2008年09月28日
この時期に思い出す 茨城県東海村 JCO臨界事故
私は今から9年前、茨城県の水戸市に住んでいた。
今は退職しているが、仕事の関係でしばらく居住地になっていた。
1999年のことだ。 当時22歳。
当時の私はとんがっていたのだろうか、今ならそうならないことなのかも
知れないが、会社内でどうしても我慢ならないことがあり、退社した。
1999年8月12日のことだったと記憶している。
次の日から盆休みということもあり、1日早く盆休みにはいる事となった。
やることもないので、地元の仙台に当時の愛車、ビートで帰省した。
「これからどうするか?」という迷いも抱いて。
盆明けに一度水戸に戻り、就職先を探した。
しかし、茨城の方には失礼な話かも知れないが、水戸で就職する理由が自分の
中で見つからず、かといって東京に出るには、度胸と財力も追いつかず、
2週間考えた末、仙台に戻る決断をした。
引越作業を済ませ、完全に水戸を離れたのが9月25日だった。
仲良かった職場の友人らにも、挨拶も済ませた。
その5日後、事件は起こった。
1999年9月30日、午前10時35分ごろ、
東海村の原子力燃料加工会社「JCO」の東海事業所で、
加工中の放射能を含んだ液体が臨界状態となり、人体に危険なレベルの放射線を
放出する異常状態になった。
容器を取り扱っていた技術者が事故後病院で亡くなり、
放射線は非常に強いものであった。
事故後、12時間も過ぎた午後10時半になって、事故現場から半径10km以内
に住んでいる者全員に、「屋内待機」との命令が知事から発せられた。
この屋内待機命令は翌日の午後4時半まで、約18時間も出されていた。
作業中に突然「青い光」が発生、作業員3人が倒れ、ほぼ同時に
「ガンマー線エリアモニター」が鳴り響きました。
日本で初めての、世界的にもまれな「臨界事故」が、誰一人思いもかけぬ場所で
発生したのです。
「青い光」はチェレンコフ光と言われ、臨界現象の特徴であり、
JCO幹部も直後に臨界事故であることを認識していましたが、
JCOには臨界警報装置も、中性子を観測する装置もなかったため、
臨界が継続していることを確認できないまま時間が経過しました。
「臨界」=核爆発によって大量の放射線が発生すると同時に、
核分裂によって生じた放射性物質=死の灰が施設外に漏れ出しました。
この18時間にも及ぶ半径10km以内の屋内待機命令は、元同僚からも
電話でリアルタイムで聞いていた。
同日の夕方になって、周辺の放射線の測定値はピークを迎えた。
この住民避難の中でも、強烈な中性子線が半径500メートルに飛散し続けて
おり、国道6号線を越え、そこを通行している車の鉄板すら突き抜けていたのだ。
31万人の屋内退避勧告が行われ、北関東の交通動脈である国道6号線、
常磐自動車道、常磐線が水戸―日立間で全面通行止め、運休となった。
時間との勝負といわれる原子力防災が、事実上まったく機能しなかったと言って
よい。 行政の遅れである。
「特攻隊」の突入で臨界収束しました。
危機的な「臨界」状態は長時間にわたって続き、
最終的にはジェー・シー・オー社員が「特攻隊」となって、
猛烈な放射線が発生しつづけている現場に突入し、被曝しながら作業を行い、
10月1日深夜になってようやく収束させることができました。
この作業に従事した社員は、わずか数分づつの交代作業にもかかわらず、
放射線作業従事者向けの年間被曝限度の2倍もの被曝をしてしまいました。
原因は、作業員が定められた工程に従わず、規定量の数倍におよぶ硝酸ウランを
沈殿槽に入れたため。 当初の記者会見では、作業員らに「臨界」に関する」
知識がなく、勝手に手順書を逸脱していたものとされていたが、
捜査が進むうちに、手抜き手順を明記した裏マニュアルが存在することや、
バケツ使った違法作業が日常化していたこと、上層部もこうした手順を容認して
いたことなど、ずさんな体質が次々と明らかなった。
幹部社員7人が業務上過失致死で逮捕されている。
元同僚は、こんな事を言っていた。
「 6コク(6号線)や、日立製鉄所の社員で騒がしい道路も、静か。
1台も車が走っていなければ、人の姿もない。 異様な雰囲気だ。 」
と語っていた。
その後、色々な問題も露呈し、裁判事もあったりした。
政治的な発表も、どこまで信憑性があったかは怪しさも残る。
仮に、最悪な状況下だったのに「異常なし」という発表をする可能性だってある。
パニックや、今後の茨城県のために避けそうな気もするのだ。
私個人も、水戸から日立市へ行く時に、6号線が混むので頻繁に東海村の、
あの道を通過していた。 ニュースなどで「 うわ、あそこかよ 」と
すぐに分かった。
同僚が言った。
「 お前、この事故が分かっていたかのように、ギリギリで仙台に戻ったな。
運が良いというかなんというか・・。 」
こういう事は、私個人が勝手に思っていることだが、
いろんな意味で腹が立つ事件であった。
そんな事件があってから、間もなく9年の歳月が流れようとしている。
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Posted at
2008/09/28 02:31:03
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