YAMAHA Grand Prix Racing 50th Anniversary Vol.1-3
投稿日 : 2011年06月11日
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2ストロークマシンメーカーの色濃いYAMAHAも4ストロークマシン
XJ750をベースに1984年に8耐へいよいよ参戦。
河崎裕之ことシャケさんと上野真一が駆ったXJ750R 0U28
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ガンダムカウルと呼ばれた1986年モデル YZR500 0W86へと
受け継がれるラジエター容量/空気流入を助ける大きな開口部を持ったカウル
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当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの平忠彦とGPから引退してもやはり走らせれば早い Kenny Robertsが1985年に遂に夢のタッグを組み8耐に参戦。
マシンも前年のXJ750Rから市販車FZ750をベースに仕立てられたFZR750 0W74。
資生堂TECH21カラーの藤色に彩られたマシンは、スタートの際エンジンに火が入らず大きく出遅れほぼ最後尾から追撃。
”キング”とのコンビは周を重ねるごとにポジションをジャンプアップ。
そして38週目にはトップに躍り出ると、誰もが最強のコンビネーションが8時間後のゴールにトップでチェッカーをくぐるものと信じていた。
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スタイリングは決して格好のいいマシンではないものの(というよりはライト周りがボテッと。。。)このカラーリングはセンセーショナルで両ライダーの黄色をベースにしていたヘルメットのカラーリングとベストマッチだった。
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実はカウリングにスポンサーなどのデカールに数値が入る場合はゼッケンと同じである事と規定されていたらしく、スポンサーの影響で「21」となったらしい。
その後もヤマハの8耐は「21」と共に歩んでゆく。。。
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前年度の1986年からF1仕様のファクトリーマシンはFZRからYZFと名称が変更され、TECH21は平忠彦/クリスチャン・サロンのタッグで参戦。しかしまたもやエンジントラブルでリタイア。。。
1987年は平忠彦が負傷欠場となり、マーチン・ウィマーと交替出場。
ケビン・マギーと組んだこのペアは、奇しくも遂に優勝を遂げることとなる。
写真は1987年モデル YZF750 0W89
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時は流れ、遂に平忠彦とTECH21とのコンビも優勝を勝ち取る時が来た。
前年度までのマシンと比較しても低重心で剛性の上がったマシンは、EDDIE LAWSONとのコンビで勝利は必須だった。
それにしても5年の歳月はファンには長くはあったものの、感動のフィナーレとなった。
スポンサーさんもお疲れ様でしたのロング参戦だった。
1990年 YZF750 0WB7
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ヤマハのF1ファクトリーマシンたち
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