群馬県北部のみなかみ町で車中泊してきました。温泉は猿ヶ京にある「まんてん星の湯」。源泉かけ流しで気持ちのいいお湯でした。無料の急速充電があり、1時間できるので温泉に入りながら充電し、90%近く入りました。車中泊は「道の駅たくみの里」。たくみの里は農村体験のテーマパークで、春から秋にかけてにぎわいますが、冬は空いていて癒やされます。ここにも1時間までの無料急速充電があり、車中泊で使った電気を補充しました。一宮の一本桜まで移動して朝食にしました。
シーズンになれば花見客が大勢訪れ、ライトアップで夜桜も見られます。地元の人が投光器を持ち寄り、サクラの下で宴会をやっていて、「ちょっと寄っていかないかい」とすすめてくれます。ほのぼのライトアップですね。今は誰も訪れる人がいなくて、ゆったり食事できました。眼前にはのどかな山村風景が広がっていていいですよ。近くにある名胡桃(なぐるみ)城へ移動しました。2本の沢に挟まれ突き出した断崖にあって堅固な城です。堀や郭がよく残っています。
このお城は続日本100名城に指定されていて、城郭マニアにはちょっと有名です。真田氏の出城で、小田原の北条氏との勢力の境目にあったのですが、北条氏の代官が攻め取ってしまい、真田からの訴えで豊臣秀吉が小田原攻めの口実としたのです。戦国時代の終わりを告げるきっかけとなりました。展示施設には真田家が保管していた秀吉の書状のコピーがあって、この城のことも出てきます。
1行目の下の方がそうなんですが、「名胡桃」という漢字が分からなかったのか、「なくるミ」とかな書きになっています。知らせを聞いた秀吉が「しめた」と思い、急いで祐筆に書かせたような雰囲気が伝わってきます(祐筆「どういう漢字を書くのでしょうか?」秀吉「知らん!かなで書いとけ」みたいな)。北条は秀吉が征伐するから自重するようにとの内容です。真田氏もよくこんな書状を残しておいたものです。秀吉との関係を示す文書なんて江戸幕府をおそれて廃棄してしまいそうなものですが、大切に取っておいたあたり、もし再び豊臣が天下を取ったら「当家は太閤様と格別な関係でござった」といったのでしょうね。徳川の家臣ではない外様大名のプライドを感じます。
本郭には大正時代に地元住民が近くの山から切り出して、ジャーナリストの徳富蘇峰が揮毫した城址碑が立っています。地元住民のお城への愛はいまも引き継がれて、ボランティアガイドさんが案内をしてくれます。
お城の先端部からは三峰山がよく見えます。頂上が平らなテーブルマウンテンで、例年なら雪で真っ白ですが、ことしは本当に雪が少ないですね。
沼田方面に目を向けると、雪で河岸段丘がよく分かります。地質マニアのタモリも絶賛した場所で、「ブラタモリ」でも紹介されました。川がどんどん浸食して、天然の段々ができています。今でも1段目が田んぼ、2段目が住居、3段目が畑などと、地形に合わせた生活をしています。
Posted at 2019/01/21 14:45:52 | |
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