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ぎるでぃのブログ一覧

2024年06月16日 イイね!

焼火神社(島根県隠岐郡西ノ島町美田1294)

焼火神社(島根県隠岐郡西ノ島町美田1294)4月30日

由良比女神社の次に
焼火神社へといってきました

こちらはうぃきによりますと
・・・
大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)を祀る。なお、大日孁貴尊は天照大神の別称である。

焼火山は古く「大山(おおやま)」と称され、元来は山自体を神体として北麓の大山神社において祭祀が執行されたと見られているが[2]、後世修験道が盛行するに及ぶとその霊場とされて地蔵尊を祀り、これを焼火山大権現と号した[3]。やがて祭神を大日孁貴尊とする伝えも起こって[4]、元禄16年(1703年)には「焼火山大権現宮(中略)伊勢太神宮同躰ナリ、天照大日孁貴、離火社神霊是ナリ、手力雄命左陽、万幡姫命右陰」(『島前村々神名記』)と伊勢の皇大神宮(内宮)と同じ神社で、伊勢神宮同様3座を同殿に祀ると説くようにもなり[2]、明治初頭に大日孁貴尊のみを祀る現在の形となった。
・・・

となっていまして
まずは

結構な山道を車で登りまして

ここからは

徒歩で山登り(15分ぐらい)しましてから

こちらの拝殿で参拝してきました
Posted at 2024/06/16 20:04:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(島根県 | 旅行/地域
2024年06月08日 イイね!

黒木御所阯(島根県隠岐郡西ノ島町別府276)

黒木御所阯(島根県隠岐郡西ノ島町別府276)4月30日
ホテルで一泊しましてから翌朝
船で西ノ島に移動して
こちらの島での御朱印の記帳は西ノ島町観光協会で記帳していただけるとのことですので
御朱印帳を預けましてこちらの島でもレンタカーをお借りしまして
まずは

黒木御所阯

へと行ってみました

こちらは某ホムペによりますと

・・・
別府港の東、湾に突き出た丘の上にあり、元弘2年(1332年)鎌倉幕府討幕に失敗し、隠岐へご配流された後醍醐天皇が再起をかけて再び島を出るまでの約1年間住まわれたといわれる伝承の地で、歴史本「太平記」にもその名前を見ることができる。
丘の上には御所の史跡の他、天皇をまつる黒木神社があり、昭和33年に県史跡に指定されている。
敷地内には伝承資料館「碧風館」がある。
・・・
となっていましす

まずはこちらから

とぼとぼと





お参りをしてきました
(御朱印は西ノ島町観光協会にて)
Posted at 2024/06/08 16:10:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(島根県 | 旅行/地域
2024年06月02日 イイね!

玉若酢命神社(島根県隠岐郡隠岐の島町下西701番地)

玉若酢命神社(島根県隠岐郡隠岐の島町下西701番地)4月29日

水若酢神社の次に

玉若酢命神社へと行ってみました

こちらもうぃきによりますと
・・・
創建の年代は不詳である。寛文7年(1667年)の成立と言われる『隠州視聴合紀 巻之二』の下西村の条には「(当社の)社司を国造と云ふ。渠(かれ)が言に曰く。天武天皇の勅命ありて之を奉ず。」と記されている。

『日本三代実録』貞観13年(871年)閏8月29日の条に正六位上蕤若酢神の神階を従五位下へ陞叙すると言う記事があるが、『日本の神々 -神社と聖地- 7 山陰』[4]によれば「蕤」は花が垂れたる様、または冠・旗などに付ける垂れ飾りの意なので、これをタマと訓み、蕤若酢神を当社のこととする意見が強いのだという。上記の『日本三代実録』における記事が当社のことであるなら、これが史料における初見となる。

延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では周吉郡4座の1つとして小社に列格された。

当社は隠岐諸島島後(どうご)の旧・西郷町の西郊、甲尾山麓の甲野原に鎮座するが、甲野原は「国府の原」の転化であり、当地は古代から隠岐国の中心地であった。国府の近くにあった当社は隠岐国総社とされたが、『中世諸国一宮制の基礎的研究』[5]によれば、当社が何時どのような過程を経て隠岐国総社へ転化されたかについては、平安時代末期の中世的国衙体制の成立にともなうであろうと推定される以外、史料が欠けていて明らかではないのだと言う。『神道大系 神社編1 総記(上)』[6]の解題では、同島に鎮座する有木神社に合祀されている総神社が隠岐国総社であったが、いつしか当社と混同したとの説を紹介している。

『吾妻鏡』建久4年(1193年)12月20日の条では、隠岐国地頭として佐々木定綱が任じられているが、『中世諸国一宮制の基礎的研究』[5]によれば、以後、国府地域は佐々木氏の直轄領とされ、強力な国衙在庁による支配が展開されたのだと言う。その後、国府地域は西郷として再編成され、国衙在庁官人の系譜を引くと推定される公文が西郷地域の支配に当たったのだと述べている。

正和元年(1312年)8月の「玉若酢神社棟札写」[7]から、この時の造営は西郷公文が聖教泉坊と語らい、島前を含む多くの人々へ勧請活動を行って実現したものであることがわかるが、『中世諸国一宮制の基礎的研究』[5]では、これが総社が国衙権力機構の行政機関的なあり方から、直接地域社会に基盤を置く独自の宗教施設へ大きく転換する契機となったのではないかと考察されている。

貞治7年(1368年)4月15日の「左衛門尉義親奉書写」[7]では、藤原朝臣義介が「隠岐国惣国造職」に任じられているが、『中世諸国一宮制の基礎的研究』[5]では、「惣国造職」とは惣社国造職のことを指し、総社の宗教的権威向上と再編成を推進するため当社神官を新しく国造と呼ぶこととし、在庁官人と推定される藤原朝臣義介をその任に当てたと考察している。

当社棟札写や『隠岐家古文書抄録』の内容から、応安7年(1374年)以後、当社の造営は絶えず、守護もしくは守護代によって行われたことがわかる。この体制は戦国時代末期まで続いた。

弘治3年(1557年)7月4日の「惣社五月五日祭礼立用注文案」[7]の記述から、東郷・飯田・犬来の3地域の公文が連盟で当社へ納めるべき費用の内容と数量を確認し、御霊会がこれら周辺村落の寄進で行われていたことがわかる。これに関し『中世諸国一宮制の基礎的研究』[5]では、当社が守護・戦国大名権力との関係とは別に、直接その周辺地域の村落に基盤を置く宗教施設としての性格を強めてきたことを意味するもので、そうした新しい情勢への対応の故に、近世社会への移行後も引き続き大きな宗教的勢力を保持し得たと推定している。

『隠州視聴合紀』[8]、『隠岐国神名帳』[9]や『隠州神名帳』[10]には「正一位玉若酢大明神」と記され、同じ隠岐の島町の北部の旧・五個村郡(こおり)に鎮座する隠岐国一宮水若酢神社の正三位よりも神階が上であった。

これに関し『日本の神々 -神社と聖地- 7 山陰』[4]では、正一位の神階を宗源宣旨もしくは隠岐国造の賢しらによるものであろうと考察している。一方、『中世諸国一宮制の基礎的研究』[5]では、当社の神階が水若酢神社より上であったことから見て、水若酢神社が中世を通じて国鎮守として機能したのかについては疑問の余地があるとし、前述のように当社神主が国造と呼ばれたことから見ても中世の隠岐国では実質的に総社が国鎮守である一宮の機能を兼ね、水若酢神社は名目上の一宮に止まった可能性があると述べ、『大日本国一宮記』が由良比女神社を隠岐国一宮とした混乱は、こうしたところに原因があったのではないかと推測している。

『隠州視聴合紀 巻之二』の下西村の条では「北の高原に惣社と號して大社あり。花表・瑞籬・拝殿・本宮美しくして、且つ舊りたり。四方の松杉皆大にして、霊場他に異なり。」と江戸時代初期の当社の様子を伝えている。

明治の近代社格制度により、明治5年(1872年)に県社へ列格された。1935年(昭和10年)4月30日には、社家に伝わる駅鈴2個と隠伎倉印1個が国の重要文化財に指定されている。さらに1992年(平成4年)1月21日に本殿、随神門、旧・拝殿、社家億岐家住宅などが国の重要文化財に指定された。
・・・
長い・・・

となっていまして

こちらの鳥居から境内へと入りまして

随神門


八百杉(やおすぎ)


こちらで参拝をしましてから
御朱印をいただきました
Posted at 2024/06/02 15:14:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(島根県 | 旅行/地域
2024年05月24日 イイね!

神魂神社(島根県松江市大庭町563)

神魂神社(島根県松江市大庭町563)4月28日

八重垣神社の次に

神魂神社
へと行ってみました

こちらもうぃきによりますと

・・・
社伝によれば、出雲国造の大祖・天穂日命がこの地に天降って創建したと伝わるが[2]、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社が出現しないが[4]、その理由として、出雲国造家が、自らの祖神を大庭にあった邸内で私的に祀り祭祀を行ったていた、または邸内に祀っていた社が起源であった可能性が強く、そのため文献に記載がなかったと考えられ[1][5]、やがて現在地に勧請され、近隣住民の信仰を集める形となったと考えられている[6]。文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍家下文であり、実際の創建は平安時代中期頃とみられている[6]。

神魂神社のある大庭(おおば)は、出雲の国分寺、国府に近く古代出雲の政治、交通、経済の中心地であり、天穂日命の子孫の出雲国造が住んだと伝わり[2]、出雲国造は出雲大社の宮司家となるが、出雲国造として25代まで当社に奉仕していた[7]。延暦17年(798年)以降、郡司兼務を禁じられ、大庭に別邸を残したまま、現・出雲大社のある杵築(きつき)に居を移すが[8]、出雲国造家の代替わりのときに行われる「神火相続式(おひちぎしき)」、「古伝新嘗祭」の祭祀は、明治初年まで当社に参向して行われており[4]、また大庭の別邸も明治初年まで神魂神社の社頭近くに存在していた[8]。

出雲大社近傍にある意宇六社(熊野大社、真名井神社、揖夜神社、六所神社、八重垣神社、神魂神社)は、出雲国造家の緩い支配下にあったとされ、幕末まで神職の免許、社殿の造営、遷宮には、出雲国造家が関わっていたとされる[6]。特に神魂神社は、他社に比して出雲国造家の強い支配下にあり、享保20年(1735年)の『神魂社規式』に、神社の神主は出雲国造の名代として奉仕する者と記されている[6]。また出雲国造家が、明和9年(1772年)ごろ京都の柳原家へ宛てた書状『出雲両国造家代書状』などによると、神魂神社は出雲大社の摂社であり、神主や別火などの神職は、出雲国造の下司とされ、神魂神社は独立した神社と見なされていなかったことが窺える[6]。

経済的基盤として。鎌倉初期には、出雲国造家は神社の北西付近を神魂神社神領として所有し、地頭職を兼ねていた。天正13年(1585年)には、吉川元春などから86石ほどの祭田が与えられ、慶長6年(1601年)には、新・国主の堀尾氏から、71石4斗の社領が寄進を受け、寛永15年(1638年)にも新・国主の松平直政からも寄進をうけ、計221石4斗の社領を所有するようになり、幕末まで社領は安堵され、出雲国内では、出雲大社の2730石、日御碕神社の1280石に継ぐ石高となっている[9]。
・・・

となっていまして(長い・・
早速車を停めて

こちらからとぼとぼと・・
・・・
行こうとしましたらどこかの部活帰りらしい学生ちゃんに挨拶されちゃったり
・・カメラぶら下げてるこんな不審者に挨拶してくれるなんてなんていい子ちゃんなんでしょう。゚(●'ω'o)゚。うるうる

でもコミュ障をこじらせてるおじちゃんですのでろくな返事できなくで・・・ごめんね(;д;)グスン

とかいうよくわからない感情しながら石段を登りましてですね

参拝しまして
無事記帳してもらいました

そして日も暮れつつあって疲労も結構な感じでこの日はこのぐらいにしてみまして
(でも心残りもあったからこのあと

松江城行ってみまして)
一応上ったけれども高いところは苦手ですので手摺の近くに近づけない;;

翌日に備えてフェリー港で車中泊ダウン。。。。
Posted at 2024/05/24 22:41:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(島根県 | 旅行/地域
2024年05月22日 イイね!

八重垣神社(島根県松江市佐草町227)

八重垣神社(島根県松江市佐草町227)4月28日

佐太神社の次に

八重垣神社へと行ってみました

こちらでもwikiに頼っちゃいますと

・・・
社伝によれば、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで櫛稲田姫との住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に、青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座したという。佐久佐神社という名前は延喜式神名帳に記載されているが、式内・佐久佐神社は当社の他、同市大草町の六所神社も論社となっている。元慶2年(878年)に正五位上の神階を授かった。佐草氏が神職として奉仕し、近世には八重垣大明神と称された。

明治5年(1872年)、八重垣神社は境内佐久佐神社を合祀して佐久佐神社を称し郷社に列格し、明治9年(1876年)に県社に昇格した。明治11年(1878年)に八重垣神社に改称した。昭和56年(1981年)に神社本庁の別表神社に加列された。
・・・
となっています

さて

こちらから境内へと入りましてですね


参拝もしまして

今回も無事記帳していただだきました
Posted at 2024/05/22 21:20:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(島根県 | 旅行/地域

プロフィール

「[ハイタッチ!drive] 2025年06月29日 07:16 - 17:02、
331.81 Km 7 時間 43 分、
3ハイタッチ、バッジ32個を獲得、テリトリーポイント280pt.を獲得」
何シテル?   06/29 17:02
やりかたがよくわかんないです。。 やる気も薄いです 油断すると引きこもって艦これしちゃっていたりします・・・

ハイタッチ!drive

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