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とりつきいver.2のブログ一覧

2017年07月28日 イイね!

2017年5月28日 京都府福知山市夜久野町 JR山陰本線 或る石積みアーチ橋

2017年5月28日 京都府福知山市夜久野町 JR山陰本線 或る石積みアーチ橋人知れず、ひっそりと鉄路を支え続ける石積み・煉瓦積みの古いアーチ橋を巡ってみようシリーズ(・・・な・・長い・・・(^_^;))です。

今回は京都府福知山市夜久野町にあるJR山陰本線の橋(名称不明)を訪れてみました。



↑位置はココ(国土地理院)。

夜久野町の高内地区にある橋で、山陰本線の下夜久野~上夜久野駅間にあります。

この区間が開通したのが1911(明治44)年で、開通時からのものと思われます。



↑真っ青な空の下、高くそびえる山陰線の大築堤。この築堤の下にひっそりと目的のアーチ橋があります。

手前の橋は牧川に架かる橋です。



↑牧川に架かる橋を渡って南岸へ。



↑橋の上から撮った牧川。澄んだ流れがとても涼しげです。

画像の左側を国道9号線が通っています。



↑そして目的のアーチ橋へ。橋の手前には太いパイプが横切っています(^_^;)



↑パイプの下に潜って、やっとマトモな写真が撮れました。

石積みの橋ですが、迫石(アーチ)の部分は煉瓦積みです。そしてもともとは水路に架かる橋でしたが、後に通路を追加して今の姿になったようです。



↑煉瓦積みの迫石部。巻厚は五層でガッチリと造られています。



↑橋の下を潜ってみます。

天井は長手の煉瓦積み、腰部は石積みです。



↑通路には轍がありますが、軽車両なら通行できます。

この通路は高内の集落と線路の南側の農地を連絡する為に設置されたようです。



↑橋の下から見た南側。この先には農地が広がっています。



南側から見たアーチ橋。

こちらにはパイプがなく、橋の全体像を撮る事が出来ます。



鬱蒼としていますが、南向きの為、日当たりは良好です。



↑例によって動画です。橋の下を潜りながら撮ってみました。



今から30年以上前、この橋の上を旧型客車の列車に乗って通ったのですが、その下にこういう橋があるとは全く意識していませんでした。

この上を行く車両はすっかり代替わりしましたが、このアーチ橋は今後も揺るぎなく鉄路を支え続ける事でしょう。
Posted at 2017/07/28 18:06:52 | トラックバック(0) | 橋梁 | 旅行/地域
2017年07月17日 イイね!

2017年3月28日 三重県度会郡南伊勢町~大紀町 棚橋隧道

2017年3月28日 三重県度会郡南伊勢町~大紀町 棚橋隧道本記事は旧アカウント「とりつきい」で2017年4月2日付にて投稿したものです。

今回記事の「棚橋隧道」は訪問時点(2017年3月28日)では現役でしたが、その直後の2017年4月頃に両坑口にフェンスが設置されて閉鎖され、今は廃隧道となっています。

今回は閉鎖直前の棚橋隧道とその前後の道の記録として再投稿してみます。



↑まずは例によってその大体の位置を(グーグルマップ)。



↑さらに拡大。

度会郡南伊勢町(旧南島町)と同郡大紀町に跨る国道260号線の旧道に存在する隧道です。2002(平成14)年の「紀勢南島トンネル」開通により、旧道化しました。

この棚橋隧道を含む旧道は国道時代は「酷道」としても知られていた道でもあります。



↑紀勢自動車道紀勢大内山ICから県道68号線を南下、しばらく進むと大紀町側の旧道分岐点に到達します。上の画像の下段左側が棚橋隧道に至る旧道です。

が、ここは素通りして現道経由で南伊勢町側の旧道入口へ向かいます。



↑国道260号線現道の紀勢南島トンネル。2002(平成14)年竣工、延長1550mの長大トンネルです。

このトンネルの開通により、この辺りの交通事情が劇的に改善されたのは書くまでもありますまい。



↑トンネルを抜けると近年に開通したバイパス区間へ。

上の画像は旧道との立体交差部で、この地点の真下を棚橋隧道に至る旧道が通っています。



↑海が見えてきました。

ひたすら山の中を走ってきた後に見る海の眩しさは格別であります。



↑さらにしばらく進むと棚橋竈(たなはしがま)の集落に至る分岐があります。

ここは右へ。国道260号線の旧道は集落の中を抜けていました。



↑曲がった先には、国道だった頃の青看板(案内標識)が残されていました。



↑文字が剥げかけて、もはや案内標識としての役目を果たすのが困難な感じです。



↑元国道とは思えぬ棚橋竈集落内の道。



↑集落を抜けるといよいよ棚橋隧道に至る道の入口(画像右)に到達します。

ちなみに直進する道も国道260号線の旧道で、先程のバイパス開通まで紀勢南島トンネルへの連絡路として中継ぎ的に国道指定されていました。

なので、棚橋隧道を含む道は厳密に言えば旧旧道という事になります。



↑分岐点の脇に建つ「首なし標識」。かつてはこのポールに国道のおにぎり型標識が付いていました。

この辺りでは頻繁に国道のルート変更が行われたので、国道標識の残骸であるこうした「首なし標識」が至る所に建っています。



↑いよいよ棚橋隧道に至る道に足を踏み入れてみます。

入口の傍らには12m以上の長さの車の通行不能を示す看板が建ち、この先の道の険しさを物語っています。



↑狭く険しい峠道をグイグイと登っていきます。

下の方ではそんなに荒れた感じはなかったのですが・・・。



↑峠の上の方に進んでいくと、路面に転がる落石がチラホラ。



↑さらに進むと路面ヒビ割れ・落石・土砂崩れ・路肩崩落とあらゆる障害の見本市状態

危険箇所は最徐行しつつ慎重に進みます。

ちなみにこの道は国道指定解除の後、廃道一歩手前の状態となりました。そして自然災害により通行止めとなり、このまま廃道化かと思われましたが、何故か復旧工事が行われて復活しました。

その後も廃道一歩手前の状態を維持し続けた不思議な道でありましたが、今回の棚橋隧道の閉鎖により廃道化は確定のようです。



↑何とか無事に峠の頂にある棚橋隧道に到達しました。



↑ここまでの道のりの走行動画です。お時間のある方はどうぞ。



↑春の穏やかな日差しをたっぷりと浴びる棚橋隧道。

幅員に対してやたら背の高い坑口が特徴です。



↑隧道の手前に建つ「南島町」の看板。今は合併により「南伊勢町」となっていますが、ここでは「昔の名前で出ています」状態。

この道が「忘れられた道」である事を物語っています。



↑そして幅員制限標識。

高さ制限標識がないのがいかにも棚橋隧道らしいです。



↑まずは車で隧道を一往復してみました(動画/BGM付)。



↑一往復して再び南伊勢町側に戻ってきました。





↑この棚橋隧道の南伊勢町側の坑門、坑口がΩ形で鍵穴のような形状をしている事から別名「鍵穴隧道」とも呼ばれているそうです。

1914(大正3)年竣工、延長123m、限界高3.5m、車道幅員2.5mというスペックの隧道です。



↑坑門の傍らには石仏が鎮座していました。が、供えられた花はすっかり枯れてしまい、訪れる者が途絶えてしまった事を物語っています。



↑鍵穴のような坑門を真正面から。

両サイドから迫るコンクリートの壁が圧迫感満点です。



↑壁には抉られたような跡が。経年劣化によるものなのか、通行した車によるものなのかは不明ですが。



↑「鍵穴」の内側から外を撮ってみました。

それにしても画像左の壁面から生える植物のど根性ぶりには驚きです(^_^;)



↑内部は素掘りモルタル仕上で、意外にかなり広いです。

もともとは完全素掘り隧道だったそうですが、後にコンクリートのポータルを追加して今の姿になったそうです。

煉瓦・石積み全盛期の大正初期の竣工なのにコンクリート製のポータルを有しているのはその為です。



↑長さが短く、しかも断面が大きいのであまり怖い感じはありません。



↑大紀町側の坑口手前にて。

壁のモルタルが崩落し、鉄筋が剥き出しになっていました。



↑隧道内部から見た大紀町側。



↑振り返って内部を撮影。

先程の鉄筋剥き出しの壁の周囲にはモルタルの欠片が散乱していました。



↑大紀町側に出てきました。

こちらもコンクリートのポータルですが、鍵穴形ではなく、逆U字型の坑口です。



↑南伊勢町側と同じく、扁額はありません。



↑坑口の手前には真新しいコンクリートの敷居のような構造物が。

撮影時点では何の為のモノか不明でしたが、これはフェンスを建植する為の基礎でした。

今はこの上にフェンスが設置され、さらに坑口全体が金網で覆われているそうです。



↑訪問時は休工中(?)で誰もいませんでしたが、手前に「工事中につき段差徐行お願いします」の看板があります。実はこっそり閉鎖工事中だったのでした。



↑大紀町側坑門前から続く旧道。

陽光がさんさんと降り注ぐ南伊勢町側とは対照的に、こちらは鬱蒼とした感じです。





↑鍵穴形の南伊勢町側とは対照的な感じの大紀町側坑門。

よく墳墓への入口のようだと評される、堅牢且つカッチリとした作りのポータルです。



↑少し離れた所から見た棚橋隧道。

鬱蒼とした空間の奥に墳墓のような坑門があります。



↑「トンネル内は点灯せよ」の古びた看板の下に「棚橋」と書かれたプレート。隧道を抜けた先の地名を標示しているようです。

ちなみに南伊勢町側には「羽下」のプレートが。「羽下」とは大紀町側の地名です。



↑先程は車で通行してみましたが、歩きながら動画を撮ってみました。



↑帰り際に記念写真を。

ここ棚橋隧道付近に一時間近く滞在しましたが、その前後の道も含めて他の交通や人に出会う事は全くありませんでした。

後から考えてみると今まで閉鎖されなかったのが不思議にすら思える寂しい道でした。



↑帰路はまっすぐ大紀町方面へ峠を下りました。

こちらも荒れた道でしたが、途中で林道が分岐している関係からか、そこそこ通行はあるようです。南伊勢町側よりはまだマシな感じの道でした。



↑やっとこさ県道68号線との合流点に下りてきました。

ここにも国道時代の青看板と首なし標識が残っています。



↑大紀町側の旧道の走行動画です。



この日は何が何でも行かなければ、という思いに駆られての訪問でしたが、後から棚橋隧道閉鎖を知り、これって「虫の知らせ」だったのかなと思ったりもします。

何もともあれ、棚橋隧道の現役の姿をギリギリのタイミングで記録する事が出来て良かったです。



最後に一言だけ、

いつまでも通れると思うな古隧道
Posted at 2017/07/17 23:00:11 | トラックバック(0) | 廃隧道・トンネル | 旅行/地域
2017年07月10日 イイね!

2015年7月27日 兵庫県宝塚市 国鉄福知山線武田尾駅跡・草山トンネル

2015年7月27日 兵庫県宝塚市 国鉄福知山線武田尾駅跡・草山トンネル今回は2年前の7月に訪問した国鉄福知山線の武田尾駅とその近くにある草山トンネルです。

本記事は旧アカウント時代の2015年7月に投稿したものですが、再編集の上にて投稿してみます。



↑武田尾に至る唯一の車道である県道327号線にて。



↑目指す武田尾は兵庫県宝塚市になりますが、車で行くにはかなり不便な所です。



↑頭上では新名神高速道路の建設工事が進められていました。

そしてその後も色々とあって、2年を経過した2017年7月現在も工事中です。



↑武田尾駅跡にやってきました。

国鉄福知山線の旧武田尾駅は武庫川の渓谷沿いにあり、1986(昭和61)年7月31日まで使用されていました。

鄙びた温泉場である武田尾温泉の最寄り駅でもあります。



↑旧武田尾駅跡。ここに島式ホーム一面二線の駅がありました。

現在は道路と駐車場に化けています。



↑ここにはこういう味わい深い木造駅舎が建っていて1986年7月31日の旧線最後の日まで使用されていました(画像はウィキペディアより引用)。

大阪から30km圏内とは思えない長閑な駅でした。



↑ここから先、生瀬方面の線路跡はハイキングコースとなっています。

昨年まで西宮市内の区間がJR非公認の「自己責任の道」でありましたが、今は正式にハイキングコースとなりました。

2016年3月に歩いてみましたので後日記事化したいと思っております。



↑駅跡の脇を流れる武庫川。



↑先程の木造駅舎と共に旧武田尾駅のシンボルであった神戸水道の水道橋。

駅構内を跨いでいて、この橋の下を列車が行き交ったのでした。



パイザーのいるこの道を30年位前まで山陰方面、果ては九州に向かう列車が行き交っていたと思うと胸が熱くなります。



↑旧駅跡からは現在の福知山線の橋が見えます。現在線は旧線とほぼ直角に立体交差、現在の武田尾駅は画像右手の山の中にあります。



↑旧線跡から見上げた現在線の橋。

トンネルを抜けた先は西宮名塩駅です。旧線は武庫川の渓谷沿いを地形に逆らわずにヘロヘロと進んでいましたが、現在線は一気に山をトンネルで貫いています。



↑現武田尾駅の駅前広場と出入口。

旧線跡は現駅へのアプローチ路に化けました。



↑旧線跡の市道を西へ進むと、曰く有りげな古びたトンネルに到達します。

これが「草山トンネル」です。



↑坑門前にはなぜか「左方屈折あり」の標識が。

そして白ペンキで書かれた「9」の数字。この草山トンネルは福知山線の起点である尼崎駅から数えて9番目のトンネルで、この数字はトンネル番号を示すものです。



↑坑口脇の錆だらけのプレート。

そして碍子も残されています。



↑上部にうっすらと「草山」の文字が読み取れます。



↑早速入洞してみます。

天井は煉瓦積み、腰部は石積みという構成です。



↑長年に亘り、蒸気機関車の煤煙とディーゼル機関車の排気ガスに晒され続けた為、天井は真っ黒に汚れていました。



↑幻想的な風景です。

ちなみにここ草山トンネルは福知山線の廃トンネル群の内、車で通行できる唯一のトンネルでもあります。



↑外に出られる怪しい横穴がありました。



↑横穴を外から。人ひとりが通れる位のサイズの横穴です。

もともとは保線作業員用の出入口だったのでしょうが、今も歩行者用として使用されています。



↑しばらく進むと左側に大きな横穴があって、坑道はまっすぐ延びているもののそこで通行止め。

人も車も横穴から外へ出る事になります。先程の左方屈折の標識はこの曲がり角を示すものでした。



↑これが横穴の坑門。もちろん後付けで設けられたものです。



↑横穴の先には武庫川に架かる吊り橋がありました。



↑吊り橋と我が相棒。



↑吊り橋の上から見た道場駅方面。



↑こちらは武田尾駅方面。

画像左の石積みの構造物が草山トンネルです。



↑例によって動画です。この草山トンネルをパイザーで走ってみました。



↑武田尾駅跡には鉄道時代の遺物はほとんど残っていないようでしたが、帰り際に道路脇の擁壁に辛うじてそれを見つける事が出来ました。

国鉄のコンクリート製の構造物に刻まれている建築年月の刻印です(画像中央)。「1978-3」とあります。



↑30数年前は列車に乗って画像の地点を通り、今回は我が愛車で。

新名神高速道路開通の暁にはこの辺りもかなり変化しそうです。
Posted at 2017/07/10 22:55:46 | トラックバック(0) | 鉄道廃線跡・遺構巡り | 旅行/地域
2017年07月07日 イイね!

2015年2月18日・4月4日 奈良県五條市 五條市史跡公園 国鉄78675

2015年2月18日・4月4日 奈良県五條市 五條市史跡公園 国鉄78675旧アカウント「とりつきい」で投稿したブログ記事のアーカイブです。

ブログのカテゴリーの一つに「鉄道保存車両巡り」という項目がありましたが、本記事はその第一弾となります。

なお取材時期が古いので、今は何らかの変化が生じている可能性がある事を予めお含みおき下さい。



↑2015年の2月18日、奈良県五條市の「五條市史跡公園」にやってきました。

快晴でしたが、寒い一日でした。



ここは代官所の跡地だったりします。



↑この公園には「ハチロク」の愛称で親しまれた、旧国鉄の8620形蒸気機関車が静態保存されています。



↑説明板によるとこの個体「78675」は1925(大正14)年に製造され、姫新線・芸備線、そして地元である和歌山線で運用されたそうです。



さてこの8620形は付番が実にややこしい事でも知られています。1号機は「8620」、80号機が「8699」となりますが、99号機を「8700」とすると既に存在した8700形と重複する為、万の位に1を付けて「18620」としたそうです。

その後も同様に下2桁を20から始め、99に達すると次は万位の数字を1繰り上げて再び下2桁を20から始め…という付番法としました。よって80番目ごとに万位の数字が繰り上がり、160番目が18699、161番目が28620、…となります。

ちなみにナンバーと製造番号を対応させる公式があるそうで

万の位の数字×80+(下二桁の数字-20)+1=製造順

となります。

この個体の場合は「78675」で、7×80+(75-20)+1=616、つまり616号機となります。

鉄道院(国鉄の前身)の中の人も、まさかここまで大量に生産されるとは思っていなかったのでしょう。



↑それはさておき、冬枯れの寂しい公園に「78675」はひっそりと佇んでいました。

全体的に状態は良さげで、手入れが行き届いている感じがします。



↑帰り際に機関車の脇で記念撮影を。

この8620形、元々は旅客列車用に造られましたが、小回りが効いて色々な用途に使える使い勝手の良かった機関車だそうです。その点ではパイザーに通じる所があります。



↑その年の4月4日、再びここ史跡公園にやってきました。



↑目的はこの桜でした。

あいにくの空模様、そして葉桜化した木もチラホラと見られましたが(汗)



↑「78675」も相変わらずでした。



この年は桜の開花が早く、4月4日の時点で満開のピークを過ぎていました。





機関車と桜の組み合わせって、イイものですね(^^)



↑全体的に状態の良さげな五條の8620ですが、テンダー(炭水車)のナンバープレートとテールライトのレンズは欠品になっています。



とりあえず所期の目的である機関車と桜の組み合わせが撮れたので、良しとしました(笑)。

今後、少しずつ過去記事の再編集・投稿を進めていきます。
Posted at 2017/07/07 17:07:29 | トラックバック(0) | 鉄道保存車両巡り | 趣味
2017年07月03日 イイね!

2017年5月28日 兵庫県豊岡市但東町 愛宕隧道

2017年5月28日 兵庫県豊岡市但東町 愛宕隧道廃隧道巡りです。

今回は兵庫県豊岡市但東町にある「愛宕(あたご)隧道」を訪れてみました。



↑まずは例によってその大体の位置を(グーグルマップ)。



↑豊岡市但東町の太田地区と西野々地区を結ぶ道にある1932(昭和7)年竣工・延長22mの隧道で、現在は閉鎖されています(上図:国土地理院)。

地図を見る限りでは遠回りにはなりますが東側に立派な道があり、両地区を短絡している以外にあまりその存在意義を感じられない隧道です。



・・・が、古い5万分の1地形図(旧陸軍作成・明治31年測図・昭和7年修正)によると、東側にある道路が存在せず、愛宕隧道経由のルートが唯一のまともな道だった事が判ります。

こちらのサイトによると1931(昭和6)年より住民たちの手によって工事が進められ、翌1932(昭和7)年に竣工しました。

愛宕隧道開通により険しい峠越えから解放され、西野々~太田間の交通事情は劇的に改善されました。



↑但東町へ向かう途中に通った京都府道・兵庫県道56号線の走行動画です。なかなかの快走路でした。なお、20分と長めの動画です(^_^;)



↑まずは西野々側からのアプローチを試みたのですが、隧道に至る旧道の入口を地元の番犬軍団が「ここは絶対に通さんぞ」とばかりにガッチリと警備しておりました。

他に迂回路も見当たらなかったので、西野々側坑門への訪問は諦め、反対側の太田地区へ向かう事にします。

この物件に関して近年の訪問記がほとんどないのも何となく納得・・・。



↑こちらが太田側の隧道アプローチ路入口。

この先通り抜け出来ません 但東町」と書かれた看板が建っています。何だかワクワクします(笑)。

ここに車を置いて峠道を登っていく事にします。



↑沿道は獣避けネットでガッチリとガード、そして路上にはこんなものまで。

自然豊かな地域でもあります。



↑真っ青な空、鮮やかな新緑、心地よい風の吹く峠の道をテクテクと・・・。



↑黄金色の枯れ葉の絨毯を踏みしめ、一歩一歩確実に目的地に接近します。



↑やがて急カーブが見えてきました。これまでの経験からだと多分、このカーブの先に隧道があるでしょう。



↑やはり隧道がありました。

これが今回の目的地、「愛宕隧道」です。





↑愛宕隧道の太田側の坑門です。石積みのトンネルポータルが緑の中に埋もれていました。

今回は行けませんでしたが、西野々側も同一仕様の坑門だそうです。

前述の通り、現在は坑門前に設置されたフェンスによって閉鎖されています。



↑坑門にさらに接近。なかなかの風格と威厳のあるポータルです。





扁額はないですが、要石に「愛宕隧道」と縦書きで刻んであり、なかなか珍しいです。



↑フェンス越しに内部を撮ってみました。

廃されてから結構な時間を経過し、内部には崩落が随所に見られます。

隧道の中を心地よい風が吹き抜けていました。



↑隧道前から見た但東町太田の風景。

竹林と木々の向こう側には田植えを済ませた水田が広がっていました。



鮮やかな新緑に包まれてひっそりと永久の眠りに就く「愛宕隧道」。

隧道とその周辺は緩やかながらも確実に自然に還りつつある、そんな忘れられた空間でした。
Posted at 2017/07/03 23:00:22 | トラックバック(0) | 廃隧道・トンネル | 旅行/地域

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「悪戦苦闘の末、キャンバスにペダルカバー付けました。久しぶりの車イジりです。」
何シテル?   12/11 13:27
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