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バーンスタインのブログ一覧

2017年08月17日 イイね!

知らない・手に入らない・買えない「だけど欲しい・カッコいい」と思った車10選

偏頭痛が大分マシになったバーンスタインです。

一昨日「ファセル・ヴェガ」について書きましたが、意外と知らないメーカーやモデルがあることを知った体たらくでして(汗)

ファセル・ヴェガはその落札予想価格を見て笑うしか無かったのでミニカーでも買うかと思いました(笑)

「ファセル・ヴェガ」という魅力溢れる車を見てしまったので、今回は「メーカー自体を知らなかった」「メーカーは知っているがモデルを知らなかった」「結局発売されなかった」「メーカー・モデルともに知っていたがレア過ぎる」という車達で「これは欲しい」と思った車を独断と偏見で挙げてみようと思い立ちました。

まずは一台目。
「ISO グリフォ」

ISOなんてメーカー自体知りません(^^;)
でもこの「グリフォ」を見て素直にカッコいいと思ったのです。

「ISO グリフォ」(1965)

調べるまでメーカー名を「アイエスオー」だと思っていたら「イソ」でした(汗)
この車、ベルトーネのチーフになったばかりの頃に「ジョルジェット・ジュジャーロ」のデザインとのこと。
道理でかっこいいわけだぁ。
エンジンはシボレーのもので最大で7リッター、V8を搭載・・・
トラックですやん(笑)
けど「カッコいい車」に勝手に認定いたします(笑)
(ISOは1974年に倒産したそうですからファセルみたい中古市場に流通することも無く、オークションでもとんでもない落札価格なのでしょうね。なのでもう価格は見ません笑)

二台目。
昨日のブログでファセルに並ぶフランスの高級車だったと書いた「イスパノ・スイザ」。
このメーカーも車名も知りません。
イスパノはフランスの高級車とまでは知って、ググったら。
この写真が出てきました。

おいおい(笑)

というのも「イスパノ社」はもともとはスペイン企業で自動車製造から始まりそれが大成功、その後航空機エンジン製造に参入、こちらも成功、軍需部門が有数の企業になり、その後フランスの軍産複合企業の傘下に入って現在に至っていると。
自動車の生産は1946年あたりにやめてしまったようです。

しかし、その「イスパノ」の名前を70年ぶりに復活させるというプロジェクトがあったらしく2010年のジュネーブショーにコンセプトモデルが出品されていました。
「イスパノ・コンセプト」(2010)

コンセプトカーという名前だそうです(笑)
5.2リッターV10+スーパーチャージャー+モーターで900HP・・・
F1のスペックですか?(笑)
スタイリングも現実的でかっこいいと思うのですが、その後の音沙汰が無いので計画はポシャったのでしょう。
まぁ、仮に市販されたとしても「手が届かない」存在であることには変わりなそうですが(笑)

三台目。
「ジオット・キャスピタ」
これ、まだ子供の頃「富士重工がF1参戦」って話が出て、そのエンジンをデチューンしたのを搭載した車を出すってのを見た記憶があります。
改めて今調べてみたら「ワコール」が出資した会社が企画し(何故ワコール笑)、童夢が開発・製造を行ったくるまとのこと。童夢というと小さい頃のトミカにあった「童夢ゼロ」が懐かしい・・・

「ジオット・キャスピタ」(1989)

エンジンは富士重工製水平対向12気筒・3.5リッターエンジン。
もろに当時のF1レギュレーションに合致してますね。
で、この水平対向12気筒はF1の「コローニ」に供給されF1の場でその性能の実証実験を行うのですがお話にならず半年で撤退(コローニって一口2万円で個人スポンサー募集してましたよね。スポンサーになればF1マシンに名前が入りますって記事、読んだ記憶あります)
スバルもジオット計画から撤退し、水平対向12気筒は幻に終わりジャッドのV10を積むことにしたようですが、バブルが弾けてはい「終了」(チーン)
ガルウィングで如何にもスーパーカーって感じでいいんですけど、超高価格になったでしょうし、当時の経済情勢じゃあ売れなかったでしょうね(^^;)
結果的には出さなくて正解だったのかもしれません。

四台目。
「ヤマハOX-99」
この車も上で挙げた「ジオット・キャスピタ」と似た経緯の成り立ちで、当時ヤマハがF1に供給していたエンジンを搭載した「和製スーパーカー」として登場する予定と当時の雑誌で読んだ記憶があります。
こちらはヤマハ製V10、3.5リッターエンジン搭載。
「ジオット・キャスピタ」と同じく当時のF1レギュレーションを満たしたエンジンですね。
(あの頃のF1は3.5リッターという縛りこそありましたが気筒数やエンジンの型は自由で、それを較べる楽しみがありましたね。「出力のV12」「バランスのV10」「低燃費のV8」なんて子供向けの本で紹介されていました)

「ヤマハ OX-99-11」(1991)

こっちもガルウィングで「如何にも」ですが「ジオット」同様、バブル終了で冷え込んでいた市場から、こんな超高価格車(予定価格は130,000,000JPY)に殆ど予約も入るわけも無く計画自体がオシャカになり終了。
ジオット・キャスピタといい、このOX-99といいタイミングが悪すぎましたね。

五台目。
「デ・トマソ マングスタ」
「デ・トマソ」というと「パンテーラ」しか知らなかった私です(笑)
(パンテーラはスーパーカー・ブームの頃、人気が相当あったようですね)
「デ・トマソ マングスタ」(1967)
 
個人的には「パンテーラ」より好きなスタイリングです。

「マングスタ」とは「マングース」を意味するイタリア語であのキャロル・シェルビーの「コブラAC」をやっつけるという意味も込められているとか。
また、この「マングスタ」もデザインは「ジョルジェット・ジュジャーロ」だそうです。
やっぱりジュジャーロデザインを私は好きなのかもしれません(^^)

リアハッチの開き方も中々「変態」です(^^)
エンジンはV8、5リッターだったそうです。
「デ・トマソ」と聞いて「ダイハツ・シャレード」を思い出しました(^^)

六台目。
「フィアット・130」
「フィアット」というと「大型車」のイメージが湧かないのですが、かつては造っていたのですね。
「フィアット130 クーペ」(1971)

デザインは「ピニンファリーナ」。
これもまた「誰にも似ていない」いいデザインですね(^^)

「フィアット130」は当初、セダンをラインナップしたそうです。
こちらも端正なボディラインをもつ車です。
「フィアット130 ベルリーナ(セダン)」(1969)

ただし、こちらのデザインはフィアット社内デザインとのこと。
「クーペ」は「セダン」とは「130」という名前こそ同じだったもののエクステリアは勿論、エンジンや内装は別物だったようですね。
「フィアット」の「高級車」というコンセプトは中々市場に理解されず、商業的には成功とは言えなかったようです。

そして「クーペ」をベースにしたセダンモデル「オペラ」をコンセプトカーとして発表したようですが、こちらが発売されることは無かったようです。
「フィアット130 オペラ」(1975)

うーん、いいデザイン(^^)
これが出ていれば・・・
「フィアット」では無くて当時から傘下にあった「ランチア」か、この時は傘下入りしていなかったようですが「アルファ」ブランドで出していたら、もしかすれば商業的成功を収めることが出来たのかもしれません。

七台目。
「マセラティ・メキシコ」
「マセラティ」と言えば「クアトロポルテ」や「ギブリ」、「ビトゥルボ」などが真っ先に思い浮かびます。
しかしこの「メキシコ」というモデルはその存在すら知りませんでした(汗)
「マセラティ・メキシコ」(1966)

こちらのデザインは「ジョバンニ・ミケロッティ」。

なんでこうもイタリア人は美しいデザインが出来るのでしょうか(^^;)
内装も総革張り仕上げで、四輪ベンチレーテッドディスクブレーキやエアコン、パワーウィンドウは勿論、ダッシュボードまで「木製」だったそうです(驚)
(でも、パワステ・ラジオはオプションだったというのが謎)


「ファセル・ヴェガ」もでしたが・・・・
こちらも時代を超越した豪華な内装ですやん・・・・・
エンジンもV8、4.7リッターで290PS。
すげーなぁ・・・
「マセラティ・メキシコ」は7年間製造され生産台数僅か「482台」(笑)
こりゃ、手の届かない存在な事はもう分かりました(^^)

八台目。
「ザガート VM180」
こちらはトヨタ・モデリスタのオリジナルモデルとして「ビスタ店」(これまた懐かしい)に投入、市販されたモデルでした。
デザインはモデリスタがイタリアのカロッツェリア「ザガート」に依頼した物とのこと。
「TMI 180VM ザガート」(2001)

ベースは「トヨタMR-S」で(MR-Sも既に懐かしく感じてしまう・・・)給排気系や足回りにも独自チューニングが施されたとあります。

「MR-S」とうとその前身である「MR-2」のスパルタンな路線からライトウェイト路線に転換した車でした。
「MR-S」も私、結構好きな車で「シーケンシャルMT」等、当時では最新鋭と言ってもいい装備も積んでいました。価格もそんなに高価では無かったのでプレリュードの次の車探しをしている時に真剣に考えてものです。

こうして較べて見ると「ザガート」と「MR-S」はキャビン形状くらいが似ているくらいで「別物」ですね。
「ザガート」というと日産「ザガート」とか「ステルビオ」が思い出されますが、トヨタも「ザガート」にデザイン製作を依頼していた車両があるというのは意外でした。

Wikipediaによると「価格は398 - 450万円とベース車に対して大幅に上昇したため、なかなか売れなかったらしく、発売後数年経過しても雑誌広告が出されていた」との事なので、もう手に入れるチャンスは無い・・・と思っていたら。

こんなん出ましたけど~(笑)
http://www.goo-net.com/usedcar/spread/t_blnk/13/700056127930170206001.html

走行距離、僅か「1,162キロ」(^^;)
車庫で大切に保管されていた車のようです。
価格も冷静に考えると高いのでしょうが、こりゃ手が届く価格ですね(^^)
しかも「MR-S」ベースですから外装は別として補機類を含めた機関系や足回り等など、補修部品も今のところ心配しなくても良さそうです。
375万かぁ~
ちょっと本気で欲しいぞ(笑)

九台目。
「TRD 2000」
まずは写真を御覧ください。

「普通のカローラ」やんけと思われたと思います。

が。

「AE101カローラ(しかもセダン)」をTRDが給排気系チューン、足回りの変更は勿論、エンジンをAE101カローラセダンでは「最強」エンジンであった「4A-GE」からセリカやMR-2等で定評のあった「3S-GE」に換装まで行い、しかも本当に発売しちゃったのが「TRD2000」です(^^;)
まさに「やっちゃえ、TRD」ですね(笑)
99台限定販売で、価格は335万円。
昨今の国産車の高価格化を見れば、ここまでやっちゃって(笑)いる謂わば「コンプリートカー」の割には「極端に高い」という気はしません。

99台限定なので「即完売」になるかと思いきや・・・
「12台しか」売れなかったそうです(^^;)

やっぱり「カローラ」でいくら「ワークスチューン」と言ってもその価格では売れなかったんですね・・・
学生時代の部の先輩にこのAE101セダンの「GT」(4A-G搭載車)にロールバーまで回して山(峠)で遊んでいる方がいらっしゃいましたが、4A-G搭載車でも上まで回るエンジンで楽しい車でしたから、「TRD2000」はもっと刺激的な車だったことでしょう。
この車で山で「カローラ」だと思って追っかけて来る車をチギッたらさぞ楽しかったでしょうね(^^)
(ま、その「腕」が無いのが悲しいところですが笑)
しかもエクステリアに「特別感」が無く「普通のカローラ」っぽいところが面白いですし、「特別なモデル」を主張するエンブレム類もありません(笑)
精々OPで用意された「TRD2000」のデカールくらいでしょうか。

やっぱり中古はいくら探してもありませんでした。
そりゃ12台しか世の中に出なかったのですからあるわけありませんよね(^^;)
この後「カローラ・アクシオ」となり、そのE14系にも「TRDターボ」が用意されました。
こちらは結構、中古市場に出ています。

では最後の十台目。
こちらもまずは写真から御覧ください。




トヨタの「コンフォート」やんけ!そんなん、タクシーで毎日見てるわ!

ですよね(^^;)
コンフォートは未だにタクシーで結構な数が走っていて街中で見ない日は無いと言っても過言では無いでしょう。(写真は2003年式)

しかしこの「コンフォート」。
5ナンバー枠内に収まるボディ、FRレイアウト、スクエアで見切りのいいボディ等合理的かつコンベンショナルに造った結果「スポーツ・セダン」として考えると最高の素材だと思いませんか?
それに目をつけたのがまたもや「TRD」(笑)

この車は「コンフォートGT-Z」という車で「トヨタ・コンフォート」をベースにTRDが手がけたコンプリートカーです。
エンジンはベースの「3S-FE」にスーパーチャージャーを装着、ノーマルの130Ps/18.5Kg-mから160PS/22.5Kg-mへパワーアップ。
その他に専用のフロントバンパーやブレーキパッド、マフラーも付いていて、更には80年台テイストを出すためでしょうか。「ワタナベ」の8スポークアルミと黒塗装されたトランクスポイラー(しかもリップタイプの小型)が付いています。

黒のトランクリップがいい味出しています(^^)
いかにも「80’s」という感じで今見てもいいわー(笑)

こちらは期間・地域限定で販売され、292万円のプライスタグを付けて販売されたそうです。
そして売れた台数・・・

「59台」

こっちもやっぱり「レア車」ですね(笑)

中古検索してみましたがあるのは「教習車あがり」とか「元自家用」「LPG仕様」等など。
かなり普通の中古車とは違う世界がありますね(笑)

本日紹介した車のなかで「普通に買うこと」が出来る車は「VM180」だけですか。
しかもメンテの事とか考えればVM180はそんなに心配しなくてもよさそうです(^^)v

でも「エンスー」に成りきれない私には敷居が高過ぎます(笑)

それとイタリアでデザインされた車に心惹かれるのが多いことに気付きました(^^;)
やっぱりあの国の人達は「魅せるデザイン」にかけては一種の「才能」のようなものがあるのでしょうか。
私のような凡人でさえ、あの素晴らしいデザインには溜息しかでません。

もうHNを「バーンスタイン」から「トスカニーニ」とか「ムーティ」「アッバード」に変えようかな(笑)

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
また、沢山の「イイね!」を頂き本当にありがとうございます(^^)v

ちょっと涼しくなってきたような気もしますが、まだまだ暑い日が続きます。
どうか皆様、ご自愛ください。
2017年08月15日 イイね!

「自動車」が彩る小説達

偏頭痛に昨日は悩まされブログをサボったバーンスタインです(笑)
なんか書かないとダメだ~という強迫観念めいたものが最近(^^;)
ちょっとペース、落とします。

昨日は終戦記念日でした。
72年前の8月15日「大日本帝国」は連合国のポツダム宣言受諾を昭和天皇の「玉音放送」を放送することで「無条件降伏」の意思をあらわした訳です。

ただ正式な我が国の「降伏」は同年9月2日にアメリカの戦艦「ミズーリ」の甲板で外務大臣・重光葵、参謀総長・梅津美治郎が降伏文書にサインしたことにより正式な「無条件降伏」が発効したことになります。
8月15日から9月2日までは謂わば「停戦状態」だったわけですね。

同盟国ドイツ・イタリアは既に降伏、連合国軍は日本に対し全面無条件降伏をするよう様々な外交チャンネルと通して接触するわけですが、「本土決戦」を主張する陸軍や海軍右派の声もあり、我が国はそれを黙殺、その結果連合国側は「日本に降伏の意思無し」とみなし8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下、そして同日のソ連参戦という結果を招きました。
8月6日の広島への原爆(「当時は新型爆弾と言われたそうですが)投下は直ぐに「御前会議」(天皇を中心に首相や陸相、海相、外相などで構成される当時の国家意思最高決定機関)で報告されたようです。
陸軍は「戦争継続」「本土決戦」を主張し、会議の結論は出ず、その結果9日には長崎への投下、ソ連が満州へ侵攻を開始する等、最早にっちもさっちもいかない状態に追い込まれます。
(このあたりは映画「日本の一番長い日」をご覧頂ければわかりやすいと思います。ただし、私見ですが相当「美化」されている部分があると思っています。特にリメイク版)

結局、8月10日未明の御前会議にて昭和天皇の「御聖断」を仰ぐ形で「ポツダム宣言受託」が裁可され我が国は降伏を決定、8月15日の玉音放送にて受託する旨を発表することとなります。

軍の一部はそれでも「本土決戦」を主張し「一億総玉砕」を主張しました。
もしもそれが現実のものとなっていたら・・・・・
竹槍で「米英と闘う」と市民達が言っていたのは有名ですが、恐らく第三、第四の原爆が投下され、一般市民の死者はとんでもないことになっていたでしょうし「日本」という国の形さえも変わっていたのかもしれません。

この「竹槍」を思い出したのはニュース映像で現在の緊張する北朝鮮のICBMのグアムへ向けての発射を報じているとき北朝鮮市民へのインタビューを聞いたときでした。

インタビューを受けていたのはご婦人でしたが「仮にアメリカが我が国を攻撃しようとも私は夫とともに台所の包丁を取り出して闘う。米帝やその傀儡を殲滅する」と言っていたのです。
これを見た私は失笑しましたが、ふと戦前の我が国でも「竹槍で鬼畜米英を撃ちして止まん」と言っていた我が国の事を重ねたのです。

我が国は軍人、軍属は勿論のこと一般市民まで多くの犠牲者を出し昭和天皇の「聖断」により終戦を迎えました。
語弊がありますが軍人やそれに協力する軍属は闘うことが職業で、戦争で死んでもそれは名誉なのかもしれません。しかし最も被害を被るのはただ国の言うことを聞いて、それを信じ込まされ死んでいった「市井の人々」です。

軍人・軍属、そしてただ「日本」という国に生まれ、市井で暮らしていたのに「戦争」の犠牲になった方々の魂に哀悼の誠を捧げる日でした。

さて、そんな8月15日でしたが戦史物、半藤一利氏や阿川弘之氏、実松譲氏あたりを読もうかと思ったのですが、一昨日からの偏頭痛がまだ少し残っていて、なんだかそれらを読む気力が湧きませんでした。

ならばいっその事、車を題材(または物語の重要なファクターを占める)にした小説(と言ってもノンフィクションでは無く)を読もうと思い立ちました。

「自動車」が題材だったり物語のメインストリームとなっている小説では五木寛之さんの「雨の日は車をみがいて」とか梶山季之さんの「黒の試走車」、宗田理さんの「日米自動車戦争」、池井戸潤さんの「空飛ぶタイヤ」あたりが有名でしょうか。

そんな中、私が手に取ったのは齋藤純氏の「黒のコサージュ」です。

この物語の登場人物の1人「社長」は中古の外車専門ディーラーの他、様々な会社を経営していましたが、末期のガンに冒されており、その事業の殆どを整理し病院で残った時間を「好き勝手に生きる」と宣言しているのですが、何故か会社の全てが整理される中、外車ディーラーの営業マンだった主人公だけが会社に残されます。

「社長」に呼ばれた「主人公」はある依頼をされます。
その依頼とはかつてその会社が売った車達の「今」はどうなっているのかを調査せよというものでした。

この小説は「サスペンス」仕立てなのですが、主人公は警察官でも無く、スパイでも無く「一介の車屋の営業マン」ですから喧嘩が強いわけもなく、異常なキレ者でも無く、飛び道具が出てくるわけでも無く「普通の人」です(笑)

女の子に酒場で声かけてフラれたり、手練のカメラマンにせっかく撮った写真を取られたり、謎の人間達にある依頼を多額の金で依頼されてビビったり(笑)
非常に人間的な主人公で共感が持てます。

さて、その物語に登場する6台の車。
「サーブ96・V4」「カルマン・ギア」「マセラティ・ビトゥルボ」「ファセル・ヴェガ」「ジャガーMarkⅡ・3.8」が社長からその「今」を調査せよ」と命じられた5台。
もう1台は主人公が「足代わりに使え」という事で唯一、ディーラーを閉めるときに引き取り手が無かった「シトロエン・2CV」。

この本に出逢ったのは高校2年生位のときだったと思います。
「カルマン・ギヤ」や「マセラティ・ビトゥルボ」「ジャガーMarkⅡ」「シトロエン2CV」の存在は知っていたものの他の3台の存在は未知の車でした。
(サーブという会社は知っていても「96・V4」なんて車は知らなかったですし「ファセル・ヴェガ」に至ってはその存在すら知りませんでした)

この「黒のコサージュ」に出会って「齋藤純」という作家の存在を知り、彼の著作を読み漁った思い出もあります。
そのどれもこれもが面白く、全てはフィクションなのですが、車を重要なファクターとした物は勿論、それがバイクであったり、自転車であったり、はたまた彼の地元、岩手の偉人達を絡めた物があったり・・・

一度、余りにも本が大量になってしまい処分したことがあるのですが「黒のコサージュ」だけは取っておきました。
(今にして思えば齋藤氏の著作を全てとっておくべきだったと後悔しています。BOOK-OFF等、たまに行った際にはチェックしているのですが中々出会えなくて・・・涙)

「カルマン」や「マセラティ」等を知っていると言っても「頭の中でボディを思い浮かべる」事が出来る程度で、自分には全く縁のない車だと思っていましたので、その車達を調べるということもしていませんでした。

今日、久方ぶりに「黒のコサージュ」を手に取り、その車達がどのような車だったのか?という困った癖がまたもや頭を擡げてきまして(笑)

「カルマン・ギア」(Wikipediaより)
カルマンギア(Karmann Ghia)とは、ドイツのフォルクスワーゲンが製造・販売した自動車。大衆車であるタイプ1(ビートル)をベースとして開発されたスポーティカーである。
ありゃ、ビートル・ベースだったのか(汗)

名前の由来である「カルマン」は「カルマン社」へボディ艤装を依頼したことが由来な事は知っていました。
しかしその「カルマン・ギア」が様々なボディタイプやエンジンを搭載していたことは今日初めて知りました。

私が「カルマン・ギア」として頭の中に持っていた車

このモデルは「タイプⅠ」と呼ばれ、ビートルのタイプⅠをベースに開発された車両とのこと。
これのオープンモデルとかそこそこ前は街中で結構見たような気がするのですが、最近見ないなぁ。

知らなかった「カルマン・ギア」
「タイプⅢ」

おお!この車は知らなかったぞ(笑)
なんだか今見ても新鮮味を感じるデザインです。

私は「エンスー」ではありませんが旧車の中で大好きな車の1つに「日野・コンテッサ」(二代目)があります。
それこそコンクールデレガンスや旧車のミーティング等でしか見ることが出来ない車ですが、なんとなくそのコンテッサに似ているような美しいデザインだと思いました。
そしたら「カルマン」も「コンテッサ」もイタリアデザインなのですね。

カルマンは「カロッツェリア・ギア」が原デザイン、「コンテッサ」はジョバンニ・ミケロッティ。
やっぱりイタリア人のデザインセンスって昔から培われたものなんですね~(^^)

「日野・コンテッサ」(二代目)


両車ともRRドライブという点も似ていますね。
コンテッサはちょっと離れたところにある墓石屋さんの駐車場にナンバー付きでよく停まっていたのですが、数年前から見なくなってしまいました。売っちゃったのかなぁ・・・それともガレージ保管にして出さなくなっちゃったのか・・・

もう一つ、知らなかった「カルマン・ギア」
「タイプTC」

こちらはVWのブラジル法人独自モデルとして開発・発表されたようです。
こちらも流麗で美しいボディラインですね。
こちらはなんだか「いすゞ 117クーペ」に似ているなぁと思いました。

と思ったら「117クーペ」のデザインも「カルマン」と同じイタリア「カロッツェリア・ギア」でなんとデザイナーはあの「ジョルジェット・ジュジャーロ」だったのですね(^^;)
「いすゞ 117クーペ」(初期型、所謂ハンドメイド・モデル)

こちらも今見ても古さを感じさせないいいデザインですね。

話を「カルマンTC」に戻しますとこのモデルは「プアマンズ・ポルシェ(Poor-man's Porsche:貧乏人のポルシェ)」と呼ばれたそうです。
私の中で「プアマンズ・ポルシェ」というと真っ先に思い浮かぶのは「RX-7(FC型」なのですが、あっちは「ポルシェ944」に似ていたからでしたね。
「車」という存在はその車を気に入って買っているであろう人が殆どで例えば「ポルシェに似ているから買う」という人はほんの僅かだと思いますから「プアマンズ・○○」なんて失礼な言い回しですよね(^^;)

まぁ、そんな事は置いておいて、いきなりの一台目から知らない存在があった事を知ったぞ(笑)

「マセラティ・ビトゥルボ」は角目四灯のセダンで性能も凄いセダンという認識でした。
それも内装なんか木目がふんだんに使用され、シートも「いかにも」物の良さそうな本革シートというイメージ。
ところがこの「ビトゥルボ」もクーペの方が先にデビューした車だったんですね。

マセラティ・ビトゥルボ

こちらも「如何にもイタリア車」というデザインですね。

子供の頃「ビトゥルボ」というのは「造語」か「何かの意味のある車名」だと思っていたのですが「ツインターボ=TWIN TURBO」のドイツ語表記「バイターボ=BITURBO」の意味と知ったのは大学生になってからでした(笑)
(AMGのメルセデスのサイドに「BITURBO」とエンブレムが付いていたりしますね。昔見た「Kompressor」表記がターボだと思っていたのですが、こちらは「スーパーチャージャー」の事だと今回知った事は内緒笑)

内装もその時代の国産から見たら豪華・・・・

ウッドハンドルにアナログ時計等今の高級車達に通じるものを感じます。

この車、舘ひろしさん主演の「免許を取ろう!」(だったかな?)で劇中の舘さんが、免許がないのにこの車の宣伝に起用されるというコミカルな展開を思い出しました(^^)
今見てもこの車には「色気」を感じます。
マセラティと言えば作家の「北方謙三」さんが真っ先に思い浮かぶのですが、やっぱり彼のように「遊ば」ないとイタ車は似合わないなぁ・・・
私は一生、「イタ車」には縁が無さそう(笑)

「ジャガー・MarkⅡ」というと丸目四灯の長大ながらもシャープなボディ、そしてモスグリーンという勝手なイメージが出来上がっていた車です。
↓これ

ところがこれは「MarkX」というモデルだったんですね(汗)
(なんか「MarkⅡ」とか「MarkX」とか国産の某セダンみたいだなぁ・・・と思ったら由来にやはり関係してました(笑)まぁ、今回は話が脱線しちゃうので端折ります笑)

「ジャガーMarkⅡ」という車はこの車でした。

あーこっちか!という感じでした(^^;)昔、これのプラモを造った記憶が蘇りました(笑)
今改めて見ると荘厳さと流れるようなボディラインが素晴らしく融合したデザインですね。

私の勝手なイメージですが「ウィンストン・チャーチル元英国首相」や「吉田茂元首相」が乗っていそうな感じ(笑)
(チャーチルは知りませんが、吉田翁はメルセデスでしたね。そのお孫さんの「現財務大臣」も車好きだとか)

やった、頭の中が修正されたぞ(笑)

シトロエン2CVは「ルパン三世」の何かの作品で観た記憶が強烈で(笑)
それと、この「黒いコサージュ」を読んで「2CV」の読みが「にーしーぶい」では無くて「ドゥ・シ・ヴォ」な事も知って当時の車好きの友人たちに「このドゥ・シ・ヴォは」なんてカッコつけて呼んでいた記憶も蘇ってきました(笑)
(あの頃は徳大寺さんの本を呼んで「メルツェデス」とか「ジャギュワー」とか「ポーシェ」なんて呼んで喜んでいたなぁ笑)

シトロエン2CV

「2CV」の意味は「2馬力」という意味だそうで、実際には2馬力という訳では無いようですが、その愛らしいエクステリアとちっちゃいエンジン、なんだか「元祖ファニー・カー」的ですね。
ただ、この車はファニー・カーでは無くちゃんとした「実用性」から来たエクステリアだそうですが(^^)

この小説の中で、主人公は近場の移動には「2CV」を使いますが、長距離移動には使っていません。小説の中では「12馬力の非力なエンジン」と書かれていますから主人公も長距離移動には使わなかった(使えなかった?)のでしょう。

私見ですが、モータリゼーション勃興期において大きな役割を果たしたのは「VWビートル」「MINI」、そしてこの「2CV」だったのではないかと思っています。
安くて頑丈、維持費も低廉で実用性も十分。ボディも大きすぎないがちゃんと大人4人乗ることが出来るという点ではこの3車、生い立ちの経緯やメカニズムの違いこそあれ似てるなぁと思ったのです。
(それと「ビートル」がカブトムシなら「2CV」は「でんでん虫」だなぁなんて笑)

ここまでの車達はイメージとは違っているのもありましたが(笑)概ね、その存在を知っていた車。
残りの2台。
「サーブ96 V4」と「ファセル・ヴェガ」はその存在すら知らない車達です。
小説中では「96・V4」は「ボディはゴキブリというあだ名で、ボディ下には雪国のスウェーデンで雪に突っ込んでも脱出しやすいように、ソリのようになっているんだ。だから暑い日本の夏ではすぐにオーバーヒートする」と書かれ「ファセル・ヴェガ」は「フランスの高級車として販売され、その威容はアメリカ車やドイツ車とはまた違った存在感を醸し出していた。」と書かれています。
この本を久しぶりに読んで、この謎の2車を調べる良い機会になりました。

まずは「サーブ 96・V4」
勿論「サーブ」という車はちょこっとは知ってました。
イグニッションスイッチの位置が変な位置にあったり、メルセデスやボルボのようにヘッドライトワイパーが付いていたりという意味では(笑)
車名も「サーブ900」とか「サーブ9000」という名前でした。
何故か子供の頃、「サーブ9000」がとてもカッコよく見えて親父にせがんで見に行ったことがありました。
その時の強烈な印象が「イグニッションスイッチの位置」でした(笑)
その後、大人になってからは「9-5」とか「9-3」なんてのもありましたね。
正直、ボルボより乗ってみたい車でしたが破綻→身売り→破綻→身売り→SAABブランド(自動車)消滅(涙)
(飛行機はちゃんとありますよ)

確か1度目の破綻のとき、当時の正規代理店だったピーシーアイが「ほぼ投げ売り」と言ってもいい条件で新車を売っているのを見てちょっと悩んだ事もありました(^^;)

そんな「サーブ」は知っていても「96・V4」という車の存在は全く知りませんでした。
今回、このブログを書くに当たってその車のエクステリアやメカニカルな部分を知った次第です。

「サーブ 96・V4」

そんな「ゴキブリ」なんてあだ名を付けられるほど酷いデザインでは無いですね(^^)
いや、逆に「ゴキブリ」のような形なら「超・流線型」の車を指すだろと勝手に思った次第で(笑)

ただ、この「色」。「コックローチ・ブラウン」というそうです。
そこから来たのかな?(^^;)

ちょっとグリル中央が「アルファ」っぽいですけど「パクった」とまでは言えないですよね。
それと「ヘッドランプワイパー」はこの車にも搭載されていたようですが・・・

「扇形円運動」じゃなくて「真横運動」(笑)
これは私的「変態メカニズム」に認定してもいいなぁ(^^)

車名にある「V4」は「V型4気筒」という意味のようです。
最初は2ストエンジンを積んでいたのが排ガス規制のクリアが難しくなり、フォードからV型4気筒エンジンを供給され、それを積んだとのこと。

てか「V型4気筒」もバイクならまだしも、「車」だと結構「変態」なんですけど(笑)
(三菱のかつてあった「V6・1,600CCエンジン」も「変態」ですね笑)

この「サーブ96」は20年間も造られたそうです。
なんかエクステリアの雰囲気といい、その長寿っぷりといいなんだか「いすゞ・フローリアン」を思い起こさせました(^^)

さて、最後の車。
「車名は勿論、メーカー名すら知らない」ファセル・ヴェガ。
一体、どんな車だったのでしょう。

ファセルはもともとは家具メーカーだったそうです。
第二次大戦終了後、フランスの自動車メーカーのボディ生産を請け負うようになり「ファセル・メタロン社」となりましたが、戦後復興に伴いその数が減少、空いた工場を利用して1954年から自社生産の車の販売を開始したメーカーとのこと。
当時のフランスにはブガッティやイスパノ(このメーカーも知らん笑)という高級車メーカーがしのぎを削っていたようで、ファセルもそこに参入。

Wikipediaを見るとファセル創業者のジャン・ダニノーは粋な人で税制や大戦の惨禍で衰退した「フランス製高級車」を復権させたいとの想いから「ファセル」を創業したそうです。

では、その「ファセル・ヴェガ」とはどういう車でしょう。
「ファセル・ヴェガHK500 クーペ」

おぉ!どの車にも似ていないスタイリング!そして堂々たる佇まい!
そして堂々たる体躯ながらエレガントさも感じさせるデザインです。
当時世界を席巻していたであろうアメリカ車やドイツ車には無いオリジナリティあるスタイリングですね(^^)

エンジンはクライスラー製V8を搭載し、内装も木目「調」をふんだんに使用・・・ってこの時代にもう木目調の技術があったのかい!(驚)
家具メーカーだったファセルはそのノウハウを最大限に活かし金属板に木目を塗装していたそうです。すげぇなぁ・・・
(そういやトヨタ2000GTのウッドパネルもヤマハの楽器製造のノウハウが活かされたと何かで読んだことがあります。「本杢」と「木目調」の違いこそあれ、その成り立ちはなんだか共通するものを感じます。)
「ファセル・ヴェガ HK550 内装」

この豪華さは時代を超越してるじゃん・・・・・

このモデルを見て更に「ファセル・ヴェガ」に興味を持って他にもモデルは無いのか調べてみました。
「ファセル・ヴェガFVS」

このモデルが「ファセル」初の自動車です。
クロームを上品にあしらったこれまた「誰にも似ていない」素晴らしいスタイリングですね(^^)
上で紹介した「HK550」はこの「FVS」の後継モデルとのことです。

またセダンもありました。
「ファセル・ヴェガ エクサレンス」

なんか見ているだけでうっとり(笑)
同時代の「フィンテール」アメ車の数々や「縦目ベンツ」も魅力的ですが、ファセルが一番好きなスタイリングだなぁ(^^)

「ファセル・ヴェガ ファセルⅡ」

優雅だなぁ・・・美しいなぁ・・・

ファセルはこれら「ヴェガ(FVS→HK550→ファセルⅡ)」を対米輸出し、商業的成功を収めたようです。
そしてもっと大きな市場であった小型スポーツ車へ参画。
小説には登場しませんが、ついでなので(笑)そちらも。
「ファセル・ファセリア」

こちらも「兄貴分」である「ヴェガ」のデザインを受け継いだ独創的ながらエレガントなエクステリアです。

しかし、この「ファセリア」が「ファセル社」に暗雲をもたらすのです。

「ファセル」はエンジンを他車から供給してもらい、自社の車に搭載していた事は上でも書きましたが「ファセリア」では同社初の直列4気筒1,600CCオリジナルエンジンを開発し搭載したのですが、それの信頼度がとても低く、ピストンが吹っ飛んでボンネットを突き破るという事が頻発、一気に「ファセル・ブランド」は失墜したようです。
(ちょっと前の我が国の谷田部最高速アタック用のチューンド車や湾岸・首都高用のハイチューンド車でもよく聞きましたけど笑)
その後、ボルボやブリティッシュ・モーターのエンジンに切り替えましたが信用回復には至らず・・・

1964年、ファセルはたった10年の栄光と挫折の歴史に倒産という形で幕を閉じるのです。
惜しいなぁ・・・惜しすぎる(涙)

この後の大型・高級乗用車はドイツやアメリカ、イギリスの車が世界を席巻するわけですが、もしファセルが存続していたらどうなっていたのでしょう。
もしかしたら現在のドイツ御三家、アメリカのキャディラック、リンカーン、英国のジャガー、そして我が国のレクサスやインフィニティ、アキュラと覇を競う存在になっていたのかもしれません。

「ファセル・ヴェガ」を見て「これ(絶対高いだろうけど)いくら位出せば買えるんだろう?」ろ思い、中古車検索して見ましたがヒットせず。
やっぱり希少車ですからしょうがないですよね・・・

と思ったら4年前にイギリスのオークションにあの「リンゴ・スター」の愛車だった「ファセルⅡ」が出品されたそうです!
「ファセル・ヴェガ ファセルⅡ リンゴ・スターの愛した車」

やっぱりカッコいい・・・

で、当時の推定落札価格が「300,000GBP(約47,000,000JPY)から350,000GBP(約54,000,000JPY)」・・・

「ダメだ、こりゃ」(いかりや長介風笑)
まぁ、あの「リンゴ・スター」の愛車というプレミアーが付いているとしても高すぎる(^^;)
きっとリンゴ・スターも「ファセル」の魅力に取り憑かれたのでしょうね(^^)

私、ビートルズ信者では無いので「普通のオーナーが乗った」ファセルでいいので無いのかなぁと思って世界のサイトを探しまくりました(笑)
そうしたらありました。

去年、アメリカ・カルフォルニア州の街、カーメルで開催された「ボナムス・クワイルロッジ・オークション」に一台出品されていました!
その落札予想価格が・・・

159,000USD(約17,500,000JPY)~204,000USD(約22,500,000JPY)

・・・・・・・・

終了。
チーン(笑)

いくらで落札されたのかは不明ですが、こりゃ無理だぁ~\(^o^)/
相当、個体数が少ないことの証ですね。

「黒のコサージュ」、物語の内容は敢えて書きませんが車好きの方には読んで頂きたい一冊です(^^)
(また齋藤氏はクラシック音楽にも造詣が深いようで文中に「社長はベッドの上でシェーンベルグの「浄夜」を聴いていた」などという行もあり、その他の名曲も出てきます)

この本を今日てにとったお陰で「知ってるつもり」の車の新たな良さやモデルの存在を知ると同時に、間違って覚えていた車の頭の中の修正が出来(笑)、「未知」の車だった車の成り立ちやエクステリア、メカニズムを知ることが出来ました。

最近は「電子書籍」が相当シェアを伸ばしてきているようですが、紙媒体は場所を取りますけど「ページをワクワクしながら捲る」という良さがありますね(^^)

あーこれ読んだら他の齋藤氏の本も読みたいよ~・・・・・・
なんで捨てちゃったんだろ(涙)


次の通院のときBOOK-OFF覗いてこよう(^^)

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
また先日来、沢山の「イイね!」を頂き本当にありがとうございます\(^o^)/

皆様のお勧めの「自動車もの小説」がありましたらご教示頂けると幸いです(^^)

皆様Uターンは完了されたでしょうか?
完了された方々はお体をお休めください。
そしてこれからという方は道中、どうかお気をつけて。
2017年08月13日 イイね!

映画版「白い巨塔」を観て(ネタバレあり)

今日は墓参に行ってきました。
自宅付近は晴れていたので安心してたらお墓のある所は雨でした・・・

しかも迎え火&供物のタバコ点火用の火を忘れるという大失態(T_T)
一端、お墓の近くのホームセンターに戻りチャッカマンを買ってきました。

車中の音楽はスメタナの連作交響詩「我が祖国」(ヴァツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1974年 東京文化会館 LIVE)を聴きながら。
この公演はFM番組「TDKオリジナルコンサート」録音の為に催された演奏会の実況録音で、ライナーノーツによれば東京文化会館の定員2,000名の募集(録音の為、無償応募制のコンサート)に対してハガキがなんと115,000通も届いたそうです。
その2,000名に選ばれた方は幸運だったでしょうね(^^)
当日はそれでも抽選から漏れた人々が文化会館に並び「立ち見でいいから入れくれ」と懇願する人まで現れスタッフは「消防法で禁止されていますので駄目です」と必死に頭を下げたとか。

演奏は少しデッドな響き(東京文化会館大ホール自体がデッドですから仕方ないですね)ですがチェコの土臭さを感じる素晴らしい演奏です。
「我が祖国」ではクーベリックのチェコ・フィル盤とバイエルン放送響盤に並んで私の愛聴盤となっています。
最後の「ブラニーク」が終わって一瞬の間を置いての「ブラボー!」と万雷の拍手は当時、如何に人々が音楽を渇望していたか、そして115,000人の中から選ばれた幸運な2,000名の聴衆の熱狂ぶりを感じました。
私の生まれる前の録音ですが、これを実演で聴けた方は本当に羨ましい限りです。

さて、お墓は雨も降っていて迎え火も線香も直ぐに消えてしまう為、ご先祖への非礼を詫びつつそそくさと帰って来ました。
(恐らくお迎えたのでGT-Rに一緒にご先祖方々も乗ってきたと思います。恐らく相変わらずうるさい車だなと言っていることでしょう笑)

思ったより早く帰宅したので日課の「読書&CDを聴く」に耽ろうと思ったのですが、ふと映画でも観ようと思いDVD棚から「白い巨塔」を出して観ました。

「白い巨塔」は余りにも有名な山崎豊子原作の小説で、近年では唐沢寿明さん主演で連続ドラマ化され高視聴率を誇りました。

しかし、この「映画版 白い巨塔」は田宮二郎さん主演で最初に映像化された記念すべき作品です。
(監督は社会派作品の巨匠として知られた山本薩夫)

その主要な登場人物達。
※以下、三作品を分類するため下記のように書きます。
映画版=最初に映像化された作品
田宮版=田宮二郎主演で1978年に連続ドラマとして放映された作品
唐沢版=唐沢寿明主演で2003年に連続ドラマとして放映された作品

主人公 財前五郎
国立浪速大学第一外科助教授。そのメス捌きは国内でも屈指の物で「胃がんの若き権威」と呼ばれ財前の名前を頼って遠距離からも患者が来る存在。上昇志向が強く、患者や医局員への態度も尊大・傲慢だが母親想いの一面も。

財前五郎(田宮二郎・映画版)

財前五郎(田宮二郎・田宮版)

財前五郎(唐沢寿明・唐沢版)

私は「唐沢版」をリアルタイムで観て、それから「田宮版」を観たクチですが、田宮二郎という俳優の演じた財前五郎はニヒルで傲慢・冷血、しかし意外と情にもろいところを演じきった姿に「役者魂」を感じました。また「唐沢版」も尊大で傲慢、そして打算的だが里見との友情を感じさせる名演技でした。

里見脩二
国立浪速大学第一内科助教授。財前とは学生時代からの友人であり、そのメス捌きを認めつつも患者への態度等では相容れない。患者に対してはおせっかいとも言えるほど献身的で且つ、慎重な診察をする。患者からの信用は絶大だが、医局員や上司の教授からは、その献身的且つ丁寧な診察で時間と取られたりするため煙たがられている。

里見脩二(田村高廣・映画版)

里見脩二(山本學・田宮版)

里見脩二(江口洋介・唐沢版)

里見という人物は患者だけでなく周りの人々にも優しく学究肌の人間なのですよ。江口さんはその役を上手く演じているのですが、「トレンディドラマ」のイメージが強いうえに「学究肌」という感じがしません(笑)その点、田村高廣さんと山本學さんは優しくて、学究肌だが医師としても一流、しかし要領の悪い人物を完璧に演じきっています。それを最も感じさせるのが江口さんは財前を「おい、財前」と呼び捨てですが田村高廣さんと山本學さんは「財前君」と呼んでいます。江口さんの演技が下手というわけでは無くて、ちょっとワイルドになっているかな?という感じ。

東貞蔵
国立浪速大学第一外科教授。財前の師であり上司でもある。医師として高潔な人物であり財前の腕を認めていたが、財前が「若き権威」と雑誌で紹介されたり、教授である自分を差し置いて財前を指名する患者の方が多いことなどから嫉妬心を抱く。またその事から財前の性格までを憎むようになり自らの退官後の後任教授にほぼ内定していた財前に対立候補を立て、追い落としを図る。

東貞蔵(東野英治郎・映画版)

東貞蔵(中村伸郎・田宮版)

東貞蔵(石坂浩二・唐沢版)

東教授を演じた三人の役者さんは皆「大物」ですから演技はどの版を観ても素晴らしいとしか言いようがありません。若い才能に嫉妬心を抱き、それが憎悪となり些細なことでもケチをつけ、挙げ句の果てには自分の弟子である財前を追い落とそうとする姿・・・
医師としての「高潔さ」と人間臭い「若い才能への嫉妬」を両立させた演技は難しいところですが、この三人全てが自らの個性を出しつつ、それを演じています。
それにしても東野さんと石坂さん、「黄門様」という共通点が(笑)

鵜飼医学部長
国立浪速大学医学部長・第一内科教授。人間関係の駆け引きに長けており、医師としての業績よりその世渡り上手な人間性で医学部長にまで登りつめた人物。自らの権勢を誇ると同時に患者や医局員達にもドライで更に自派閥を大きくしようと画策する人物。

鵜飼医学部長(小沢栄太郎・映画版)

鵜飼医学部長(小沢栄太郎・田宮版)

鵜飼医学部長(伊武雅刀・唐沢版)

いやー、鵜飼医学部長役を演じたお二人は俳優界の「二大ヒール」とも言っていい存在ですね(^^;)
小沢さんは大河ドラマ「新・平家物語」で「藤原信西」役をやった時は余りのヒールっぷりにNHKに「早く信西を殺せ!」という投書が沢山来たとか(笑)伊武さんも様々なドラマでヒール、それも相当クセのある演技をしていますよね。「権謀術策」を図るヒールではこのお二人が最高だと思っています。
(といいつつ十数年位前に伊武さんが「明智小五郎」をやったのは黒歴史?笑)

この二人がヒールであることには変わりないのですが「映画版・田宮版」で演じた小沢さんはちょっとは人間味のあるところがあるのに対して「唐沢版」の伊武さんは最後まで徹底したヒール(笑)
ここにちょっとした違いがあります。

菊川昇
国立石川大学外科教授。
心臓外科の若き権威をして高名な存在。財前の追い落としを図る東教授により東後任の教授選挙に出馬するよう依頼される。当初は断るが逡巡し、出馬を決意。学究肌で穏やかな人柄。熾烈な教授選挙で財前に敗れる。

菊川石川大学教授(船越英二・映画版)

菊川石川大学教授(米倉斉加年・田宮版)

菊川石川大学教授(沢村一樹・唐沢版)


菊川教授は心臓外科の第一人者であり、穏やかな人間性と確かな技術で患者や医局員からも慕われ、金沢で研究と講義に没頭する日々を送っていたのに東教授の野心のせいで浪速大学の教授選に引っ張り出され、挙げ句の果てに負けるという踏んだり蹴ったりな役です。
この役を三人の名優が演じています。

船越さんは今ワイドショーを賑わしている「YouTubeで怖い日記を公開している家計上手な妻」を持つ「2時間ドラマの帝王」のお父さんです(笑)
船越さんは金沢に愛着を感じ、そこでの生活に満足しているのですが東教授らに流され教授選出馬に至ってしまうという感じ。
米倉さんも金沢で研究を続けたいが、石川大学より規模の大きい浪速大学の教授になればもっと大きな研究が出来ると思う、ちょっと野心を覗かせた感じ。
沢村さんは寡黙で「完全に学究肌」な人物で余計なことはしゃべないという感じ。
三者の「菊川教授」もそれぞれ違いがあっていい演技でした。

一番印象深いのは沢村一樹さん。教授選に敗れた事を電話で聞くと「そうですか。やはり東先生と船尾先生の道具として使われた私と、医局員達から絶大な信用を集めていた財前先生とでは最初から勝負がついていたのでしょう。もう石川大学にいるわけにもいきませんから、オーストラリアの大学に移って研究を続けます。あちらには「医局」という不可解な存在はありませんから」と言って電話を切るシーン。
穏やかな人柄の菊川が皮肉を込めて東教授への怒りを静かにあらわすシーンは印象的です。

この他にも登場人物は多数おりますが、それを全部紹介していたのではとても長くなるのでこの5人を紹介すれば「白い巨塔」のあらすじは分かるということで(笑)

この作品は山崎豊子先生が「医局」という世界にメスを入れた名著です。
当時は「無給医局員」(医局に置いてもらえて医師としての修行や研究は出来るが給料が出ない)なんてものがあった時代で医学部内における「教授」は絶対的存在であったようです。
その暗部を小説家したもので所謂「エンターテイメント的」要素は無い骨太の作品です。

そのあらすじ。(というか映画版ネタバレです。物凄く端折っています笑)

浪速大学第一外科助教授の財前五郎は父親を早くに亡くし、母親の手1つで育てられ勉学に勤しんだ結果、地元の医師の目に止まり学費援助や奨学金を貰いながら浪速大学医学部に入学。優秀な成績は勿論、外科医としての才能も開花し第一外科助教授にまで登りつめます。
またその優秀な所が大阪で大きな産婦人科医院を営む「財前又一」の目に止まり、婿養子として迎え入れられます。

そして「胃がんの若き権威」として世の注目を浴びる存在となり、雑誌の取材を受けたり財前を頼って全国から患者が集まるまでの存在となり、第一外科は「財前外科」とまで呼ばれる存在に。
しかし、当の第一外科教授、東貞蔵は弟子である財前にばかり世間の注目が浴びせられることに嫉妬心に似たようなものを感じ始め、さらには財前のスタンドプレー的行動に腹を立て始めていました。

東は翌年に定年退官を控えていましたが、その後継者は誰が見ても「財前助教授」だろうという事で一致しています。しかし東はそれが余計にも面白くなくなり、財前に対し些細な事で注意したり上げ足を取るかのような発言を繰り返します。
それでも「東教授の後継者」は自分だと自負する財前は我慢し、東に対して低姿勢な態度を取り続けますが、今度はそれが東にとっては「慇懃無礼」な態度に思えて来て、遂に東は財前を後継者として指名せず、自らの院政を狙う事も考え他の大学から後任教授を連れてくることを画策します。

師として従っていた東の行動を知った財前はなんとしても「教授」になって「財前外科」を有名事実にしたいと考え、医学部長で第一内科教授の鵜飼に接近。
鵜飼への調略(まぁ簡単に言えば賄賂工作ですね笑)を始め、また鵜飼医学部長も医学部内での自らの派閥を更に強大化させるという二人の思惑が合致した結果、鵜飼医学部長は財前を教授選で応援することに決めます。

東は自らの出身校「東都大学医学部」の医学部長である船尾教授に誰か自らの後継者足りうる人物はいないか相談した結果、船尾教授の弟子で石川大学の「菊川教授」を紹介され菊川こそ自分の後継者に相応しいと考え自分の後任の浪速大学第一外科教授になってくれるよう頼みます。

菊川は当初は渋りますが師である船尾教授の説得もあり、その話を受けます。

それを知った財前は、舅(開業医)の豊富な資金と鵜飼医学部長の支援のもと、他の教授陣へ多数派工作を進めますが、東教授側も同じくポストや研究資金をエサに同じことを・・・

そして運命の教授選挙の日。
一度目は財前・菊川両者ともに過半数に届かず決選投票となることが確定。
即時決選投票を主張する大河内前医学部長(高潔な人物。財前・菊川両派の札束やポストが飛び交う熾烈な選挙戦に嫌悪しており教授選挙を早期に終わらせようとしていた)を鵜飼医学部長が静止し「一週間後」の決戦投票が決まります。

さらに飛び交う札束とポストをエサにした一本釣り(笑)
書いていてなんだか昔の政治ドラマみたいだな(^^;)

決選投票。
財前16票、菊川14票で財前が東退官後の後任教授に決定します。
喜びに湧く財前や医局員、唇を噛む東・・・
(東教授は学外から教授を連れてこようとしたことで医局員達からも距離を置かれています)
その敗戦を報告する東教授に対する菊川教授の態度は船越・米倉のお二人は淡々としていますが、沢村さんは上で書いたとおり淡々と語りながらも強烈な皮肉を込めたカウンターパンチ(笑)

晴れて教授になることが内定した財前に海外で開催される学会に来て発表をして欲しいとの依頼が来ます(映画版、田宮版、唐沢版によって行き先が違います)
更なる栄誉に自信を深める財前と海外にまで轟く「Professor Zaizen」の名に沸き立つ医局。

財前の学生時代からの友人で第一内科の助教授である里見脩二は内科医として優秀ですが「出世」には興味が無く、患者に真摯に向き合い事を第一に考える医師です。
里見は患者に対する態度等、財前と違うところはあれどお互いにその存在を認め合う中でした。
財前が教授選工作をしている頃、里見は1人の患者を診察、その患者のレントゲン写真を見て「胃がん」であることを見抜き、財前に意見を求めます。

財前は間違いなく胃がんであり、今手術をすれば完治可能だと結論を出します。
がんを宣告され、動揺というよりあーだこーだと理由を付けて手術をゴネる患者に財前は一喝します。
「今なら100%切除可能です。助かりたいなら手術同意書にサインしてください。嫌だと言うならどうぞお引き取りを」と。
里見はその態度を見て「100%根治を約束するなんてどういうことだ!」と食って掛かりますが財前は「治せるから言っているんだ。治せないなら言わないよ。それに患者自身が治すという気が無ければどうにもならないじゃないか」。

この患者はしぶしぶ手術を受けることに同意し、手術の説明を受けますがその際、医局員の1人が気になる影を見つけ、財前に尋ねますが財前は結核の痕と判断、更にこのがんを発見した里見は更なる精密検査を行うべきと財前に進言しますが財前はそれを無視、手術を行います。
そして海外での学会へ医局員達の歓呼の声に送られ旅立つのですが・・・

財前の出発後、その胃がんを手術した患者の容態が急変、手当の甲斐なく死亡。
死因はがんが肺に転移していたのに手術を行ったことによるものでした。
(なお解剖によって「肺への転移」を見つけたのは上で書いた「高潔」な大河内・前医学部長でした)

遺族は財前の尊大な態度と親身になって診察せず海外に行ってしまったことに不信感を抱き、浪速大学と財前を相手取り民事訴訟(賠償と謝罪を求める)を起こす事態に。

海外での学会を成功裏に終わらせ絶頂で帰国した財前を待っていたのは新聞の一面にデカデカと載った「財前教授、訴えられる」の紙面でした。

財前は自らの潔白(誤診はなかった)と信じていますが、念には念を入れ医局員達に工作すると同時に裁判における被告側鑑定人を医学界の権威に依頼、万全の体制で裁判に臨みます。
財前の力量を知っているこの権威は財前の手術は完璧で、肺への転移は予測することは不可能であり、また外科医が手術を恐れていては医学の発展はおろか、外科医達は皆萎縮してしまい救える命も救えなくなると擁護する鑑定意見を述べます。
(この被告側鑑定人として登場する人物、なんと教授選で東教授と一緒に財前を追い落とそうと菊川教授を紹介した船尾東都大教授です)

一方の原告側は「浪速大学」を敵に回すということもあり鑑定人を引き受ける人物がおらず困っていましたが事の経緯を知る里見や東前教授の力添えもありなんとか鑑定人を見つけます。

そして判決。
それは原告の請求を棄却するという財前側の勝利で終わりました。
裁判で勝ちを収め、不敵な笑みを浮かべる財前。
そして「これは当たり前の結論だよ」と一言。

一方、浪速大学に不利になる鑑定人を紹介した里見第一内科助教授には鵜飼医学部長から「山陰大学内科教授」という一見、助教授から教授への昇進と見えつつ浪速大学とは比べ物にならない貧弱な研究設備や病院、そして殆ど研究予算の無い山陰大への転勤命令は事実上の「左遷」辞令が。
里見はその辞令を拒否、浪速大学を退職することを決意します。

映画のラスト、1人寂しい姿で去っていく里見。
そして彼が振り向くとそこには「白い巨塔」浪速大学病院がそびえて建っているのでした・・・・・

はぁ、長かった(笑)
これが映画版のあらすじ(というかネタバレ)です。

これを子供の頃、BSで見た時の感想。

財前には「なんて酷い奴だ!悪いことやって教授になって、しかも裁判でも悪いことして勝ってるし!なんでこんな奴が最後に勝って高笑いすんだよ!こんな奴、サイテーだ!」。

里見には「患者にも優しいし子供にも優しくていい先生だなぁ。それに仕事にも一生懸命だし。なんでこんないい人に看護婦さんとかの態度悪いのかなぁ。それに正しいことを言ったのに病院を追い出されるなんて酷いよ・・・」

東教授には「細かいことでうるさいおっさんだなぁ。それになんでもかんでも文句ばっか言ってるよ。うちの親父よりうるせぇ(笑)でも死んだ患者さんの事を考えていたのは立派だね」

鵜飼医学部長「こいつも財前並に悪い奴だ!自分が得になることしか考えてないし!こいつが一番のワルだ!」
と思ったものです。

しかし、歳を重ねて今この映画を観ると見方が子供の頃と全く違うのです。

財前に対しては「人間、上昇志向が無くなったらダメだよなぁ。しかも教授になれば手術も研究も人事も好き勝手やれるし、どうしてもなりたいよなぁ。それを信じて東教授に仕えてきたのに梯子はずされたらそりゃ頭にくるし、潰しにかかるよね。裁判もなんだかんだ言って「組織の論理」で仕方ねーなぁ・・・」・

里見には「患者に優しいのはいいけどもうちょっと要領よくできないのかねぇ。仕事が丁寧なのは分かるけど使えない奴じゃん。それに自分の友人を売るような事、よくできるわ!むしろ左遷で済んでいい位じゃね?」

東教授「ホント口うるせぇおっさんだな。しかも自分より若くて腕の立つ弟子に嫉妬しやがって。しかも院政を引こうとしてやがるし。高潔ぶっているけど単なる権力欲が欲しいだけじゃん。しかも長年仕えた部下を切り捨てやがって、最低な奴だ」

鵜飼医学部長「組織のトップに立つと足元掬われないかと思うよなぁ。そうすると自分の派閥を大きくしたくなるのも当然だし。金だってあげると言われたら貰っちゃうな(笑)それに組織を守ろうとするのも分かるし、なんだかんだ言って財前の手腕を認めてんじゃん」

・・・・・

大人になって心が汚れてしまったようです(笑)

子供ころは「勧善懲悪」にスカッとさせられる単純な物語が好きでしたから、そういう思いを抱いたのだと思います。
逆に大人になり「労働経験」を持てば「組織の論理」や「要領の良し悪し」「出世欲」という物を知ってしまう訳です。

ですからこういう感想を抱くのだと思います。

山崎豊子さんが小説で言いたかったのは「上昇志向が強いが外科医としてのスキルは超一流」の財前と「出世欲は無く、要領が悪いが患者への真摯な態度」の里見を対比させると同時に、嫉妬心で弟子を追い落とそうとする東教授、更には財前を取り込んで自らの権勢拡大と懐も肥やす(笑)鵜飼医学部長をという4人の人間模様を絡め、「教授選び」という1つの「儀式」のせいで1人の患者が死んだという悲喜劇だと思っています。

この小説(そして映画・ドラマ)には結局「ヒール」はいないのだと思います。

財前は自らの腕に過信しその結果、誤診をしてしまうわけですがその患者を「救おう」としたことは事実ですし、東教授に梯子を外された結果、教授選で闘うことになってしまった事は「それまで仕えて来た師に裏切られた」という思いだったでしょう。

里見は里見で財前と対応の違いや科の違いこそあれ、その患者を救おうとしたことは同じですし、亡くなった患者の家族の事を考えると同時に「死因」を明らかにすることこそが「医学の進歩」に繋がると信じているからこそ、原告側の証人になったのでしょう。

東教授は自分の弟子である財前のスキルの高さに嫉妬する気持ちも分かりますし、一度握った権力を「院政」という形で残したいことも理解できます。そして財前のスタンドプレーに嫉妬から憎悪に変わりつつもなんとか財前に謙虚になって欲しいとの思いから小言めいた事を言っているのも分かります。

鵜飼医学部長は最も人間臭い人物でしょう。自らの権力保持、さらなる栄達、金。人間が欲する「欲」を如実に表している人物です。人間だれもが一度はこれらを欲しいと思うことでしょうし守るべき「組織」が出来ればなりふり構わずそれを守ろうとするのも人間の本能です。

こうして書いていてこの四人でもっとも共感と言うかその心情が分かる人物。
私は「東教授」の心情が分かるような気がしています。

私には財前のような傑出した何かのスキルがあるわけでもありませんし、上昇志向もある方では無いと思っています。

また里見のように聖人君子のように人に接する事ができる自信もありませんし彼のように自らの組織を敵に回してまで他人様の事を考えるなんて行動をする勇気もありません。

そして鵜飼医学部長のように栄達には興味が無く(というより縁がない笑)組織のトップに立ったことはありませんし、これから立つことも無いでしょうから「組織を守る」という矜持を持っていません。また「組織」が無いとすれば、それに替わって「守るべき物」であろう「家庭」もありません。(ただし「金」への欲だけはありますが笑)

私は東教授の「嫉妬心」が分かる(ような)気がするのです。
学生の頃は自分より成績がいい人間にジェラシーを抱きましたし、今でも自分よりルックスがいい、運転が上手い、話術に優れている、女の子にモテる(笑)等など自分が持っていない物を持つ方にジェラシーを憶える事は今でもたまにあります。

「ジェラシー」という感情を捨て去るにはまだまだ人生の経験値が不足している証左なのかもしれませんが、一生捨て去ることが出来ない感情の1つなのかもしれません。
まぁ、その感情が人様に迷惑を掛けなければ、無理に捨て去るべき感情だとは思っていませんし、ふとしたきっかけでそれを捨てる事が出来るかもしれません。

理想は名指揮者カルロス・クライバーが言った「私は庭の野菜のように太陽を浴びて成長し、食べて、飲み、愛し合いたいだけ」という人間像ですが、こうなるにはまだまだ人間としての修行を重ねなければならないのでしょうね。
(あ、「愛し合いたい」という欲が残っていた笑)

「白い巨塔」は本来、この財前の勝利で終わる筈でした。
映画版もそのとおり、財前の勝利で終わっています。
しかしこの小説が発表されるやいなや、社会的反響が大きく山崎豊子さんは乗り気ではなかったようですが続編を書くことになります。

それが「田宮版」や「唐沢版」で描かれる第二審から衝撃のラストまでです。

小説版・映画版・田宮版・唐沢版で話のメインストリームは同じですが、細部では放送された時期にそった変更点や登場人物の変更があります。
それらを比べてみるのも1つの楽しみだと思います。

なお、「白い巨塔」は上で挙げた三つの映像作品の他にテレビ朝日で放映された「佐藤慶」さんが財前を演じた「佐藤版」、村上弘明さんが財前を演じた「村上版」もあるようですが、こちらの2つは残念ながら映像化されていないようです。
これらはDVDで復刻して欲しいですね(^^)

また韓国でも「白い巨塔」はドラマ化されています。
ハングル表記하얀 거탑  (ハヤンコタプ)

最後に「白い巨塔」名物?「教授総回診」の模様をお伝えして本日のブログを最後としたいと思います。

映画版

田宮版

唐沢版



あ、最後のは違いますね(笑)

同じ医療ドラマで「ドクターX」も好きですがあちらは「エンタメ」、「白い巨塔」は骨太の人間ドラマですね。

映画版では田宮さんが31歳と若く「教授」らしさが足らないと考え髭を生やしたそうです(^^)
それにしても私の入院していた某病院は教授回診でこんなにゾロゾロと大名行列じゃなかったですけどね(笑)

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
また沢山の「イイね!」誠にありがとうございます。

Uターンラッシュが明日(あ、もう今日か)あたりから本格化するようです。
Uターンの皆様も行楽に行かれる方も道中、何事もありませぬようお気をつけて。
2017年08月12日 イイね!

世界の「元首級の車」達

明日はお墓参り。
我が先祖達が眠るお墓はお菓子とか供物をお墓に供えるのは禁止なんですよね。
カラスが持っていって食い散らかすのですよ(^^;)

子供の頃はお菓子を備えて、拝んだらそれを食べてよしだったのですが、今は線香と爺さんの好きだったタバコを一本、それに花とお茶、水のみです。
最後はちゃんと線香が消えるまで待つか、水をかけて「完全消火」を確認して終わりです。

最近のカラスは更に頭が良くなっているらしく線香を咥えていって落として火事、なんてこともあるようで・・・
それに禁煙して相当経つのですが、お墓参り用にタバコを買うと吸いたくなるのは確実です(汗)
去年の墓参の時に買ったのは持っていると吸いたくなるので直ぐに捨てちゃいました。
もったいないですが、今年もそうしようか・・・

いくらなんでも一年保管して、来年も供えたら爺さん、きっと怒るでしょうし(笑)

そんな明日はお墓までのドライブが有るのでGT-Rで行くかハスラーで行くか考えた挙句、GT-Rで行こうと決定。
給油してきました。
たったの18リッターしか入りませんでした。

帰宅して物置に墓参用水桶を探しに行って昔集めていたミニカーを見つけました。

私、子供の頃は「トミカ」や「ダイヤペット」のミニカーが好きでそれもどこかに眠っているはずですが、今日見つけたのは若い頃、再び収集癖が顔を出し買った物でした。

「Minichamps」というドイツメーカーの 「リンカーンコンチネンタルX-100 ケネディ大統領大統領専用車 1961年ベルリン訪問時」のミニカーで 1/43スケールです。
ご丁寧にケネディ、アデナウアー、それに警護のシークレットサービスのフィギュアまで付いています(笑)
確かこれは幕張にある日産のなんていいましたっけ・・・工場跡に出来た商業施設・・・・
あ、思い出した。
「カレスト幕張」で購入したもので、20%OFFになっていて「これはお値打ちですよ」と言われ買ったものでした。

「Minichamps, 1961 Lincoln Continental "X-100" Kennedy-Car, Berlin, 1/43」

※写真はネットからお借りしたものです。埃だらけでとても掲載できるような有様では無かったので(汗)
これは1961年にJ・F・ケネディが当時西ベルリンを訪問した際の模様を忠実に再現したモデルです。
彼の言葉ベルリンでの有名な演説「 (前部分略)as a free man, I take pride in the words ”Ich bin ein Berliner.“」(1人の自由主義者として「私はベルリン市民である= ”Ich bin ein Berliner.“」という言葉に誇りを覚えるのです」はベルリン封鎖により疲弊した西ベルリンの人々に勇気と希望を与え「格調高い名演説」の1つとして歴史に名を刻むものとなりました。(ただしこの演説は暗殺される5ヶ月前、1963年6月にベルリン再訪時の発言です)

(ドイツの敗戦後、ベルリンは米英仏が占領した区域(西ベルリン)とソ連が占領した区域(東ベルリン)に分割されており、またベルリン周囲はソ連占領していたため、謂わば「陸の孤島」でした。余談ですが、1948年、ソ連は西ベルリンへの物資供給の為の陸路通過に許可を出さず、西ベルリンは食料や物資が欠乏する状態でした。「兵糧攻め」を狙ったと言えます。しかしアメリカは断固として「西ベルリンを見捨てない」と声明を発表、食料や物資を空輸により運ぶ「ベルリン空輸作戦」を断行し、西ベルリン市民を救いました。上空を飛ぶアメリカ軍機への妨害・威嚇はあったようですが、「撃墜したら我々は断固たる処置をとる」というアメリカ空軍司令官、カーチス・ルメイの言葉の効果は絶大で、この空輸作戦は続けられました。結果、根負けしたソ連側は1949年に封鎖を解除します。しかし1961年夏、あのベルリンの壁が造られ東西ベルリンは完全に分割されてしまいました。輸送作戦を指揮したルメイは「東京大空襲」の指揮を執ったことでも知られています)

ケネディは言葉の1つ1つに「誠実さ」と「西側を守るという断固たる決意」そして「人は生まれた落ちた時から全て平等である」という事を感じさせる政治家でした。
私の中では「歴史上の人物」ではあるのですが尊敬してやまない人物です。

話がいつものように脱線しました(笑)

このミニカーメーカー「Minichamps」は面白いミニカーを出すメーカーです。
この「ケネディベルリン訪問モデル」の他に「プレジデンシャル・シリーズ」と銘打ち、下のようなモデルのミニカーを出しています。

「Minichamps, 1963 Lincoln Continental "X-100" Kennedy-Car, PARADE VEHICLE1/43」
1963年、ケネディ大統領 パレード用専用車 X-100 です。
写真を見て頂ければ分かりますが、ケネディのとなりにはジャクリーン夫人と思われる女性、前には当時のテキサス州知事であったジョン・コナリー夫妻らしき人物が乗っています。

1963年、テキサス州・・・
このミニカーは1963年11月22日にテキサス州ダラスで発生した「ケネディ大統領暗殺」事件直前の大統領パレードの模様を再現したモデルと言われています。よってアメリカ国内での販売は禁止されたとか。

またこういうのも。


「Minichamps, MERCEDES-BENZ 770K EMPEROR HIROHITO 1/43」
昭和天皇の御料車だったメルセデス・ベンツ770K、グロッサー・メルセデスを再現したモデルです。
さすがに昭和天皇のフィギュアは付いていませんが、箱に「HIROHITO」と記載されています。
(この車は当時の同盟国であったドイツのヒトラーから贈られた車として有名ですね)

この「ダラス」モデルと昭和天皇モデルは欲しかったのですが、入手できませんでした(涙)
「Minichamps」のプレジデンシャル・カーシリーズは他にもケネディ暗殺事件に伴い屋根が付くことになったジョンソン大統領モデル、ドイツはアデナウアー、ブラント、シュミット、コール各首相の公用車だったメルセデスやシュレーダー首相の公用車だったVWのフェートンまで造られています。
(それもご丁寧にフィギュアまで付いています笑)
他にもプレジデンシャル・シリーズで国家元首級が乗る自動車をミニカーとして再現したモデルがあるかもしれません。

ケネディベルリンモデルを物置で見つけ懐かしい気分になり、それからいつものようにCDを聴きながら本読みを始めたのですが、ふと「世界各国の元首級の乗る公用車」はどんな車なのだろうと疑問が頭をもたげてきたのです(笑)
こりゃあブログのネタになるなと思い(シメシメ)早速調査開始。

所謂「VIPカー」でしょうが、なんか我が国では違う意味になってますよね(^^;)

まずはアメリカ合衆国。
「呟き大統領 ドナルド・J・トランプ」が乗る大統領専用車。
その名も「キャディラック・ワン」


こうして見ると「普通のリムジン」と言えなくもないですが、その内容が「さすが合衆国大統領専用車」と言える内容となっていました。

(Wikipedia、他サイトより調べたものを要約)
全長5.5メートル、全高1.8メートル、重量8トン
ボディ鋼板の厚さは5インチを越えていると言われ、チタンやセラミックを使用した複合素材と見られている。また車体全体が「防爆仕様」となっておりライフル銃での狙撃は勿論、ロケットランチャーの直撃を受けても走行可能。またマンホール通過時等に車体下で爆発が起きても走行可能である。
ドアの厚さは20センチ以上あり、化学・生物兵器を使用したテロを想定し室内は気密機構にとなっている。防弾ガラスの厚さは12センチ以上あるとされ、その余りの厚さに外光が室内に届きにくいことから室内間接照明が用いられている。タイヤは狙撃されてもパンクしないグッドイヤー製ランフラットタイヤが採用されており、8トンの車重を支えるため特注品。エンジンは重い車体を動かすトルクと万が一の爆発力の事を考えディーゼルエンジンが採用されその最高速は時速100キロ程度である。また燃料タンクは特殊な発泡体により保護され自動消火装置が備わっている。室内には暗視カメラ、酸素ボンベ、輸血用血液製剤が装備。またコクピット周辺には緊急時用に催涙弾やショットガンが装備されているものと思われる。また通信装備についても各種回線が装備され、ミサイル発射命令や攻撃命令等も車内から行うことが可能。

オバマ前大統領来日時の車列

警察警護車両のメルセデスSクラスが小さく見える・・・(汗)

書いていて「自動車」ではないと思いました(笑)
シークレット・サービスはこの車を「ザ・ビースト=野獣」と読んでいるそうですが、それを通り越して一種の「戦車」ですね(^^;)
ドアの厚さを物語る写真を見つけました。


自動車のドアとは思えぬ厚さ(汗)
一説には旅客機の出入り口と同じ厚さと重さ、若しくはそれ以上だとか・・・

あぁそうだ。
「戦車」というより「動くシェルター」だと思えばいいんだ(笑)
ケネディの悲劇があったため、大統領専用車は「頑丈」を通り越して「動くシェルター」になったのでしょうね。

次はイギリス連合王国。
エリザベス女王の御料車です。
「ベントレー ステート・リムジン」


こちらはスペックはロールスロイス製V8、6.8リッターツインターボを搭載し全長6.2メートル、全幅2メートル、全高1.77メートル、車重3.3トンとのこと。
やはり車体には補強が施され、防弾・防爆仕様で、対化学兵器テロの為室内は気密構造。
タイヤも当然の如くランフラットだそうです。
さすが大英帝国の女王がお乗りになり御料車です。
「女王がお乗りになる時はボンネット上のベントレーのオーナメントである「B(Flying B)」が女王のマスコットである「竜を退治する聖ジョージ」像に交換される。」(Wikipediaより)そうです(^^)

こういうところが英国らしいですね。
またエリザベス女王はご自分でジャガーを運転されることもあるそうです(^^)

次はフランス共和国を見てみましょう。
フランス大統領専用車。


意外!シトロエンのDS5です。
フランスの大型車と言えばシトロエンのC6やルノー・タリスマンあたりですからそのあたりが大統領専用車だと思っていたのですが・・・
ただし、この写真はオランド前大統領就任式の時の写真なので現大統領のマクロンは違う車になっているかもしれません。
ただ、フランスは如何に大統領専用車であろうと「贅を尽くした車」を国民感情が許さないようです。
やはり革命で自由を勝ち取ってきたお国柄。
大統領も「パブリック・サーヴァント」と一員という考えが根付いているのでしょう。

最近、アメリカと並ぶ「超・大国」を目指し覇権争いしている国と言えば。
中華人民共和国。
その中国の国家主席はどんな車に乗っているのでしょう。

中国 国家主席専用車「赤旗(ホンチー)L5」

ネオクラシックなエクステリアですね。
ボンネット上にある「紅いオーナメント」が「いかにも」で印象的です(^^;)

リア

正直な感想を言いますと・・・
昨日のブログ「ヘッドライトについて書いたので今度は「テールランプ」の話(笑)」で紹介した「フィンテール」の「プリンス・グロリア」のデザインをパクっていませんか?(笑)
まぁボディは伸びやかなんですが、テール周りはプリンス・グロリアに・・・(汗)

次はロシア連邦。
細マッチョなうえに柔術使いで熊も退治してしまうという、かの大統領はどんなお車に?
ロシア連邦 大統領専用車「メルセデス・ベンツS600 プルマン」


こちらも合衆国大統領の「ザ・ビースト」に負けず劣らず長い&デカい(笑)
恐らくこちらも防弾・防爆は当たり前でしょう。
ただ残念なのは「ロシア自国の車」ではない事ですね。

昔の「ソビエト連邦」時代は・・・
ソビエト連邦 共産党書記長及び幹部用専用車
「ZIL-41047」


なんだか当時の「キャディラック+メルセデスS÷2」みたいな車ですね(^^)
でも威風堂々としたエクステリアはさすが当時の共産党幹部しか乗ることが許されなかったというkとを彷彿とさせます。

プーチンさん、次はこれにするのかな?
メルセデス・ベンツ マイバッハS600 「ガード」


以下ソース「Idea Web Tools」より転載
ドイツの政府機関が定めたCR10という高レベルの保護レベルが認証された民間向け(非軍用車両)初のモデルで、主な装備として、マシンガンで攻撃されても貫通しないレベルの積層構造となったガラスの内側から、破片が飛び散ることを保護するためのポリカーボネートコーティングが施されているほか、通常モデルとは異なる特殊なスチール製のボディにランフラットタイヤなどを組み合わせることで、様々な攻撃から乗員を守り、襲撃を受けた場合でもそのまま走行して安全な場所へと避難することが可能な設計となっている。

と言うか・・・・・
>ドイツの政府機関が定めたCR10という高レベルの保護レベル
なんてあるんかい(笑)
このマイバッハは「お金があれば」我々、一般の民でも買えるそうです(^^;)
(あ、DS5も買えますね)
プーチンさんには頑張って国内自動車産業をもう一回復興してもらって「ZIL」のようなロシア製高級車を造って欲しいですね(^^)

ドイツ連邦共和国。
ドイツの元首は厳密に言えば大統領が存在し「国家元首」は大統領とも言えますが、実質的に儀礼的かつ形式的な存在となっているようです。
政治的中立を求められ、連邦首相の任免権や大臣の任命、議院決議への署名等がその職務として挙げられます。
我が国の天皇制に近いものがありますが、政治的中立性を求められていても政党には所属しておりますし、過去には大統領が国会決議に署名を拒否した例もあるとのこと。
よって我が国の天皇制と衆参議長の職務を折衷していると言ってもいいでしょう。
(一応、我が国の衆参議長も政治的中立性が求められるので党籍を離れています)

よってドイツで実質的に政治的実権は「首相」が持ちます。
(イギリスや日本もそうですね。あ、イギリスの首相専用車を書くのを忘れた)
よってドイツは首相専用車を紹介します。
(ドイツ大統領専用車はメルセデスS600とのこと)

ドイツ連邦 首相専用車 
「アウディA8L セキュリティ」

このアウディA8Lセキュリティも上で紹介したマイバッハS600「ガード」と同じく一般の民でも買えるそうです(笑)
ボディは各所に補強が施され、手榴弾の直撃をくらっても大丈夫(笑)
他にオプションとして非常用脱出システム(機構が気になる笑)や自動消火装置、酸素吸入システムを取り付け可能とのこと。
アラブの石油王とかが買ってそうですね(^^;)

それでは以下は各国の元首級の専用達を駆け足で。
イタリア共和国
「マセラティ クアトロポルテ」

イタリアは首相専用車がクアトロポルテってのが「いかにも」でいいですね。

インド共和国
「BMW 760Li」

インドは「タタ」や「スズキ」がシェア争いを演じていますが、元首級が乗る車はまだ海外製に頼るのは仕方ありませんね。

大韓民国
「ヒュンダイ エクウス」

前大統領が検察に出頭するとき何度も映りましたね。

世界をお騒がせしている某国
「キャディラック?それとも旧ソ連のZIL or GAZ?」

もしキャディラックだったら敵国の車やんけ(笑)
あ、それと乗っているわけじゃなくて「ついて行って」いますね(笑)

バチカン市国
ローマ教皇専用車
「メルセデス・ベンツMクラス パパ・モービル」

これは一般拝謁(沿道を埋め尽くしたカソリック信者に接する事)の時に信者達に教皇のお姿が見えるよう後ろを改造し、そのお姿を見ることが出来るようこのような形になっているそうです。
1981年のヨハネ・パウロ二世銃撃・暗殺未遂事件まではオープンカーが使われていたようですが、この事件以降、教皇の安全のためこのような形の車を造り、一般拝謁をするそうです。

例えば車は違っていますが、このような使われ方をしています。


(ただし普段の移動は現教皇フランシスコの意向「福音伝道に贅沢な高級車は不要である」という考えから警備で使用していたフォード・フォーカスや、昔寄贈されたルノー・カトル(ルノー・4)を使用されているとのこと(Wikipediaより)

元首級ではありませんが、アラブのどこかの国の王子様の愛車。
「フェラーリ 599GT フィオラノ」

なんとボディが純金でコーティングされているとか(笑)
しかも嘘か誠かこのようなメールのやり取りがあったとか。

息子王子「お父さん、ベルリンはとてもいい所で友達や先生もいい人達ばかりで気に入っています。ただ1つ悩みがあって・・・お父さんが買ってくれた純金のフェラーリ、金色が派手すぎて通学する時恥ずかしいんだ。友達や先生は皆、電車を使っているからそういう事が無いようだけど・・・」

それに対して父の王様からの返事。

王様「今日、仕送り用の口座に20,000,000USD(本日の日本円換算2,100,000,000JPY)を振り込んでおいたよ。そんな車の色の事で贅沢を言って、お父さんやお母さんを困らせないでくれ。さっさとその「電車」を買いに行ってきなさい。愛しているよ。父より」

もう腹を抱えて笑いました(^^)
その「一ヶ月分の仕送り」で十分、「一生遊んで暮らせる」と思うのですが(大笑)
本当かいな?と思いましたがアラブの石油採掘権や販売権をもった首長や部族長ならありえそう(^^;)
まぁこれも1つの「親子愛」ですね(笑)

では本日最後に紹介する国。
我が国「日本国」です。
まずは政治の司る「首相」の専用車を。

「レクサス LS600hL 首相専用車」

オバマ前大統領が来日した際に、銀座にあるあの「すきやばし次郎」で安倍総理と会食した時、待機していた写真とのこと。
こちらはスペックはされていませんが、ボディ補強による防弾・防爆はされているでしょう。
それまでは首相専用車はセンチュリーでしたが、環境に配慮している事のアピールを狙いHVモデルのLS600hLになったようです。(センチュリーを使うこともあるようですが)

因みにこのレクサスLS600h、モナコ大公の専用車としても使われています。

ワンオフでこのような車を造らせるとは、さすがはモナコ公国(笑)

本日最後に紹介する「国家元首」の自動車。
それは「天皇陛下御料車」です。

天皇陛下御料車
「トヨタ センチュリー・ロイヤル」


我が国が誇る「トヨタ・センチュリー」をベースに天皇御料車用にトヨタが開発した車です。
「普通の」センチュリーも堂々たる、しかし日本的重厚さをもったエクステリアですが、この御料車はさらにその重厚感を増しながらも落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

そのスペック(Wikipediaより)
全長6,155 mm、幅2,050 mm、高さ1,780 mm、車両重量2,920 kg、8人乗り
それ以外は公表されていないようです。
エンジンとかはセンチュリーと同じV12でしょうけど、装甲性能とか対テロ装備は当然、搭載しているのでしょうね(^^)


ドアの厚みも相当あります。


リアスタイルはセンチュリーの横基調から縦基調に変更されていますね。

御料車の存在感は「国産車随一」であることは勿論、欧米のFセグメントよりもあります。
大きさでもアメリカ大統領専用車「ザ・ビースト」より大きいです。
トヨタに「このモデルを市販化してくれ」という要望もあったようですが、それは無理でしょう。
この車に乗ることが出来る方は、天皇陛下ご夫妻以外には国賓や我が国に着任挨拶の皇居を訪れる大使だけなのですから。

御料車にはもう1つ用意されているボディがあります。
「トヨタ センチュリー・ロイヤル 寝台車」

この車体は皇族の方が崩御・薨去された際に使われる車両で我々から見ると「霊柩車」のような存在です。
この写真は桂宮宜仁親王が薨去された際の物とのことです。

また天皇陛下は、皇居内を自らの運転で皇后さまを乗せてテニスコートに向かうこともあるようです。
天皇陛下の愛車「ホンダ・インテグラ DA-7型」


天皇陛下の生前退位の話は結論がそろそろ出そうです。
しかし、国民の1人としてそのご長寿といつまでもお元気でいられる事を念願するばかりです。

皇族に「車好き」だった方がいらっしゃいました(^^)


秋篠宮殿下は若い頃、自分で運転してドライブに行かれたりしていたそうですが、このビートル、明らかにフロントがカスタマイズされてますよね(^^)
今はご自分で運転されることも無いでしょうが、この写真を見てニヤリとしました(^^)v

如何だったでしょうか。
世界の元首達の謂わば公用車達。
お国柄が出ている物が殆どですね。
今日もきっとこれらの車達は元首達を乗せて世界の様々な場所を走っていることでしょう。

え?一台貰えるならですか?(笑)
いーえ贅沢は言いません。「アラブの石油王の養子」でいいです(大笑)

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
また沢山の「イイね!」大変感謝しております。

明日(あ、もう今日だ笑)は墓参のため、ブログはお休みすると思います。
(と言いつつ、また何かネタを見つけて書いている気もしますが笑)

まだ帰省・行楽ラッシュが続いておりますし、Uターンを始める方もいらっしゃる事と思います。
皆様、どうか道中お気をつけて(^_^)/~
2017年08月11日 イイね!

ヘッドライトについて書いたので今度は「テールランプ」の話(笑)

今日も涼しい一日です。
先程、花屋さんに行ってお墓参り用の花束を買ってきました。

男が花屋に行くシチュエーション、本当なら女性に送る赤いバラの花束でも買ってイタ車の助手席(シートは真っ赤な革か茶色の革シートがいいですねぇ)にポーンと放り込むように置き、その女性を待合せ場所に迎えに行く・・・と行きたいところですが、私には縁がないようです(笑)
チーン(涙)

いかん、あり得ない妄想をしてしまった(^^;)

さて、昨日は「ヘッドライト」の話をしたので今日は「テールランプ」(とそれに関する物)の話を。

テールランプは「尾灯」と言いますがそのように呼ぶ人は殆どいないでしょう。
(まぁ警察関係者の方や車検場の方は別として)

テールランプもヘッドライト同様に車のパーツの中では重要なパーツの1つです。
ブレーキを踏めば光って後続車に減速・停止することを認知させますし、ヘッドランプを点灯すればテールランプも点灯して自車の存在を知らせる。
これが無ければ追突事故が増すことは確実なパーツ。

ではその歴史を車の歴史と併せながら。

「世界初の自動車」として有名な「ジョゼフ・キュニョー」の蒸気自動車。
18世紀のフランスで誕生した「自動車」ですが当然「テールランプ」はありません(笑)
そりゃそうですよね、まだ「わけの分からない物」で「機関を使って走る」事に意義があった訳ですから。

ジョゼフ・キュニョー「蒸気自動車」

因みに、このキュニョーの蒸気自動車が「世界初の交通事故を起こした車」と言われています。

写真を見て頂ければ分かりますが、車両前方にエンジンとも言える「ボイラー」があります。
当然パワステ機構なんて物があるわけも無く、そのステアリング機構も前車輪から水平に伸びた横棒に二箇所の支点があり、それをステアリング(のような物)で操るという仕組みだったそうですが、いざ発進!となって走り出したはいいものの、ステアリングを切っても曲がらずそのまま城壁に激突。

というのも車両前方に「ボイラー」という重量物があるにも関わらず、ステアリング機構がその通り簡素なものだったのでハンドルを切ろうにも「重くて切れなかった」そうです。
最高速度は時速3.5キロ~4キロという世界だったので大事には至らなかったようですが(笑)

キュニョー車「世界初の交通事故の瞬間!」

なんか不謹慎ですが・・・
ドリフのコントみたいになってます(^^;)
必至にステアリング(らしきもの)を回そうとしている人、止めようと引っ張る人々・・・
最後にいかりやさんが「ダメだ、こりゃ」→総員ズッコケみたいな(笑)

早くも話が脱線してます(汗)

月日が経ち、ニクラウス・オットーが内燃機関(所謂オットー機関・オットーサイクル)を開発し、さらにそれをゴッドリープ・ダイムラーが改良、また同時期にカール・ベンツもそれを改良し「ガソリン車」が走る時代が来ます。

カール・ベンツ作「パテント・ワーゲン」(1886年)

当然のように「テールランプ」はありませんね。

1910年代
「キャディラック モデル30」

1910年代に入っても「テールランプ」はまだ付いていません。

1920年代
「ダイムラー タイプ45」

1920年発表のこの車に「テールランプらしき物」が付いています。

同じく1920年代の車「デュセンバーグ モデルJ」

こちらにもそれらしき物が付いていますね。
それにしてもこの車、ハンドル位置が分からなければどっちが前で後ろなのか分からないデザイン(笑)
正確な情報が得られませんでしたが「テールランプ」が搭載されだしたのは恐らく1910年代後半から1920年の間と推測されます。
言い換えれば「追突事故」が顕在化したのもこの時代あたりからと思われ、それを回避する謂わば「予防安全装備」の1つとして「テールランプ」が搭載されたのだと考えるのが自然でしょう。

これらの事を鑑みますと1930年代には、殆どの車にテールランプは付いたと思われます。

1930年代
「マイバッハ ツェッペリン」

独立型テールランプが有ることが分かります。

では我が国の自動車はどうだったのでしょう。

国産自動車第一号と言われる「山羽式蒸気自動車」

テール部分は写っていませんが、フレームの上に箱を載せただけのように見えます。
恐らくテールランプは無かったでしょう。
そして機関が「キュニョー」と同じ蒸気機関。

この車は人を沢山乗せて移動できる「乗合自動車」として開発したそうです。
謂わば「バス」の原型ですね。
これが開発されたのが1904年。
カール・ベンツのパテント・ワーゲンに遅れること20年で我が国でも「自動車」は産声をあげたことになります。
これを開発した人物「山羽虎夫」は岡山で電機工場を営んでいた方だったそうです。
現在の「ヤマハ発動機」と関係ある人物かと思いましたが、そうでは無いようです。
(ヤマハ発動機の一族は「山葉」性)

そして「日本初の本格自動車生産車」(トヨタWebより)となった車。
白楊社「オートモ号」(1925年)

おぉ!テールランプ「らしきもの」が付いています。
もしかするとテールランプでは無く「反射板」かもしれませんが欧米と同じ1920年代に生産された我が国初の本格生産車に付いているというのは驚きです。

国産自動車1930年代は「ドラマ・LEADERS」でも登場したこの車。
トヨダAA型(1936年)

ちゃんとテールランプが付いています。

話を世界に戻しましょう。
この後の世界は第二次大戦が勃発し、自動車どころではなくなります。

しかし「自動車先進国」であったドイツとアメリカは自動車開発・生産を続けます。
まずは余りにも有名な車。
アドルフ・ヒトラーの「国民車構想」計画から誕生した・・・

「フォルクスワーゲン ビートル」(1938年)
 

ちゃんと付いていますね。
この時代、ドイツは既にアウトバーン建設を進めており、「第三帝国」が欧州を制覇し、その全土にアウトバーン網を敷き、そのアウトバーン上を「戦勝国・ドイツ」が誇る国民車「フォルクスワーゲン ビートル」が走ることをヒトラーは夢想していたのでしょう。

もう一つの「自動車先進国」アメリカはどうだったのでしょうか。

アメリカ陸軍の集荷場のようですが、数多く並ぶ乗用車とその前に止まる多くのトラック。
この写真を見ると「本当に戦時下の国だったのか?」と思わされます。
さすがは物量に物を言わせる大国、アメリカ。
少し見難い写真ですが当時のアメリカ車にもテールランプはもう当たり前の物になっていますね。

ここまでのテールランプの歴史を見ますと「おまけ程度」に付いていると言ってもいい位、小さい存在感のテールランプ。

その存在感を一気に高めたのが1950年代、特にアメリカ車においてでしょう。

「フォード・フェアレーン500 スカイライナー」(1957年)

それまで「豆粒」のようだったテールランプが丸形状となり、その存在感が顕著になっています。

「キャデラック ドゥ・ビル クーペ」(1959年)

テールランプのそれもですが、所謂「フィン・テール」全盛期となり、リアの存在感がすごい事になっちゃってます(笑)

「フィン・テール」を採用したアメ車達のテールランプはその形状から来る存在感が凄いのでもう少しご紹介。
「キャディラック エル・ドラド ビアリッツ」(1959年)


「シボレー・インパラ」(1959年)

こちらは横基調。

「フォード・エドセル」(1958年)

こちらはフィンが横方向に流れたデザインです。

「クライスラー インペリアル・クラウン」(1957年)


アメリカ三社とも個性を競っていますね。
その発祥には諸説ありベルトーネがコンセプトカーとして発表したデザインをクライスラーモチーフにしたデザインがが流行した説、もう一つはロッキードの戦闘機P-38の垂直尾翼をモチーフにキャディラックがデザインしたものが流行した説の2つです。

これら「フィン・テール」」の車を見ますと当時の「強いアメリカ」を感じますね。
「made in USA」が世界を席巻していた時代を感じさせます。

上に挙げた「キャディラック エル・ドラド」のサイズとと排気量を追記しておきます。
V型8気筒 6,380CC 全長5,715mm 全幅 2,060mm
なんつーデカさでしょう、しかも2ドアで(笑)もはや「巨鯨」ですね(^^)
やはり「強いアメリカ」「豊かなアメリカ」時代のアメ車らしいと思いました。

フィン・テールは1959年あたりに全米でその人気のピークを迎えたそうですが、1960年になるとパッタリとその流行りが終わったかのように各社ともやめてしまったそうです。

そしてこの「フィン・テール」は世界の自動車のデザインに影響を与えました。
例えば欧州車を見ますと・・・

メルセデス・ベンツSクラス W111(1959年)

メルセデスがアメリカ車の影響を受けたデザインをしていた事があるとはアメリカ車のような派手さはありませんが意外でした。

では「日本」に目を向けてみると。
我が国も「フィン・テール」天国だった時代がありました(笑)

トヨタ・クラウン(RS型 1955年式)

1955年ですからアメ車達より早い?でもおとなしめです。

プリンス・グロリア(BLSI型 1959年)

アメリカ車並の派手さを持っています。

日産セドリック(30型 1960年)

こちらもクラウン同様、おとなしめですが気品を感じるデザインです。

如何に戦後になって勃興期を迎えた我が国の自動車がアメリカ車の影響を受けたか、よくわかりますね(^^)
(今日はテールについて書いていますのでフロントデザインについては書きません。しかしフロントデザインも当時のアメリカ車にそっくりです)
この後、我が国でも「フィン・テール」は下火になっていき各車の個性が出始めることになります。

この後、世界の自動車メーカーはフロント同様にリアにも車の個性を求め、様々なテールランプの車が登場することになります。
またハイマウントストップランプが流行し、そうこうしているうちにハイマウント自体の義務化もありました。

紹介したいテール・ランプは沢山ありますが、その数たるや膨大なのでバーンスタイン的に印象深い「テール・ランプ」を。

メルセデス・ベンツ Sクラス(W124型→W126に訂正)型式を間違っておりました(^^;)ご教示頂いたキドニーパイの商人様、ありがとうございます(^^)v

W124の端正ながらも威厳溢れるエクステリアは子供の頃見ても、まさに「威風堂々」としていました。
テールランプの凹凸の理由をみん友さんのブログで拝見して目からウロコでした。
それは「テールランプが汚れても凹凸があれば点灯状態を後続車が確認できるから」
さすがは「最善か無か」のメーカー。そこまで拘っているのがメルセデスらしいところですし、その「安全神話」の礎の1つになっであろうことは間違い無いところでしょう。

トヨタ・クラウン(#S12型~JZS17#)

「クラウン」と言うと、この横基調のテールランプのイメージが強烈です。
一度、14型クラウンで横全通型テールを採用しましたが、商業的に失敗とも言える販売台数にとどまってしまいマイナーチェンジで伝統の「横基調」テールに戻されたという経緯もありました。

14型クラウン(前期)


14型クラウン(後期)

一定以上の世代の方々にはやはり「横基調」のテールが支持されていたのでしょう。
後期モデルになってから販売面も持ち直したそうです。
この横基調テールは28年間に渡って(14型前期の2年間を入れて)愛され、18クラウン(所謂ゼロ・クラウン)の登場で幕を下ろしました。

もう一台、やはりこの車は外せません。
日産スカイライン(C110系)

スカイライン伝統の丸テールランプはこのC110系(所謂ケンとメリーのスカイライン)から始まり、歴代スカイラインのアイデンティティとしてずっと継承されてきました。
車に詳しくない、若しくは興味がない人でも「丸テール」を見ると「あ、スカイライン」と分かるほどの存在感でした。
現に車には全く疎い私のお袋もテールを見れば「スカイライン」という車名を知ってましたし、中学の頃、隣の席の女の子(実は好きだった子笑)と一緒に帰った時、その子も丸テールを見て「あれ、スカイラインだよね」と知っていました。(なんだか甘酸っぱくなってきたぞ笑)

この伝統の「丸テール」は日産とルノーの提携後すぐに登場したV35型スカイラインで一度、その役割を終えます。
しかし前述のクラウン同様、販売面で振るわずこちらもマイナーチェンジで「テールランプ内部が丸く光る」という形でしたが復活。

日産スカイライン (V35型前期)


日産スカイライン(V35型後期)

マイナーチェンジだったこともありちょっと無理付け感がありますね(笑)
この次のスカイライン、V36型も同じように「ヘッドランプ内部が丸く光る」テールとなっています。

では現行スカイラインでは。
日産スカイライン(V37型)

スカイラインがインフィニティQ50として世界戦略車になったためか「丸テールっぽさ」は少し残っているものの、伝統の丸テールとは決別したように思えます。

ですが。
この車に受け継がれています。
日産 GT-R(R35型 My11 中期型)

私の車自慢みたいで申し訳ありません(^^;)
「GT-R」もかつては「スカイライン」のレースホモロゲーション取得の為設定されたホモロゲモデルで、所謂「ハコスカ」のPGC10で登場し、「ケンメリ」のKPGC10で一度その系譜は途絶えるものの、R32で再び蘇りR34までスカイラインの中では特別な存在として君臨した存在。
現在のR35では「スカイライン」の冠が取れ「日産・GT-R」となりましたが伝統の丸テールはGT-Rに受け継がれました。
やっぱり「スカイライン」の冠が取れても「丸テール」だとなんだか安心感があります(笑)

もう一つ、国産車で印象深いテールランプ。

トヨタ・マークⅡ(100系)

一見、最新のLEDテールな訳もなく普通のテールランプに見えます。
100系マークⅡのツアラーシリーズは比較的早い次期にHIDヘッドランプを搭載した車で前方の明るさは素晴らしかったことでしょうが・・・

このリアテールが物凄く眩しかったのです(笑

内部がリフレクター加工されたような凝った造りになっていて、後ろに付くと眩しいのなんの・・・
兄弟車のチェイサーはテールランプが小さかったのでそんなに気になりませんでしたし、クレスタも同様でした。
しかしマークⅡだけは横幅が広かったので目に刺さるのなんの・・・
ツアラーだけじゃなくてグランデシリーズもこのテールでしたし、マークⅡがまだ売れている時代で遭遇率が高かった・・・(笑)
このテールは我が自動車部でも悪評でした(^^)
最近はLEDテールに見慣れたせいと100系マークⅡ自体を殆ど見なくなってしまったので今となっては懐かしい思い出です(^^)

最後、もう一つ印象深いテールランプを紹介して今日のブログを閉めたいと思います。
アウディA7

アウディA7は美しいボディラインを持つクーペルックセダン(正確にはハッチバックとのこと)です。
テールランプも凝った造りで美しいですね。
でもこれを私が印象深い訳は・・・下記の動画と同じのを見てしまったからです(笑)



トラックなどで流れるウィンカーは見たことがありますが、遂に乗用車、それもLEDでやるとは。
A7の後ろを走っていてこれを見た時は「?」から「!」でした(笑)
アウディはこれを「ダイナミック・ターンインジケーター」と呼び、同社の色々な車種に展開しているようです。
と思ったらトヨタもCH-Rで同じことをやってました。(ただしフロントのみのようです)

テール・ランプの歴史の変遷もこうして見ますと「ヘツドランプ」同様、最初は小さな存在から、様々な形を辿り、進化を遂げてきたことが分かります。
今やその存在は「ヘッドランプ」同様自動車に「無くてはならない物」となっています。

最近の車のテールランプはヘッドランプ同様、LED化が進みさらにはLEDの粒が光るものからラインチューブのように美しく光るテールへと進化しています。
中には「レクサスLC」のように日中は白いのにブレーキング時やライト点灯時は赤く光り、尚且つ奥行きのある光り方をするテール・ランプまで登場しています。

レクサスLC テール・ランプ

この仕組を見ましたが、文系の私にはワケワカメです(笑)

そのうちヘッドランプみたいに「レーザー光テールランプ」なんて出るかもしれませんね(^^;)
600m先からでも視認可能!車が近づくにつれて自動減光します!なんて・・・

昨日のブログ「ヘッドランプ・進化の考察(追憶を交えて)」でも書きみん友の「66jazzbass」さんからコメントを頂いた通り、LEDテールは球切れしたらASSY交換になるでしょうから万が一、切れたらそれ相応の出費は覚悟しなければなりませんね(涙)
その点、GT-Rは四分割?だから割安で済む・・・・・といいのですが(笑)

あぁ、昨日ヘッドライトの事を書いて、今日テールランプの事を書いたら中島みゆきさんの「ヘッドライト・テールライト」を聴きたくなってきたぞ(^^)
しかしこれを聴くと・・・「地上の星を聴きたくなる→聴く→プロジェクトXを観たくなる→DVD棚から「ロータリー四十七士」を引っ張り出して観る→面白い→次を観たくなる→てんとう虫、街をゆく(スバル360の回)を観る→面白い→「運命のZ計画(フェアレディZ)」を観たくなる→観る→気づくと明るい→ハッ!(゚∇゚;)
というスパイラルに陥りそう・・・(笑)

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
お目汚しの事とは思いますが、お時間を持て余した時にでもご覧いただければ幸いです。
また先日来からの沢山の「イイね!」を頂き、大変感謝すると同時にブログを書く精気が漲ります
\(^o^)/

帰省ラッシュが本格化して参りました。
既に帰省を済ませている方は楽しい日々を、渋滞に巻き込まれている方やこれから帰省される方は何事も無く目的地へ到着される事を祈念しております。

皆様のお盆が楽しく、そして良いものになりますよう。

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