
鉄道駅巡りです。
今回はJR山陰本線の
養父(やぶ)駅です。
↑イキナリですが(笑)、養父駅までの動画です。
なかなか長閑な雰囲気の道でした。
↑これが養父駅の駅舎。
開業時からのモノと思しき古風な木造駅舎の駅であります。1908(明治41)年の開業です。
↑清々しい青空をバックに。
↑駅舎は東向きに建っていて、快晴の午後の訪問でしたので思いっきり逆光になっています。
↑駅舎の出入口。
古風な駅舎ですが、脇を飲料の自販機が固めております。
↑古風な駅舎に相応しい、駅名看板です。
↑駅舎事務室の窓は木製で、これまたレトロ感満点。
↑駅舎内部。窓や引き戸はアルミサッシになっているものの、白緑色にペイントされた内装はこれまたレトロ感満点。しかもベンチはかなりの年代物です。
↑ここ養父駅は簡易委託駅で、昼間の時間帯のみ出札業務を行っています。
私が訪れた時は窓口の営業時間外でした。
これぞ昔懐かし全く接客する気が感じられない、閉鎖的な造りの窓口です。
この養父駅は官設鉄道の駅として造られました。そしてこの窓口の造りは如何にも「官」という感じがします。
↑歴史を感じさせるアンティークなベンチ。所々塗装が剥げているのがイイ感じです。
↑駅舎を出るとフェンスがあって、その先には構内踏切の遺構があります。
↑改札口。今は切符の回収箱があるだけです。
↑構内踏切の遺構。駅舎側にもホーム側にもフェンスが設置されています。
↑跨線橋を上ってホームに出てみます。
↑跨線橋を下りると、ローカルムード満点の島式ホーム。
画像左が1番線で上り列車が、右が2番線で下り列車が発着します。
↑ホームから見た跨線橋と駅舎。
↑この跨線橋は1981(昭和56)年に竣工したもので、当時は旧型客車がバリバリの現役でこの線の主力だった時代でした。
↑ホームの豊岡寄りに来てみました。
先程の構内踏切の遺構です。跨線橋が出来た後もしばらくは荷物の積み下ろしに使われていたのでしょうか。
↑ホームの端から見た豊岡方面。
↑ホームの中程に戻ってみました。
駅の東側には「廃」な雰囲気の側線が一本、貨物取扱設備の跡地と思しきスペースが広がっています。
↑ホームの和田山寄りには古風な木造の上屋があります。
↑歴史を感じさせる上屋です。
↑上屋の下にある待合室。
ここは寒冷地の駅なので扉の付いた密閉式の待合室です。
↑駅の写真を怪しく撮りまくっていたら(笑)、列車接近を知らせるメロディが。
何が来るのかなとワクワクして待っていたら、単行の気動車が来ました。
↑キハ40 2007 「天空の城 竹田城跡号」です。
画像の車両、キハ40 2007は一両だけ竹田城跡ラッピングを施され、播但線寺前駅と山陰本線城崎温泉駅を結ぶイベント列車で運用されています。
時刻表ではここ養父駅は通過となっていますが、なぜか停車・・・。
長いホームにたった一両の気動車がちょこんと停まっている姿はなかなかシュールです。
↑5分程後、対向の上り特急電車(画像右)が通過。
対向列車の離合待ちで停車していたのでした。
ここ養父駅は兵庫県養父市の玄関口かと思いきや、実はその役割は市街地とバスターミナルのある隣の八鹿(ようか)駅が果たしており、養父駅そのものはひっそりとしています。
養父駅の一日平均乗車人員数は84人(2015年)、数字の上でもひっそりとした駅であります。
↑1986(昭和61)年の秋に電化され、それに伴いホームの中央部が嵩上げされました。
画像手前の汽車用の低いホームとは結構な段差があります。
↑駅の北西側は長閑な田園の風景。
↑南西側には集落があります。
↑1986(昭和61)年8月にここ養父駅にて撮った写真。
福知山行きの上り普通列車の車内から撮ったもので、被写体はDD51 627号機牽引の旧型客車の下り普通列車です。
長い間、梁瀬駅で撮ったものと思い込んでいましたが、背景の集落との位置関係とホームの表面の姿から養父駅で撮ったもののようです。
↑ほぼ同じ地点の31年後の姿。
ここはホームの和田山寄りの端で、31年前にはなかったフェンスが設置されていました。
↑帰り際に撮った木造駅舎。
養父駅には30分程滞在しましたが、その間誰にも出会う事はありませんでした。
少し寂しき哉・・・、と思った或る日曜日の昼下がりでした。
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Posted at
2017/08/09 22:48:33