結局、アップ⤴️までに2ヶ月も掛かるという体たらく😅
城めぐりのラストを飾るのは、続日本百名城のひとつ洲本城🏯へ🚐💨
洲本城🏯は、淡路島北東部に聳える標高133mの三熊山の麓の「下の城」、山頂の「上の城」を東西の登り石垣で繋いだ平山城で、東西800m、南北600mと西日本最大級の総石垣造の曲輪が遺されている👏
築城は室町時代、紀州熊野水軍の頭領であった安宅治興(安宅冬康の養父)によるもので、羽柴秀吉の淡路攻め以降、仙石秀久〜脇坂安治〜藤堂高虎〜池田輝政〜蜂須賀至鎮と錚々たる面々が淡路を治めたことから、大阪湾、紀淡海峡防備の重要拠点だったことが伺える😳
先ずは下の城☺️
石垣や堀は蜂須賀氏が淡路支配の拠点を由良城🏯から洲本城🏯に移した寛永年間(1630年代)以降の築造と云われる🤔
打込接の石垣が見事な東隅櫓👏
大阪の陣の戦功により淡路をも支配下に置いた徳島藩の蜂須賀至鎮の筆頭家老 稲田示植は当初の由良城🏯から洲本城🏯に本拠を移し、下の城に政庁機能を集約した🤔
この移転は城下町ごとの大移転となり「由良引け」と呼ばれている😳
石垣と堀に守られた下の城には、洲本市立淡路文化資料館、検察庁、裁判所、税務署、法務局などがあり、現在の洲本の政庁の中心でもある😳
西隅櫓👏
洲本八幡神社⛩
千年以上の歴史ある神社⛩で、御祭神は誉田別尊、配祀神として比咩神・大帯姫神・闇靇神を祀る👏
手水舎の吐水龍🐉は腕も角もなく蛇みたいだ😳
隋神門👏
拝殿☺️
金天閣は洲本城🏯下の城にあった御殿の一部、玄関と書院のみを移築した建築遺構だ👏
玄関の唐破風と建物のアンバランス感がハンパない😅
洲本八幡神社⛩境内から望む三熊山の頂には、洲本城🏯模擬天守が聳える👏
車で上の城へ🚐💨
上の城は連郭式と梯郭式を合わせた様な自然地形を巧みに活かした縄張で、「賤ヶ岳七本槍」の一人である脇坂安治が城主の時代、大阪湾・紀淡海峡の防衛のため、豊臣秀吉の居城大阪城🏯の出城として、天守の増改築に加え、山城と平城を繋ぐ登り石垣を築いた🤔
手前の駐車場に駐め、車道を進むと見事な野面積みの石垣が現れる😳
腰曲輪の二段石垣👏
低い石垣を二段に築くことで高く見せようとしたことが伺える😁
大手門☺️
この先はヘアピンカーブになっている😳
先ずは水の手郭へ🚶♂️
山城の生命線である水💧
洲本城🏯の本丸の南東の谷には、枯渇することがない水源「日月の池」がある🤔
近くには底に日月☀️🌕の彫り物があるとされる「日月の井戸」も掘られている😳
水の手郭を後にし、ちょっと戻り大手筋へ🚶♂️
南の丸隅櫓👏
南の丸南東部の石垣は、4mほど拡張されていて、稜線が二重になっている😳
櫓門跡👏
振り返って見る櫓門と南の丸隅櫓👏
山里郭は工事中🚧
本丸石垣👏
山城とは思えぬ立派な本丸石垣👏
洲本城🏯の大石段👏
戦国時代の城でありながら、規模が大きく見事な大石段は往時の洲本城🏯の威風を感じさせる👏
大石段を上がった本丸虎口は、本丸への直進を拒む屈曲した内枡形を構成している👏
礎石が遺っている😳往時は門を構えていたのであろう🤔
大石段を下りて本丸外周へ🚶♂️
南の丸☺️
本丸石垣を南の丸側から📸
洲本城🏯では、本丸・天守台の石垣に慶長時代の穴太積みが用いられている👏
な、なんと‼️通行止め😱
西登り石垣が見られない😭
2021年8月の豪雨☔️によって崩落した石垣の修復作業をしている☺️
400年以上もの間、風雨に耐えて来た石垣を崩してしまうとは、近年の豪雨☔️は異常なんだと改めて思わせられる🤔
搦手口の石垣👏
搦手口から見る模擬天守☺️
やっぱ模擬でも天守があるっていいな😊
嘗ての洲本城🏯本丸には、大天守と小天守を続櫓で繋いだ連結式天守が聳えていたと考えられている🤔
天守台の石垣も穴太積みの堅牢なつくりだ👏
乱積みと異なり横目地の模様が入る🤔
搦手虎口👏
正面の石垣には大きな鏡石が見える😳
右に折れて本丸へ🚶♂️
搦手虎口・天守台を振り返る☺️
徳川幕府によって脇坂安治が伊予に転封される際、洲本城🏯天守を伊予国大洲城🏯へ移築したという
説もある😳
大洲城🏯と洲本城🏯の本丸石垣の大きさに加え、大天守・小天守の配置が同じであること、古文書に「大津」の地を脇坂安治が「大洲」に読み替えたとあることから、信憑性は高いとも言える🤔
本丸の小さな社は「佐渡の団三郎狸」「屋島の禿狸」と並んで「日本三名狸」に数えられる「洲本の芝右衛門狸」を祀る「芝右衛門大明神」⛩
小天守台👏
三熊山の北面の断崖絶壁に建つ天守台の石垣からは紀淡海峡の絶景を一望出来る😆
なお、天守台からの眺めは「大浜を大観」として「洲本八景」に認定されている👏
西に目をやると、眼下には碁盤の目のような城下町が広がり、遠方には「淡路富士」と称される「先山」を望むことが出来る👏
この淡路島は『古事記』でイザナギ・イザナミが最初に作った島、国生みの島として紹介されているが、この「先山」は最初の山とされている😳
天守台に聳える竜宮城の様な展望台は、昭和天皇の即位式「御大典」を記念して、1928年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート製の模擬天守だ😳
現在は中に入ることが出来ない😅
天守台から搦手と本丸虎口を望む👏
小天守台からは山里郭と奥には東の丸の二段郭が望める☺️
樹洞に祀られるお地蔵様🙏
山里郭下の八王子木戸☺️
山里郭の石垣を左に折れると、本丸小天守台の北東隅に「欠け」を見ることが出来る😳
鬼門除けの石垣だ🤔
ズラッと十二支の干支が祀られている神社⛩が並ぶ😳
見上げると山里郭の石垣👏
鬼門除けの石垣の下、『君が代』でお馴染みの「さざれ石」の巨石に押し潰されそうな岩窟に鎮座する八王子神社⛩は、1526年に安宅治興が城を築く際、祇園五男三女の神を祀り、城郭の鎮守としたと『淡路国名所図絵』に記されている🤔
因みに、五男三女神とは、天照大御神と素戔嗚尊の誓約の際に生まれた五柱の男神(天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)と三柱の女神(多紀理毘売命・市寸嶋比売命・田寸津比売命)のこと、即ち「八王子」を云う☺️
厳かで神聖な雰囲気が漂う八王子神社⛩タマらん😆
東の丸の石垣👏
東の丸二段郭👏
二段郭からの絶景😆
二段郭の石垣👏
仙石秀久の時代に築かれたとされる城内最古級の東の丸二段郭の石垣👏
どこか小諸城🏯の天守台を彷彿とさせる😆
武者溜へ🚶♂️
本丸以外の場所は誰も居なく貸切状態😁
東二の門👏
本丸と水の手を守る重要な石垣と門だ🤔
武者たちが勢揃いした武者溜🚶♂️
断崖絶壁に沿って2m程度の低い石垣で囲われている👏
石垣の角は通常90度だが、鈍角に築かれた鎬角が多く見られる👏
東一の門☺️
淡路水軍の出兵する門であったとされる👏
武者溜から望む東の丸高石垣👏
東の丸高石垣👏
文禄・慶長初期の石垣とされる😳
ただ、この巨石はどこから来たのだろう🤔
「東登り石垣は危険だから見れない」「西登り石垣も工事で見れない」と思って意気消沈していた所、東の丸高石垣の先を覗いたら、東登り石垣が見えた😆
洲本城🏯には、上の城と下の城を結ぶ登り石垣が現存する👏
洲本城🏯には東西に2条の登り石垣があり、攻め寄せる敵の横移動を妨害する役割の他に、補給や逃走経路の確保の目的があると考えられている🤔
松山城🏯・彦根城🏯・洲本城🏯と全国で3カ所しかない数少ない遺構で、朝鮮出兵の際の倭城築城の経験から脇坂安治が洲本城🏯に採用したと考えられている👏
洲本城🏯の登り石垣だけは二十数段の階段状に築かれている😳
秀吉の大坂城🏯守護のために築かれた総石垣の城郭はまさに圧巻で、特徴的な登り石垣がより強固な城へと昇華させている😆
洲本城🏯お見事でした👏
新幹線🚄で「神戸のすき焼きとステーキ弁当」を食しながら、一人悦に入って城めぐりの成果を愉しむ😆