
本記事は過去記事「
2017年9月11日 奈良県吉野郡黒滝村・五條市西吉野町 笠木トンネル」の続きです。
「笠木トンネル」と共に国道309号線の旧道に存在する「川合隧道」へも行ってみました。
↑今回記事の「
川合隧道」は奈良県五條市西吉野町と吉野郡天川村にまたがる1954(昭和29)年開通の隧道で、前回記事の「笠木トンネル」の南東に位置します。
開通時は県道「大淀上北山線」の一部でしたが、1975(昭和50)年に同線が国道指定された事により、国道トンネルとなりました。バイパスの「新川合トンネル」の着工・開通が遅れた事で「笠木トンネル」よりも長くメインルートの隧道であり続けましたが、現在は国道指定を解除されています。
↑笠木トンネルを後にして峠をさらに登っていきます。二車線の立派な道ながらもどことなく「廃」な雰囲気が漂う、急勾配の険しい道でした。
↑それにしてもかなりの急傾斜・・・(;´д`)
↑バイパス開通後に交通量が激減してしまったこの道、両側から草木に侵食されていかにも「旧道」という雰囲気に満ちています。
左手より笠木トンネルの北にて別れた笠木峠旧旧道が高度を下げつつ接近してきます。
↑ここが笠木峠旧旧道との合流点。画像の左がその旧旧道です。
↑旧旧道との合流点を過ぎると道幅は狭くなり、そしてカーブ。
↑カーブの先に「川合隧道」が待ち受けていました。例によって一旦隧道を通り抜け。抜けた先は吉野郡天川村です。
↑ここまでの動画です(倍速)。
↑川合隧道の天川村側坑口付近にて。いい感じに鬱蒼としています。
笠木トンネルと同じく、ここにも隧道以前の旧旧道が存在していたそうですが、こちらは完全に自然に還ってしまっています。
↑「川合隧道」1954(昭和29)年開通、延長165m(143m説あり)。過去記事の「
小名隧道」と同世代の隧道であり、よく似た容貌です。
北西にある「笠木トンネル」が二車線分の幅員と歩道まで備えているのに対し、こちらはやや狭小気味となっています。
↑ポータルの胸壁を覆う苔が、この隧道の歴史を物語っています。
↑建設年代が1950年代という事で隧道を名乗っています。あと10数年遅ければ「川合トンネル」になっていた事でしょう。
↑両端部が鉄製の支保工区画、中央部がコンクリートの区画という構成になっています。ちなみに開通時は素掘りだったそうで。
↑洞内から見た天川村方面。
後日にここから先の道を通行する機会があったのですが、笠木トンネル北側の区間に比べると「酷」度はややユルめでした。
↑次に隧道の北側、西吉野町側へとやってきました。
こちらは天川村側よりも鬱蒼感がよりパワーアップされている感じです。
↑ここから笠木トンネル方面に向かって下り坂が続きます。
↑薄汚れたネクストカントリーサインが寂れた旧道感を演出。五條市西吉野町と天川村の境界は隧道内にあります。
↑川合隧道西吉野町側坑門。
舗装されてはいるものの、坑口付近には大きな水たまりがあり、ダートな路面のように見えます。
↑こちら側の扁額は苔で覆われ、判読が難しくなっています。
↑洞内から見た西吉野町側。
↑鉄板で覆われた区画の向こうにコンクリート巻きの区画、そしてポツンと一箇所だけ灯されたオレンジ色のナトリウム灯・・・・元々全灯点いていたのがそのまま放置され球切れを繰り返した結果1箇所だけ残ったのか、それともワザと1箇所だけ灯してあるのかは判りませんが、何とも侘しく寂しい風景です。
↑1箇所だけ灯された照明がこの川合隧道の「命の灯火」のようであり、「
まだだ、まだ終わらんよ」と主張しているかのようです。
旧道化してからかなりの時間を経過し、通行がほとんどなくなってしまったこのR309旧道において、とても印象に残る光景でした。
↑オマケの動画です(4倍速)。ここ川合隧道からの帰り道、この国道309号旧道を北へ向かって走ってみました。
笠木トンネルから先の旧「酷道」区間、なかなか面白い道でした。
さて、この訪問から1ヶ月後の2017年10月6日にこの旧道区間の全線走破を目論み再訪してみました。上の画像ははその時に撮ったものです。近日中にアップの予定・・・・・です。
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現役隧道・トンネル | 旅行/地域
Posted at
2018/10/13 00:40:32