最近、八木山動物公園に行ってきました。
何年ぶりか分かりませんでしたが、ガキの時に行って以来えらい変わりよう(>_<)
シマウマとキリンが一緒に広い場所で歩き回ってるし、
シロクマなどは水の中で遊び回るのを見ることが出来るようになってるし、
色々な場所が変わっていました。 大人でも普通に楽しめる♪
大人400円♪
さて、この八木山という地名ですけど、知られているようで知られていないことが
結構あるようです。
八木山の元々の名前は「越路山」といいます。
明治30年頃に、政府の買い上げ、炭坑・埋木を掘るために、民間にも
買い上げられていました。
当時、八木家4代目 八木久兵衛氏という富豪の方がいました。
4代目、5代目は同名で、この2代で八木山が築かれています。
彼は、8千株近くの「日本鉄道」株を持っていて、仙台財界に重きをなして
いました。 七十七銀行の頭取になり、商工会議所会頭にもなっていました。
さらに、日本鉄道が国有になったことにより巨万の富を得ました。
当時の越路山は、江戸時代は伊達藩により保護されてきましたが、
明治維新後は様々な事情から荒廃が進み、それに傷心した八木氏が
現在の「八木山」を買い取ったという経緯です。
それから、越路山から八木氏の山ということで、八木山の名称が付いています。
しかし、どこからどこまでの範囲を買い取っていたのかは不明だそうです。
仙台市で有名な~という人物を出せば、伊達政宗とか色々出てくるでしょうが、
八木氏も著名なんですよね。 銅像もありますし。
75歳で生涯を閉じましたが、八木山のことは「紅久会社」に遺命されました。
紅久会社は、江戸時代から「紅久」という店で、化粧に使う紅や味噌造りなどで
財を築いた豪商として知られています。
味噌では、「仙台味噌」といえば、わかりますかね。
八木氏は大正から昭和初期の時代、仙台が全国の都市の中で死亡率第3位という
状態にあったことから、体力増進のためピクニック道路を造り運動場や遊園地を
作ろうと八木山の開発に取り組みました。
「自然を守る」という前提で取り組んだようですが・・・・。
昭和4年に、「八木山球場」が建造されました。
昭和9年には、日米野球でベーブ・ルースがホームランを打ったことでも有名
です。
八木山動物園は、この八木山球場の跡地にできたものです。
八木氏は、この八木山球場を、完成後に仙台市に寄付しています。
昭和8年には竜の口渓谷に全国に前例のない、つり橋を完成させ、青葉山から
八木山への道を作りました。 これが、今の「八木山橋」です。
その後、八木氏は仙台市に寄付しています。
現在の状態は、昭和40年に架け替えられています。 自殺の名所と呼ばれる
ようになり、柵が異様な形になっていきました。
ちなみに、初めての八木山へのルートは、前述の八木山橋ではなく、
大正15年、現在のバス停留所「八木山入り口」がある長徳寺前から動物園付近
と言われています。 向山という地名から道路網が整備されました。
もちろん、人海戦術です。
驚く事に、この時代に作られた道幅は、現在もほとんど変わらないのです。
昔で言えば広すぎる道路幅だったようで、経費もかかる。
しかし所有者である4代目八木氏は、
将来の事を考えれば、このくらいは必要と答えていたそうです。
八木山の初めての住宅地は、この向山ルート沿いにある「八木山緑町」です。
そして、現在の動物園の隣には、遊園地「八木山ベニーランド」があります。
八木山ベニーランドは、 昭和43年、東北初の総合遊園地として開園しました。
ちなみに、八木山動物公園は昭和41年です。
「八木山ベニーランド」の名前は、八木氏の店「紅久」からとられていると
言われています。 経営は「株式会社エイトリー」です。
入園者数は減少しています。
県内で、公園施設等で成功を収めているのが、
「国土交通省 みちのく杜の湖畔公園」でしょうか。
大人400円、駐車場で310円かかりますが、年間で60万人程が
利用しているそうです。
ベニーランドの行く末は、ここをベースにすると良いのかも知れない。
昔の風景とはだいぶ変わっており、今の風景が、八木氏のイメージだったかは
分かりません。
八木山までは地下鉄も来ることになっているが、道路網も整備して頂きたい
気もする・・。
八木山から茂庭・折立方向へモノレールが入る計画があったけど、
どこかの方がゼネコン汚職で逮捕されたり、色々あったことで
白紙になってるモンなぁ・・・。
参考資料:河北新報社「八木山物語」より