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ぎるでぃのブログ一覧

2025年07月12日 イイね!

白鬚神社(宮崎県児湯郡川南町川南1987番地

白鬚神社(宮崎県児湯郡川南町川南1987番地5月3日

江田神社の次に
白鬚神社
へと行ってみました

こちらはうぃき・・が見つからなかったので・・
ホムペ頼みで・・
・・・
白鬚神社は、白鬚権現山に建てられた神社です。

その歴史は非常に古く、825年にこの地に建てられ、創建から1200年(令和7年時点)となっています。

白鬚神社では、昔から修行をする人たちが特別な神様の御神徳を受けるためにお参りをしてきました。

神様は、人々に力や知恵を授け、成長や精神的な力を与えてくれる存在でした。

修行を終えた人々は、日本中に分社と呼ばれる小さな神社を建て、自分たちが学んだことを人々に教えるための場所としました。

白鬚神社の歴史や伝統はとても古く、日本文化や宗教の一部とし大切にされています。

神社を訪れると、美しい自然や神聖な雰囲気が広がっていて、心が落ち着き神様の存在を感じたり、お祈りをすることができます。

神社は特別な場所であり、心を育む場所なのです。
・・・

となっていまして・・
駐車場に車を停めてから

こちらの参道を

とぼとぼと・・・


歩きまして


こちらでお参りをしまして

無事御朱印をいただくことができました
Posted at 2025/07/12 21:17:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域
2025年07月12日 イイね!

江田神社(宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母127

江田神社(宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母1275月3日

宮崎縣護國神社の次に
江田神社(えだじんじゃ
へと行ってみました
こちらはうぃきによりますと
・・・
国史の初見は、『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の「日向国子湯郡都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並びに官社に預かる」という記事である。『延喜式』神名帳では日向国宮埼郡に「江田神社」と記載され、式内社に列している。また、『和名類聚抄』には宮崎郡に「江田郷」の記載があり、境内からは10世紀前後の須恵器も出土したことから、創建当初の位置に現在も鎮座していると考えられている[3]。

天禄元年(970年)までには神階が最高位の正一位まで進み、菊の紋章を持つ壮麗な神殿を持つなど、かつては社勢を誇っていたといわれる。中世には那珂郡に属し、京都の『清滝宮勧進神名帳』や文明11年(1479年)の『戒壇院公用神名帳』にも記載が見られるなど、日向国を代表する神社であったと見られている[3]。江戸時代は幕府領伊東氏飫肥藩預地であった。

しかしながら、寛文2年(1662年)の外所(とんどころ)地震の大津波により社殿を失ってからは衰退し、一村落の産土神の扱いとなっていた[3]。津波によって貴重な歴史遺産が多数失われたともいわれる。江戸時代初期、神道家・橘三喜の『諸国一宮巡詣記』は「江田の御社に参りそれより檍が原の住吉に詣でて、尋ね来て聞けば心も住吉の松は檍が原の松原。この海辺に伊弉諾命の身そぎ給う」と記している。

明治6年(1873年)5月25日、近代社格制度において県社に列格し、同40年2月9日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
・・・
となっていまして・・
ではさっそく

こちらの鳥居から

参道をとぼとぼと・・・歩きまして

こちらの拝殿でお参りをしまして

無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/12 20:28:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域
2025年07月12日 イイね!

宮崎縣護國神社(宮崎県宮崎市神宮二丁目4−3

宮崎縣護國神社(宮崎県宮崎市神宮二丁目4−35月3日

宮崎神宮の次は・・・
宮崎縣護國神社(みやざきけんごこくじんじゃ
へと行ってみました
まぁ・・ほぼ同じ境内といってもいい場所なのですが

さて
こちらはうぃきによりますと
・・・
宮崎縣護國神社(みやざきけんごこくじんじゃ)は、宮崎県宮崎市にある神社(護国神社)である。祭神として本殿に戊辰の役以降の国家公共に尽くした人の神霊41,820柱、相殿に公務殉職者の御霊54柱を祀る(2016年3月現在)[1]。
・・・

となっていまして・・

こちらから入りまして

こちらの拝殿でお参りをしまして

無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/12 20:07:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域
2025年07月11日 イイね!

宮崎神宮(宮崎県宮崎市神宮二丁目4-1

宮崎神宮(宮崎県宮崎市神宮二丁目4-15月3日

青島神社の次は・・・
宮崎神宮(みやざきじんぐう
へと行ってみました
こちらはうぃきによりますと
・・・
社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁にちなんで創祀したといい、崇神天皇の時代に初めて社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、さらに応神天皇の時代からは『国造本紀』に載せる日向国造の祖、老男命(おいおのみこと)が祀るようになったと伝える。

古くから鎮座していたのは確かで、上古の由緒は上記の通りだが、文献上の初見は鎌倉時代初めまで降り、当地の地頭職にあった土持信綱が現在地に社殿を造営し、皇宮屋(こぐや)(現 境外摂社)から建久8年(1197年)に遷座したという記録である[1]。『神皇正統記』に神武天皇が「日向の宮崎の宮」から東征したと記すように、中世には東征以前に宮崎に帝都があったとする説も定着し、当宮をこれに充てるようになったと思われており(『古事記』に載せる高千穂宮(高千穂神社)に擬する説もある)、以後神武天皇に対する崇敬から、歴代の領主により深く崇敬された。文明5年(1473年 )に伊東祐国が蓮ヶ池(現宮崎市村角町)と下北方(同下北方町)の一部を奉献したのを始め、永禄3年(1560年)に有馬永純が社領として2石5斗を寄進、同5年(1562年)には伊東義祐が下北方・江平(現宮崎市江平町一帯)から領地を割いて奉献、更に天正5年(1577年)には島津義久が米穀や幣帛を奉献している。

江戸時代には、延岡藩が当地を所領し、寛永21年(1644年)藩主有馬康純が社殿を造営、天保10年(1839年)にも藩主内藤政義による修造が行われている。もっとも、神武天皇を祀る古社とはいえ、江戸時代までは地方の1古社に過ぎず、当宮が広く全国的に知られるようになったのは、明治維新の王政復古の大号令で「神武創業の始め」に復することが唱導され、当宮が脚光を浴びるようになってからである。

明治6年(1873年)に 県社と定められた(この時宮崎神社と改称。「社名」節参照)が、神武天皇の最初の宮地であるとの伝承から特別の待遇を受けるようになり、明治8年(1875年)に国幣中社、明治18年(1885年)には官幣大社へと累進した。明治32年(1899年)には総裁を二条基弘、会長を島津忠亮とする「神武天皇御降誕大祭会」が組織され、高木兼寛が幹事長となって全国から寄付金を集めて境内整備を行い、明治40年にほぼ現在の姿となったが、更に昭和15年(1940年)、紀元2600年を記念した拡大整備事業(その規模は橿原神宮に次いで全国2位であったという)で、現在の境内が完成した。戦後は神社本庁の別表神社となり、現在に至っている。
・・・

となっていまして・・

こちらから境内へと

広くて平らな参道は(坂とか階段が見えないから)安心する

神門をくぐって

こちらの・・

拝所でお参りをしまして

今回も無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/11 23:01:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域
2025年07月11日 イイね!

青島神社(宮崎県宮崎市青島2丁目13-1

青島神社(宮崎県宮崎市青島2丁目13-15月3日

野島神社の次に
青島神社(あおしまじんじゃ
へと行ってみました
こちらはうぃきによりますと
・・・
元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ[1]、古くから青島自体が霊域として崇められており[2]、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝えるが[注 1]、寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に創祀の古伝の詳細はあきらかでない[3]。

神社の旧記によれば、平安時代の日向国の国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)青島大明神」と記され当時既に崇敬されていたと伝え、その後文亀3年(1503年)に伊東尹祐によって再興されて以降、伊東氏飫肥藩の篤い崇敬を受け、大永3年(1523年)、天正6年(1578年)、貞享4年(1687年)、寛保2年(1742年)、明和4年(1767年)、文化5年(1808年)と6度にもわたる社殿の造営・改修や、境内の保全事業が行われた。また、飫肥藩時代は藩士の中で土器(かわらけ)格の者1人を島奉行に任じ[注 2]、島内の樹林や磯辺を監守させた他、牛馬を渡島させたり発砲を禁じたりと一切の汚穢を警戒させていた[3]。元文2年(1737年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、村民は対岸の尖浜(現青島海水浴場)に拝所を設けて遙拝していたが、当時の神主であった長友肥後が藩主に解禁を申請し、以来一般人の渡島参詣が可能になった。

1871年(明治4年)、村社に列し、戦後は神社本庁の別表神社に指定された。

1881年(明治14年)に神社所有の境内地が上地され国有地となったが、戦後、神社が宗教法人となり、1949年(昭和24年)5月17日に国から境内地が返還されている[4]。
・・・
となっていまして・・

・・・観光地として有名なあの青島に鎮座しています
なんですけれども・・実はワタシこの時・・

まぁ・・・
とりあえず

植物園脇の駐車場に車を停めてですね

とぼとぼと・・・歩いて
ここまで来て

海岸・・・海・・・石橋・・島・・・青島・神社・・・
あおしm
・・・∑(*゚д゚*)ハッ青島!?←ここまで来てやっと青島を認識
(スミマセン素で現地着くまで失念しておりました。)
疲れているのか・・慢心なのか・・ボケてるのか

さて・・

特徴的なシマシマな海岸沿いに歩きまして

こちらから

神社へ

と行きまして

こちらの拝殿でお参りをしまして

無事記帳してもらいました
Posted at 2025/07/11 22:41:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 御朱印放浪記(宮崎県 | 旅行/地域

プロフィール

「[ハイタッチ!drive] 2025年08月14日 10:22 - 16:49、
99.84 Km 6 時間 26 分、
2ハイタッチ、バッジ12個を獲得、テリトリーポイント120pt.を獲得」
何シテル?   08/14 16:50
やりかたがよくわかんないです。。 やる気も薄いです 油断すると引きこもって艦これしちゃっていたりします・・・

ハイタッチ!drive

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