
本記事は旧アカウント「とりつきい」で2017年4月2日付にて投稿したものです。
今回記事の「
棚橋隧道」は訪問時点(2017年3月28日)では現役でしたが、その直後の2017年4月頃に両坑口にフェンスが設置されて閉鎖され、今は廃隧道となっています。
今回は閉鎖直前の棚橋隧道とその前後の道の記録として再投稿してみます。
↑まずは例によってその大体の位置を(グーグルマップ)。
↑さらに拡大。
度会郡南伊勢町(旧南島町)と同郡大紀町に跨る国道260号線の旧道に存在する隧道です。2002(平成14)年の「紀勢南島トンネル」開通により、旧道化しました。
この棚橋隧道を含む旧道は国道時代は「酷道」としても知られていた道でもあります。
↑紀勢自動車道紀勢大内山ICから県道68号線を南下、しばらく進むと大紀町側の旧道分岐点に到達します。上の画像の下段左側が棚橋隧道に至る旧道です。
が、ここは素通りして現道経由で南伊勢町側の旧道入口へ向かいます。
↑国道260号線現道の紀勢南島トンネル。2002(平成14)年竣工、延長1550mの長大トンネルです。
このトンネルの開通により、この辺りの交通事情が劇的に改善されたのは書くまでもありますまい。
↑トンネルを抜けると近年に開通したバイパス区間へ。
上の画像は旧道との立体交差部で、この地点の真下を棚橋隧道に至る旧道が通っています。
↑海が見えてきました。
ひたすら山の中を走ってきた後に見る海の眩しさは格別であります。
↑さらにしばらく進むと棚橋竈(たなはしがま)の集落に至る分岐があります。
ここは右へ。国道260号線の旧道は集落の中を抜けていました。
↑曲がった先には、国道だった頃の青看板(案内標識)が残されていました。
↑文字が剥げかけて、もはや案内標識としての役目を果たすのが困難な感じです。
↑元国道とは思えぬ棚橋竈集落内の道。
↑集落を抜けるといよいよ棚橋隧道に至る道の入口(画像右)に到達します。
ちなみに直進する道も国道260号線の旧道で、先程のバイパス開通まで紀勢南島トンネルへの連絡路として中継ぎ的に国道指定されていました。
なので、棚橋隧道を含む道は厳密に言えば旧旧道という事になります。
↑分岐点の脇に建つ「首なし標識」。かつてはこのポールに国道のおにぎり型標識が付いていました。
この辺りでは頻繁に国道のルート変更が行われたので、国道標識の残骸であるこうした「首なし標識」が至る所に建っています。
↑いよいよ棚橋隧道に至る道に足を踏み入れてみます。
入口の傍らには12m以上の長さの車の通行不能を示す看板が建ち、この先の道の険しさを物語っています。
↑狭く険しい峠道をグイグイと登っていきます。
下の方ではそんなに荒れた感じはなかったのですが・・・。
↑峠の上の方に進んでいくと、路面に転がる落石がチラホラ。
↑さらに進むと
路面ヒビ割れ・落石・土砂崩れ・路肩崩落とあらゆる障害の見本市状態。
危険箇所は最徐行しつつ慎重に進みます。
ちなみにこの道は国道指定解除の後、廃道一歩手前の状態となりました。そして自然災害により通行止めとなり、このまま廃道化かと思われましたが、何故か復旧工事が行われて復活しました。
その後も廃道一歩手前の状態を維持し続けた不思議な道でありましたが、今回の棚橋隧道の閉鎖により廃道化は確定のようです。
↑何とか無事に峠の頂にある棚橋隧道に到達しました。
↑ここまでの道のりの走行動画です。お時間のある方はどうぞ。
↑春の穏やかな日差しをたっぷりと浴びる棚橋隧道。
幅員に対してやたら背の高い坑口が特徴です。
↑隧道の手前に建つ「南島町」の看板。今は合併により「南伊勢町」となっていますが、ここでは「
昔の名前で出ています」状態。
この道が「
忘れられた道」である事を物語っています。
↑そして幅員制限標識。
高さ制限標識がないのがいかにも棚橋隧道らしいです。
↑まずは車で隧道を一往復してみました(動画/BGM付)。
↑一往復して再び南伊勢町側に戻ってきました。
↑この棚橋隧道の南伊勢町側の坑門、坑口がΩ形で鍵穴のような形状をしている事から別名「
鍵穴隧道」とも呼ばれているそうです。
1914(大正3)年竣工、延長123m、限界高3.5m、車道幅員2.5mというスペックの隧道です。
↑坑門の傍らには石仏が鎮座していました。が、供えられた花はすっかり枯れてしまい、訪れる者が途絶えてしまった事を物語っています。
↑鍵穴のような坑門を真正面から。
両サイドから迫るコンクリートの壁が圧迫感満点です。
↑壁には抉られたような跡が。経年劣化によるものなのか、通行した車によるものなのかは不明ですが。
↑「鍵穴」の内側から外を撮ってみました。
それにしても画像左の壁面から生える植物のど根性ぶりには驚きです(^_^;)
↑内部は素掘りモルタル仕上で、意外にかなり広いです。
もともとは完全素掘り隧道だったそうですが、後にコンクリートのポータルを追加して今の姿になったそうです。
煉瓦・石積み全盛期の大正初期の竣工なのにコンクリート製のポータルを有しているのはその為です。
↑長さが短く、しかも断面が大きいのであまり怖い感じはありません。
↑大紀町側の坑口手前にて。
壁のモルタルが崩落し、鉄筋が剥き出しになっていました。
↑隧道内部から見た大紀町側。
↑振り返って内部を撮影。
先程の鉄筋剥き出しの壁の周囲にはモルタルの欠片が散乱していました。
↑大紀町側に出てきました。
こちらもコンクリートのポータルですが、鍵穴形ではなく、逆U字型の坑口です。
↑南伊勢町側と同じく、扁額はありません。
↑坑口の手前には真新しいコンクリートの敷居のような構造物が。
撮影時点では何の為のモノか不明でしたが、これはフェンスを建植する為の基礎でした。
今はこの上にフェンスが設置され、さらに坑口全体が金網で覆われているそうです。
↑訪問時は休工中(?)で誰もいませんでしたが、手前に「工事中につき段差徐行お願いします」の看板があります。実はこっそり閉鎖工事中だったのでした。
↑大紀町側坑門前から続く旧道。
陽光がさんさんと降り注ぐ南伊勢町側とは対照的に、こちらは鬱蒼とした感じです。
↑鍵穴形の南伊勢町側とは対照的な感じの大紀町側坑門。
よく
墳墓への入口のようだと評される、堅牢且つカッチリとした作りのポータルです。
↑少し離れた所から見た棚橋隧道。
鬱蒼とした空間の奥に墳墓のような坑門があります。
↑「トンネル内は点灯せよ」の古びた看板の下に「棚橋」と書かれたプレート。隧道を抜けた先の地名を標示しているようです。
ちなみに南伊勢町側には「羽下」のプレートが。「羽下」とは大紀町側の地名です。
↑先程は車で通行してみましたが、歩きながら動画を撮ってみました。
↑帰り際に記念写真を。
ここ棚橋隧道付近に一時間近く滞在しましたが、その前後の道も含めて他の交通や人に出会う事は全くありませんでした。
後から考えてみると今まで閉鎖されなかったのが不思議にすら思える寂しい道でした。
↑帰路はまっすぐ大紀町方面へ峠を下りました。
こちらも荒れた道でしたが、途中で林道が分岐している関係からか、そこそこ通行はあるようです。南伊勢町側よりはまだマシな感じの道でした。
↑やっとこさ県道68号線との合流点に下りてきました。
ここにも国道時代の青看板と首なし標識が残っています。
↑大紀町側の旧道の走行動画です。
この日は何が何でも行かなければ、という思いに駆られての訪問でしたが、後から棚橋隧道閉鎖を知り、これって「虫の知らせ」だったのかなと思ったりもします。
何もともあれ、棚橋隧道の現役の姿をギリギリのタイミングで記録する事が出来て良かったです。
最後に一言だけ、
「いつまでも通れると思うな古隧道」