先日、車で国道45号線・坂下交差点付近を走っていると、嫁がふと言いました。
その場所に、列車の高架があります。
「 あれは仙石線? 貨物しか見たこと無いけど 」
と言いました。
確かに、興味を示さないと分からないことが目白押しの、日常生活。
ここから私の「雑学トーク」が始まりました。
その路線は「宮城野貨物線」で、貨物専用の線路です。
地図を見て頂くと、見えていませんが右下付近から、線路が2本出ています。
長町駅から分岐し、1本は仙台駅へ、もう1本は貨物専用駅「宮城野駅」方面
へ向かいます。
「宮城野駅」は東北本線・長町駅から分岐し、東仙台駅に至る貨物線の途中にある
貨物駅です。 そのまま、東北本線・東仙台駅で合流します。
貨物専用ですが、東北新幹線の仙台駅建設工事の時は東北線の迂回路として
旅客列車が走ったこともあります。
昔は、東北本線・長町駅に広大な長町操車場があり、北日本最大の駅となって
いましたが、1960年に開通した「宮城野貨物線」開通と同時に
長町駅の貨物取扱いも「宮城野駅」に順々に移転し、1986年に貨物駅としての
役割を終えました。 貨車操車場・貨物設備の跡地は、「あすと長町」の名称で
現在再開発中です。
長町駅の裏が、数年前まで広大な土地に線路があったのはこのためです。
一瞬、国道45号線・坂下交差点付近の高架が、仙石線と勘違いしやすいのは
分かる気がしますが、その数100メートル先に、本当の仙石線があります。
ちなみに、仙石線は「仙台から石巻」までのJR線ですが、
元を辿ると「宮城電気鉄道株式会社」が経営する、地方私鉄でした。
通称・宮城電鉄です。
のちにJRの前身、国鉄に当時価格2500万程で買収されましたが、
宮城電鉄は、当時・「日本初」という功績を持っています。
それは、起点となった当時の仙台駅を、地下トンネルで介して、
現在の仙台駅・西口に「仙台駅」を置き、地上に出た東口に「東七番丁」という
駅を設置しました。 そのまま、後は塩釜・石巻方面です。
大正時代の話です。
ちなみに、東七番丁駅の跡は、数年前まで名残が残っていました。
日本初というのは、大正時代には東京の地下鉄もまだできておらず、
宮城電鉄が日本初の一部地下鉄というか、地下駅を造っていたわけです。
地下と言えば、仙台には地下街というものがありません。
7大都市圏の中心都市の中で、仙台市だけが存在しません。
実は、東北新幹線の開通(1982年)に合わせて改築していた仙台駅・西口前に
地下街を造る構想が1980年前にあったのですが、
1980年8月16日に発生した静岡駅前の「ゴールデン街」のガス爆発火災によって
地下街の安全性が問題になり、構想が立ち消えとなった経緯があります。
その静岡・ゴールデン街の爆発事故の映像が残っています。
地下街で発生したメタンガスと、都市ガスの、時間差を置いて2度の
ガス爆発事故が起こり、15人が死亡、223人が負傷する大惨事となりました。
仙台駅・西口付近の地下部には、地下鉄南北線仙台駅、続いて仙石線のあおば通駅
が建設され、現在、地下鉄東西線の仙台駅の建設が開始されており、
優先される地下空間利用があるため、地下街構想は現在も動いてはいません。
最後に、一番上の地図で気付く方もいると思いますが、
仙台駅は、西側というか左側にグーンと迂回していることが分かります。
違う地図で見てもらうと分かりやすいとは思いますが、
「仙台駅のために、線路が無理矢理に曲げられている」ように見えます。
ちなみに、JR東日本では仙台駅くらいらしいです、こんなに曲げているのは。
前述の、貨物線路を使った方が綺麗に真っ直ぐ行けるんですけど・・。
しかし、これには理由があるのです。
当初の計画では、市街地によらず一直線に線路を通過させて、
現在の宮城野貨物線に近いルートである、宮城野駅が置かれている付近に
「仙台駅」を設けようとしていました。
明治時代の話です。
当時、仙台の一番栄えていた場所は、「芭蕉の辻」の界隈でした。
京都の「祇園」と似た場所と言えば分かりやすいでしょうか。
当時では、芭蕉の辻の界隈に奥州街道というものもありましたが、
ここが一番栄えていた場所でした。
上記地図では、微妙にズレてますけど、国道48号線のマークがある辺りです。
当時の「芭蕉の辻」の華やかさは、現在では、ほとんど面影はありませんが、
少し先にある繁華街・国分町がわずかな名残??
しかし当時、地元では 「もし駅が市街地を外れれば、伊達政宗公以来の
城下町である仙台が滅んでしまう」となど、激しい誘致合戦が行われました。
そりゃそうでしょう。 現在でも芭蕉の辻から仙台駅は、歩くと結構遠いです。
それを現在の宮城野駅辺りに持って行かれたら、5キロ近くはあるんじゃない
でしょうか。
しかしそうなっていたら、仙台も、現在の横浜駅と新横浜駅のように区別されて、
ある程度違う街になっていたかも知れませんね。
当時は、駅が近くにある街は栄えないという逸話みたいなものもあったよう
ですが、仙台駅は真逆の考えで、現在の場所にと論争したようですね。
で、結局は線路が市街地中心近くを経由する様に変更され、
現在の位置に仙台駅は置かれました。
現在もその名残で東北本線のみならず、並行する形で敷かれた東北新幹線も、
仙台付近では線路が西に大きく迂回するルートになっています。
以上、仙台市の雑学コーナーでした♪