「人と同じでは嫌!このままではつまらない」と思ってしまった馬鹿な私。
塗り絵感覚・プラモ用塗料でカメハメハを塗ってしまいました。
下の写真は「photoshop」による「再現」ですが、こんな感じ。
今でもこの方が絶対にお洒落だと思っている。
この違法行為、不思議なことに売却するまで一度も捕まることはなかった。
「若気の至り」とは言え、あまりにも無謀・怖いもの知らず。
真後ろに張り付いたHPDも「うん?」と思ってもスルーしてくれたのは奇跡。
今、ハワイに移住することになったらこのナンバーにしたい。
「ホクレア号」が描かれたこのプレート、文字は見にくいけどお洒落♪
80年代の「カメハメハ」と比べると大分カラフル。
現行「レインボー」も2025年に次のデザインに変更予定とのこと。
さて、本題の「3台目」です。
母と弟が免許取得、マニュアルのワンダーでは無理が発生。
絶好調のワンダーと泣く泣くお別れし、新車にアップグレード。
1988 Honda Accord Coupe LXi
発売されたばかりの新車のアコード・クーペ。
「Jade Green」のボディ色は日本仕様には設定の無かった色。
当時の「DX / LX / LXi 」の3グレードある中のトップグレード「LXi」。
MSRPは$14,925でしたが、この車両は未だに覚えている$18,000!
1989年モデルには本革シート仕様「SEi」が追加発売。
同じ緑系でも青味が強いグリーンになり、悔しい思いをしたのも覚えている。
D独自の「SPORT Package」でダウンサス+社外ホイールが装備されていた。
ホイールは復刻版として現在も発売されている「ENKEI 92」です。
それにしてもDは相当上乗せしたな。恐ろしいバブル時代・真っ只中。
大学で知り合った、今日まで付き合いがある「私の姉さん」♪
「ハワイのあの頃が一番良かったなぁ…君は途中で来なくなっちゃったけど…」
未だに嫌味を言われてしまう、姉さんと学校帰りにタンタラスの丘でパチリ。
シングルカムでしたが、2リッターのインジェクション仕様。
初めての「車載CDプレイヤー」も装備されており、快適だった。
18-9のガキにはあまりにも贅沢過ぎるクルマでした。
母、弟も乗るクルマだったので変更点はホイールのみ。
↑このホイールは「DP STAR」ガンメタをシャンパンゴールドに塗装。
明るいベージュ色の内装は汚れが目立つこと!フロアマットが直ぐに汚れた。
そして、最初は良かったけど「3人で1台」ということが当然、厳しくなる!
「ワンダーをキープすれば良かったのに!」と思っても後の祭り。
必然と「栄光のハワイ時代・最後のクルマ(4台目)」となります。
アコードで急に思い出した。
当時、知り合いが乗っていた印象深い1台のセダン。
写真が見つからなかったけど「KAMINARI」のデモカーそのまま!
色も白、ホイールも同じMOMO社製のコレでした。
「KAMINARI」のカタログから飛び出てきた彼のアコードはマニュアルだった。
地を這うようなルックスでカラカウア通りを駆ける姿はカッコ良かった。
まず、今日の時点で「KAMINARI」が存在していることが凄い。更にこのエアロは本日の時点で在庫もある!「フルキット価格$895」は当時と変わっていない!
日本でも80年代~90年代はエアロ全盛期の時代。
当時の日本メーカーはことごとく全滅、生き残りはほぼゼロ。
話しを戻します。
この「アコードクーペ」の影響で弟は完全にホンダ党になった。
帰国後に日本仕様のアコードクーペを購入→「KAMINARI仕様」へ。
手元にはリアの「LXi」エンブレムを外し、貼っていた「2.0Si」のエンブレム。
当時の日本仕様「アコード」か「プレリュード」のものだったと思う。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
このシリーズ、あと19台ある…我ながら呆れる。