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2018年02月10日 イイね!

2017年11月15日 和歌山県西牟婁郡上富田町・白浜町 (旧)卒塔婆隧道

2017年11月15日 和歌山県西牟婁郡上富田町・白浜町 (旧)卒塔婆隧道現役隧道・トンネル巡り、今回は久々の和歌山県ネタにてお送りします。

去る2017年11月、和歌山県の西牟婁郡上富田町と同郡白浜町の境にある「(旧)卒塔婆(そとば)隧道」に行ってきました。



↑例によってその位置を(グーグルマップ)。

和歌山県道36号上富田すさみ線の卒塔婆峠区間、その旧道に存在する昭和初期竣工の古隧道です。1975(昭和50)年に新トンネルを含むバイパスの開通により旧道落ち、近年になって県道指定を解除されましたが、今も現役であり続けています。

なお隧道のある卒塔婆峠の旧道は辛うじて車は通れるものの、かなりの悪路であり、その為か訪問レポ等がかなり少ない物件でもあります。

ちなみにグーグルのストリートビューでこの旧道を見る事が出来ます。



↑阪和道・紀勢道と南下して上富田町へ。

久々の和歌山県入りです。



↑県道36号線に入って卒塔婆峠を目指します。

よく整備された道で交通量もかなり少なく、なかなかの快走路です。



↑まずは現道の「(新)卒塔婆隧道」を通って、一旦白浜町側へ。今回は白浜町側から旧道に入ってみる事にします。

この(新)卒塔婆隧道、1975(昭和50)年竣工・延長731m・高さ5.0m・幅5.5mというスペックの隧道で、旧隧道と同じ名称を名乗っています。



↑ここが白浜町側の卒塔婆峠旧道入口。

入口からして怪しさ満点。この先はかなりの悪路が続いていると聞きますが、一体どんな道が待ち受けているのでしょう・・・(^_^;)



↑通行止めとかの看板もないので、意を決して旧道に車で乗り入れてみます。



↑近年まで県道指定されていて、かつては舗装されていたそうですが、すっかりダートに還っていました。

そして崖崩れの箇所も。でも、これはまだまだ序の口・・・。



↑しばらく進むとどこぞの土建屋さんの土砂置き場と思しき空間が。

この道が廃道にならない理由の一つと思われます。



↑道の荒れ具合はだんだんと酷くなり、落ち葉や木の枝等の路面堆積物に加えて大中小様々なサイズの石ころがゴロゴロ。これまでに経験した中では最凶レベルの「」な道です。

そんな道でも車の轍があり、それを忠実にトレースしつつゆっくりと慎重に進んでいきます。

元舗装県道だった名残で路面には白線が残っていました。



↑鬱蒼とした森の中からパッと開けた空間に出てきました。目指す旧卒塔婆隧道はもうすぐです。



↑・・・とホッとしたのもつかの間、この凶悪な旧道で最大の難関が!!

道路が半分近く抉れています。が、思いっきり崖側に寄せれば何とか通れそうだと判断、何とか通過出来ました。

この時はコンパクトなパイザーで良かったとつくづく思いました。



↑やっとこさ旧卒塔婆隧道に到達・・・が、隧道前に土砂の塚が。でも、ここも無事クリア出来ました。



↑旧卒塔婆隧道を通過。上富田町側へ抜けてみます。



↑上富田町側の坑門前にて。パイザーでここまで来た証にパチリ。

パイザーで何とかここまで来れましたが、車で行くなら軽自動車、それもオフロード仕様車がオススメです。少なくともエアロの付いている車で通る道ではありませんが、ここまで来てしまいました(苦笑)。

白浜町側の現旧道分岐から、ほとんどの区間を徐行で進んできた為に17分かかりました。





↑ここまでの車載動画です。等速ver.(17分・音声なし)と6倍速ver.(3分・BGM付き)を用意しました。



↑(旧)卒塔婆隧道上富田町側坑門。

この旧隧道は1930(昭和5)年竣工・延長89m・高さ4.0m・幅員3.3mというスペック、オール切石積みで笠石・帯石・門柱・迫石・扁額とあらゆる装飾を施したゴージャスな坑門を有しています。




↑紀伊山地の人里離れた寂しい山奥に、こうした豪華な坑門を持つ隧道が存在するというのは驚きです。

ここまでの道は廃道同然の状況でしたが、不思議な事に隧道とその周辺はあまり荒れた感じはしませんでした。



↑ヨーロッパの古城のような、荘厳且つ端正な佇まいです。



↑上富田町側には右横書きで隧道名を刻んた扁額が。



↑隧道の手前で怪しげな道が分岐していました。

ダートの道ですがあまり荒れた感じはなかったです。



↑坑口付近から見た上富田町側。

旧道落ちして40年以上もの歳月が経過していますが、今も林業をはじめ、山に用事のある人々の為の道として存続しています。




↑早速入洞してみます。

坑門付近は石積み+コンクリート、中央部は素掘りという構成です。



↑振り返ってパチリ。



↑全く何の仕上げも施されていない素掘り区画、そして路面はダート。

うーん、ワイルドです。

洞内を強い風が吹き抜けていました。



↑山の息吹が感じられる、岩肌剥き出しのゴツゴツ感がステキです。



↑洞内を吹き抜ける風に吹かれて、あっという間に白浜町側の坑口に到達しました。



↑先程パイザーで無理矢理乗り越えた坑門前の土砂の塚。

土砂崩れで生成されたもののようですが、誰かが車が通れるレベルに均してくれたようです。



↑隧道の白浜町側には広場があり、さらに道の分岐(画像右)がありました。

こちらは鬱蒼とした感じの上富田町側とは対照的に明るく開けた感じがします。



↑なかなかの眺望です(^^)

ちなみにこの谷底を県道36号線の現道が通っていて、現旧道の間にはかなりの高低差があります。



↑クルッと振り返って(旧)卒塔婆隧道を。



↑(旧)卒塔婆隧道白浜町側坑門。

11月も半ばでしたが、鮮やかな緑に包まれていました。



↑こちらも上富田町側と同一仕様です。



↑ただ扁額の文言が異なっています。



↑紀伊山地の山奥にひっそりと佇む(旧)卒塔婆隧道、ここに至るまでの道程はかなり険しいものでしたが、それだけの価値のある物件だと思いました。



↑動画です。徒歩で上富田町側→白浜町側へ洞内を歩いてみました。



↑こちらは隧道往復シーンを収録した車載動画です(BGM付き)。



↑帰りは上富田町方面へ下る事にしました。

白浜町側と同じくなかなかの荒れ具合の道ですが、こちらは路面堆積物が多いというだけで白浜町側よりはやや走りやすい感じです。



↑と、峠を下っていたら、森林伐採なのか災害復旧なのかは判りませんが路上にデンと鎮座して作業中の重機の姿が!!

結局この地点にて引き返し、元来た道を通って白浜町側に戻る事にしました。またあの廃道同然の道を通らなければならないのか・・・と思うと気が重いですが。



↑帰路もどうにか白浜町側の現旧道合流点に戻ってきました。

いやあ、それにしてもスゴイ道でした(^_^;)。 
この卒塔婆峠旧道にてリップスポイラーの底部を擦りましたが、タッチアップで補修出来るレベルの軽微な傷であり、パンク等の重大なトラブルは発生しなかったのでそれで良しとします。

ここ卒塔婆峠旧道は車種によっては何かしらのダメージを受ける可能性のある道ですので、ここを車で通行される方は自己責任にてお願い致します。



↑おまけです。

卒塔婆峠旧道を下ってきた所で総走行距離「131,313」kmを達成!!

いろいろな意味で忘れられない、思い出深いドライブとなりました。
Posted at 2018/02/10 23:17:14 | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域
2018年02月07日 イイね!

2017年9月25日 滋賀県東近江市 石榑峠旧道

2017年9月25日 滋賀県東近江市 石榑峠旧道今回のブログも少し古め、そして季節外れなネタです。

去る2017年9月の終わり頃に三重・滋賀県境にある石榑(いしぐれ)旧道へパイザーに乗って出かけてみました。


(上図はグーグルマップ加工)

石榑峠は三重県いなべ市と滋賀県東近江市の境にある鈴鹿山脈を越える峠で、国道421号線が通っています。2011(平成23)年3月に「石榑トンネル」が開通、峠を越えていた旧道は国道指定を解除され、いなべ市・東近江市の市道に降格されました。

国道時代の旧道は「酷道」として知られ、その中でも三重県側の2kmの区間は車重2.0t以下、車幅2.0m以下の車両のみが通行を許される「超酷道」区間で、その区間の入口には車幅制限の為のコンクリートブロックによるゲートが設置されていました。

今はいなべ市側の区間は閉鎖されたものの、峠の県境付近に登山口がある事から東近江市側のみ通行可となっており、「酷道421号線」のシンボルであったコンクリートブロックのゲートは今も遺されています。



↑今回は三重県側より石榑峠のある鈴鹿山脈を目指して国道421号線を西へ。目の前に見える山々の稜線を見ると何だかワクワクしてきます。



↑三重県側の現旧道分岐点。直進すると現道の石榑トンネル、左に進むと旧道です。が、三重県側の旧道は途中から通行止めとなっています。



↑現道の石槫トンネルを通って一旦滋賀県側へ。

この石槫トンネルは石榑峠を貫く延長4157mの長大トンネルで2011(平成23)年3月に供用開始。このトンネルの開通と国道421号線の改良が進んだ事で大型車の通行が可能となり、三重県北勢地方と滋賀県を繋ぐ幹線道路としての役割を果たせるようになりました。

確かに大型車の多い道でした。



↑こちらが滋賀県側の現旧道分岐点。旧道の入口は右側にあります。



↑旧道に入ってすぐの地点にて。ここには石榑峠旧道では外せないアイテムの一つが遺されています。



↑ガードレールに残るステッカータイプの国道標識。かつてこの道が国道であった証です。

ここから県境に向けて旧「酷道」421号を進んでいきます。



↑県境までは分岐点から5.5kmの道のり。こんな感じの道が延々と続きます。



↑沿道には白い砂礫の崖、そして路面にうっすらと散乱する白い砂粒。この辺りの地質はかなり脆弱そうです。

災害で通行止めになる事が多い上に、冬季は豪雪に閉ざされてしまう石榑峠。一年の内でマトモに通行出来る日数は結構限られています。



↑平日の昼間でしたが意外に対向車があり、通行には特に注意を要します。

上の画像の左側には「県境まで0.4km」と書かれた距離標の姿が。この道には等間隔で「県境まで○○km」と記された距離標が建っていて、その数値がカウントダウンの如くだんだんと減っていくのは楽しいものです。



↑ミラーの設置されていない「完全ブラインド」なカーブもありますので、慎重に峠道を進んでいきます。



↑城郭のような石垣が見えてくると、県境はもうすぐ。ここまで緊張の連続ではありましたが、なかなか楽しいドライブコースでした。



↑やっと県境の広場に到達しました。

奥に石榑峠旧道のシンボルであるコンクリートブロックのゲートが見えます。

この広場、国道だった頃は三重県側の「超酷道」区間に進入出来ない車の転回用の広場でしたが、今は登山客の駐車場として利用されています。



↑現旧道分岐点からここまでの車載動画です(4倍速・BGM付)。



↑ここは滋賀県東近江市。下界は暑かったですが、標高690mのここ県境付近ではススキが生い茂り、すっかり秋の雰囲気でした。



↑石榑峠旧道の内、滋賀県側が今も閉鎖されずに存続している理由がこれ。

ここは鈴鹿山脈の竜ヶ岳・釈迦ヶ岳への登山道の入口となっていて、崩れても崩れても復旧して現役であり続けるのはこういう需要があるからなのです。



↑登山口から延びる登山道。白い砂の道が続いてます。



↑登山口からの眺め。9月の山々はまだまだ鮮やかな緑に包まれ、爽やかな秋の風が吹き抜けていました。



↑さていよいよ憧れの(?)コンクリートブロックのゲートへ。正に「石榑の門」と呼ぶに相応しい佇まいです。




数多くの、車幅2.0超の車の進入を阻んできた「石榑の門」。




↑コンクリートブロックには歴戦の証である擦り傷が幾つも・・・。

ナビでこの道に導かれ、泣きそうな体験をした者は結構多いとか。




↑コンクリートのゲートの向こうは三重県いなべ市、そして多くのドライバーを泣かせた超酷道区間。だけどブロックの間にチェーンが張られ、この先へ車両で行くことは出来ません・・・。



↑三重県側から見たコンクリートのゲート。



↑パイザーをお尻からゲートに入れてみました(笑)。

コンパクトなパイザーで良かったとつくづく思います。



↑三重県側から見た県境の風景。

コンクリート舗装の道を直進した先にはNTTの無線中継所がありましたが、今は撤去されてしまいました。



↑振り返ると急傾斜・急曲線・狭隘の三拍子揃った石榑峠超酷道区間。何だかジェットコースターみたいです(^_^;)

こういう道が好きな私としては、通行止めなのがチト残念ではありますが・・・。



↑ちなみにここから2km先にも同じくコンクリートブロックのゲートがあります(画像はウィキペディアより引用)



「石榑の門」にて我が愛車の記念撮影を。今回の石榑峠訪問にて念願のショットが撮れました(^^)

以前から行きたかったスポットであり、そしてこういう写真を撮ってみたかったのですが、今回は無事に所期の目的を達成出来た行路でした。
Posted at 2018/02/07 23:01:43 | トラックバック(0) | 旧道 | 旅行/地域
2018年02月03日 イイね!

2017年12月3日 広島県庄原市西城町 JR芸備線 道後山駅

2017年12月3日 広島県庄原市西城町 JR芸備線 道後山駅鉄道駅巡りブログです。そして私のブログでは初の広島県ネタとなります。

今回はJR芸備線道後山(どうごやま)を訪ねてみました。



↑まずはその位置を(上図はグーグルマップより引用)

道後山駅のある芸備線は伯備線の備中神代駅から分岐して山陽本線の広島駅に至る路線です。三次(みよし)駅から先、広島駅までの区間は広島市の近郊区間として結構な利用がありますが、備中神代~三次間は忘れられたような閑散ローカル線と化しています。

本記事の道後山駅は正にその閑散区間の真っ只中にあって一日の平均乗車人員数0の、いわゆる「秘境駅」としても知られている駅でもあります。



↑愛車パイザーを走らせて岡山県新見市方面より広島県に侵入、道後山駅にやってきました。

パイザーの背後の建物が道後山駅の駅舎です。



↑道後山駅の駅舎。この駅が開業した1936(昭和11)築の木造駅舎ですが、至る所に手を加えられていて木造という感じのしない建物です。

訪れたのはお昼前、ご覧の通りの「思いっきり逆光」になっていました。



↑別アングルで。



↑出入口のドアはアルミサッシですが、かなり建て付けが悪く、開け閉めに苦労しました(^_^;)。



↑駅舎待合室部分。窓はアルミサッシ化され、外壁はモルタルで仕上げられています。



↑この駅舎の事務室部分は何と消防車(ポンプ車)の車庫になっており、地域の防災拠点として活用されています。



↑真っ青な空の下、初冬の穏やかな日差しを浴びる道後山駅の駅舎。

この辺りは雪に閉ざされてしまう地域ですが、それがウソのような光景でした。



↑駅舎の隣には木造ながらもログハウス風の新しい便所があります。



↑駅の名は「道後山」ですが、駅名の由来でもある道後山はこの駅の北東8km(直線距離)の所にあります。



↑前述の建て付けの悪いドアを開けて、駅舎内に入ってみました。

内部は基本木造ですが、所々改修されていて、新旧入り混じった内装になっています。



↑駅舎の玄関に掲げられていた木製の古い駅名看板が展示してありました。

ネットではこの看板を掲げた駅舎の写真が結構存在している事から、近年まで現役だったようです。

下地にうっすらと見える標記から、もともとはホームの駅名標で後に駅名看板に転用されたのが丸分かり。



↑古色蒼然とした駅舎待合室の木製ベンチ。

窓越しに見えるログハウス風の便所に比べるとかなり年季が入っていて、この駅舎が積み重ねてきた歳月の重みをひしひしと感じます。



秘境駅必須アイテム(?)の駅ノートもあります。



↑改札口脇に掲げられた時刻表。



↑さらに拡大。

上り・下り共に朝・昼・晩各一本ずつ、つまり一日三本という超閑散ダイヤ。上りは全て新見行き、下りは全て隣の備後落合行きとなっています。



↑今は秘境駅と化してしまったこの道後山駅、実は栄光の時代もありました。

駅の裏側(西側)にスキー場があり、冬季にはスキー客で賑わったそうです。そして何と急行停車駅でもありました。

上の画像は1976(昭和51)年の航空写真(国土地理院)で、駅の西側にスキー場の姿が見えます。駅の南側を通っている国道314号線現道はこの時代にはなく、駅周辺にあるのは狭い道ばかり。この時代に車で道後山駅周辺に行くのはかなり大変だった事が窺えます。



↑ちなみにこちらは2017年の航空写真(グーグル)。駅の南側に二車線の国道が通っているのが目に付く大きな変化です。



駅裏にあったスキー場は2011(平成23)年に営業を終了、その後もレストハウスやリフト等の施設が遺されていましたが、2015(平成27)年に撤去されてしまったそうです。

上の画像はグーグルストリートビュー(2013年撮影)に写っている道後山駅とレストハウス跡。2018年2月時点ではストリートビューにてスキー場の遺構を見る事が出来ます。



↑こちらはレストハウス跡(左)とゲレンデ跡(右)。

私が訪れた時、この辺りでは何やら大規模な工事が行われていました。



↑駅舎より高い位置にホームがあり、ホームへは階段を上ります。

画像の奥に駅裏にあったスキー場のゲレンデ跡が写っています。



↑改札口脇にはこんな看板が。

全体的に色褪せた看板に消えかけの「国鉄」の二文字・・・・哀愁が漂っています。

数多くの旅人やスキーヤーたちを出迎え、そして見送った看板でもあります。



↑駅舎のホーム側は昔ながらの木造で、なかなかの風情です。

それにしても表側とのギャップが面白い駅舎でもあります。



↑ホームに建つ「標高六一一メートル」の標柱。

ここ道後山駅は芸備線で最も標高の高い所にあります。



↑ホームから見た改札口。

早い時期に無人駅となりましたが、その後もスキーシーズンに限り駅員配置駅となっていたそうです。



↑かつての駅舎事務室には真っ赤な消防車の姿が。

木造の駅舎に格納される消防車の姿は、どことなくシュールな感じがします。



↑ホームから駅構内を眺めてみます。

こちらは備後落合・広島方面。



↑こちらは新見方面。

分水界はこの駅の辺りにあって、ここから先は下り坂に転じます。



↑隣の備後落合駅は秘境駅そして「山間のジャンクション」として知られる駅です。

一方の小奴可駅は「小奴可」と書いて「おぬか」と読ませる難読駅名の駅であります。



↑駅の新見寄りには貨物取扱設備があったと思しきスペースが。



↑ホーム上から見える、駅前にある「廃」な雰囲気を漂わせる家屋。

駅から少し離れた所には集落がありますが、駅前は生活の匂いの感じられない寂しい空間でした。



↑緩やかにカーブした駅構内。

「イマドキの」駅の必須アイテムであるホームの点字ブロックやバリアフリーのスロープはなく、国鉄時代で時を止めてしまったかのような駅です。



↑今は棒線駅ですが、ここも例によって駅の西側に廃ホームの遺構があります。

そして廃ホームの先はスキー場跡。前述の通りスキー場跡では工事が行われていますが、この日は日曜日で休工中、ひっそりと静まり返っていました。



↑駅を出て駅前を観察してみました。

上の画像は駅舎の真向かいにある民家ですが、先程の家屋と同様生活臭が感じられない建物です。



↑民家の玄関先には「国鉄旅行連絡所」の看板が。



↑錆びて判読不能になってしまった案内板に冬枯れの木々、そして生活臭のない家屋・・・ここ道後山駅前は「廃」な空気に満ちていました。



↑その並びに建つ「廃」な雰囲気の家屋。

その造りからして店舗だったようです。



↑建物の傍らに放置された看板。

かつては駅前理容店だったのでしょうか。



↑この後、他のスポットを巡ってその帰り道、道後山駅の近くを通ったので再び立ち寄ってみました。

日没30分位前の道後山駅、逆光に邪魔される事なく駅舎の写真を撮る事が出来ました。



↑侘しさ120%の黄昏時の道後山駅。勿論周囲には誰もいません・・・。



2017年もパイザーを駆ってアチコチ行きましたが、この年パイザーで最後に訪れたスポットがこの黄昏時の道後山駅です。

2017年の、我が無駄ドライブの「終着駅」に相応しい、侘しさ満点のスポットでした。






↑オマケで動画です。この帰りは駅の東側を通る県道444号線(油木小奴可線)を経由して国道314号線を目指してみました。この県道444号線がなかなか良い雰囲気の道でしたので動画という形にて紹介させて頂きます。
Posted at 2018/02/03 14:30:41 | トラックバック(0) | 鉄道路線・駅巡り | 旅行/地域
2018年02月01日 イイね!

2017年2月1日 愛知県豊田市 伊世賀美隧道

2017年2月1日 愛知県豊田市 伊世賀美隧道本記事は旧アカウント時代に投稿したものですが、過去記事アーカイブスという事で改めて投稿してみます。

今回は今からちょうど一年前の2017年2月に訪れた「伊世賀美(いせがみ)隧道」(愛知県豊田市)です。


(上図はグーグルマップ加工)

↑今回記事の伊世賀美隧道は国道153号線の旧道にある明治時代の古隧道です。例によって心霊スポットとしての風評のある物件でもあり、「旧伊勢神トンネル」と呼ばれる事もあります。

本記事ではあくまで近代土木遺産訪問として紹介させていただきます。



↑隧道のある伊勢神峠を目指して国道153号線をひたすら東へ。

上の画像の青看板にある通り、この辺りまでくると長野県飯田市も射程に入ります。飯田まで行ってみたい気もしますが、今回は伊勢神峠でターンです。



↑国道153号線現道の「伊勢神トンネル」の西側に到達しました。今回は一旦この伊勢神トンネルを抜けて東側へ抜け、そこから旧道に入る事にします。

が、トンネル内工事の為片側交互通行、結構な時間待たされました。

この伊勢神トンネルは1960(昭和35)年5月の開通から1971(昭和46)年4月に無料開放されるまでの間は有料トンネルだったそうで、上の画像の地点は料金所跡だそうです。



↑伊勢神トンネルを通過。このトンネルも心霊の噂があるそうですが、こうして人の手が入っているところを見ると頼もしく感じます。

ちなみに「伊勢神改良事業」の名で新トンネルを含むバイパスの建設が進められており、バイパス開通後のこのトンネルの去就が気になる所です。



↑トンネルを抜けてすぐの所に伊世賀美隧道に至る旧道の分岐があります(画像左)。工事用車両が塞いでいますが、何とか旧道に入れました。



↑伊世賀美隧道を目指して旧道をぐいぐいと登っていきます。

例によって路面には落ち葉や木の枝等の堆積物が見られ、あまり通行のない道である事を物語っています。



↑伊勢神峠旧道にて。結構な急坂です。



↑古い道によく見られるコンクリートのブロックがガードレールの役割を果たしています。急カーブ・急勾配の峠道で、走る分には楽しい道です。



↑さらに峠道を登っていきます。所々に路面凍結箇所があり、慎重に歩を進めます。

やがて、伊世賀美隧道の手前にあるという民家が見えてきました(上の画像下段)。この辺りにはかなりの積雪がありました。



↑カーブの奥に目指す隧道が。その手前にはさらに山奥へ分け入っていく道(画像右)への分岐があります。



↑まずは車で隧道を通過。

パイザーのバルブが放つ黄色の光が漆黒の闇を切り裂きます。



↑隧道を無事に駆け抜け、西側坑門付近にて記念写真を。

大阪の自宅を出発して3時間と少し、思えば遠くに来たものです。



↑伊世賀美隧道通過の動画です。



↑伊世賀美隧道の西側の道はよく整備されていて、東海自然歩道の入口もあります。心霊スポットとして有名な所ですが、ハイキングコース・行楽地としての顔も持ち併せた所です。

ここまで走ってきた東側の旧道は「酷」&「険」の部類に入る道なので、その手の道を走り慣れていない人は道幅の広い西側からアプローチした方が無難かと思われます。



↑西側から見た伊世賀美隧道。

例によってカーブした上り坂の先に隧道が口を開けています。





↑「伊世賀美隧道」西側坑門。

1897(明治30)年竣工、延長308m、高さ3.3m、幅員3.15mというスペックの隧道で、2000(平成12)年には国の有形登録文化財に指定されました。

オール花崗岩の隧道で、煉瓦は一切使用されていないそうです。



↑「荘厳」という表現がピッタリの、威厳と風格のある坑門です。



↑右横書きで「伊世賀美」と刻まれた扁額。

この隧道がある伊勢神峠の名はこの地から遠く伊勢の地を遥拝した事に由来(いせおがみ→いせがみ)するそうですが、明治生まれのこの隧道は当て字で「伊世賀美」となっています。



↑いよいよ徒歩にて入洞してみます。

内部もオール石積みで、素掘りの区画は一切存在しない、なかなか豪勢な造りです。

前述の通り、心霊スポットとしての風評のある物件であり、心無き輩による落書きが散見されます。



↑坑口付近から見た西側。



↑洞内をずんずんと進んでいきます。

洞内の路面は未舗装、壁面には送電線が這わされ、かつて灯されていたと思しき照明の灯具や配線・配管が残っています。

延長300m超の隧道であり中央部は漆黒の闇の世界、しかもかなり寒く、「天然の冷凍庫」状態です。冷たい闇が身体にまとわりついてくるような感じがします。



↑身体にまとわりつくような冷たい闇を抜けて、やっと隧道の東側に到達しました。



↑東側の坑門もカーブした上り坂の先にあります。



↑ここ東側では昼間でも街灯が煌々と坑門付近を照らしていました。





↑伊世賀美隧道の東側坑門、西側と同一仕様です。



↑坑門脇の湧水がカチカチに凍結していました。

ここは標高705mの高地、しかも季節は真冬の2月、そりゃ「天然の冷凍庫」状態です(^_^;)。



↑この「伊世賀美隧道」、俗世間ではいろいろな風評があるようですが、私が見た限りでは「荘厳」且つ「神々しい」雰囲気に満ちた、そんな物件であると思いました。
Posted at 2018/02/01 13:07:35 | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域

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「悪戦苦闘の末、キャンバスにペダルカバー付けました。久しぶりの車イジりです。」
何シテル?   12/11 13:27
とりつきいver.2(旧とりつきい)です。 みんカラでは愛車パイザーでのドライブの記録、趣味の乗り鉄などの記録をブログ・フォトアルバムでの投稿をメインに行...
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