• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

バーンスタインのブログ一覧

2017年06月05日 イイね!

そんなに急いで何処に行くんだい?

今日は定例の検査の日でした。
久しぶりに35で病院に行ってきました。

私に行っている病院は外来用駐車場が地下にあるのでフルノーマルの私の35でもマフラー音が響いて・・・
心地よい(笑)
社外品を入れたらもっといい音するんでしょうね。

弄りたい欲が頭をもたげますが、なにせ今月はBREITLINGを買ってしまったので来月は三桁引かれます・・・
我慢我慢・・・・(涙)

さて、帰りは寄る所も特に無かったのと下道で帰るのが面倒になって高速に乗りました。
そこでの出来事。

基本、私は高速に乗ってもメーター読み95キロ位でクルコンをセットして、あとは左車線をのんびりと走っています。
右車線を通過して行く車を見るのも結構楽しみでたまに矢のように飛んでいく欧州車を見ると「やっぱりすごいよなぁ」と実感させられてます。

今日も左車線をノンビリ。
すると前方にタンクローリーが80キロくらいでしょうか。走行しておりました。
「あぁ、これは追いつくな」と思い追い越し車線に移りましたが、私が移る前にトラックが追い越し車線を既に走行しており、その後ろに乗用車数台が連なっている状況です。
トラックは90キロリミッターが付いているからだと思いますがジワジワとタンクローリーに近づいて行きます。
まぁ、しょうがないですね。
私は追い越し車線の最後方へレーンチェンジし、鈴なりの車列にくっついていきました。
(こういう時、全車速追従クルコンなら楽でしょうね)

そうしたら後ろからデイライト?を点灯してエラい勢いで迫ってくる背の高い、黒の車がありました。

現行ト○タ・ヴェ○ファ○ア。

ま、先が詰まっているのは背高な車だから分かるだろうし、タンクローリー抜いたら左車線に戻るから待っててと思っていたのですが、バックミラーで見ると妙に車間が近い(笑)
おいおい、パッシングまで始めたぞ(笑)

うーん、ミニバン乗りは悪い人が多いとは言わないけどさぁ、前方の状況見て抜けないの分からないの?
それにしてもヴェ○ファ○アの顔って怖いなぁ、グリルでけぇなぁ、メッキパーツてんこ盛りだなぁ等と煽られながら観察してました。

で、タンクローリーを抜いて、左車線に戻ると今度はそのヴェ○ファ○ア、並走してこっち見てるんですね。
助手席には奥さんなのか彼女なのか若い女性、ドライバーも若い男性。

「あのー、お宅私と並走しているとお宅の後ろの車迷惑してますよ」(笑)
なにかGT-Rに恨みでもあるんでしょうかねぇ。

そうかと思ったら減速して私の後ろに入りましたが、またもや車間が近い(^^;)
パッシングしても退かなかったから頭にきているのかしら?

さすがに私もちょっとイラッと来まして。
「そういや最近、VR38君にムチ入れてないなぁ。かったるいばかりじゃスラッジも溜まりやすいしなぁ←いつの時代よ(笑)燃焼温度、上げてやるか」

一応、記念写真撮影機が無い区間な事も分かっていましたし、レー探もちゃんと動いているのを確認。
ということでクルコンをOFFにし、追い越し車線に移るとヴェ○ファ○アも案の定ついて来ました(笑)

では。いざ。

やっぱりGT-Rはすげぇと自分の車なのに驚きますね、あの加速。
「ボー・・・グゥオワー!ガシュン!グォワァー!ブシュッ!グオワァー!」
この音だけで十分です(笑)

メーターを見ますと、ヤバイヤバイ(汗)
あれ?ヴェ○ファ○アは?
あー後ろで頑張ってるねー、でもサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ(淀川長治風)

家の方向のJCTが近づいて来たので減速、いつものまったりモードへ。
でも結局ヴェ○ファ○アはバックミラーにもう映りませんでした(汗)
ちょっとやりすぎた・・・

まったりモードで運転しつつ
「あの後、あのカップル、会話無いだろうなぁ、険悪なムードになったかなぁ。ちょっと大人気なかったなぁ」と自省しました(笑)

でも「やっぱりあのスピードでも全然怖くないなぁ。エンジンやらミッションやらブローオフ?やら賑やかだけどいい音だなぁ、でもオーディオが聴こえなくなったなぁ、Rモードにしてみりゃよかったなぁ」と思ったのも事実です。反省してませんね(笑)

でも、フッと思いました。
「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」(笑)

どんな怖い顔をした車でも前が詰まっていたら譲ることは出来ません。
前方がオールクリアなのにチンタラ走っているのはそりゃ怒られますが・・・

それに35と言えど私の車にはリミッターついているから外車様には譲ります(笑)
というか追い越し終わったら走行車線(左車線)に戻るのは当たり前の事ですしね。

なんだかミニバンが嫌いになりかけましたが、こういう謂わば「DQN」ドライバーは少数派でしょうから・・・
本来は家族が楽しい時間を過ごすための車ですしね。

まぁ今日のヴェ○ファ○アのドライバーもいい勉強になったことでしょう(笑)

あ、決してミニバンにお乗りの方を攻撃するような事ではありませんよ。

そして今、ブログを書きながら・・・
「リミッター解除したい・・・エアクリ替えたらもっと吸気音ががっつり・・・マフラー替えたらどんな音かしら・・・いや、足回り換えたらフラットライド感がもっと増すかも・・・」
等とどこからか悪魔がやってきて囁いています(大笑)

でも、ノーマルでもまだまだ乗りこなせていませんし、ノーマルの味わいをもっと楽しみみたいと思い悪魔を振り払ってます(^^)

本日も長文、乱文失礼いたしました。
最後までお読み頂き、また皆様から沢山のイイね!本当にありがとうございます。
Posted at 2017/06/05 16:59:33 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2017年06月04日 イイね!

忘れ去られた「国際的日本人ミュージシャン」

今日は一日、音楽三昧の日でした。

NHK-FMが一時から見るとクラシック番組が減ってしまったのが残念ですが、FMとCDと一日、聴いておりました。

さて、我が国は世界に誇るミュージシャンといえば皆さんは誰を思い描きますか?

「世界のオザワ」こと小澤征爾、「坂本教授」こと坂本龍一、「ジャズの女王」穐吉敏子、「音響の魔術師」富田勲、「ノヴェンバー・ステップス」武満徹等が「日本人の世界的音楽家」と言えるでしょうか。
(ポップやロックの世界はよく分かりません・・・申し訳ありません)

しかし、もう一人、戦前に世界を股にかけた活躍をしながら、戦後、ほぼ忘れ去られた存在になってしまった一人の音楽家の話です。

その人の名は「近衛秀麿」(このえ ひでまろ)。
オーケストラ指揮者、作曲家です。

近衛という名字でピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、五摂家筆頭の近衛家の御曹司であり、兄は戦前~から戦中に我が国の首相を努めた近衛文麿という華麗なる(というより華麗すぎる)一族の方です。

近衛の功績は現在のNHK交響楽団(日本を代表するオーケストラ)の前身「新交響楽団」を設立し、我が国に「オーケストラ」の先鞭を付けたこと。
因みにこの「新交響楽団」にはあの「黒柳徹子」さんのお父さん「黒柳守綱」さんが重要なポスト「コンサートマスター」として在籍していました。
(コンマスは非常に端折った言い方をすれば団のまとめ役。また指揮者の意図を汲んでオーケストラを統率する役割です。)

しかし、この方、戦前の活躍を見ると凄いのです。

今でも世界最高のオーケストラとして語られる「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」での演奏会を日本人では2番目に行い(日本人最初は作曲で有名な山田耕作)、その後ヨーロッパで八面六臂の大活躍。

その後渡米しアメリカではストコフスキー(古い洋画好きの方ならディズニーの「ファンタジア」、D・ダービン主演の「オーケストラの少女」に出演していた白髪の指揮者と言えばわかりやすいでしょうか。当時のアメリカでは大統領、チャールズ・チャップリン、レオポルド・ストコフスキーが「逢いたくても逢えない男性」TOP3だったそうです)に認められ全米のオーケストラに「近衛を指揮させるように」とお触れが出たり、かのトスカニーニ(言うまでも無く20世紀最高の指揮者の一人)の為にNBC放送が金の力で全世界から有能な奏者を集めた「NBC交響楽団」の副指揮者に指名されたり・・・
最早、音楽家の頂点に近い所まで戦前で到達しちゃってます(笑)

しかし、この輝かしいキャリアは太平洋戦争の機運が高まってしまいアメリカでの活動は全てキャンセル。
仕方無く活動の場を再びヨーロッパに移し、かのベルリン・フィルとの録音や数々のヨーロッパの著名なオーケストラを指揮するなど、その活躍はとどまる所を知りませんでした。

当時、我が国はドイツ(言うまでも無くナチス統治下の第三帝国)と同盟関係であり、しかもその同盟国の首相の弟ということがあったことを割り引いて考えても、このような八面六臂ぶりは戦後の小澤征爾の登場まで待たなければなりません。

ヨーロッパでは「グラーフ・コノエ」(近衛伯爵)として社交界でも華々しく活躍、どこへ行っても大人気だったようです。

ただ、この近衛、同盟国の首相の弟だからナチスの政策に協力していたのではないかと思われる方もいるかもしれません。

しかし、彼は迫害されるユダヤ人の保護地下活動に協力していたのです。
これは2年位前でしたかBS-1で「戦火のマエストロ」として放送されました。
ナチス統治下でのユダヤ人保護と言えば「シンドラーのリスト」で有名になったオスカー・シンドラーや在カウナス領事だった杉原千畝が有名ですが、近衛も「ナチスの人種差別的政策には全く賛同できない」と手紙に残しているとおり、音楽家・同盟国の首相の弟、そして貴族という仮面をかぶりながらユダヤ人の保護に奔走していたのです。
結局、その活動もナチスに露見することとなり警察に勾留されたり(しかしVIPな事が分かって直ぐに釈放)、ドイツ国内での移動を秀麿の活動を快く思わない駐ドイツ大使だった大島浩に禁じられます。

ちょっと話が脱線しますが、当時の我が国はナチス・ドイツと同盟国でした。
ということはユダヤ人に対して厳しい態度を取っていたのではないかと思われる方も多いかもしれません。
しかし実際はそうでも無かったようです。
当時のドイツからユダヤ人が亡命する際、通過地として選んだ国に日本を選んだ方々がかなりあり、ドイツから一旦日本に渡り、その後他国へ亡命する人や、そのまま日本に滞在した人も相当いたようです。
一応「敵性外国人」とはなっていたようですが強制収容所に入れられることも無く、自由の制限こそあれ、ドイツに留まるよりはるかに安全だったそうです。

また「河豚計画」なる当時、日本が統治していた満州にユダヤ人自治区を建設し、そこにユダヤ人を居留させる計画を当時の日本政府が真剣に検討していたことも分かっています。
歴史にifは禁物と言いますが、この河豚計画が実行・実現していたら現在のパレスチナ問題は違ったかたちになっていたのかもしれません。
(勿論、我が国の敗戦により満州国自体が雲散霧消したのですから、パレスチナの地を彼らはどのみち目指したとは思いますが)

話を元に戻します。
やがてドイツの敗戦に第三帝国崩壊。
近衛は自ら進駐してきたアメリカ軍に出頭、勾留・取り調べを受けることになります。
近衛はそこで自らが行った活動を積極的には供述しなかったようです。
貴族のプライドなのか、それともまだ日本は負けていないという意識があったのか・・・

この取り調べにエピソードの中に私が好きな話があります。
取調官に「子供は何人いるか?」と聞かれた近衛。
返事が無く「何故、答えない?」と聞くと。

「待て。今、何人いるか数えているところだ」

と答えたという話(笑)
取調官は絶句したそうです・・・

前述の輝かしい出自、栄光の日々を考えればモテるのも当然ですね(笑)
貴族の娘やら当時人気絶頂だった女優やら、京都一の美貌と言われた芸姑さんやら・・・
「英雄、色を好む」とはまさに。
判明しているだけで7人のお子さんがいたそうです。
まぁ、その他にもいたのでしょうね(^^;)

間もなく日本も無条件降伏し、敗戦を迎え近衛も帰国します。

帰国直後、首相を退いていた兄の近衛文麿と再会した秀麿はこう言われたそうです。

「お前は音楽をやっていてよかったなぁ・・・」と。

文麿自身も学者になりたいと思っていたようですが、近衛家の長男が自分の好きな道に行く事など出来るわけも無く、政治家になったからでしょう。
ですから文麿は自分のできなかった夢を好きな「音楽」の道に進んだ弟にその希望を託すと同時に援助を惜しまなかったのでしょう。

そういう会話をしながら兄弟で久方ぶりの酒を酌み交わした夜、兄・文麿は自決しました。

この後、秀麿は戦後間もないころこそ我が国の音楽文化復興に尽力するのですが、自分が設立に携わったNHK交響楽団にも殆ど招かれず、自分の資産をはたいてオーケストラを作るも資金を持ち逃げされたり、詐欺にあったりと戦前の栄光に満ちた日々とは真逆の日々を強いられることになります。
また、かつて自分が活躍したヨーロッパやアメリカからも戦後の混乱期故か、客演の声もかかることもありませんでした。
そのうち、新進気鋭の音楽家達が綺羅星の如く登場し始め、秀麿の存在は忘れ去られて行きました。

1973年、秀麿はその栄光に満ちながらも晩年は不遇だった人生に幕を閉じました。

最後に近衛の逸話をもう一つ。
小澤征爾が「世界のオザワ」となり世界中を飛び回っていた頃、外国のどこに行っても「お前はここに来た日本人では二人目だ。最初にここに来たのはグラーフ・コノエだった」と言われたそうです。

海外旅行等、夢のまた夢だった戦前。
海外を飛び回り「近衛伯爵」として「世界的ミュージシャン」の嚆矢となり、プレイボーイだった秀麿。

彼がいたからこそ、ジャンルを問わず、現在の日本のミュージシャンの世界での活躍は有るのかもしれません。
晩年は不遇だった彼ですが、きっとあちらの世界で今の日本人ミュージシャン達の活躍を見てニンマリしていることでしょう。

それと・・・
きっと、綺麗な子、かわいい子にもチェックを入れていると思います(笑)

自分の好きなミュージシャンの、その人となりを知ると更に音楽がいい意味で違って聴こえるかもしれません。

相も変わらず、本日も長文・乱文、脱線失礼いたしました。
最後までお読み頂き感謝いたします。
Posted at 2017/06/04 20:59:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2017年06月03日 イイね!

今話題の「忖度」について

今日は家でゆっくりとしています。

テレビを見ていると例の某学園の騒ぎを報じてますね。

今年話題になっている「忖度」。
これ、霞が関では当たり前の事です。

ただし今回の件のように上から下へ「こうしてくれ」という例は余りありません。

「上がどうして欲しいと思っているのか」を敏感に感じ取り、言われる前にそれとなく実行する。
これがポイントなんですね。

どうしても急を要す案件や是が非でも通したい案件は上からの指示がありますが、基本、上の考えを読むことが重要なんです。

私が某官庁(と言ってもバレバレですが)に勤務していた時はそれが出来なければ出世できませんでした。(今もでしょうけど)
一種試験(今は総合職試験と名を変えました)を通過していればある程度のポストまでは必ず辿り着けます。
しかし、「ある程度」に辿り着いてからが勝負なんです。

そこから先は「それまでの実績」が全てです。
「実績」とはそれまでどのような案件をこなしてきたかということですが、当然、有力な人間に可愛がられているとか、どのような法案作成に携わってきたか等などです。
そこにどのくらい「忖度」してきたかを上はしっかり見ているのですね(笑)

言い換えれば上から言われてはじめて動くようではダメです。
そして最悪なのは「上に楯突く」
私の場合はまさにこれでした(笑)

上の希望通りではないものを上げると上司に呼ばれ「○○君、ここはこうやって」となるわけですが私の性格では「いや、これは○○ですから認可できません」とかなるわけです。

もうこの時点で「忖度の働かない奴=使えない奴」と上から思われてますね(笑)

でも、更にそこで「この案件は○○先生の関係だから・・・頼むよ」とか有力者が介在しているから君のためになるよと懐柔してくるのが90%。
ここで「はいわかりました」なら減点も少ないのでしょうが
「いや、ですから○○な理由があって却下しているのですから、他に却下した方々に対して不公平でしょう」なんて口答えして更に抵抗すると・・・
担当を外されます(笑)

今にして思えば子供っぽいなぁとも思います。
あの時上手くやってりゃぁ・・・正直、そう思った時期もありました。
しかし、当時の私は中央官庁で大げさに言えば「国のために、国民の皆様のために頑張るぞ!」という意識で入省しましたが、現実とのギャップを埋めることは出来ませんでしたし、あのまま残っていたとしてももっと早く体を壊しているか、どのみち辞職していたと思います。
まぁ、言い換えれば若いうちに貴重な?体験をできたのかなぁと思うようにしてます。

こんな事がありました。
入省して二年目。
大学の友人の実家に遊びに行き、深夜のファミレスでくっちゃべっていると突然、カーセキュリティのアラームが鳴りました。
当時、JZS161アリストは自動車窃盗人気No1という車(笑)でしたのでアラームを付けておいたんですね。
急いで駐車場に行くとリアのサイドガラスが割られていました。
恐らくセキュリティの音が鳴ったため犯人は慌てて逃げたようでした。

途方に暮れる私は取り敢えず警察には連絡しないとなぁと思ったのですが、実際盗られたものも無いし、ガラス割られた位で110番ってのもなんだか申し訳ないなぁと思ったのです。

一緒にいた友人が「じゃあ○○に電話してどうすりゃいいか聞いてみりゃいいじゃん」と言いました。
この○○君は大学の友人で警○庁に入庁した人物です。
「それ名案!」てな事で早速電話をかけました。
「いやさー車のガラス割られちゃって参ったわ~・・・でも110番するのもなんだかなぁだし、どうしたらいい?」
すると彼。
「分かった。場所は?車に触ったか?状況で言えば怪我とか無いな。怪しい奴がその辺にいても迂闊に話しかけるなよ」

数分後。
パトカーが3台やってきて「○○さんですね。警○庁の○○警部より連絡をいただきました。お怪我等ございませんか?」
名刺を頂くと○○県警○○署 警視 副署長 ○○ ○夫との名前が・・・
内心「こんな大事になるなら普通に110番に電話すりゃよかった・・・」と思いました(笑)

現場検証が始まり副署長さんと話を始め「なんで階級が上の副署長さんが下の警部の依頼で、しかもこんな窃盗未遂にまで出るのですか?」と聞いたのです。
「いやー、今は階級が下でいらっしゃっても直ぐに上に行かれる方ですからねぇ。その方のご友人、しかも霞が関のご住民となれば私が出ないわけには参りません!本来であれば署長が来てご挨拶するところですが、本日は生憎都合が悪うございまして・・・悪く言えば我々の点数稼ぎですよ!ワッハッハ~」
妙に言葉に「ご」を付ける気のいいおっさんでした(笑)
警察のキャリアとノンキャリアの話なんてドラマの中だけだと思ってましたが本当でした(苦笑)

同じ中央官庁でも警察庁や警視庁、防衛庁(当時)以外はヒラから始まります。
しかし警察は任官と同時に「警部補」となり警察大学校を卒業すると自動的に「警部」に昇進します。
つまりもう最初から部下がいる所からスタートするんですね・・・

この警○庁の友人とは未だにLINEや電話等で付き合いがあり、たまたま昨日も話をしたばかりで「忖度」の件にピンと来たところでした。
なので「あの時の話、ブログに書くよ」って言ったら「名前伏せて、悪口じゃなきゃいいよ」とのお墨付きを頂きました(笑)

「あれは忖度だったんかい?」と聞くと「なんで友達に忖度なんだよ(笑)忖度は上にするものだろ」と言ってました。

言われてみりゃそうですよね(^^;)

でも「友達が困っていたら助けるの当たり前でしょ」と当時と同じ言葉を聞いた時には不覚にもジーンときてしまいました・・・

そんな彼も今ではある県警の部長として出向中。
階級も警視正となり、例の副署長さんがおっしゃっていたとおりになっています。
順風満帆のようですね。
まぁ、あの時「霞が関」に就職して去った友人の方が少なく、みんな順風満帆ですが(笑)
ドロップアウト組は少数です。

いつものように話が脱線しました。

結論。
「忖度」は確実にあります(笑)
ニュース等で報じられている件は相当高度なレベルでの話ですが。
文部科学前次官は捨て身の発言をなさいましたね。
きっと、トップに立った方でも良心が動いたのか、違う思惑があったのかは分かりませんが・・・

本日もしょうもない話にお付き合い頂きありがとうございます。
また、先日来、ブログを初心者の私の乱文に多くの「イイね!」重ねて感謝いたします。

毎度ですが長文・乱文、失礼いたしました。
Posted at 2017/06/03 16:13:30 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2017年06月02日 イイね!

バニシング in 60と60セカンズ(ネタバレ有り)

今日も車ネタではありません。
映画の話です。
厳密に言えば車の映画の話なのでご容赦下さい。

家のブルーレイはおまかせ予約という機能があって、私の嗜好を判断して勝手に番組を録画してくれる便利な機能です。

今日、ヒマなので録りためてあったHDDの中を整理しようと思い起動したら「バニシングin60」が録画されていました。
単純に言えば「車をかっぱらう自動車窃盗団」の話です。(何故か盗むという言葉よりかっぱらうという言葉が好きなのです笑)

自動車をかっぱらう映画と言えば最近では「60セカンズ」でしたね。
同じ60という数字、何故なのかと思ったら「60セカンズ」は「バニシングin 60」のリメイクという扱いでした。
60とは60セカンズ、つまり一分で車をかっぱらうということ(笑)
怖いですねぇ・・・

60セカンズも最近観たばかりなのでバニシングin60と較べてみました。

まぁ一言で言うと・・・

「リメイク」と言っても全く話の内容も展開も違いすぎます(笑)
共通点は「かっぱらう」という事のみ。

60セカンズは最近の映画で観た方も多いと思います。
悪党に弟を拉致されて、身代金代わりに車を悪党に届けるというもので、なんだかんだで警察ともラストでは大団円でしたが、バニシングin 60では「黙々と車をかっぱらう」展開です。
ただ「バニシングin 60の主人公のポリシーとして「車両保険に入っていない車は盗まない」姿が描かれます。

もう一つ、共通点。
「60セカンズ」で主人公が「エレノア」という確かシェルビーだったと思うのですが、この車に特別な思い入れがあってクライマックスからラストまで「エレノア」が鍵を握っています。

「バニシングin 60」でも「エレノア」と名付けられたムスタングが物語の重要なファクターとなっていました。

「60セカンズ」が物語性が強い作品だったのに対し「バニシングin 60」カーチェイスシーンが長いうえにド迫力!
VFX技術が殆どない時代だったが故に車がぶっ壊れまくりです(笑)

それと印象的な差。
「60セカンズ」では日本車が画面によく登場します。またかっぱらう目標が書かれたホワイトボード上に「LEXUS LS400」という文字が一瞬ですが見ることができます。

ではバニシングin 60」ではどうでしょうか。
見事にアメ車ばかりが登場します(笑)
まさにデカくてバカみたいに頑丈なアメ車のオンパレードで、主人公が盗む車達も(若干ドイツ車あり)街中を普通に走って居る車もパトカーも、古き良き時代のアメ車だらけです。

そして気づくのが当時のアメ車のデザイン。
どうみても昔のクラウンやセドリック、グロリア、デボネアを彷彿とさせるデザインなのです。
昨今、中国車が日本車のデザインをパクっている話題がありましたが、あの当時は日本車がアメ車のデザインをパクっていたのだなぁと実感させられます(^^)

もう一つ、印象に残ったシーン。
アメ車ばかりと書きましたが一瞬、日本車っぽい車が出るのです。
恐らくT40型コロナだと思います(この車の写真はwikipediaのコロナの欄でご覧になってみてください)が、主人公の運転する「エレノア」ことムスタングがカーチェイス中、様々な車にぶつかりますが相手のアメ車は大体、凹んだり位で済みます、

が。

このT40コロナだけ派手にぶっ飛ばされます(笑)

穿った見方ですが当時のアメリカでは「日本車なんてこんなにも軽くて華奢なんだぜ」という悪意じみたものが(笑)
また主人公が逃げる途中にマツダのディーラーの構内を逃げ回ったり、大きく「DATSUN」と書かれたビルの横を激走したり・・・

もしかしたら監督のハリッキーは近い将来、日本車がアメリカを席巻することを見通していたのかもしれません。

エンターテイメント作品として観るなら「60セカンズ」ですがド迫力のカーチェイスを楽しみたい場合は「バニシングin60」の方が楽しめました。

こうして見るとアメ車の良さは日本車やドイツ車には無い味わいがあります。
残念ながらフォードは我が国から撤退しましたが、キャディラックのATSやCTS、CT6、クライスラーの300などセダン好きの私が見ると魅力的なアメ車が国内で買えることにちょっと嬉しかったとともに欲しいとも思いました(^^)

最後に。
「映画って本当に素晴らしいものですね!」(水野晴郎風)

本日も長文、乱文、失礼しました。
最後までお読み頂きありがとうございます。
Posted at 2017/06/02 19:56:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年06月02日 イイね!

オーディオの話

みんカラですので車ネタ、特に愛車の事を書くのが基本なのでしょうが、体が体だけに弄る気力も無く、皆様のパーツレビューやブログを拝見させていただき楽しんでおります。

車ネタが無く申し訳ありません。
現在は在宅にて抗がん剤を飲みつつ寛解期を待つ身ですが、副作用として「不眠」が出てきます。
眠剤は投薬されていますが、なかなか寝付けないので深夜のネット徘徊です(笑)

さて、本日はオーディオの話です。
私はクラシック音楽が好きで数えたことがありませんがCDが既に1000枚は超えています。
しかしオーディオ機器には全く無頓着で、ホームオーディオも安いアンプにプレイヤーという構成で聴いています。

1年くらい前に「ハイレゾ」を知り、CDと較べて音階像が良いとか分離がはっきりしているとか、兎に角音が良いという記事を見て、ハイレゾ対応の携帯音楽プレイヤーとヘッドフォン用アンプ(通称ポータブル・アンプ)を買いました。

全然下調べをすること無く買ったため「ハイレゾ音源のCDが売っているのだろう」と思って買ったのですがネットでDLするしかないということに気づいて唖然。
でも、せっかく買ったのでe-ONKYOやmoraといったハイレゾを配信しているサイトから何曲か買ってみました。

私の耳は全くのダメダメな事を前置きの上でその印象を。

まずはグスターボ・ドゥダメル指揮 ロスアンジェルス・フィルハーモニックの「ブラームス・交響曲第四番」(当然デジタル録音)
正直、全く違いがわかりません(笑)
CDの6.5倍の情報量がハイレゾ音源にはありサンプリング周波数やビットレートが高いのが特徴とのことなのですが、弦の音が伸びているとか、管の音が劈くまでに響くとか正直期待外れです。
強いていうならば音がまろやかな事位でしょうか。
勿論、収録したホールの音響、LIVE収録といった不確定要素もあるのは承知ですが、なんだか高い買い物をしてしまった気になりました。

次にダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団の「サン・サーンス 交響曲第三番「オルガン」(1975年録音 ハイレゾリマスター盤)。
こちらは全くCDのとは音質が別物になっています。
CD盤ではシカゴ響の協力なブラスが濁っているうえにオルガンの音までがグチャグチャで尖った音だったものが、ハイレゾ盤では各セッションの分解能がくっきりとしていてオルガンの音、CD盤では埋もれていた第二楽章第二部のピアノの音までしっかりと聴こえてきます。
それと有名なシカゴ・オーケストラホールの「全く残響の無い」サウンドが克明に聴くことができました。
こちらはいい買い物でした。

最後。
Every Little ThingのEvery Best Single(ハイレゾ)
何故、クラシックばかり聴いている私がELTかと?

それは・・・

大学時代に付き合っていた娘が好きで私もよく聴かされていたからです(笑)
当時の甘酸っぱい思い出に浸りたくなって、こちらを聴いてみました。
もちろん、当時の記憶と比較するのはフェアではありませんから通常版CDも購入して聴き比べです。

こちらは上記のサン・サーンスのものより更にハイレゾの良さを感じることが出来ました。
ボーカルの声の張り、伸び、楽器の音全てがクリアでタンギング・ボイスまでがはっきりと聴き取れます。

しかしTime goes byやDear My Friend等を聴くと本当に懐かしいですね・・・
まさにこのアルバムの中にある「出逢った頃のように」を思い出しました。

ちょっとおセンチな気分になります(笑)

今のJ-POPは全く分かりませんが、あの頃よく聴いた(聴かされた)安室奈美恵さんや浜崎あゆみさんの歌を懐かしく思い出しました。
カラオケでよく歌っていたThe YELLOW monkeyやhideのハイレゾも欲しくなって探しましたがこちらは残念ながらありませんでした。

話が脱線しました。

まだまだ私の聴いたハイレゾ音源は少ないので確実な事は言えませんがハイレゾは

①デジタル録音されたクラシックのCDではあまり恩恵を感じない
②逆に昔のアナログ録音されたものをリマスターしたものは分解能が向上し聴きやすくなっている
③J-POP等はボーカルの伸びが増すと同時に楽器との分離感が増している。またスタジオで聴いているかのように臨場感がましているが、尖った音は減少していて聴き疲れしにくい

今のところはそういう結論に達しました。

しかし、一点残念なことが。

「車では聴けない」ということです(涙)
ハイレゾ音源は通常のCDやMP3からみますと若干、高価です。
ファイルはFLACやDSDとなり通常のカーオーディオでは再生できません。
WAVもあるようですが、高サンプリング、高ビットレートが対応しているのかどうか・・・

どうやら、三菱の音が良い事で有名なDIATONEナビやKENWOODの彩速ナビはハイレゾにも対応しているようですが、純正ナビ装着車では恐らく対応しているものは無いのではないでしょうか。
それにDIATONEやKENWOODを入れてもスピーカーが対応していなければ全く無意味な気もします。
(携帯プレーヤーもハイレゾ対応のヘッドフォンでなければ意味がありません)

ちょっと買うには時期尚早だったのかもしれません。
車で聴くならiPodを買ってUSB接続して聴いた方が正解でした。

出来ることなら純正装着のナビにもハイレゾ対応して欲しいところです。
(出来ればブルーレイも再生出来れば尚更いいですね。一部、既にあるようですが)

本日も長文、乱文失礼いたしました。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございます。
Posted at 2017/06/02 01:07:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「DIY考~長年のブランクが通用するか~ http://cvw.jp/b/2783642/41040549/
何シテル?   01/30 03:26
バーンスタインです。よろしくお願いします。 HNは20世紀を代表する指揮者で大作曲家でもあるレナード・バーンスタインから取りました。 当然、車と同じ位、...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

愛車一覧

日産 NISSAN GT-R 日産 NISSAN GT-R
ガンで入院し、その時主治医の先生がクルマ好きで話が弾み、先生が新型NSXを購入するという ...
トヨタ SAI トヨタ SAI
ハスラー君の代わりに我が家にやってきた新しい相棒・・・というかお袋のお下がりです(笑) ...
スズキ ハスラー スズキ ハスラー
GT-Rは普段使いが中々厳しいのでセカンドカーとして購入しました。 軽は初めてですが、快 ...
ホンダ プレリュード ホンダ プレリュード
記念すべき愛車第一号です。 学生時代にバイトをして買い、そのバイト代もガソリン代やパーツ ...

過去のブログ

2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation