皆様、ご無沙汰しております。
今年春以降、公私共に色々とありまして、みんカラへの投稿が困難な状態でした。が、ようやく落ち着いてきましたので、投稿を再開することにします。
何はともあれ、今後共よろしくお願いいたしますm(_ _)m
…はさておいて、今回は昨年10月10日に訪問した鳥取県の古隧道、「
網代(あじろ)隧道」です。
↑まずはその位置を。鳥取県東北部の岩美郡岩美町にある隧道です。
↑さらに拡大。海岸のすぐ近くそして漁村の真っ只中にあるという立地です。
これまで当ブログで扱ってきた物件は人里離れた山奥にあるモノがほとんどで、海のそばというのは多分初めてではないかと思われます。
余談ですが、ここ岩美町はTVアニメ『
Free!』の作中に登場する「岩鳶町」のモデルでもあり、この「網代隧道」もその「聖地」の一つだったりします。
なので所謂「聖地巡礼」の一環として訪れる人も多いとか。
さらに余談ですが、静岡県熱海市にも同名の隧道が存在します。
↑兵庫県新温泉町方面より鳥取県へ・・・。
↑途中道に迷いつつも(苦笑)、岩美町網代に近づいてきました。
↑目指す「網代隧道」は右の細い道へ。
↑そして住宅密集地の中の狭い道を進んでいきます。
↑さらに右へ。なお、隧道を含むこの道は北行の一方通行となっており、車では北側からの通行は不可です。
↑いよいよ「網代隧道」に到達。パイザーで颯爽と(?)駆け抜けてみました。
↑例によって動画です。
↑パイザーでの通り抜けの後、改めて徒歩で「網代隧道」へ。上の画像は北側から見た隧道方面で、北行一方通行の為、「車両進入禁止」の標識が建っています。
↑生活臭漂う路地の奥、先程我が愛車で通り抜けた「網代隧道」が佇んでいました。
↑「網代隧道」北側坑門。この「網代隧道」は1912(大正元)年竣工、延長49.3m・幅員3.0mというスペックの隧道です。
坑門は石積み+煉瓦という、建設年代からするとオーソドックスな構成となっています。
↑隧道のすぐ近くまで民家が迫り、生活臭満点の空間。
隧道の手前の民家にはタバコ屋さんの遺構(?)が。ドライブスルーでタバコが買えそう・・・。
↑坑門手前には水道と古風なタイル張りの流し台が。蛇口にぶら下がったタワシが生活感を演出しております。
赤煉瓦と青いタイルのコラボが良い感じです。
↑例によって見上げて一枚。扁額はありません。
↑北側より入洞。坑門付近は煉瓦巻きですが、その他はコンクリート巻きになっています。コンクリートが新しい感じがするので、かつては素掘りだった可能性が高いです。
↑隧道内部から見た北側の街並み。
↑前述の通り、コンクリート巻きの区画は近代的で新しい感じです。なので古隧道特有の「如何にも」な雰囲気は微塵も感じられず、安心して歩けます。
↑隧道内に置いてあった竹竿。
↑短い隧道なのですぐに南側に出てきました。
坑口の先は北側と同じく住宅密集地の風景です。
↑「網代隧道」南側坑門。北側と同一仕様です。
↑日当たりが良いせいか、北側に比べると坑門周りの植物の生育が良好です。
↑南側にも扁額は確認できませんでした。
↑南側坑口付近から見た隧道内部。
↑ここ南側坑門前では石仏と石碑がガッチリと両サイドを固めるかの如く鎮座しています。
お供えの新鮮な花が、今もこの道が地域にとって重要な道であるかを如実に物語っています。
↑隧道を抜けてさらに南側へと歩いてみます。
↑クルッと振り返って隧道方面を。
人里離れた山奥の隧道とはまた違った趣きがあります。
↑さて、ここで例によって旧陸軍の5万分の1地形図を
(明治30~31年測図/昭和7年修正)。
この地図にもしっかりとこの「網代隧道」が載っています。が、隧道のすぐ脇にまで海が迫り、今とは全く異なる風景であった事に驚かされます。
そしてこの隧道が穿たれた理由もこの地図から読み取れます。
↑上の画像の左半分がかつては海そして港でした。
この「網代隧道」こそが南北を連絡するメインの道でしたが、後年埋め立てが進んで海岸線は後退、さらに立派な道が海側に出来て旧道となり、今はひっそりと地域の生活道路として余生を過ごしています。
↑徒歩で撮った動画です。お時間のある方はどうぞ。
↑一仕事(?)終えて網代漁港へ、古隧道見学の後に見る海はとても眩しいです。
↑最後はみんカラらしく我が愛車の画像を。
この後、鳥取→若桜→戸倉峠→中国道というルートで帰路に。
この日は兵庫県但馬地方~鳥取県東部で以前から行ってみたかったスポットを一通り巡る事が出来て我ながら充実したドライブでした。
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現役隧道・トンネル | 旅行/地域
Posted at
2018/06/11 23:32:02