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とりつきいver.2のブログ一覧

2018年01月28日 イイね!

2017年10月10日 兵庫県豊岡市竹野町 JR山陰本線 浜須井架道橋

2017年10月10日 兵庫県豊岡市竹野町 JR山陰本線 浜須井架道橋人知れず、ひっそりと鉄路を支え続ける石積み・煉瓦積みの古いアーチ橋を巡ってみようシリーズ(・・・な・・長い・・・(^_^;))です。

今回は兵庫県豊岡市竹野町のJR山陰本線の煉瓦積みアーチ橋を訪ねてみました。



↑例によってその位置を(上図はグーグルマップ加工)

豊岡市竹野町の浜須井海岸は夏は海水浴場として賑わう所でありますが、その近くの集落内に件の橋は存在します。

橋の正式な名称は不明な為、所在地の名をとって「浜須井架道橋(仮名)」としておきます。

なお、本記事はこちらの過去記事「2017年10月10日 兵庫県北部~鳥取県東部ドライブ」の関連記事です。リンク先未読の方は併せて御覧いただければ幸いです。



↑まずは動画です。浜須井へは東側の切浜方面よりアプローチ、イキナリ車で橋の下を潜ってみました。



↑パイザー@浜須井海岸。

橋の下を一往復した後、海岸にて撮ってみました。



↑パイザーの向こう側には、紺碧の海と空が広がります。

この日10月10日は晴天率の高い日だそうで、この日に来て正解でした。



↑パイザーを停めた所は県道脇にある駐車場で、夏場は海水浴客で賑わいます。

そして10月の海岸は人気(ひとけ)もなく、ひっそりと静まり返っていました。

秋の海水浴場というのも趣があって良いものです。



↑海岸の駐車場から徒歩5分の所に先程の架道橋があります。

ここは浜須井の集落の真っ只中です。



↑北側から見た浜須井架道橋。

初めから橋の下を車両を通す前提で造られた、大き目のサイズの煉瓦積みアーチ橋です。

山陰本線のこの区間が開通したのは1911(明治44)年の事。この橋は開通時からこの地に存在しているものと思われます。



↑橋の中央部にヒビ割れが。その脇には白文字の書き込みが見られ、JRもこのヒビ割れを把握しているようです。

長年に亘って上を重量級の列車が行き交い、日本海の風雪に晒され続けてきた事を考えれば、こうした変状が生じるのも仕方ありますまい。



↑先程は車でここを通過しましたが、歩いて橋の下を潜ってみます。

煉瓦積みの橋の下って、何となく落ち着く空間であります。



↑天井はオーソドックスな長手積み。天井の煉瓦には所々に白化が。



↑陽当たり良好な橋の南側。10月の穏やかな陽光がさんさんと降り注ぐ空間でした。



↑真っ青な空をバックに緑の築堤に赤煉瓦のアーチ橋、実にメリハリのある風景です。



↑上を見上げてみると南側の胸壁にもヒビ割れが見られます。北側と併せて近々補修が施されるかもしれません。



↑南側から見た架道橋の下。



1911(明治44)年以来、一世紀以上に亘ってこの地にて風雪に耐えながら鉄路を支えてきたアーチ橋。

一部にヒビ割れや煉瓦の白化といった老朽化による変状が見られますが、それらを克服しこれからも末永く存在し続けて欲しいものです。



↑最後に浜須井海岸でとった写真を。

煉瓦アーチ橋もステキな物件でしたが、この紺碧の空と海がとても印象に残るスポットでした。
Posted at 2018/01/28 12:14:25 | トラックバック(0) | 橋梁 | 趣味
2018年01月24日 イイね!

2017年9月11日 奈良県桜井市・吉野郡吉野町 鹿路トンネル

2017年9月11日 奈良県桜井市・吉野郡吉野町 鹿路トンネル現役トンネル巡りブログです。

当プログでは主に明治期~1950年代位までの古隧道を取り扱ってきましたが、今回の「鹿路(ろくろ)トンネル」は1965(昭和40)年竣工の比較的新し目の物件です。



↑例によってその位置を(上図はグーグルマップ加工)

奈良県桜井市と吉野郡吉野町にまたがるトンネルで、かつて奈良県道37号桜井吉野線だった道に存在します。

トンネルそのものは狭小という事もなく、特にボトルネックになる存在ではなかったのですが、トンネル前後の峠道がかなりの「険道」でした。そしてこの県道37号線が桜井市と吉野町を結ぶ唯一の道だった事もあり、峠を一気に貫く長大トンネルである「新鹿路トンネル」が建設され、新トンネル開通後は県道指定を外されて今日に至ります。

自宅から一時間足らずで行ける位置にあり、プチドラがてらに訪問してみた次第です。



↑今回は桜井市側よりアプローチしてみます。

上の画像は桜井市側の現旧道分岐で、直進すると「新鹿路トンネル」(延長2466m ・2003年竣工)、右に進むと「鹿路トンネル」に至る旧道です。



↑鹿路トンネルを含む旧道は県道指定を解除され、桜井市の市道・吉野町の町道となりました。桜井市側は道路の改良が行われ二車線の道路となっています。



↑鹿路トンネルの近くにて。画像には写っていませんが、パイザーの下には秋の味覚である栗がゴロゴロと転がっていました。



↑このカーブの先に鹿路トンネルがあります。

画像の右側には山の上へと向かう怪しげな道が。そちらにも心惹かれるモノがありますが、まずはトンネル探索へ。



↑カーブの先にひっそりと佇む鹿路トンネル桜井市側坑門。



↑トンネル手前には地名標識が建ち、トンネルの向こう側の吉野町を標示しています。





↑「鹿路トンネル」、1965(昭和40)年竣工。延長570m・高さ4.8m・幅員6.1mというスペックです。

いかにも「高度経済成長期」という感じの、あっさりとした質素な造りのポータルで、趣味的にはあまり面白くないのかもしれません。

が、竣工してからそれなりの年月が経過しており、「古隧道」としての貫禄のようなモノがなんとなく感じられます。



↑竣工当時の奈良県知事の揮毫による扁額。

10年ほど早く建設されていたら、「鹿路隧道」になっていたのでしょうが。



↑トンネル内部の様子。普通車同士なら何とかすれ違えそうな幅員です。

ここも例によって「心霊スポット」としての風評のある所ですが、見た感じでは「只のトンネル」でした。



↑トンネル内部から見た桜井市方面。

トンネルの向こう側へは車で行く事にして、その前に先程の怪しげな(?)山道を見に行ってみます。



↑旧県道と例の山道の分岐にて。左「細峠」・右「桜井市街」と標示された道標が建っています。

「細峠」とはあの松尾芭蕉が句を詠んだ所で、それを記念した句碑も建っています。歴史と由緒のある峠道でもあります。



↑鹿路トンネルの脇を上っていく山道。

軽自動車なら何とか通れそうな感じの道幅がありますが、入口にポールが建っていて四輪は通行不能っぽいです。



↑山道から見た鹿路トンネル。

この道には石ころが転がり、あまり通行はなさそうです。



↑車で鹿路トンネルを通過して吉野町側へ。



↑吉野町側にやってきました。

こちらの旧県道は川沿いを通っています。



↑さらに接近。



↑吉野町側の坑門も反対側と同一仕様。

桜井市側にはない、坑門脇の階段が印象的です。



↑トンネル脇の階段、そして上った先はハードな激藪・・・・。

「異世界」(?)への階段なのでしょうか・・・・(^_^;)



↑こちら側の扁額とその周囲は苔で覆われ、判読困難となっています。



↑吉野町側から見たトンネル内部。

間引かれて点灯している照明がどことなく侘しさを感じさせます。



↑トンネル内部から見た吉野町側の旧県道。



↑車での鹿路トンネルの往復シーンを収録したドラレコ撮影の動画です。



↑吉野町側の旧県道を少し歩いてみました。

左が三津の集落に至る道、右が旧県道です。鹿路トンネルを含む道は県道ではなくなりましたが、今も山間の集落の為の生活道路としての役割を担っています。



↑さらに旧県道を進むと急勾配の下り坂。

この先はなかなかスゴイ道でした(^_^;)



↑しばらく下るとY字の分岐が。右が旧県道です。左に進むと農地や簡易水道の浄水場があるそうです。



↑桜井市側は二車線の道に生まれ変わりましたが、ここ吉野町側ではかつての「険道」がそのまま残っています。



↑吉野町側の旧「険道」区間を撮ったドラレコ撮影の動画です。



旧「険道」37号線にひっそりと佇む「鹿路トンネル」。

トンネルそのものは近代的な造りですが、第一線を退いて旧道落ちしたトンネル特有の、ちょっぴり「廃」でうらぶれた雰囲気が漂う物件でした。
Posted at 2018/01/24 14:09:15 | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域
2018年01月16日 イイね!

2017年12月3日 岡山県新見市 JR姫新線 岩山駅

2017年12月3日 岡山県新見市 JR姫新線 岩山駅駅巡りブログです。

今回はJR姫新線の岩山(いわやま)(岡山県新見市)です。姫新線は姫路と新見を結ぶ路線で、今回記事の岩山駅は終点の新見駅の一つ手前の駅で、起点の姫路駅から149.8kmの所にあります。

私好みの古い木造駅舎が残存しているとの事で訪問してみました。



↑大阪の自宅を早朝4時に出発、休憩込みで4時間程かけて新見までやって来ました。

この辺りは未踏の地なので、とてもワクワクします♪

上の画像、さり気なく我が相棒のシルエットが写り込んでいますが、何だかニヤッとしてしまいます(笑)。



↑これが岩山駅の駅舎。開業時(1929年)からのものと思しき古風な木造駅舎です。

車から外に出ると鋭い冷気が肌に突き刺さります・・・。

駅は西向きに建っています。なので午前中の時間帯ならば思いっきり逆光になってしまうところですが、朝日は背後の山によって遮られ、駅含めた集落全体が巨大な日陰の中にありました。



↑よく見ると待合室部分の窓はアルミサッシになっていますが、ブラウン系の色のサッシなのであまり目立たず、違和感を感じさせるものではありません。

こういうさり気ないリフォームは好感が持てます。



↑出入口の扉は開業時からのものと思われる木製のもの。



↑旧字体の「驛」と記された看板。



↑事務室の窓枠も木製。

姫新線の兵庫県内の駅にも木造駅舎が残っている所がありますが、すべて近代化改装済み。岡山県内ではほぼ原形を留めた木造駅舎がこうして残されています。



↑駅舎出入口から見た駅前。

西側の山にはようやく陽が当たり始めました。が、巨大な日陰の中の岩山駅はとても寒いです・・・。



↑駅舎の脇にはウッディな便所があります。

駅舎にコーディネイトさせるべく近年に木造で建て替えられた建物で、内部は超近代的な便所でした。

ここに限らず、古い木造駅舎と新しい便所の組み合わせは結構存在します。



↑先代の便所のものを流用したと思しきホーロー看板。

新しい建物と古い看板の組み合わせも良いですね。



↑駅舎内部に入ってみます。

天井と壁の一部がリフォームされています。



↑人感センサーが装備されているのか、駅舎内に入るとパッと灯りが点きました。

電球色LEDの照明です。見かけは古い岩山駅の駅舎ですが、こうした細かい所はさり気なく近代化されています。



↑駅舎内部から見た古風な木造の扉。



↑空白の時間帯が目立つ時刻表。列車が来るのは大体2時間~3時間置きというダイヤです。

下りは全てお隣の新見行き、上りは津山・中国勝山行きばかりで、起点の姫路に直通する列車は存在しません。

ここ岩山駅は美作国と備中国を結ぶ「作備線」の駅として開業、後に路線そのものが姫路と新見を結ぶ「姫新線」に編入されてしまいましたが、現状の運行形態は「作備線」そのものとなっています。



↑駅舎内部から見た改札口。

その外に見える風景はこれまた寒そうですね・・・ガクガクブルブル。



↑向かい側には廃ホームがあり、改札口の延長線上のホーム側壁には構内踏切のモノと思しき切り欠きの跡がありました。



↑改札口付近から見た姫路方面。



↑こちらは新見方面です。





↑ホームから見た木造駅舎。

2010年代後半にこういう駅舎が今も現役であり続けているというのは個人的には嬉しく思います。



↑ここ岩山駅は無人駅ですが、駅舎事務室に至ると思しきアルミのドア脇に「岩山集会所」と書かれた看板が掲げられていました。

駅舎事務室は地区の集会所として利用されているようです。



↑駅の姫路寄りにて。陽が当たった紅葉の山々がとても綺麗でした。



↑見ての通りの駅名標です。

ここ岩山駅は1929(昭和4)年4月、作備西線新見~岩山間開通により開業。翌1930(昭和5)年12月に作備東線の中国勝山駅までの区間が開通するまでここは作備西線の終着駅でした。

後に作備線は姫新線に編入となり、今日に至ります。

ちなみに一日の平均乗車人員数は4人(2015年)・・・と、秘境駅レベルです。



↑かつては上下列車の離合可能な配線でしたが、駅舎の向かい側の線路は撤去されています。

霜が降りた廃ホームが趣があって正に「いとをかし」な風景。



↑こちらは駅の新見寄り。




↑霜が降りてうっすらと白く化粧された駅構内がなかなか良い感じでした。

が、肌に突き刺すような寒さで、カメラを持つ手が悴んでしまいましたが(苦笑)。



↑例によって動画です。



↑最後に駅舎前にて記念写真を。

利用客は秘境駅レベルの少なさですが、今後ともこの地域の顔であり続けて欲しいと思う岩山駅の木造駅舎でした。
Posted at 2018/01/16 15:00:55 | トラックバック(0) | 鉄道路線・駅巡り | 旅行/地域
2018年01月10日 イイね!

2017年11月8日 京都府綴喜郡宇治田原町 奥山田第三・第二隧道

2017年11月8日 京都府綴喜郡宇治田原町 奥山田第三・第二隧道久々の廃隧道ブログです。

そして初の京都府南部ネタでもあります。



今回記事の「奥山田第三隧道」・「奥山田第二隧道」は京都府綴喜郡宇治田原町の国道307号線脇にある明治時代竣工の廃隧道です。

そしてそのネーミングから判ります通り、「奥山田第一隧道」と呼ばれる廃隧道もあり、これら3箇所の隧道はまとめて「奥山田隧道群」と呼ばれています。

なお、第一隧道は到達・通り抜け共に困難。第二隧道は第三隧道経由ならば東側坑口のみ到達可能。第三隧道は到達・通り抜け共に容易・・・となっています。

近畿圏の廃隧道ではかなりメジャーな物件で、ネット上にはその訪問記や画像が多数存在します。



↑国道307号線の「大福隧道」(1967(昭和42)年竣工)。

この脇(画像左側)に「奥山田第一隧道」が眠っております。ちなみに全体的にコンクリート補修が施され、両側の坑門付近は激藪にガードされ、内部は水没しているという状況だそうです。

なので今回はスルーです。



↑同じく国道307号線の「奥山田隧道」(1961(昭和36)年竣工)。

大型車同士のすれ違いが困難である事と、隧道の東にある奥山田の集落内に狭隘区間が存在する為、現道の南側に新トンネルを含むバイパスが建設中です。

この「奥山田隧道」の北側に目指す「奥山田第二・第三隧道」が存在します。



↑今回はアクセス容易な第三隧道よりアプローチ、可能であれば第二隧道まで行ってみる事にします。

国道307号線の奥山田隧道の東に「奥山田新道」と呼ばれる旧道への分岐があり、旧道に入ってすぐの所に第三隧道があります。

国道から隧道の姿がチラッと見える為、ドライブやツーリングの途中でフラっと吸い寄せられるように訪れる人も多いとか。

ちなみに画像左側の小屋は奥山田地区の炭焼き小屋で、小屋の前辺りまで舗装されています。



↑旧道から見た現道の「奥山田隧道」。

前述のバイパスが開通すれば、ここは明治・昭和・平成の三世代の隧道・トンネルが存在する所になります。バイパス開通後のこの昭和隧道の処遇については不明ですが・・・。



↑鬱蒼とした切り通しの奥に佇む奥山田第三隧道。

この道「奥山田新道」は明治末期に地元有志の出資により建設された、宇治田原と奥山田地区を結ぶ道路です。それまでは奥山田地区に至るまともな道路がなく、正に「陸の孤島」状態でした。

特記すべきは資金面でお上に頼ることなく自力で整備したインフラであるという点で、開通後は奥山田地区と外部との往来・交流が活発になったのは書くまでもないでしょう。

その後奥山田新道は改良・ルート変更を重ねつつ京都府の府道を経て国道307号線となりますが、この第三隧道を含む旧隧道群は国道指定前に廃隧道化しています。



↑「異世界への入口」という感じの「奥山田第三隧道」南側(奥山田側)坑門。

古風な煉瓦積みのポータルで「いかにも」な雰囲気満点。しかも雨が上がった直後で坑口からは白い靄を吐き出していました。





↑この奥山田第三隧道は1912(明治45)年竣工、延長96m・高さ4.5m・幅員3.8mというスペック。そして土木学会選近代土木遺産Bランクの物件でもあります。

ちなみに第一隧道・第二隧道も煉瓦積みのポータルでしたが、後年の改修や崩落により、原形を保っているのはこの第三隧道の奥山田側のみとなっています。



↑各部に装飾が施され、一見凝った造りのポータルですが、迫石(アーチ)部は煉瓦二層積みとやや貧弱な感じがします。



↑画像では判りにくいですが扁額には右横書きにて「幽谷窃然」と刻まれてあります。

直訳すると「山奥深くにある静かな谷のひっそりとした様子」・・・となります。

ちなみに扁額が掲げられているのは第一隧道の宇治田原側とこの第三隧道の奥山田側のみだそうです。



↑ポータルの左側に埋め込まれたプレート。

横浜からこの地に招かれ、奥山田隧道群の工事の指揮を執った青木市太郎の名が刻まれてあります。



↑右側には竣工年月を刻んだプレートが。

「明治四十五年 三月竣工」とあります。



↑振り返ると雨に濡れた奥山田新道が。

名は「新道」ですが、この区間が旧道落ちして結構な時間が経過しています。

それにしても雨上がりの旧道って風情があって良いものです。



↑いよいよ洞内へ。

坑口付近には先程の炭焼き小屋関連と思われる丸太等の資材が置いてありました。

坑口付近のみが煉瓦積みで洞内の大部分は素掘り区画です。



↑洞の中程にて。

靄が立ち込めています。路面は未舗装ですが泥濘はなく、意外に綺麗。



↑天井もなかなか綺麗です。



↑さらに進むと巨大な水溜りが。

長靴を履いてこなかったので、思いっきり壁際に寄って進みます。



↑北側坑口付近に到達、所謂「○○○○映え」な画像を撮ってみました。

洞外には先程の扁額の「幽谷窃然」という文言そのものの、実に幻想的な光景が広がっていました。



↑北側の坑門。こちらも煉瓦積みのポータルでしたが大部分が崩落し、何とも無残な姿です。

そしてここからも白い靄を吐き出していました。



↑第三隧道を抜けて100mの所にあるという第二隧道、周囲を見渡してみましたが、そこに至る道筋らしきものは見当たりませんでした。

第二隧道があると思しき方角にはちょっとした藪があり、その先に怪しげな物体が・・・。

藪を漕いでその物体に接近してみます。



↑第三隧道と第二隧道の間に存在し、諸先輩方の訪問記に必ず登場する廃車体です。

ひっくり返った状態で半ば土砂に埋もれていました。



↑こうした「草ヒロ」との邂逅が、廃道・旧道巡りの楽しみの一つと言えるでしょう。

廃車体の先に「奥山田第二隧道」と思しきコンクリートのポータルの姿がチラッと見えています。



↑フロント部分は土砂に埋没。

パックリと開いたリアゲートには木の枝や落ち葉等の堆積物が積もっています。



↑エンブレムがしっかりと残っています。



↑「土に還る」という表現がピッタリの光景。

この廃車体にもピカピカの新車だった時があり、その後どのような車生を送ってどのような経緯でこの地にて眠りに就いたのか、いろいろと思いを巡らせてみるのも楽しいものです。



↑廃車体の先に倒木があり、その先に「奥山田第二隧道」の姿がありました。

隧道の手前は開けていてかなり意外な感じがしました。



↑「奥山田第二隧道」東側坑門。元は煉瓦積みのポータルだったそうですが、後年にコンクリートで補強されています。



↑生い茂るシダに囲まれて、洞内に廃タイヤを積まれてひっそりと眠る第二隧道。

第三隧道と同じく、土木学会選近代土木遺産Bランクだそうです。

・・・にしても、廃隧道とはいえ近代土木遺産の物件に対するこの仕打ち、ちょっと酷くないですか!?



↑洞道を埋め尽くすタイヤ、タイヤ、タイヤ、さらにタイヤ・・・これが「たい焼き」の山だったらどんなに素晴らしい事だろうか・・・などとアフォな事を思ってしまいましたが(笑)、さすがにこのタイヤだらけの洞内に入る気にはなれず、第二隧道についてはこの東側の坑門を見るだけに止めておきました。

ちなみに第二隧道の西側は現在私有地になっていて、一般の立ち入りは不能です。西側には半壊しながらも立派な造りの煉瓦積み坑門があるそうですが・・・。



↑第二隧道前から見た第三隧道方面。ストレートの緩やかな下り坂で、突き当たりを右に曲がった所が第三隧道です。

廃道になってからかなりの年月が経過していますが、今も手入れされているのか、道筋はしっかりと残っていました。



↑もと来た道を通って第三隧道の北側に戻ってきました。



↑ポータルの上部は見事なまでに崩壊。隧道の構造がよく判る姿になってしまっています。

天井に残った煉瓦が今にも落ちてきそうです。



↑崩落を免れた翼壁。



↑装飾が施され、かなり凝った造りのポータルだった事が窺えます。



↑見るも無残な姿ではありますが、先程の廃車体と併せて「廃」の美というものをひしひしと感じる事の出来る空間でした。



↑北側坑口から撮った洞内。

先程の巨大な水溜りがある以外は、特に泥濘んだ所もなく、概ね乾いた路面でした。



↑工事の鑿(のみ)の跡が残る素掘りの壁面。



↑「幽谷窃然」とした異世界から現実の世界に無事戻ってきました。

この先は国道307号線、この辺りまで来ると国道を行き交う車の走行音が聞こえてきます。



↑一仕事(?)終えて、峠を下った所にある奥山田会館前の自販機で缶コーヒーを購入、そして一服。



↑背後に見える高架は建設工事中の「奥山田バイパス」。



↑さて訪問の三日後の11月11日、動画を撮りに第三隧道を再訪、三日前とはまた異なる表情を見せてくれた奥山田第三隧道でした。

雨上がりの廃隧道もなかなかの風情でしたが、穏やかな木漏れ日を浴びる廃隧道もなかなか良い感じです。



↑第三隧道で撮った動画です(2017年11月11日撮影)。



国道307号線脇にひっそりと佇む「奥山田第三隧道」。

その姿はまるで「異世界」への入口のように感じられる、そんな物件でした。




※末筆ながら、もし訪問される場合は自己責任にてお願い致します。
Posted at 2018/01/10 23:28:05 | トラックバック(0) | 廃隧道・トンネル | 旅行/地域
2018年01月01日 イイね!

2017年12月27日 三重県四日市市 四日市あすなろう鉄道

2017年12月27日 三重県四日市市 四日市あすなろう鉄道2018年初のブログです。

そしてイキナリの「鉄」ネタです。

こちらの過去記事にて「こうなると北勢線と同じく、元近鉄の軽便路線である『四日市あすなろう鉄道』にも乗ってみたいっ!! という事でいつかは訪問してみたいと思っております」と書きましたが、早速昨年12月27日に行ってきました。







※路線図はウィキペディアより引用

四日市あすなろう鉄道は2015(平成27)年4月に近畿日本鉄道(近鉄)から継承した四日市~内部(うつべ)間の内部線と日永~西日野間の八王子線から成る第三セクターの鉄道事業者です。

内部・八王子線は過去記事の北勢線(現:三岐鉄道北勢線)と同じく、軌間762mmの特殊狭軌線(軽便鉄道)で、通常の鉄道車両より二回りほど小さい電車が活躍する路線として知られています。



↑今回は全行程を乗り鉄で。早朝の近鉄特急で四日市へ向かいます。



今回は奮発(?)してDXシートで。一人席は快適そのもの。

ハイドラ起動にて乗車し、近鉄大阪線各駅と名古屋線の四日市駅までのCP(チェックポイント)根こそぎ回収を目論みましたが、取りこぼしが何箇所かありました。

新幹線でハイドラをやると悲惨な事になるというのは散々既出ですが、時速100km以上で走行する事の多い近鉄特急でもそれに近い現象が発生、高速走行区間でロックされCPの取りこぼし等の現象が発生します。

CP回収目当てで「乗り鉄ハイドラ」をやるなら各駅停車でやった方が確実且つ無難です(^_^;)

今回は復路にて取りこぼした所を無事回収出来ました。



近鉄四日市駅に到着、少し離れた所にある「あすなろう四日市駅」の窓口にて画像の「1dayフリーきっぷ」を購入しました。

自動券売機でも食券みたいな仕様のフリーきっぷを売っていますが、どうせなら記念になるものがイイっ、という事で窓口限定券に。



↑近鉄の高架下にある「あすなろう四日市駅」にてひっそりと停車中の260系電車(更新車)。八王子線直通の西日野行きです。


↑近鉄時代の260系電車(ウィキペディアより引用)

1982(昭和57)年から翌1983(昭和58)年にかけて四日市あすなろう鉄道の前身である近鉄内部・八王子線の近代化を目的として新造された車両です。
なお、車両の新製費を抑制する為、中間付随車と一部の制御車には既存の旧型車を260系レベルに近代化改装の上で充当しました。

1977(昭和52)年に北勢線用として新製された270系を基本として設計されましたが後発の為か、より洗練されたスタイルとなっています。

四日市あすなろう鉄道移管後の2015(平成27)年から冷房化・車体の近代化改装が施工され、旧型車置き換え用の新造車が編成に追加されて内外装共に「イマドキの」電車に生まれ変わりました。



↑徹底した近代化改装により、「イマドキの」電車に生まれ変わった「モ262」車内。路線バスのようなシートが並びます。

シートにはハート形の手すりが取り付けられ、お洒落な感じです。

これに乗って八王子線終点の西日野駅へ向かいます。



↑程なく西日野駅に到着。

ご覧の通りの棒線駅ですが、ホーム上は折り返しの電車を待つ学生さん達で賑わっていました。

駅周辺には学校があり、この線は通学の学生さん達によって支えられています。



↑西日野駅の駅舎。

かつてはここから西の伊勢八王子駅まで線路が延びていましたが、1974(昭和49)年7月25日の集中豪雨の被害により休止、そのまま廃止となっています。

そして天白川沿いを通っていた廃線跡は県道に転用されました。

八王子線という線名の由来は伊勢八王子駅まで通じていた事に由来しますが、その事を知らない若い世代の間では「西日野線」と呼ばれているそうな。



↑西日野駅を後にして内部線の終点・内部駅へ。その途中、泊駅にて出会った対向の電車が最古参車の「サ122」を含む260系未更新車の編成!!

何とかしてアレに乗りたいものだと思いましたが、とりあえずそのまま内部駅へ。



↑程なく内部駅に到着。



↑緩やかにカーブしたホームです。



↑駅の終端部。線路の先は国道1号線です。

左側の線路は「機回り線」の遺構で、260系登場以前は折り返しの度にこの線路を使って編成の組み換えを行うという、実に面倒な事をやっていました。



↑こちらは駅の四日市側。画像左に車庫があります。

260系登場により折り返しの為の機回り線は必要なくなりましたが、今も電車の留置線として使用されているそうです。



↑一旦、駅の外に出てみます。



↑内部駅の駅舎。

あすなろう四日市駅とここ内部駅のみが駅員さんのいる駅で、ここでも「1dayフリーきっぷ」やグッズ類の販売を行っています。



駅舎の脇には前述の車庫があり、白とブルーのツートンカラーの260系更新車が休んでいました。



↑個人的にはこのカラーリングが好みです。



↑折り返しの電車に乗って、改めて八王子線とのジャンクションである日永(ひなが)へ。

ここで30分程時間を潰して、先程泊駅にて遭遇した260系未更新車編成を待つ事にします。



↑日永駅の駅舎。

特に何の変哲もない建物です。



↑この駅の面白い所は「これぞ分岐駅」という感じの配線とホーム構造にあります。

画像左側が内部線、大きくカーブして右に向かう線が八王子線です。



↑八王子線ホーム遠望。



↑大きくカーブしたホームがなかなかステキです。



↑向かい側には例によって廃ホーム跡。

かつては八王子線電車同士の行き違いがあり、廃ホームは4番ホームとして四日市方面行きの電車が発着していました。



↑さて、今はこの駅構造を上手く活かしたダイヤが組まれていて、どの方面から来てもスムーズに乗り換えが出来るようになっています。

上の画像は内部発四日市行き電車と四日市発西日野行き電車の接続シーン。



↑こちらは西日野発四日市行き(左)と四日市発内部行き(右)。



↑駅の構内踏切。凍結防止剤(?)らしき白い粉末が撒かれていました。

この日は時折粉雪が舞う、実に寒い一日でした。



↑構内踏切の上から撮ったナローゲージ(軌間762mm)の線路。「四日市あすなろう鉄道」というネーミングはこの「ナロー」ゲージに由来しています。



↑通常なら線路の内側に設置されるATS地上子、軌間が狭い為に線路の外側に設置されています。これもナローゲージならでは。



↑動画です。日永駅で撮った260系更新車の映像と内部線泊駅~追分駅間で撮った車内・車窓の映像をまとめてあります。



↑やっと待ちに待った260系未更新車の編成がやって来ました。

2017年12月現在で、僅か一本だけ未更新のまま残された編成でもあります。

これに乗って四日市~内部間を数往復しました。



↑この編成の内部側先頭車、「ク163」。



↑「ク163」車内。近代化更新車に比べて低い背もたれのシートが未更新車の特徴です。



↑「ク163」運転席。前面非貫通の為、運転席は中央にあります。



↑四日市あすなろう鉄道最古参車にして最後の旧型車であるサ120形「サ122」。

1949(昭和24)年に製造された荷物旅客合造車「モニ220」形の最終ロットを電装解除・運転室と荷物室撤去の上で中間車化、さらに徹底した近代化改装といった魔改造を施して260系の中間付随車としたもので、元々は北勢線の車両でした。

ドアの配置が歪(いびつ)なのは運転室・荷物室があった名残です。



↑窓まわりに「シル・ヘッダー」と呼ばれる補強板が付いているのが旧車の証。

戦後生まれの全溶接ボディなので、リベットは付いていません。



↑間口の狭いドアがこの車両の特徴の一つです。



↑「サ122」の妻面の銘板に、近鉄の社紋が残っていました。

車体には塗膜の剥離が見られ、引退間近なのが窺えます。



↑「サ122」車内。四日市あすなろう鉄道では最後のロングシート車です。もともと木材を多用した内装でしたが、後年の魔改造によって難燃素材を多用した近代的な内装となっています。

ロングシートの開放的な雰囲気が却って居心地が良いのか、何故か意外に乗車率の良い車両でした。



↑四日市寄り先頭車「モ265」。この編成もそのうち近代化更新改造を受ける事になり、「サ122」は新造車に置き換えられる事になるでしょう。



↑260系未更新車の動画です。日永駅進入シーンと、ク163の車内、運転室後方からの前面展望モドキ(?)映像をまとめました。



日帰り圏内で車で行きたいスポットはほぼ行き尽くした感がありますので、今年2018年は公共交通機関でないと行けないスポットをメインに巡ってみたいと思っております。
Posted at 2018/01/01 16:09:38 | トラックバック(0) | 鉄道路線・駅巡り | 趣味

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