2011年05月20日
東日本大震災では、突出したのが「津波被害」。
「津波が来ると思って避難した」
そして
「津波が来ると思わなかった」
という状態に大きく別れ、その「構え方」が
被害・犠牲者の生死の分かれ目になってしまいました。
九死に一生を得た方も、かなりの「紙一重」をしている方も
非常に多く、そういう方の話を聞くと壮絶でした。
1人の方の証言です。
その方の家は、3階建てのコンクリート造の一軒家でした。
大震災の本震の後、3階で片づけをしていたそうです。
そこは海から約3キロの場所でした。
1階には祖父がいたそうです。
地震から30分以上経った後、外が騒がしい事に気付きます。
何かがぶつかる音、金属や木材が擦れるような・・
後から思えばそんな音だったそうです。
窓ガラスを開けると、15メートルほど先にあった「寺の本堂」が、
「動いているように見えた」そう。
『ん??』
と、余震もかなり続いていたため、普通に目がおかしくなっているという
感覚があったそうです。
しかも視界があまり良くない状態でもあったそう。
霧がかかっているような、モヤっていた感じだったそうです。
その理由は、すぐ分かる事になります。
その動いて見えた寺の本堂に、
今度は、火のついた家が左から動いてきたというのです。
真っ先に頭によぎったのは「火事だ!」だったそうです。
「津波だ」ではなかったそう。
そして、見ていた窓の、少し離れた右側の窓に移動したそうです。
窓を開けた、その直後でした。
3階の建物の、さらにその上を、今まさに越えようとする、
黒い壁が覆っていたというのです。
津波でした。
ビルとは違い、住宅の3階ですから少し低めとはいえ、
3階を超える黒い壁が覆っていたというのです。
「え?」 と思ったその瞬間、 その方の体は水を被りました。
何が起きたのか、全く理解が出来なかったそうです。
体全部が水に浸かり、息が出来なくなりました。
すると、部屋の天井が破れ、屋根裏に「隙間」が出来たそうです。
何の運命でしょうか。
こういう紙一重の状態は、様々なところで見られました。
この方も、その1人です。
天井の「柱」が突如現れた事で、その方はそこを掴みました。
流れは止まる事をしなかったと言います。
「この手を離したら、死んでしまう」と思ったそう。
手や腕に一杯の力を加え、
屋根裏の「隙間」、水が浸かっていない空気があるスペースに
「顔を出しては、また沈み」という行動を続けたのだそうです。
幸運だったのが、そこが3階だったという事。
最初は3階以上の高さまで津波が押し寄せた状態でしたが、
約5分ほどで津波の水かさは低くなったのだそうです。
それでも2階までは完全に浸かっていたそうです。
そして、今までいた3階の床に、
津波が引いたと同時に着地しました。
しかし、その部屋にあったものは、すべて流されてしまったそうです。
あったのはただ一つ、「机」だったとのこと。
津波を受け、服は濡れ、そして雪が降っているほどの寒さです。
あたりは暗くなっていました。
水が引いて、この段階で「これが津波?」と実感したそうです。
それでも半信半疑だったそう。
当時、得られる情報は、何もないのです。
自分の想像でしかないわけです。
津波というものが、こんなに恐ろしく、凄いものなのだという事は、
想像もした事がなかったそうです。
その地域は「防災警報」が鳴るような地域ではなく、
そして停電のために「大津波警報」が出ていた事も知らなかったそうです。
暗くなり、あたりは静寂に包まれ始めます。
声を出しても、なにも聞こえません。
1階にいた祖父は、流されただろうと思ったそうです。
下を見ると、完全には水が引いたわけではなかったそうです。
しかし、懐中電灯もなく、暗闇では全く分からなかったとのこと。
しばらくすると、窓の外から「懐中電灯で円を描く姿」が、
何箇所か見えたそうです。
声も数ヶ所から聞こえますが、どこから聞こえているのか、
まったく分からないとの事。
停電した風景は、津波被害を受けていない東北全地域で
体験したと思いますが、まったく何も見えない訳です。
その名の如く「暗黒」が支配していました。
夜が更けていき、最初の頃に聞こえた「声」も、聞こえなくなりました。
この震災では、「当日が非常に寒かった」事、
そして津波で濡れた服も影響し「凍死」した方も多かった現実があります。
「寝たら死ぬ」
その事は、津波被害で助かった方々のほとんどが頭をよぎっていたそうです。
一睡も出来ない状態で、夜明けを待ちました。
暗黒の中、それぞれが色々な事を思い、そして泣き、号泣し・・
津波から難を逃れた方が、記憶が飛び、思い出したくないとも
思っているのが、この時間帯のようです。
その方も、その部屋で残った机の上で、ずっと震えていたそうです。
余震も多く、またいつ津波が来るのか、ずっと怯えながら
一晩を明かしたと言います。
こんなに不安になる暗黒の世界はなかったそうです。
自分1人しか生きていないのでは・・
そういうことまで思ったそうです。
「記憶が飛んでいる、思い出したくない時間」は、
報道でも取り上げられる事はありません。
あまりに辛い時間だった訳です。
そして朝方4時、あたりが明るくなり始めました。
窓の外には、「地獄絵」が広がっていました。
ほとんどの家が消えていて、瓦礫の山が広がっていました。
1階には、上を向いた状態で、目を開けたまま、
亡くなっていた祖父がいたそうです。
その後、自力で避難所に歩いていったそうですが、
朝方にもかかわらず、たくさんの報道陣がいたとのこと。
避難所までの間には、目を覆う光景がいくつもあったそうです。
生かされた命と、失われた命。
その境目はどこにあったのか分かりませんが、
1000年に一度と言われている未曾有の大震災、
その1000年後に生きる方々のためにも、
色々と語り継がねばならない事があります。
Posted at 2011/05/20 03:11:42 |
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