開けたという伝説が残っている[1][3][4][5]。)

創建は鎌倉時代末期~室町時代ごろとされ、穿戸岩を中心とした古代からの磐座信仰と、修験者がもたらした熊野信仰が結びつく形で成立したと考えられる[1][5]。かつては「穿戸(岩/社)権現」「熊野穿戸(岩)社」「熊野宮」などと呼ばれていた[1][5]。
・・・

となっていまして・・
車を道端の駐車場に停めまして

こちらから境内へと
道路を横断するのに交通整理しているおじさんから
「〇×分上るよぉ~~♪頑張ってねぇ」
…と励まされ(?)
悲鳴か?ため息か?の声を後ろに聞きながら

・・・

・・・・うみゅ・・・・先が見えんな・・・・・・・^^;

・・・・階段・・・・・だな…
(まともな靴用意してよかったε-(・д・`;)フゥ…)

やっと・・・見えてきましたね

ようやっと到着しまして

こちらの拝殿でお参りをしまして


しまして・・・

・・・・・・・


移動か・・・・・・・・

なので・・
駐車場まで戻って車で・・・
・・・行先間違えて(疲れているのよ&焦ってるのよ><)反対方向に向かっちゃったりもしましたが

何とか無事に
御朱印をいただくことができました
Posted at 2025/07/06 22:16:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(熊本県 | 旅行/地域
2025年07月06日 イイね!

肥後国一宮 阿蘇神社(熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1

肥後国一宮 阿蘇神社(熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-15月1日

出水神社の次に
阿蘇神社(あそじんじゃ
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、のちに初代阿蘇国造となる速瓶玉命(十一宮)が、両親を祀ったのに始まると伝える。阿蘇神社大宮司を世襲し、この地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。

国史では、「健磐竜命神」および「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記事が見え、健磐竜命神は天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙された。

延長5年(927年)に成立した『延喜式神名帳』では、肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。

中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の九州平定の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年(1587年)に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造修が行われた。

明治4年5月14日(1871年7月1日)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社、1914年(大正3年)に官幣大社に昇格した。1931年(昭和6年)11月17日、陸軍特別大演習参加後の昭和天皇が県内を巡幸。阿蘇神社も行幸先の一つとなる[7]。

2016年(平成28年)4月16日に発生した熊本地震により、楼門と拝殿が全壊、境内の3箇所の神殿も損壊した[8][9]。神社では、国、熊本県、阿蘇市の補助により2016年(平成28年)7月15日から「重要文化財阿蘇神社一の神殿ほか5棟保存修理工事(災害復旧)」として復旧工事を開始[10]。神殿3箇所は2019年(平成31年)3月に復旧工事が完了[11]、拝殿は2021年(令和3年)7月に再建[11]、楼門は2023年(令和5年)12月7日に竣工祭が挙行され、主要社殿の復旧工事は完了した[12]。その後も塀や排水施設など周辺施設の工事を進め、2024年(令和6年)12月20日には楼門わきの透塀(すきべい)と御札所の竣工祭を挙行[13]。地震から8年8カ月を経て、約25億円の総事業費をかけた復旧工事は全て完了した[13]。
・・・

となっていまして・・

今回はこちらの鳥居から

とぼとぼと参道を歩いてですね

楼門をくぐって

こちらの拝殿でお参りをしまして
無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/06 21:48:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 全国一ノ宮 | 旅行/地域
2025年07月06日 イイね!

出水神社(熊本県熊本市中央区水前寺公園8-1

出水神社(熊本県熊本市中央区水前寺公園8-15月1日

高橋稲荷神社の次に
出水神社(いずみじんじゃ
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
熊本藩では文化6年(1809年)の細川藤孝(幽斎)の200年忌に合わせて藤孝・忠興父子を祀る神社の創建構想が立てられ、京都の吉田家などに斡旋を依頼した。しかし、初代将軍である徳川家康に東照大権現の神号を贈った江戸幕府が朝廷に対して諸大名への神号授与を禁じており(抜け道はあったが公称出来ない)、実際に藩祖を神として祀っている藩も幕府には無届で城内や既存の神社の摂社の施設において極秘に祀っている事情が判明したため、断念に追い込まれている[1]。

明治11年(1878年)10月7日、旧藩士松井章之らの請願により藩主別邸の跡である成趣園(水前寺成趣園)内に、成趣園全域を社地として創建され、翌12年5月13日に県社に列した。熊本の街はその前年までの西南戦争により焼け野原となっており、その復興にあたり人心の寄り所とするためであった。

社名は水前寺成趣園の池の湧水に因むもので、社紋は細川氏の家紋と同じ細川九曜紋。

敷地内には能楽殿があり、夏祭で奉納される薪能は日本で5番目に古い。
・・・

となっていまして・・

水前寺成趣園内に鎮座していまして
つまり・・

拝観料を払っての入園してから

神社へ向かいまして

こちらの拝殿でお参りをしまして

無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/06 21:25:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(熊本県 | 旅行/地域

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「[整備] #Z 冬タイヤセットに換装 https://minkara.carview.co.jp/userid/2647090/car/3718249/8420155/note.aspx
何シテル?   11/02 17:42
やりかたがよくわかんないです。。 やる気も薄いです 油断すると引きこもって艦これしちゃっていたりします・・・

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