
トンネル・隧道巡りです。
去る4月13日、兵庫県の県道39号線旧道脇にある廃隧道「
旧栃原隧道」に行ってきました。
今回はその訪問記です。
↑まずはその位置を示してみます(グーグルマップ)。
朝来市生野町栃原と生野町街を隔てる峠にある明治生まれの廃隧道です。
狭小であった事からその後のモータリーゼーションの進展に対応出来ず、峠を越える代替路が建設された為に廃化しました。
その後、1999(平成11)年に峠を一気に貫く「栃原トンネル」(延長1098m)が竣工、旧栃原隧道の代替として建設された峠越えの道路は県道指定を解除されて今日に至ります。
↑今の地図からはその存在を抹消されていますが、古地図にはしっかりと記載されています。
上の画像は旧陸軍参謀本部作成の5万分の1地形図(明治30年測図・昭和7年修正)で、一部地域の分が欠落していますが、何故か
スタンフォード大学のサイトにて閲覧・ダウンロード出来ます。
↑今回は栃原側(西側)よりアプローチ。上の画像はその新旧道の分岐です。
旧栃原隧道へは左に進みます。ちなみに直進すると現県道の「栃原トンネル」です。
↑峠越えの道は二車線分の幅員が確保されている立派な道路ですが、集落を抜けると路肩に落ち葉や木の枝等の堆積物が目立つようになってきました。
↑峠のサミットから200m西の地点にて。
↑ここが旧栃原隧道に至る道の入口。
舗装道路と画像左の山林の間にある狭い草むらが、隧道に至る道路の跡です。
ここは
峠越えの代替路を新たに建設して旧隧道を置き換えたという珍しいケースで、その代替路も現道の栃原トンネルの開通によって旧道落ちしました。
よって旧栃原隧道を含む道は旧旧道という事になります。
↑ここに至るまでのドラレコ動画です。お時間のある方はどうぞ(^^)
↑旧栃原隧道が廃された年代は不明ですが、1976(昭和51)年撮影の航空写真(国土地理院)にはこの代替路が写っています。
なので旧栃原隧道が廃されたのは昭和40年代と思われます。
そして東側には旧道に並行する旧旧道と思しき道筋も確認出来ます。
↑今の地図に当てはめてみるとこんな感じ。
ちなみに東側の旧旧道はすっかり自然に還ってしまっているそうで、踏破困難となっています。
↑ちなみにこの画像(グーグル・ストリートビューより引用)の左側の草むらが東側の旧旧道入口です。
↑いよいよ西側の旧旧道に足を踏み入れてみます。
普段は藪に覆われている所ですが、枯れた藪が何かに押し潰されてペシャンコになっています。
よく考えてみるとこの辺りは降雪地域であり、積雪の重みによってこの状態になったのかもしれません。
↑枯れ藪の絨毯を踏みしめて、旧旧道を進みます。
道の真ん中には泥濘があり、沢と化していました。
↑程なくこの空間がかつては車道であった事の証が姿を現しました。
↑1.7mの高さ制限標識(左)と2.5mの幅員制限標識(右)です。
↑制限標識を裏側から。
↑制限標識の支柱にこの道が県道であった証が確認出来ました。
「管理者 兵庫県」とあります。
↑この藪の先に目指す旧栃原隧道がある筈・・・というワケで藪漕ぎしてみます。
↑藪を掻き分けると、石積みのトンネルポータルが姿を現しました。
↑これが「旧栃原隧道」西側(栃原側)坑門。
1904(明治37)年竣工、延長127m・車道幅員2.4m・限界高2.2mというスペックです。
↑石積みに煉瓦三層巻きの迫石部という構成のポータルです。
ちなみに東側(生野側)の坑門の煉瓦にはアルファベットの刻印があるそうです。
↑扁額はありません。
↑坑口脇には電気メーターの残骸がぶら下がっていました。
現役時代には照明が付いていたそうです。
↑坑口付近は鉄板で補強されています。
先程の高さ制限標識では1.7mの制限がかかっていましたが、余程の巨人でない限り、頭をぶつける事はありませんのでご安心を。
↑そしてその先は煉瓦積みの天井と石積みの壁という構成。
さらにその先は素掘りモルタル仕上となっています。
↑素掘り区画と煉瓦積み区画の境で、壁面が崩落していました。
↑フラッシュを炊いて素掘り区画を撮影。
崩落が随所に見られ、中央部では崩落した土砂が積もって完全閉塞の一歩手前の状態です。
洞内を塞ぎつつある土砂の壁の向こうにある東側の坑門前には巨大なコンクリートブロックが設置され、さらにそこに至るまでの道路が自然に還ってしまっているとの事で、隧道経由でも東側の旧旧道経由でも東側の坑門への到達は困難となっています。
↑モルタル仕上の天井。よく見ると至る所にヒビ割れが・・・(汗)。
↑フラッシュ無しで素掘り区画を撮ってみました。
これぞいかにも「洞」という感じです。
この地点から先の進入は危険と判断し、ここで引き返す事にしました。
↑反対側から見た先程の壁面崩落箇所。
見た感じでは、かなり脆弱そうな地質のようです。この隧道が廃されたのはこの脆弱な地質も関係ありそうです。
↑東側から見た素掘り区画と煉瓦巻き区画の境。
この画像を眺めていて気が付いたのですが・・・・。
↑コウモリさんが二匹、天井からぶら下がってお休み中でした。
↑煉瓦巻き区画と鉄板補強区画の境。
鉄板と天井との間に石が挟み込んであります。
↑隧道内部から見た栃原方面、そこには「廃」な風景が広がっていました。
↑動画に撮ってみました。拙い出来ですけど(汗)。
↑この藪を掻き分けて、我が相棒の許へと戻りました。
↑この後、峠を越えて生野町街方面へ。東側の峠越えの道のドラレコ動画です。
朝来市生野町の山中にひっそりと眠る明治生まれの廃隧道「旧栃原隧道」。
このまま朽ち果てていくのが惜しい気のする、そんな物件でした。
※なお、訪問される場合は自己責任にてお願いいたします。