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ハル春のブログ一覧

2011年05月23日 イイね!

Yahoo! 不正ログイン??



みなさん、自分の「Yahoo!」の「ログイン履歴」って

見たことあります?

「ログイン履歴」


ニュースページ

自分以外からの「アクセス」されている履歴ありませんでした?


ハル春は大丈夫だったんですが、

知り合いが不正アクセスにヒットしたようで・・。


「プレステ3」の件といい、

漏洩というのか、トラブルが多いですなぁ・・。


Posted at 2011/05/23 22:16:32 | トラックバック(0) | 日記
2011年05月20日 イイね!

津波は襲った



東日本大震災では、突出したのが「津波被害」。



「津波が来ると思って避難した」

そして

「津波が来ると思わなかった」

という状態に大きく別れ、その「構え方」が

被害・犠牲者の生死の分かれ目になってしまいました。



九死に一生を得た方も、かなりの「紙一重」をしている方も

非常に多く、そういう方の話を聞くと壮絶でした。


1人の方の証言です。


その方の家は、3階建てのコンクリート造の一軒家でした。


大震災の本震の後、3階で片づけをしていたそうです。

そこは海から約3キロの場所でした。

1階には祖父がいたそうです。


地震から30分以上経った後、外が騒がしい事に気付きます。

何かがぶつかる音、金属や木材が擦れるような・・

後から思えばそんな音だったそうです。


窓ガラスを開けると、15メートルほど先にあった「寺の本堂」が、

「動いているように見えた」そう。


『ん??』

と、余震もかなり続いていたため、普通に目がおかしくなっているという

感覚があったそうです。

しかも視界があまり良くない状態でもあったそう。

霧がかかっているような、モヤっていた感じだったそうです。


その理由は、すぐ分かる事になります。


その動いて見えた寺の本堂に、

今度は、火のついた家が左から動いてきたというのです。

真っ先に頭によぎったのは「火事だ!」だったそうです。

「津波だ」ではなかったそう。


そして、見ていた窓の、少し離れた右側の窓に移動したそうです。


窓を開けた、その直後でした。


3階の建物の、さらにその上を、今まさに越えようとする、

黒い壁が覆っていたというのです。


津波でした。


ビルとは違い、住宅の3階ですから少し低めとはいえ、

3階を超える黒い壁が覆っていたというのです。


「え?」 と思ったその瞬間、 その方の体は水を被りました。


何が起きたのか、全く理解が出来なかったそうです。

体全部が水に浸かり、息が出来なくなりました。


すると、部屋の天井が破れ、屋根裏に「隙間」が出来たそうです。

何の運命でしょうか。

こういう紙一重の状態は、様々なところで見られました。


この方も、その1人です。

天井の「柱」が突如現れた事で、その方はそこを掴みました。


流れは止まる事をしなかったと言います。

「この手を離したら、死んでしまう」と思ったそう。


手や腕に一杯の力を加え、

屋根裏の「隙間」、水が浸かっていない空気があるスペースに

「顔を出しては、また沈み」という行動を続けたのだそうです。


幸運だったのが、そこが3階だったという事。


最初は3階以上の高さまで津波が押し寄せた状態でしたが、

約5分ほどで津波の水かさは低くなったのだそうです。


それでも2階までは完全に浸かっていたそうです。


そして、今までいた3階の床に、

津波が引いたと同時に着地しました。


しかし、その部屋にあったものは、すべて流されてしまったそうです。


あったのはただ一つ、「机」だったとのこと。


津波を受け、服は濡れ、そして雪が降っているほどの寒さです。

あたりは暗くなっていました。


水が引いて、この段階で「これが津波?」と実感したそうです。

それでも半信半疑だったそう。


当時、得られる情報は、何もないのです。

自分の想像でしかないわけです。


津波というものが、こんなに恐ろしく、凄いものなのだという事は、

想像もした事がなかったそうです。


その地域は「防災警報」が鳴るような地域ではなく、

そして停電のために「大津波警報」が出ていた事も知らなかったそうです。


暗くなり、あたりは静寂に包まれ始めます。


声を出しても、なにも聞こえません。

1階にいた祖父は、流されただろうと思ったそうです。


下を見ると、完全には水が引いたわけではなかったそうです。

しかし、懐中電灯もなく、暗闇では全く分からなかったとのこと。


しばらくすると、窓の外から「懐中電灯で円を描く姿」が、

何箇所か見えたそうです。


声も数ヶ所から聞こえますが、どこから聞こえているのか、

まったく分からないとの事。


停電した風景は、津波被害を受けていない東北全地域で

体験したと思いますが、まったく何も見えない訳です。


その名の如く「暗黒」が支配していました。

夜が更けていき、最初の頃に聞こえた「声」も、聞こえなくなりました。


この震災では、「当日が非常に寒かった」事、

そして津波で濡れた服も影響し「凍死」した方も多かった現実があります。


「寝たら死ぬ」 

その事は、津波被害で助かった方々のほとんどが頭をよぎっていたそうです。


一睡も出来ない状態で、夜明けを待ちました。


暗黒の中、それぞれが色々な事を思い、そして泣き、号泣し・・


津波から難を逃れた方が、記憶が飛び、思い出したくないとも

思っているのが、この時間帯のようです。


その方も、その部屋で残った机の上で、ずっと震えていたそうです。


余震も多く、またいつ津波が来るのか、ずっと怯えながら

一晩を明かしたと言います。


こんなに不安になる暗黒の世界はなかったそうです。

自分1人しか生きていないのでは・・

そういうことまで思ったそうです。


「記憶が飛んでいる、思い出したくない時間」は、

報道でも取り上げられる事はありません。


あまりに辛い時間だった訳です。



そして朝方4時、あたりが明るくなり始めました。


窓の外には、「地獄絵」が広がっていました。

ほとんどの家が消えていて、瓦礫の山が広がっていました。


1階には、上を向いた状態で、目を開けたまま、

亡くなっていた祖父がいたそうです。


その後、自力で避難所に歩いていったそうですが、

朝方にもかかわらず、たくさんの報道陣がいたとのこと。


避難所までの間には、目を覆う光景がいくつもあったそうです。




生かされた命と、失われた命。


その境目はどこにあったのか分かりませんが、

1000年に一度と言われている未曾有の大震災、

その1000年後に生きる方々のためにも、

色々と語り継がねばならない事があります。









Posted at 2011/05/20 03:11:42 | トラックバック(0) | 実話 | 日記
2011年05月14日 イイね!

被災地の人は、温かい

被災地の人は、温かい









頃合いがついた頃に記載しますが、

仕事で被災地の「ある島」に行ってきました。


この島にも10メートル近くの津波が襲来してしまいました。

しかし、驚く事に「死者・行方不明者がゼロだった島」なんです。


島民は、人々の絆が強く、しかも「島民全員が顔見知り」なんですね。


「家に戻ろう」とした人も、半ば強引に「ダメだ、避難だ!」と

避難所に引っ張って行ったそうです。

こういう事、出来るようで出来ませんよね、他の地域では。


津波にも「頭の中での備え」は出来ていたようで、

「大きな地震が来たら高台に逃げる」という意識が完成していたそうです。


それでも、家屋の7割が消失していまいました。


島はですね、ご存じの方も多いと思いますが、

「救援部隊」が遅れたんです。

どうしても「本土が優先」になってしまいます。


そしたらですね、

島の人というのは「食料を買い置きする」習慣があるようで、

避難所に食料を集め、そして津波が来なかった畑から野菜を集める

などして、救援隊が来るまで食料が保ったそうなんです。


仕事できた私たちは「島外の人間」です。

被災地にはいる時はマナーがありまして、

「食料は自分で持ち込む」など、現地に迷惑をかけないというのが

鉄則なんですね。


するとですね、地元のおばあちゃんや避難所の担当の方などが

「昼ご飯」を用意してくれるわけです。


「これ食べさい。 

 朝取れたばかりのほうれん草のおひたしだから~。 おいしいよー」


と、出してくれるわけです。

「あ、いえ、おにぎり持ってきていますので、みなさんで・・」

「いいから、それは持って帰って、土地のものを食べさい♪」

となるわけです。


「おもてなし」 です。


被災が起ころうと、起こるまいと、「島外の人間は、お客様」なんですね。

観光地でもあるからだと思うのですが、

そういう感覚が強いのだと思います。


現地で食事を出して頂くほど、

津波被災をしていない、そして物資も安定した本土からの私たちは、

ものすごく気が引けてしまう気持ちになるんです。

「貴重な食料を、スタッフで食べるわけには・・」と。


しかし、その方は言います。


この食料は、復興のために来てもらっている方々の分も含んでいると

思っているんだから、と。

これ食べて、精を付けて、お願いしますね と。


涙が出るわけです。


よく芸能人やスポーツ選手が被災地を訪れると、

「逆に元気をもらってしまった」というコメントがでますが、

こういう事でもあるんですね。


被災地の方々が、温かいわけです。



私もその1人ではあるのですが、

津波被災地は、「ふるさと」の場所だった方も多いと思います。

自分が「田舎」と呼べる場所。


その田舎は「そこに住む人がいてこそ」です。


亡くなった方も多いなか、生かされた方々も多いです。


田舎の風景は消滅してしまいましたが、

「現地の人こそが、本当のふるさと」ではないのかと感じた、

ある島の貴重な仕事でした。




























Posted at 2011/05/14 03:25:06 | トラックバック(0) | 実話 | 日記
2011年05月09日 イイね!

経験が、裏目に出た津波被害

経験が、裏目に出た津波被害








この写真、なんだと思いますか?


実は、JRの在来線の「線路上」なんです。

普通のあぜ道に見えるこの風景には、

本来あるはずのレール・枕木・架線・敷石などが全くありません。

この写真の逆側には、列車も転覆しています。



私の母親の話ですが、

母の実家は「石巻市渡波」という場所に実家がありまして、

祖母は東京にいたため「空き家」にしていましたが、

今回の津波で、すべて流されてしまいました。


このエリア、最近ようやくテレビ取材が入るようになりまして、

理由は「地盤沈下で、陸が海になっていた」ということで、

入っていけなかったんですね。

大潮の時期は、1日2回、どっぷりです。


母親などは、この地で1960年に「チリ地震津波」を経験していまして、

地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6mの津波が、

三陸海岸沿岸を中心に襲来、142名が死亡しています。


この世代は、このチリ地震津波を経験しているため、

「大きい地震が来たら、逃げる」という頭があったそうです。


それでも今回の津波はそれを軽く上回り、

このエリアでも、家の2階まで完全に浸かったそうです。

犠牲者も多く出ました。


避難場所に1度入ったのに、

「誰かを迎えに行って、そのまま帰ってこなかった」

という被害も、非常に多かったそうです。



名取市などのエリアでは、

「津波がここまで来るとは思わなかった」という、

海から川を逆流するなどして10キロ近く、

陸だけでも5キロ近く浸水しました。


津波が未経験のための「来るとは思わなかった」という想像。


そして一つ、邪魔な経験をしていた事があります。


前述した「チリ地震津波」、1960年だけではなく、

昨年の2010年の2月27日にも「チリ地震津波」が

日本に到達しているのを憶えていますでしょうか?


津波警報・注意報も発令されました。

もちろん住民は、避難もしました。


今回の津波で壊滅した街、「陸前高田市」で、

最大1.9mを記録しました。


しかしこの時、地元の人たちは「大したことがない」というイメージを

少し持ってしまったといいます。


さらにこの年、違う日にも「津波注意報」が出て、

避難した住民が多くいました。


昨年に、皮肉にも

「津波警報・注意報」で振り回されたと感じた住民が

多かったようなんです。


これが今回の大震災、

昨年のチリ地震津波の経験が頭に残っていたため、

「津波は来ないだろう」という「逆効果のイメージ」を与えてしまった

要因が多くあったといい、

「家の中で、強い地震の後片づけをしていた住民が多かった」

そうです。


遺体は「自宅」で見つかった方が多かったというのも、

この逆効果が裏付けている可能性も高いようです。




そして場所によっては、意外な事も起こっていたそうです。


津波が来る前、「海はどうなる」と思いますか?


誰もが「1回、引く」と思ってると思います。

私もそう思っていました。


これは、「誰かが経験したもの」を、

引き継がれて知っている知識ですね。


しかし今回の津波では、

「波が引かないエリア」が、何箇所もあったようなんです。


実際、少しは引いたと思うのですが、

「引いたように見えなかった」のでしょう。


津波は、ほとんど水かさを変えない状態で、

ドンと一気に水かさが増し、

瞬く間に街を飲み込んでいきました。


至る地域に、

「波が引いたら叫んでくれ! その時に逃げるから!」と、

いったん高台に逃げているのに、1度、家に戻るという

行動を取った方が、かなりいたそうです。


津波は警戒していましたが、

「波が引いてから、津波は来る」という知識が、

完全に裏目に出てしまいました。


高台に残っていた方は、

波が引かずに水かさが上がった事で、

その時に叫んでも、遅かったと言います。



「助けられなかった」


そう感じている、「生かされた方々」は、非常に多くいます。





「経験や知識が、裏目に出ていた」という、

未曾有の東日本大震災。



南北に500キロ近くの範囲で起きている「津波被害」。


こういう事例も「ごく一部」のことで、

予想外の経験をしている方は、もっといるはずです。



Posted at 2011/05/09 02:18:15 | トラックバック(0) | 実話 | 日記
2011年05月07日 イイね!

津波被害の甚大さ 興味本位で被災地に入る人々

津波被害の甚大さ 興味本位で被災地に入る人々









東日本大震災での津波被害は、

皆さんもご承知のように「甚大なもの」でした。


天皇陛下が先日、宮城県で初めての避難所訪問で訪れた

「南三陸町・歌津地区」。


ヘリコプターで着陸した場所が、この歌津地区でした。


天皇陛下が黙礼されていた場所が、この写真の場所です。



歌津バイパスの「歌津大橋」が、津波で流されています。


そして、私が立っている場所こそ、

その歌津バイパスの「橋桁の道路の上」なのです。



仕事で来ているとはいえ、取材班も言葉は出ません。

そしてファインダーを覗きながら、涙が出ます。


知っている土地ほど、衝撃は大きい訳です。


そして、仕事で来ている私たちが分からないのが、

「津波が来ていた、その時の状況」です。


地元で撮影している方がいらっしゃいました。

これは、後世まで残すべき記録です。

これを無駄にしてはいけません。






ハル春の、このブログの同郷の友人も書いていましたね。


津波被災地に、観光気分で現場に踏み入れる若者がいる事を。


私も何人も目撃しました。

津波被災地をバックに、ピースサインで写真を撮る大馬鹿野郎もいました。



仙台から石巻方面、そしてそこから北へ進む湾岸道路は、

この写真のように橋桁が落下し、

現場に行くのも大変な場所が多い現状があります。


そして、復興支援の方々も多くいるため、

「大渋滞を引き起こす現実」も多くあります。


仙台から石巻まで、1時間もあれば本来行くはずが、

渋滞で倍以上の時間がかかることも多い訳です。


その中に、「興味本位」で立ち入ってくるクルマが、

その原因の1つになっている事が分かると、

怒りも出てくる訳ですね。


遊び半分ではなく、「経験として」というのも、

分からないではありません。


これを見ることによって、今後再び津波に襲われるようなことがあれば、

現場を見た人は「対処方法」が、分かるはずです。



しかし、未だ行方不明の方が1万人以上、いる訳です。

残酷な話、望みはまずありません。


私たちも、仕事で踏み込んでいるとはいえ、

地面の土砂・ヘドロ・瓦礫などの下に、亡くなっている方がいる

可能性は大いに高いと思っています。


踏んでしまっていることもあったと思います。


そんな、悲惨な場所なんです。


そして、すでに収容されているご遺体が、

興味本位で立ち入ったその場所が、発見現場だったという事も、

普通の事なんです。



未だ、自衛隊の方々、家族の方々などが、

現場で捜索しています。


その気持ちを踏みにじらないで頂きたい。



マスコミでも、日本全体の評判が落ちる懸念もあり、

こういう事は大々的に報道していません。



察して下さい、今の若い方々。




Posted at 2011/05/07 04:56:27 | トラックバック(0) | 実話 | 日記

プロフィール

「生きてるだけで、まるもうけ♪」
何シテル?   11/12 21:36
車とバイクがなかったら、つまらない人生になっていたのでしょう。 でも多趣味、そして感化されやすい性格なので、気に入ればいろいろなものに影響されるわたくしです。
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