
今回のブログから2024年の話になります。
今年も遅れ気味にアップすることになりそうですが、そういう時はパーツレビューを間に入れてごまかそうと思います😓
さて、令和6年の元旦ですが…今年もここ数年同じ行動をしておりますが、仙台市若林区にある『大沼』で渡り鳥を見に行きました。
スマホとコンデジのカメラ両方で撮影したのですが、この日は風が強くて立っているのもやっとな状態💦雪も無く、気温は暖冬ということもあり高めではあったのですが…とにかく風が強いせいで体感ではかなり寒く感じました。

そのため農業用水として溜めてある水は荒れ模様。渡り鳥はいるのだろうかと少々心配になるくらいでしたが…
風を耐えているような感じでじっとしているか、浮きながら流され気味な感じで鳥達にとっても辛い天候だったかもしれません。

大晦日に洗車したので、バレーノさんはきれいな状態で新年を迎えることができました(^^♪
移動して田んぼの方へ行ってみましたが、今年は鳥達のいる場所が違ったようでゆっくり探してみると…昨年よりは数が少ないような気もしましたが、やや分散している感じでしたね。



田園風景の広がる沿岸部から仙台の中心部を眺める…遠くに見えるビル群の手前で白鳥が落穂拾いをしていますから、ギャップが面白いですね。
行った時間が11時半頃だったので、昨年同様このまま昼食を摂りに家に帰っても良かったのですが…この日はどういうわけか海の様子も見たくて『海岸公園』へ行きました。意外にも駐車場には車が数台停まっていて、何をする人なんだろう?と思ったらサーファーさんでした。


保安林の若々しい感じで育っている方と…
荒れてる(所々枯れてる)方。画像ではあまり実感がわかないかもしれませんが、すでに色からして違っており、周りも荒れ放題で…とはいえ、まだどうにかなりそうな気もするんですけどね。。。
「もらうものはもらったから後は知らない」みたいな感じだったら嫌だなぁ。
いつもそうですがこの国、やったことに対して総括や検証をしないので問題の改善が一向に進まないんですよね。
『言うは易く行うは難し』だということは理解しているのですが…これに対応するかのように『玉虫色の回答』なんて表現も用意されているんですから、重症というか末期かも((+_+))




海はそんな暗い気持ちを洗い落としてくれました(^^♪

『貞山堀』という、江戸時代に築かれた運河。東日本大震災の時にはここも被害を受けているんですが、その復旧工事中に新たな発見もあったりしたようです。
なんにせよ、見識として後世に残せるものは多い方が良いですからね。
公園から、今度は『荒浜』の震災遺構のある場所へ行きました。この日は本当に行くつもりの無い所へばかり行っていて、自分でも「何故元旦というこの日に行こうと思ったんだろう?」と思ってしまうくらいでした。
駐車場には、予想はしていたものの…震災当時住まわれていたであろう方々の車が停まっていました。
そんな時にお邪魔してすみません、という気持ちはあったものの「見ておくぞ」という気持ちが勝ったものでして。
やっぱりこの日の感覚はいつもと違っていたなぁと、今になってみると思いますね。

先ほどの場所からはそれほど離れてはいないものの、こちらの方が海は穏やかでした。
『荒浜記憶の鐘』という、この地を襲った津波の高さを示すモニュメント。自分の立っている場所を、13.7mもの津波が襲ったんだと思うと…ちなみに当時私が住んでいた場所では最大で4.6mだったであろうと言われていますが、それでも家も車も流失しましたから1mの津波であっても馬鹿にはできないんですよね。





新年早々、とても明るい気持ちになるような見学ではないのですが、この日は妙に惹き付けられていました。見学し終えて、家に帰ってからも防災リュックの中身を再確認してましたし…家族からは「元旦にやることか」と言われましたが、午後になって緊急地震速報が。
能登半島沖を震源とするものが何故こちらに?と思いましたが、東日本大震災の時も他地域の方からすれば同じ気持ちになったのかもしれないなぁと思いましたね。
勘みたいなものだと思うんですが、こういうものの研究が進んで危険回避なんかに活かせないだろうかと将来の技術に期待するのでした。
次回のブログは…宮城県南部です(^^♪
Posted at 2024/01/10 19:59:48 | |
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