
前回の攻城では、年に一度の大掃除🧹に当たってしまい、天守閣に入れなかった伊予松山城🏯にリベンジ攻城😎
前回のブログも良かったらどうぞ🙇♂️
2021年12月15日の伊予松山城めぐりを参照

「伊達真鯛のあら炊き」美味しゅうございました🙏
新居浜の夜🍻👯♀️を楽しみ、翌日もきちんとお仕事を終えて、松山に戻ると松山城🏯天守の営業時間にギリギリ間に合いそう🤩
ダッシュで松山城🏯へ🏃♂️💨

松山城🏯は標高132m、比高90mの勝山(味酒山)に築かれた連郭式平山城で、現存十二天守のひとつに数えられ、日本三大平山城や日本三大連立式天守にも名を連ねる👏
築城は1602年、賤ケ岳七本槍の一人、加藤嘉明が、勝山山頂に五重天守🏯を持つ本丸を置き、山麓に二之丸を設けたが、城の完成を見ることなく国替え、その後蒲生氏郷の孫の蒲生忠知が入り二之丸を完成させた🤔
伊予松山城🏯には5つの日本一があり、この着工から完成までに26年という歳月をかけた築城期間は、日本最長と云われている😳

三之丸水堀🤔

三之丸から眺める二之丸と頂上の連立天守👏
伊予松山城🏯の日本一の第ニは、本丸と二之丸の高低差が90mもあることだ😳

二之丸史跡庭園にも行きたいが、時間がない💦

県庁裏登城道から攻城開始‼️
天守入場締切まであと30分🏃♂️💦

二之丸から山頂に向かって延びる南登り石垣👏
一番高い部分で高さ10mに達する😳

南登り石垣の上に櫓台が見える👀
古絵図を見ると入道櫓(二之丸巽櫓)のようだ🤔

伊予松山城🏯の日本一の第三は最も規模の大きい登り石垣👏
登り石垣を有した城は、洲本城🏯(現存なし)・彦根城🏯・伊予松山城🏯の3城のみで、伊予松山城🏯の南登り石垣は完全な状態で保存されていて、長さ233mの規模を誇る😳

二之丸の南と北の端から斜面を登る二本の石垣が山頂の本丸まで延びる「登り石垣」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、倭城築城で採られた防備手法と云われ、安骨浦城🏯(倭城)を拠点としていた加藤嘉明は、その経験から松山城🏯築城に際しても、二之丸〜本丸間の防備として「登り石垣」を用いたと云う🤔

長者ヶ平に出て本丸へ向かう🚶♂️💦
聳え立つ本丸高石垣にテンション爆上がり⤴️⤴️⤴️

前回の攻城では工事中だった巽櫓😆

本丸で最も高い17mの高石垣の上には隠門続櫓が見える👏

高石垣を右に折れると左手には大手門跡👀

正面には太鼓櫓が聳える☺️
櫓台の石垣の勾配がタマらん😆
大手方面からの敵の来襲を太鼓を鳴らして知らせたことから太鼓櫓の名で呼ばれている🤔

本丸正面の筒井門に敵を誘い込むために扉がないことから名付けられた重要文化財「戸無門」🤔
左上には筒井門続櫓が見える👏
大手門から南→北→南とジグザグに進むことになり、松山城🏯の防御力の高さが窺える🤔

筒井門続櫓と隠門続櫓👏
このトラップが凄い‼️

戸無門から雪崩れ込んだ敵は東に折れて手前の筒井門で足止めをくらう🤔

その隙に櫓台の裏側にある隠門から敵の背後を襲撃する😳
隠門の名の通り、両側の続櫓に隠れる様に口を開け、隠門続櫓と共に重要文化財に指定されている👏
仮に筒井門を突破したとしても…

筒井門を抜けた正面には高さ6.9mの石垣が立ちはだかる😳西には太鼓櫓が聳え、東には太鼓門と巽櫓が迎え撃つ👏
太鼓門は東側に口を開けており、寄せ手からは見えないため、ここで勢いを失った敵は、太鼓櫓と太鼓門を繋ぐ24.4mの太鼓門西塀に備えられた21ヶ所の鉄砲狭間からの攻撃に晒され一網打尽となる😱

隠門も内側から📸
幾つものトラップ🪤が仕掛けられた筒井門が、本丸の最終防衛ラインとして如何に重要な位置を占めていたかがわかる🤔

巽櫓は、高さ約5mの石垣上の一線に構築される太鼓門・続櫓・太鼓櫓と防御単位をひとつにする😳

太鼓門をくぐり、いざ本丸へ🚶♂️
天守入場時間に間に合った〜💦

現在も残る本丸井戸は深さ44m😳
松山城🏯の本丸の削平地は、勝山の南北2つの峰を埋め立てて築いたもので、谷底にあった泉を井戸として残したらしい👏
当時の技術では掘ることができない深さらしいが、もっと古い時代の丸亀城🏯の井戸は65mだったなぁ🤔

屏風折れの石垣上に威容を誇る連立天守👏
伊予松山城🏯の日本一の第四は美しい石垣🤔
美しさは個人の感じ方にもよるが…😅

Google Earthで「屏風折れの石垣」の美しさを見ると、なるほど納得☺️

山頂の本丸北には本壇という天守曲輪を持ち、大天守・小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓で連結した連立式天守を成している👏

紫竹門・小天守・大天守・一ノ門南櫓のお馴染みのショット👏
かつては、五層六階であった天守は、落雷⚡️による焼失🔥を二度経て、1852年、黒船来航の前年に竣工した連立式層塔型三重三階地下一階の天守へと姿を変えた🤔
伊予松山城🏯第五の日本一は、日本史上最後に建築された天守、つまり現存十二天守の中で最も新しい天守だ👏

南隅櫓・多聞櫓・小天守を見上げる🙄

搦手を防御する乾門東続櫓〜乾門〜乾櫓👏
重要文化財「乾櫓」は築城当初の二重櫓で、城内最古の建造物だ😳
壁の中に小石や瓦を詰め、弾丸が壁を貫けないように太鼓壁構造となっている👏

左から北隅櫓・十間廊下・南隅櫓👏
北隅櫓は戊亥小天守、南隅櫓は申酉小天守とも呼ばれ、天守に次ぐ格式をもつ櫓で、桁行10間の十間廊下が両櫓を連結している☺️

野原櫓(騎馬櫓)は、乾櫓同様に城内最古の建造物であり、日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型とも云われ、重要文化財に指定されている👏

本壇の 北側の石垣👏

天神櫓西折曲塀下の美しい曲折を魅せる石垣👏

本壇の鬼門にあたる艮門東続櫓と艮門☺️
不浄門とも云われている🤔
本壇の縄張☺️
6棟の櫓、7棟の門、7棟の塀、大天守の計21棟の現存建造物が国の重要文化財に指定されている伊予松山城🏯の中で、16棟が本壇に集中している😳
また、小天守をはじめとする22棟が木造復元されている👏

いざ念願の天守閣🏯へ😆
正面の紫竹門東塀と右上の一ノ門南櫓は現存建造物で、重要文化財に指定されている👏

来るものを圧倒する小天守・大天守・一ノ門南櫓👏
魅せるだけでなく、そこはそれ戦う城なので、矢狭間・鉄砲狭間はもちろん、正面の筋鉄門東塀は「腰袴式」、左右には「戸袋型」の石落としも設けられている😳小天守以外は全て現存建造物だ👏

右に折れて一ノ門へ👏
ここからは目に入るモノ全て現存建造物ばかりの重要文化財ゾーンだ😆
左上には三ノ門南櫓👏

一ノ門をくぐると、正面にはニノ門南櫓👏

振り返ってみる👀
四方を囲まれ、絶対に突破出来んわ😰

左に折れるとニノ門👏

もう一回振り返る👀一ノ門東塀には沢山の狭間があり、外にも内にも防御力の高い仕組みになっている👏

ニノ門をくぐると左手には大天守と三ノ門東塀👏

三ノ門はニノ門からUターンする様な位置取りだ👏
天守閣まで攻め込まれても簡単に大天守まで来ることが出来ないように「七曲り」という仕掛けが施されている😳

三ノ門をくぐり右に折れると天守閣入口正面に石落としを備えていた筋鉄門東塀の内側が見える👏
筋鉄門から先の小天守〜多聞櫓〜南隅櫓〜十間廊下〜北隅櫓〜玄関多聞櫓〜内門は、昭和八年の放火によって焼失🔥
現在は、木造復元されている☺️

筋鉄門をくぐると四方を囲まれた天守広場に出る😳

ここまで青い➡︎を通って来たが、赤い➡︎からの狙い撃ちに何百回死んだろ🥶

大天守内部へ🚶♂️

大天守地下一階穴蔵の天井☺️

現存天守の階段はやっぱりこの角度😊

大天守一階☺️

北隅櫓側から十間廊下を通り南隅櫓へ🚶♂️

小天守二階☺️
右手にあるデッカい矢は上棟式に使用されたモノらしい🤔

小天守から見降ろす天守広場😳
ここに誘い込まれたら、全方位からの一斉射撃を喰らい、一網打尽だ🥶

小天守から見る大天守👏

鬼瓦には久松松平家の「三つ葉葵」の家紋が入り、軒丸瓦には蒲生家の「左三ツ巴」の家紋が入る🤔

連立式天守の内部は迷路の様で、自分がどこに居るのか分からなくなる😅

武者走り☺️

鉄砲狭間😊

大天守三階👏
天守としては、珍しく天井が張られ、襖を入れるための敷居もある🤔
右手の部分は、なんと床の間だ😳

大天守からの眺望👀

久松松平家初代藩主、松平定行所用と伝わる「鉄赤漆塗連山桶側胴具足」👏

初代藩主、加藤嘉明所用と伝えられる「角頭巾形鳥尾飾兜・漆塗佛胴六間草摺素懸縅鎧」👏

ん〜カッコええわ👏

天守広場に出て大天守を見上げる👏

内門の先に見えるのは、現存する仕切門内塀👏

内門を出ると、こちらも現存する仕切門👏

仕切門をくぐった先にある天神櫓👏
本壇の鬼門にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祀ったことに由来する🤔

大天守と仕切門👏
後ろ髪を引かれつつも閉門の時間になり、本壇を後にする🚶♂️

帰りは大手門側から黒門口登城道へ🚶♂️

「さすが大手門」という大迫力の石垣👏

本来の登城口である大手門だが、こちらまでは整備の手が回らないのか😥

黒門口登城道は古城の雰囲気漂う道が九十九折に続く👏

石畳部分は江戸時代からのものらしい👏
だいぶ麓まで降りてきた💦

二之丸が見える👀

二之丸奥門☺️

石垣が見事だ👏

二之丸四足門☺️

二之丸多聞❗️閉門してしまっている🥲

西大砲台石垣👏

伊予松山城🏯最大の門「槻門」の櫓台👏

槻門は、本丸大手への登城道と二之丸搦手への道の分岐点に位置する重要な門で、全国的にも例の少ない三階構造だったと云う🤔

背後の西大砲台の石垣は「北登り石垣」に接続していたと云う🤔

栂門☺️
槻門との間は複雑に屈曲している👏

三之丸から大手道の起点となる黒門👏
今回、念願の天守閣に入り、その蟻一匹通さない防御力に、ただただ圧倒された👏
賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明が朝鮮出兵の経験をも活かし、二十年以上の歳月を掛けて築き上げただけあって、圧倒的な防御力、堅牢さは、まさに戦国の戦う城‼️
松山城🏯お見事でした👏
自腹でもう一泊するので③へ続く