
R-2を娶った決め手か~。
そんなの特に無くって....
まさに「ビビビッッ」って直感だったなー。
R-2を娶ったのは昭和末期です。もちろん中古車です。
免許を取って1年ぐらいしてから私名義の初マイカーです。
昭和末期はまさにバブル期でした。
私はまだ専門学校生です。専門学校に通いつつ、プログラマーのアルバイトをしたり、医療系の検体回収アルバイトをしたり、そんななかに教習所に通ってと、いやー今思えば一番まじめに人生設計していた時ですね。
免許を取った理由も自給の高いアルバイトにつけるから、教習所代払っても半年すれば十分ペイできるアルバイトが沢山あるからという理由だったしねー。
プログラマーのアルバイト収入で専門学校と教習所に通っていたのが今となっては信じられません。(いまの私は低堕落で人間やめてどうするの?的な存在ですんで...)
そんな中に、スキーに通いたいがためにマイカーが欲しくなるのです。
当時はパジェロ4駆があこがれですよ。男女相乗りで夜通しドライブしてスキー場に通うんですよ。
なのでパジェロが欲しかった。本当に4駆が欲しいという若人時代です。
車の中で女性とあんなことやこなことがしたかったお年頃です。
でもね中古車でも4駆車は高いのよ。パジェロが無理ならハイラックスサーフとか、ビックホーンとか狙うのですが、無理して車体は買えたとしても維持費がねー。学生が維持できるわけがありません。
そうなると現実は軽自動車です。
どうせ社会人になったら大きい自動車に買い換えるんだパジェロに乗るのだ。なので下駄車でいいんだ。運転初心者だから凹ましたりするだろう、だからポンコツでいいんだ。
そうなると、機能的なことよりデザインで車を選び始めます。
私は中学生ぐらいから、かっこいい車より丸い小さい車が好きだったんです。
当時の新車でいうと、ダイハツリーザが直球ストライクだったんです。
もちろん新車は買えないので安い中古車を....。というかバブル時代なので買い替えで廃車される軽自動車があちこちにありました。
その廃車を引き取って自分の車にしてやろうです。
最初に白羽の矢を立てたのは、釣りに絶対にいいぞと、スバルサンバーバンの360ccです。まだまだ商店街で現役だったのよ。それの買い替えってのがけっこうありまして....
丸い豆腐デザインのサンバーに何回かお見合いしましたが、魚屋だったり酒屋だったりした車で床がズタボロばかりであきらめました。(今思えはそのときのサンバーバンを娶っていたら人生はかなり変わっただろうに...)
そんなこんなで商店街とか町工場とかを出入りしていたら、「なが~ンがポンコツ車欲しいいうてるから廃車するときは声かけて」ってのが街の中で広まりまして....。昭和末期の下町ってそんな時代でした。
どうせ乗るならスポーツカーにしなよ。ってセリカやフェアレディーが出てきたりした昭和バブルでした。
とある情報で、ガソリンスタンドがスバルサンバーを廃車するぞとあり。そこへ出向いたら丸い車があるんです。この外車みたいなやつはなんなのよ、それよりもサンバーはどこにあるのよ?って話ししたら....
どうもサンバーではなくR-2だったという次第です。(当時のいいかげん年寄りはスバルの軽自動車を全部サンバーって言う人がいたのよ。サンバーの乗用車とかね)
ダイハツリーザーが欲しい私に、R-2はどのように見えたか想像してください。
まさに「ビビビ....」の電撃でした。
車検が数ヶ月残っている状態で廃車にするという車体でした。
試運転してここが壊れているでと教えてもらいました。
「はーい。嫁取り立候補しまーす。」って速攻で手を上げて....
ガソリンスタンドのいろんな店員と面接でした。(ガソリンスタンドの兄ちゃん達のプチカート用途の車だったのよ)
面接通過して結納金として缶ビール一箱を収めて我が手中にR-2が転がってきたのです。
ということで、R-2という車種があるのすら知らない奴が、サンバーがあるからと出向いたら丸いコガネムシ色したR-2が転がっていたってことです。
ねっ。直感が決め手でしょ。
それから、ずーっと手放さずにR-2がいます。
阪神大震災で乗れなくなったりしたけど車体は今もキープしてます。
もちろん嫁より長いお付き合いです。
だって、この小さい車体って面白いんだもの。
多分、私が免許返納するまで乗り続けると思います。
あっ、そうそう。
現在修理中です。路上復帰したら嫁の下駄車になるんだった。
もちろん嫁がぞっこんの車は....
残念ながらR-2が一番ではないのよ。
嫁が一番気に入っているのが、日産ダットサントラックD21、そして2番目がR-2なのよね。
Posted at 2021/12/28 22:12:32 | |
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