
今回は趣味の現役トンネル・隧道巡りです。
ちょうど1年と1ヶ月前の9月11日に奈良県のトンネル・隧道巡りドライブに行ってきましたが、今回の「笠木トンネル」はその3箇所目になります。
↑「
笠木(かさぎ)トンネル」はかつて国道309号線だった道に存在するトンネルで、吉野郡黒滝村と五條市西吉野町にまたがっています。
このトンネルが存在する道は大型車通行困難・離合困難ないわゆる「酷道」区間を多く含んでいた為、長大トンネルで山々を貫くバイパスの建設が企画されました。
そして「新笠木トンネル」(1984(昭和59)年竣工・延長1693m)と「新川合トンネル」(1997(平成9)年竣工・延長2751m)から成るバイパスの開通により旧道落ちそして国道指定を外れています。
↑過去記事の「
白倉トンネル」を後にして国道309号線を北上。天川村の川合以北は二車線の快走路で気持ちよく走れます。
上の画像の左側へ別れていく怪しげな道は目指す国道309号線の旧道、本来ならば左へ進んで笠木トンネルを目指すべきですが、自然災害の多い地域であり状況が不明でしたので今回はスルーしました。
↑とりあえず直進して現道の「新川合トンネル」を通過。
↑「新川合トンネル」と「新笠木トンネル」の間に県道49号勢井宗川野線への連絡路分岐があります。ここは左へ。
↑短い橋を渡ると県道49号線、右に曲がって目的の笠木トンネルを目指します。
↑県道49号勢井宗川野線、旧国道309号線から分岐して国道168号線に至る道です。
国道309号線のバイパス建設はまず新笠木トンネル(1980(昭和55)年着工/1984(昭和59)年開通)から始まり、その開通から新川合トンネルの着工(1992(平成4)年)そして開通(1997(平成9)年)まではかなりのブランクがありました。
この県道49号、新川合トンネルの開通までの間新笠木トンネルと川合隧道経由の旧道を連絡する道としてかなりの通行があったものと思われますが、今はひっそりとそして「廃」な雰囲気漂うやや荒れ気味の道になっていました。
↑道はだんだんと高度を上げていき、程なく旧国道との合流部に到達しました。
目指す「笠木トンネル」はここを左折してすぐの所です。
↑国道309号線現道から旧国道までの動画です。現役県道とは思えない寂しい道でした。
↑旧国道に入るといきなり笠木トンネルが。早速通過して黒滝村方面に抜けてみます。
↑トンネルを抜けた先にて。
画像左側に見えるカーブした上り坂は笠木トンネル開通前の笠木峠の旧旧道。明治・大正期に造られた道で、天川村方面へのメインルートでした。
↑笠木トンネルから黒滝村方面へ続く旧国道。現在は黒滝村の村道「笠木勢井線」となっています。
この地点は自然災害により損壊・崩落した所で、2015(平成27)年から2016(平成28)年にかけて大規模な復旧工事が施工されました。
↑修復された斜面を路上より見下ろしてみました。
この旧国道、沿道に人家はなく通行はほとんどない寂しい道ですが、こうして綺麗に復旧したという事は今もそれなりに需要がある事を物語っています。
↑黒滝村側から見た笠木トンネル。
ちなみに左の旧旧道は林業用道路として利用されているそうです。
↑トンネル手前には古びた青看板とトンネルを抜けた先の地名を示すネクストカントリーサインが今も残されています。
奈良県の青看といえば方位入りという事で知られていますが、ここにあるのは方位どころかローマ字標記すら入っていない古いタイプのものです。
そしてネクストカントリーサインにある「西吉野村」は2005(平成17)年に五條市に編入され、現在は五條市西吉野町となっています。
↑青看板にはこの道が国道であった証がしっかりと残されていました。
白いテープで隠されてはいますが、国道309号線のおにぎりマークが確認出来ます。
余談ですが青看板にある立川渡(たてかわど)、未成鉄道線として知られる国鉄五新線の駅設置予定地だった所で、地区内の山中にはトンネルや橋台などの遺構があります。
↑1970年(昭和45)年竣工の、比較的新し目のトンネルである笠木トンネル。
開通時は県道のトンネルでしたが、1975(昭和50)年に国道309号線のルートが天川村経由に改められた為(それまでは国道169号線と重複指定)、国道に昇格しました。
が、バイパスのトンネルである新笠木トンネルが1984(昭和59)年に開通して早くも旧道トンネルとなり、さらにバイパス全通(1997/平成9)年により国道指定を解除されました。メインルートのトンネルであった期間はかなり短いです。
奈良県が1960年代に手がけた県道トンネルという事でこの日の午前中に訪れた「
鹿路(ろくろ)トンネル」とよく似た風貌のトンネルですが、その歩んだ歴史や今置かれた現状も共通点が多い物件であります。
↑パッと見では近代的なトンネルですが、見上げてみると坑門のコンクリートはかなり傷んでいます。
↑汚れのせいなのか苔のせいなのか、黒滝村側の扁額は判読困難でした。
↑笠木トンネル内部。照明は全部消えているものの、旧道トンネルとは思えない近代的な佇まいです。
延長については正確な数値は不明・・・・。
資料によって415mと203mと2つの説があり、距離測定サイトで測ってみたら400mでした。
↑トンネル内部から見た黒滝村方面。
この先に続く道は離合困難・大型車通行困難の「酷道309号線」として知られていました。
↑トンネルを抜けて西吉野町側に出てみました。上の画像は県道49号線との分岐点である丁字路です。
路面のタイヤ痕がその筋の趣味の方々の活動の場になっている事を物語っています。
↑丁字路の突き当たりにある青看板。奈良県名物の方位入りではありませんが、ローマ字標記の入ったタイプのもので黒滝村側にあったものよりは新しいです。
そしてここでもしっかりとおにぎりマークが隠されていました。
↑笠木トンネル西吉野町側坑門。
坑口付近の溝にグレージングが欠損している箇所があり、そこに「黒滝村」と書かれた工事用バリケードが置かれていました。黒滝村と五條市西吉野町の境界はトンネル中央部ですが、トンネルそのものは黒滝村が管理しているようです。
↑トンネル手前に立つ曰く有りげな2本のポール。手前のポールにはネクストカントリーサイン「黒滝村」が付いています。
古い写真によると、奥のポールには国道標識が付いていて21世紀初頭まで残っていたそうです。
↑かつて国道標識が付いていたポールにはなぜか「
OSAKA PREF 大 阪 府」と記されたステッカーが。
「ハテ? ここ奈良県だよな・・・」と思わず首をかしげてしまいました。うーん、謎ですね・・・・。
↑笠木トンネル西吉野町側坑門。
竣工からほぼ半世紀の時間が経過し、周囲の自然に溶け込みつつあります。
↑こちらの扁額は余裕で判読可能でした。トンネル名と当時の奈良県知事の名が刻まれています。
ちなみに国道昇格前のこの道の路線名は県道「大淀上北山線」で、前述の通り県道時代にこのトンネルは建設されました。半世紀のうちに県道→国道→村道と波乱万丈の歴史を辿ったことになります。
↑西吉野町側の坑口からは鉄製の支保工にてガッチリとガードされた区画が続いていました。
↑トンネル内から見た西吉野町側の風景。
トンネルとその周囲ではゆったりとした時間が流れていました。
↑例によってトンネル通過動画(往復)です。
近代的なトンネルながらも、早々と旧道トンネルとなってしまった「笠木トンネル」。
ちなみに同トンネルを含む国道309号線旧道区間では他の誰にも出会うことはありませんでした。
「笠木トンネル」の南東にある「川合隧道」も訪問しましたので、近日中にアップしたいと思います。