
今回は2年前の7月に訪問した国鉄福知山線の
旧武田尾駅跡とその近くにある
草山トンネルです。
本記事は旧アカウント時代の2015年7月に投稿したものですが、再編集の上にて投稿してみます。
↑武田尾に至る
唯一の車道である県道327号線にて。
↑目指す武田尾は兵庫県宝塚市になりますが、車で行くにはかなり不便な所です。
↑頭上では新名神高速道路の建設工事が進められていました。
そしてその後も色々とあって、2年を経過した2017年7月現在も工事中です。
↑武田尾駅跡にやってきました。
国鉄福知山線の旧武田尾駅は武庫川の渓谷沿いにあり、1986(昭和61)年7月31日まで使用されていました。
鄙びた温泉場である武田尾温泉の最寄り駅でもあります。
↑旧武田尾駅跡。ここに島式ホーム一面二線の駅がありました。
現在は道路と駐車場に化けています。
↑ここにはこういう味わい深い木造駅舎が建っていて1986年7月31日の旧線最後の日まで使用されていました(画像はウィキペディアより引用)。
大阪から30km圏内とは思えない長閑な駅でした。
↑ここから先、生瀬方面の線路跡はハイキングコースとなっています。
昨年まで西宮市内の区間がJR非公認の「自己責任の道」でありましたが、今は正式にハイキングコースとなりました。
2016年3月に歩いてみましたので後日記事化したいと思っております。
↑駅跡の脇を流れる武庫川。
↑先程の木造駅舎と共に旧武田尾駅のシンボルであった
神戸水道の水道橋。
駅構内を跨いでいて、この橋の下を列車が行き交ったのでした。
パイザーのいるこの道を30年位前まで山陰方面、果ては九州に向かう列車が行き交っていたと思うと胸が熱くなります。
↑旧駅跡からは現在の福知山線の橋が見えます。現在線は旧線とほぼ直角に立体交差、現在の武田尾駅は画像右手の山の中にあります。
↑旧線跡から見上げた現在線の橋。
トンネルを抜けた先は西宮名塩駅です。旧線は武庫川の渓谷沿いを地形に逆らわずにヘロヘロと進んでいましたが、現在線は一気に山をトンネルで貫いています。
↑現武田尾駅の駅前広場と出入口。
旧線跡は現駅へのアプローチ路に化けました。
↑旧線跡の市道を西へ進むと、曰く有りげな古びたトンネルに到達します。
これが「
草山トンネル」です。
↑坑門前にはなぜか「左方屈折あり」の標識が。
そして白ペンキで書かれた「9」の数字。この草山トンネルは福知山線の起点である尼崎駅から数えて9番目のトンネルで、この数字はトンネル番号を示すものです。
↑坑口脇の錆だらけのプレート。
そして碍子も残されています。
↑上部にうっすらと「草山」の文字が読み取れます。
↑早速入洞してみます。
天井は煉瓦積み、腰部は石積みという構成です。
↑長年に亘り、蒸気機関車の煤煙とディーゼル機関車の排気ガスに晒され続けた為、天井は真っ黒に汚れていました。
↑幻想的な風景です。
ちなみにここ草山トンネルは福知山線の廃トンネル群の内、車で通行できる唯一のトンネルでもあります。
↑外に出られる怪しい横穴がありました。
↑横穴を外から。人ひとりが通れる位のサイズの横穴です。
もともとは保線作業員用の出入口だったのでしょうが、今も歩行者用として使用されています。
↑しばらく進むと左側に大きな横穴があって、坑道はまっすぐ延びているもののそこで通行止め。
人も車も横穴から外へ出る事になります。先程の左方屈折の標識はこの曲がり角を示すものでした。
↑これが横穴の坑門。もちろん後付けで設けられたものです。
↑横穴の先には武庫川に架かる吊り橋がありました。
↑吊り橋と我が相棒。
↑吊り橋の上から見た道場駅方面。
↑こちらは武田尾駅方面。
画像左の石積みの構造物が草山トンネルです。
↑例によって動画です。この草山トンネルをパイザーで走ってみました。
↑武田尾駅跡には鉄道時代の遺物はほとんど残っていないようでしたが、帰り際に道路脇の擁壁に辛うじてそれを見つける事が出来ました。
国鉄のコンクリート製の構造物に刻まれている建築年月の刻印です(画像中央)。「1978-3」とあります。
↑30数年前は列車に乗って画像の地点を通り、今回は我が愛車で。
新名神高速道路開通の暁にはこの辺りもかなり変化しそうです。
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Posted at
2017/07/10 22:55:46