おはようございます。
昨日は,
「S6君 タイヤ釘貫通事件」の
ご心配いただきまして,ありがとうございまいした。
さて,昨日考えたことを,真面目に書き綴りたいと思います。
題して
「私の考える神様・仏様は?」です。
昨日「なちパパ」さんからコメントに対して,
「神様について,いると思えばいるし,いないと言えばいない。」
と答えました。
その後,
自分の考えを整理したので,
お時間がある方はお読みください。
(理屈っぽいので,お許しを…。)
例1
少年が,こんな願いをしました。
「神様お願いです。僕をプロ野球の選手にしてください。」
普通に思えるこの言葉は
言い換えた方が良い考えます。
添削すると,
「神様お願いです。僕はプロ野球選手になるために練習をがんばるので,けがや病気をしないように守ってください。」
例2
あるサラリーマンがこんな願いをしました。
「神様お願いです。私の給料が上がるようにしてください。(昇進させてくださいでも同意)」
添削すると,
「神様お願いです。私は給料が上がるよう(昇進するよう)に仕事をがんばるので,見守ってください。」
神頼みをするだけで,
自分が努力しないのは,ダメだと思います。
「お賽銭を1億円出すから,寝ている間に神様,俺の願いをかなえてね!」
はダメだということです。
水戸黄門などの時代劇を見ていると,善良な市民が願いを叶えるために,
お百度参りをしたり,
冷たい井戸水や滝の水を浴びたりするシーンを目にすることがあります。
普通だったら,面倒(嫌)でやらないことを,がんばることで願いを叶えるという考え方なのかなと思います。
人は,一度も壁にぶつかることなく夢を実現できることなどないと思います。
野球のイチロー選手は,小さい頃から野球が大好きで,練習し続けていたとききます。
いくら好きな野球だとはいっても,疲れたときは休みたいと思ったのではないでしょうか?
いくら野球が好きだとはいっても,結果がついてこないとき,やめたいと思ったことがあるのではないでしょうか?
でも,
イチロー選手は自分の力でいろいろな壁を乗り越えてきたと想像します。
普
通の人だったらあきらめてしまう状況を,あきらめないでがんばれるのがイチロー選手のすごさなのだと思います。それが分かるから,誰もがイチロー選手を応援するのだと思います。
結局,人間が壁にぶち当たったとき,がんばらなければならないのは神様ではなく自分自身です。
ここで,
「がんばる自分を守ってくれる神様・仏様って?」
という疑問が出てきます。
それは,自分の
家族であり,
友達であり,
近所の人たちであり,
職場の同僚ではないかと考えます。
なぜか。
ある人が目標に向かってがんばっていると知れば,
まわりにいる人は自然に応援してくれるようになるでしょう。
もし,応援してもらえないとすれば,
自分の努力不足か,
まわりの知人に対する
気配り(優しさ)が足らないからだと考えます。
つまり,
壁を乗り越えるのは自分の力(努力)であること,
努力をしてまわりの人が認めてくれるようになれば,
周りの人たちが神様のようになって応援してくれるようになるということです。
この文章を書いていて,
今,気がつきました。
私にとっての神様・仏様の声は,
みんカラ友達のみなさんの声のことです。
なぜなら,昨日のタイヤトラブルを例に挙げるまでもなく,たくさんのみなさんからのアドバイスのおかげで,様々なトラブルを解消できてきました。
極論すれば,まさに神の声でした。
私の努力は,まだまだ足りないと思いますが,
みなさん,これからも私の様々なことについて,
神様のようなアドバイスをお願いします。
あれ?結局,人頼みか??????????
Posted at 2015/08/13 07:58:47 | |
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