
小さい頃に絵本で知り、ずっと乗りに行ってみたかった箱根登山鉄道。中でも、その絵本で主役だった最古参車両、モハ1形、モハ2形は特に気になっていました。ところが今年に入り、モハ1形の中でも駆動装置が未更新の吊り掛け式で人気のあった103-107編成 (通称サンナナ) が今月19日を最後に引退し、残りの車両もモハ2形共々来年度に引退予定というニュースが入ってきたのです。初乗車ながら今まで好きだった車両の乗り納めであると同時に、路面電車以外で現役の吊り掛け式旧型電車に乗れる最後のチャンスと考え、先月21日、初めて箱根の地へ足を運びました。

前日の20日夜に出発。
2月以来の新宿行き夜行バスは今回庄内交通の車両が当たりました。エアロエースの夕陽号は地味に初乗車です。
夜行バスも4度目で睡眠対策も覚えた事、今回は座席間に仕切りカーテンが設置されている事もあって、行きの車中でもしっかり眠られました。
アニキが歌うこの曲を聴いて気分を高めつつ、一路新宿へ…

当日早朝。無事新宿に到着。
まさか今年、立て続けにこの景色を拝む事になろうとは… ただし今回は通過点。すぐ小田急に乗り換えます。

自身二度目となる小田急で箱根に向けて出発! ちなみに一度目は専門学校時代の2007年、当時東海大にいた中学時代の旧友を訪ねに行った時でした。何も考えず各停で向かったらあまりの遅さで、旧友からもなんで快速に乗らないんだとメールが来て、急遽途中で乗り替えたっけ… あの頃は5000形などの旧型も多くが現役で面白かったですが、今やすっかり顔ぶれも変わってしまいましたね。

懐かしの東海大学前駅を過ぎ…



箱根湯本駅に到着。今までテレビや雑誌でしか見た事がありませんでしたが、いざ訪れてみると景色も良く想像以上にのどかな場所でした。こちらもいつか温泉目当てに訪れてみたいですね。
1日乗り放題の切符を買い、いよいよ乗車です。

ホームへ入ると、お目当てのサンナナがちょうど側線に待機していました。
元は登山鉄道開業時の1919 (大正8) 年にアメリカ GE製の機器を用いて製造されたチキ1形で、1950年に車体と機器を更新し現在の姿になりました。その時から数え今年で約69年目。チキ1形の時代も含めてなんと約100年目です。

ペアを組んでいたのはモハ2形108号。こちらの元は1927 (昭和2) 年にスイス ブラウン・ボベリ製の機器を用いて製造されたチキ2形で、1955~57年にかけてモハ1形と同様の更新を受け、後にサンナナ以外のモハ1形を含めた全車が現在一般的なカルダン駆動方式に変更されました。スイスが生み日本が育て上げた車両です。
箱根登山鉄道とスイスの繋がりは開業時まで遡り、開業にあたって参考にしたレーティッシュ鉄道とは姉妹鉄道の関係にあります。その縁の一つであちらでは「箱根登山電車」の文字が車体に書かれた機関車が走っているそう。


発車を待つ間に、モハ1形の104-106編成がモハ2形109号を従えてやってきました。こちらは106号が1950年代の塗装を復刻した青/黄色を纏い、109号が昭和初期の塗装を復刻した緑色と、なんとも賑やかな編成になっていました。とりわけ109号の色合いが美しく、白黒で撮ってみるとこれがまたいい雰囲気…!
余談ですが、これら旧型車両は冷房が無いためホーム入線前に「今度の列車は旧型車のため冷房がありません」とわざわざアナウンスされます。これを聞いてがっかりするか、目を輝かせるかでその人がわかるような気がしますね…(笑)



サンナナもホームに入線し、いよいよ乗車。車内はシートこそ張り替えられてはいるものの、板張りの壁がレトロな雰囲気を醸し出しています。天井と窓の間にある飾り枠のデザインにも歴史を感じますね。製造当初から残る部分はもう皆無だそうですが、車外からでも目立つ運転台の手ブレーキハンドルは、もしかすると当時の物なのでは...と思わせる形状です。

そして出発! 予想以上に急な勾配や、個人的に二本木駅以来の体験となるスイッチバック、連続する急カーブと、強羅まで本当に楽しい40分間でした。吊り掛け駆動の唸りも物凄く、まさに箱根の山に挑むかのような迫力は他の車両には無い素晴らしさでしたね。正直、これだけでも引退するのが惜しく感じられました。

沿線はちょうど名物のアジサイが見頃で、写真は撮れませんでしたが大平台駅のアジサイ畑は特に見事でした。サンナナの雄姿とアジサイを写真に収めるためか、この日はここでカメラを構える人を大勢見かけました。



強羅からは、思えば今まで本格的なのには乗った事がなかったな…と、早雲山駅行きのケーブルカーにも乗車。ホームに設置されている沿革の説明板で初めて知りましたが、4代目となる現在の車両は1921 (大正10) 年に開業した時と同じメーカー (スイス フォンロール社) 製で驚きました。

なんと駅が周辺含め大規模な工事中で、拝めた景色はこれがやっとでした。本来はここからロープウェイで芦ノ湖方面へ行けますが、箱根へ出発する少し前に大涌谷周辺の火山活動が活発になった影響でこちらも運休。そのせいかはわかりませんが、辺りは硫黄の香りが漂っていました。
芦ノ湖の海賊船も見てみたかったのですが、前述の件と時間が足りない事もあり、今回は諦めざるを得ませんでした。


強羅から折り返し、昼食目当てに宮ノ下駅で途中下車。有名な富士屋ホテルに立ち寄りたかったのですが、残念な事にこちらもまさかの耐震補強工事中で入れず… 完成は来年の夏頃との事。

同じく気になっていたホテル直営レストランのカレーを頂こうとしたところ、やはり一人旅にはきついお値段でした…。とりあえず、玄関前の庭園を背に停まっていたクラウンがなんともカタログ写真チックだったのでパチリ。

こ、これは…! 自家用のロープウェイがある事で知られていた晴遊閣大和屋ホテルもここだったんですね。6年前に閉業して久しいですが、貼り紙にはいずれ再開予定である事が記されていました。果たしていつになるのでしょうか…?


結局、昼食は途中にあるラーメン屋『麺 398-1 (サンキューハチノイチ) 』で頂きました。ラーメンではあまり見かけない種類の野菜にチャーシュー代わりの鶏肉という具、全粒粉入りのかなり硬めな中太麺と、地元ではまず見かけないタイプの独特な味でしたね。鶏ベースの醤油スープは少ししょっぱかったです。

箱根湯本駅に戻りしばらくすると、ちょうどサンナナが運用に入ったので再び強羅まで乗ってきました。今度こそ乗り納めです…


ただ、そのせいで予定していた帰りの列車に乗れなくなったため、急遽ロマンスカーを使い新宿へと戻りました。展望車付きではありませんでしたが、自身初乗車となるロマンスカーはとても快適でしたね。特急券も思っていたより安く、最初からロマンスカーで往復すれば良かったかも知れません。

深夜近くになっても全く人通りが衰えない駅前通りを横目に、帰りのバスへと乗車しました。

ありがとうサンナナ。やっと乗りに行く余裕ができたと思ったらもうお別れだなんて。むしろ、2020年という節目の年を前にするまで現役であり続けるとは思ってもいませんでした。
この記事を書いているうち、その日は明日に迫ってしまいました。最後の時まで何事もなく元気に走り切って、そして願わくば来年引退予定の姉妹共々、この世に姿を留めてくれる事を切に祈っています。
100年間、本当にお疲れさまでした。
~~余談~~



その他の車両にも乗車でき、1000形ベルニナ号は強羅からの下りで、2000形サンモリッツ号は宮ノ下までそれぞれお世話になりました。新型の3000形アレグラ号は乗車の機会は無かったものの、その姿を拝む事ができました。今後はこの3000形がモハ1、2形の後釜として増備される予定で、長年馴染んだ箱根登山鉄道の顔ぶれは大きく変わる事になりそうです。

強羅駅前にあるホテル『季の湯 雪月花』。ここはかつて、両親が新婚旅行で訪れた時に泊まった『強羅ホテル』があった場所。両親曰くとても古い建物で、特にエレベーターの階数表示器が針式だったと聞いていてずっと気になっていた物件でしたが、1998年に廃業し既に跡形もない事がわかりました… 建物は1938年の建築だったそうで、そのエレベーターも恐らく当時からの物だったと思われます。針式の階数表示器は日本自動車博物館でオブジェとして飾られているのを見たきりなので、いつか現役で動いている物を見てみたいですね。
Posted at 2019/07/18 20:56:51 | |
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