
現役隧道・トンネル巡りです。
今回は
こちらの記事の続きで、JR飯田線の三河槙原駅近くにある「
槙原隧道」を訪れてみました。
↑まずはその位置を(グーグルマップ)。
新城市豊岡ドウデイにある流紋岩の岩山に穿たれた明治生まれの素掘り隧道です。
三河槙原駅から西へ徒歩5分の所にあります。
↑前回も貼りましたが、我が相棒であるパイザーでの槙原隧道通過動画です。ま、おさらいという事にて。
狭小隧道ですが、5ナンバー普通車は余裕で通れます。
↑三河槙原駅を後にしてドウデイ側よりアプローチ。
駅から見えるワイルドな岩山に向かって進んでいきます。
↑程なく槙原隧道に到着。
↑隧道の手前には説明板がありました。
この槙原隧道のある道は「
望月街道」という道路で、明治時代に新城市長篠の豪商・望月喜平治が私費で建設した道路です。
宇連川右岸を通る長篠から川合に至る13.7kmの道路で、1877(明治10)年に着工、1886(明治19)年に開通しました。
この槙原隧道は1886(明治19)年の竣工で、かなりの難工事だったそうです。
↑槙原隧道ドウデイ(東)側坑門。
周囲の法面はコンクリートでガチガチに補強され、坑口の真上が谷状に切れ込んでいるのが印象的です。
↑先程の望月街道の説明板の脇に旧鳳来町時代の古い説明板があり、この槙原隧道の真上に断層があると記されています。
↑隧道の真上の谷状の切れ込みの正体、それは断層でした。
このドウデイ側の坑門周りが物々しく補強されているのはこの為です。
↑いよいよ入洞してみます。
延長34mと短い隧道ですが、緩やかにカーブしています。
竣工時は人馬がやっと通れる位の大きさでしたが、後に拡張されて現在の姿となりました。
↑コンクリートを吹き付けられていますが、素掘り隧道のゴツゴツ感は健在です。
洞内の中央部に1箇所だけ蛍光灯の灯具が設置されていました。
↑隧道の前山(西)側に出てきました。
坑口から午後の穏やかな日差しが差し込んでいます。
↑隧道前から見た前山方面。
望月街道はここから急カーブ・急勾配の坂道で前山の集落に達しています。
↑前山側坑門前から見たJR飯田線。
↑飯田線もトンネルでこの岩山を貫通しており、槙原隧道のほぼ真下に近い位置にあります。
↑飯田線の線路の脇には宇連川がゆったりと流れています。
画像左は湯谷園地で、キャンプ客の姿が見えます。こうして上から行楽地を俯瞰してみるのも面白いものです。
↑急カーブの先にある槙原隧道前山側坑門。
↑周囲は金網でガッチリとガードされていますが、ドウデイ側に見られたコンクリートの補強や断層による抉れは見られず、いかにも岩山に穿たれた「洞」という感じです。
それにしても岩山にしっかりと根を下ろした植物のど根性ぶりには恐れ入ります。
↑帰り際に洞内を歩きつつ動画を撮ってみました(前山側→ドウデイ側)。
↑駅から徒歩5分の素掘り隧道である「槙原隧道」。
ネットで調べてみると、実はマイナーなようで意外にメジャーな物件だったりします。
訪れてみて良かった物件でありました。
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Posted at
2017/08/03 20:14:09