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ぎるでぃのブログ一覧

2025年07月20日 イイね!

薦神社(大分県中津市大字大貞209

薦神社(大分県中津市大字大貞2095月4日

宇佐神宮の次に
薦神社(こもじんじゃ
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
養老4年(720年)、大隅・日向の隼人の反乱(大隅国府襲撃)で大伴旅人が率いる大和朝廷軍および宇佐神宮の辛島波豆米(からしまのはづめ)率いる宇佐「神軍」が、薦神社の三角池に自生する真薦を刈って作った枕形の御験、薦枕(こもまくら)を神体に、神輿を奉じて日向まで行幸し、乱を鎮めたと言われる。この薦刈神事は現在6年ごとに行われる宇佐神宮行幸会の中で辛嶋一族が当時より行い伝えている[要出典]。

大貞の「貞」の字には占いの意味があると言われ、道教との関連性も指摘されている[要出典]。

薦神社と三角池は、「三角池と薦神社」として昭和51年(1976年)3月30日に大分県指定史跡、「三角池の水生・湿地植物群落」が大分県指定天然記念物に指定されており、神門は元和8年(1622年)に細川忠興の造営で、国の重要文化財に指定されている。社殿は江戸時代末期に建造[1]。
・・・
となっていまして・・

さっそくこちらから

境内へと・・

なんですが・・・ですね
実はこの後ちょっとした事件(事故?)がありましてですね

手水舎で・・
手を清めようとしまして
御朱印帳の入っている袋をちょっと脇に置いてですね←これが不用意だった
手を清めていた時に
(ちゃぽん)
( ;゚д゚)ェ..........................
.。o○)(水没しつつある袋in御朱印帳
アタフタヽ(Д´; )ノ≡ヽ( ;`Д)ノアタフタ
慌てて回収

・・・袋ずぶ濡れビェ──・゚・(。>д<。)・゚・──ン!!

えぇ・・大パニックですよ。。

発狂寸前状態で御朱印帳を出してですね・・
開いて乾燥を図りつつ(間一髪中までは浸水しなかった気配


参拝をしまして

無事(だったのか?)記帳してもらいました





もう‥この辺りは疲労が限界っぽいのかボロボロ行動状態
Posted at 2025/07/20 18:32:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(大分県 | 旅行/地域
2025年07月20日 イイね!

豊前国一宮 宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐2859

豊前国一宮 宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐28595月4日

宇奈岐日女神社の次は・・・
宇佐神宮(うさじんぐう
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647メートル)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。

延喜式神名帳にはそれぞれ「八幡大菩薩宇佐ノ宮」「比売神(ヒメカミ)社」「大帯姫(オホタラシヒメノ)廟神社」と記されており[2]、八幡宇佐宮などとも呼ばれた。また、神仏分離以前には神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして宇佐八幡宮弥勒寺と称していた。

八幡宮の総本社とされ古くから皇室の崇敬を受けているほか、称徳天皇時代の宇佐八幡宮神託事件でも知られる。参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。
・・・

となっていまして・・

社格等 式内社(名神大3社)
     豊前国一宮
     旧官幣大社
     勅祭社
     別表神社

です

流石に駐車場待ちの渋滞に吞まれましたが^^;
車を停めてから
まずは・・

こっちのほうに

向かってみまして

・・・
呉橋(くれはし)
西参道途中、屋根のついた神橋。鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝承がある。県指定文化財
・・・

を眺めたり
汽車ポッポ



眺めたり

してから


れっつ参拝♪

むむむ・・(さすがに広いな・・

え・・と・・

こちらから・・


え・・と・・


こっちを
・・・
西大門 (さいだいもん)
文禄(1592年 - 1596年)頃の建造とされ、安土桃山時代の様式
・・・

潜り抜けてですね

え・・と・・

この行列(特別参拝)ではなくて・・

こちらの

南中楼門(でいいのかな)側からお参りをしまして

あと通れないけれども

階段・・

と・・

下宮(御炊宮(みやけみや)
でもお参りをしまして

今回も無事記帳してもらいました

あとは・・

せっかくですので旅の記念に御朱印帳
Posted at 2025/07/20 17:53:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 全国一ノ宮 | 旅行/地域
2025年07月20日 イイね!

えらい人にはそれがわからないのですよ

今回は

実はうちの子のもうもう君ことホンダzちゃん
購入した時には着いていたはずのフェンダーについていた黒いゴムモール・・
納車時には取り外されちゃっていて;;(結構お気に入りポイントだったのに

曰く
「(純正部品のくせに)(エアロパーツも)外さないと車検に(検査員が)通らない」
らしくてですね・・

全く・・
フェンダーモールが無い?
「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」
まぁ・・飾りなんですけれども・・

・・・・飾り・・欲しいぢゃんょo(*`ω´*)oプンスカ

なので

つけちゃってみましたヤッタ──ヽ(〃∀〃)ノ──!!

やっぱりこっちのほうが男前(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

一応・・また車検の時に外すことになるはずなので
素人の浅知恵で

マジックテープで簡単に外せるようにもくろんでは見たものの
近くで見るとテープ丸見え(/ω\)イヤン
Posted at 2025/07/20 11:30:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ホンダZ | 日記
2025年07月19日 イイね!

宇奈岐日女神社(大分県由布市湯布院町川上2220

宇奈岐日女神社(大分県由布市湯布院町川上22205月4日

八幡朝見神社の次に
宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ/うなきひめ-/うなぎひめ-
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
祭神は以下の6柱。「六所宮」の別称はこれら6柱を祀ることによる。

国常立尊 (くにとこたちのみこと)
国狭槌尊 (くにさつちのみこと)
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと)
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 (ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
神倭磐余彦尊 (かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)
神渟名川耳尊 (かむぬなかわみみのみこと、第2代綏靖天皇)


ウナグヒメについて

由布院盆地(由布岳山頂より)
盆地は古くは湖であったが、ウナグヒメが開拓したと伝える。
現在の祭神は、上記のように6柱の神々である。一方『延喜式』神名帳に記される社名は「宇奈岐日女神社」であり、かつ六国史における神階奉叙は「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれていることから、当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている[1]。「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長の巫女が神に転じたと推測されている[2]。一方、「ウナギ(鰻)」に由来するとする説もある(後述)[1]。

このウナグヒメに関して、古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神であるウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破らせた。男が蹴破った結果水が抜けた湖は盆地となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという[3]。大男は「道臣命」と名付けられたといい、現在も末社の蹴裂権現社に祀られている。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある[4]。しかしながら盆地の底にあたる地点から土器が発掘されたこと等もあり[注 1]、考古学的・地質学的には湖伝説の真偽は明らかとされていない[4]。伝承の考証として、ウナグヒメを『豊後国風土記』にも見える「速津媛」(速見郡の由来)とする説や、ヒメヒコ制の指摘がある[4]。なお、類似の伝承は阿蘇地域の建磐龍命にも伝わる。

また、大分県から発見された古文書『ウエツフミ』(鎌倉時代、初代・豊後国主大友能直著。一般に偽書とされる。)によると、ウナギヒメは綿花の栽培を司る神であり、このあたり一帯がユフ(木綿)と呼ばれていたことからも、かつては木綿の栽培地であったことが推測される。 ただし、木綿(もめん)の日本伝来は8世紀であり、それ以前の古代における木綿 (ゆう)は普通、楮や麻などの樹木を用いた布を指す。
・・・

となっていまして・・


こちらから境内へと

参道を

とぼとぼ歩きまして

こちらの拝殿でお参りをしまして
無事記帳してもらいました








(これって・・・ワタシ・・・由布院にも立ち寄っていたってことなのよね・・・)
Posted at 2025/07/19 22:32:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(大分県 | 旅行/地域
2025年07月19日 イイね!

八幡朝見神社(大分県別府市朝見二丁目15-19

八幡朝見神社(大分県別府市朝見二丁目15-195月4日

柞原八幡宮の次に
八幡朝見神社(はちまんあさみじんじゃ
へと行ってみました

こちらはうぃきによりますと
・・・
建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり豊後に入国したときに、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものと伝えられ、以来、大友氏の崇敬を受けた[1]。創建の際、神輿の供をして着任した鶴岡八幡宮の神職、福田土佐守源高政が当社の神主となり、以降高政の子孫が奉職し、姓を福田から神(こう)に改めて現在に至る [2]。

八幡朝見神社初代、福田土佐守源高政は福田出羽守源有治の三男とされ、源親治の孫にあたる。

当初は龍ヶ岡(現在の別府市上原町一の出)に社地があったが、鶴見岳の噴火により社地が崩壊したため、現在地に遷座した。遷座は正平3年/貞和4年(1348年)のこととされる[2]が、史料不詳である[3]。正平3年/貞和4年(1348年)には、能直により建立又は大友氏時により建立・再建された豊後国内の八幡社のひとつとして、豊後八幡七社に数えられた[3]。

文禄2年(1593年)に大友氏が改易されその庇護を失ったが、江戸時代に入ると寛文10年(1670年)に社殿を再興し、元禄6年(1696年)に神殿及び楽殿を新築する等、復興。元禄14年(1701年)に四組木綿手繈懸用の特許状を得ると、以後社勢が盛んになり社地を拡張した[1]。

明治時代に入ると、明治6年(1873年)に村社に列せられて別府、浜脇の総社となり、大正7年(1918年)には郷社、昭和12年(1937年)には県社となった。この間、大正11年(1922年)に社殿を改築し、昭和2年(1927年)には斉殿、能楽殿を新築している[1][2]。第二次大戦後、別府温泉の鎮守神である温泉神社を合祀した。現在でも4月に行われる別府八湯温泉まつりの中心となっている。
・・・
となっていまして・・


こちらから


夫婦杉(一名 門杉)


こちらの拝殿でお参りをしまして

無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/19 22:16:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(大分県 | 旅行/地域

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「[整備] #Z 冬タイヤセットに換装 https://minkara.carview.co.jp/userid/2647090/car/3718249/8420155/note.aspx
何シテル?   11/02 17:42
やりかたがよくわかんないです。。 やる気も薄いです 油断すると引きこもって艦これしちゃっていたりします・・・

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