
かなり間が空いてしまいましたが、前回記事「
2017年9月19日 京都府舞鶴市 JR小浜線 松尾寺駅」の続きになります。
今回はJR小浜線松尾寺駅からかつて分岐していた貨物専用線の跡を我が愛車で辿ってみました。
(出典:地理院地図を加工)
まずはその貨物専用線について簡単に解説しておきます。上図のピンク色の線がそのルートです。
元は旧海軍の第三海軍火薬廠と松尾寺駅を結んだ延長6.8kmの軍用側線で、第二次大戦中の1943(昭和18)年12月に開通しました。戦後は火薬廠跡に進出した日本板硝子舞鶴工場の専用線となり、板ガラスをはじめとする製品の出荷で活況を呈しました。
専用線は廃止され、線路跡は道路または自転車歩行者専用道に転用されています。
近畿地方の廃線としては結構メジャーな物件で、松尾寺駅に来たからにはココも是非行っておかねばなるまい…という事にて訪問した次第です。
↑松尾寺駅の東にあるコンクリート製のアーチ橋を潜り抜け、駅の北側へ。
この手の狭小アーチを潜るとき、なぜかとてもワクワクします(笑)。
↑松尾寺駅の北側に出ました。画像左手に草に埋もれた貨物側線が見えます。
専用線が現役の頃、この構内はガラス製品を満載した貨車で活況を呈し、ピーク時の1968(昭和43)年には板ガラスだけで20万トンもの取り扱い量があったそうです。
ここ松尾寺駅では1997(平成9)年3月までは貨物列車の設定があり、二年後の1999(平成11)年4月に正式に貨物の取り扱いを廃止しました。
↑JR小浜線と別れ、少し進んだ所にて。
ここは鬱蒼とした空間で、9月中旬の終わりながらも蝉の声が聞こえてきます。
↑パイザーの先にはトンネルがポッカリと口を開けていました。
このトンネルはこの専用線の数少ない遺構の一つ、「吉野トンネル」(延長327.2m)です。
↑吉野トンネル松尾寺側坑門。
歩道の幅がやたら広いのが印象的なトンネルです。車道の幅が狭く離合困難な為、坑口脇には「対向車注意」の電光表示板があります。
↑新し目の扁額が付いています。1996(平成8)年から改装工事に着手、翌1997(平成9)年に竣工しました。
↑吉野トンネル内部。前述の通り、歩道にかなりのスペースが割かれていて、車道は一車線分しかありません。
このトンネル、元は鉄道・道路併用で、現在の歩道部分に線路が敷かれていました。
専用線現役時代の姿は検索をかければ出てきますので、興味ある方はどうぞ。
↑洞内から見た松尾寺駅方面。鬱蒼とした濃緑の世界が広がっていました。
↑対向車が来ないかヒヤヒヤしつつ、パイザーでトンネルを通過。
↑吉野トンネル西側坑門。
こちらはあまり鬱蒼とした感じがなく、パッと開けた感じです。
↑例によってトンネル内部から撮影。こちらも鮮やかな緑の世界です。
↑トンネルからしばらく進むと線路跡転用の自転車歩行者専用道(画像右)は車道から離れていきます。
↑パイザーは府道772号線に入り、しばらく北上。
線路跡(画像左)は舞鶴工業高専の手前辺りで府道と交差します。
↑ここで松尾寺駅からこの辺りまでの航空写真(1975年撮影:国土地理院)を。
松尾寺駅構内には貨車の姿が見えます。あと、専用線との交差部にて府道のルートが若干変わっているようです。
↑こちらは高専付近から日本板硝子舞鶴工場までの航空写真(1975年撮影:国土地理院)。
高専の辺りで大きくカーブした専用線は住宅地の脇を通って終点の日本板硝子舞鶴工場に至ります。
↑住宅地の中に到達しました。画像左が線路跡の遊歩道です。
↑線路跡転用の遊歩道にてこんな橋を発見。橋台は鉄道由来のものでしょうが、アーチ橋は違うっぽい。
↑緑が眩しい並木道。かなりの大木が並び、廃線からかなりの時間が経過した事を物語っています。
↑気持ち良く散歩出来そうな道ですね。
↑さらに進むとこんな橋が。
↑装飾が施されていますが、鉄道由来のプレートガーダー橋のようです。
↑閑静な住宅地の中の遊歩道、道は真っ直ぐ日本板硝子の工場へ向けて延びていました。
↑廃線跡遊歩道をバックにパチリと。爽やかな風が吹く心地よい空間でした。
Posted at 2020/11/11 01:27:53 |
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