2021年のみんカラ企画「最初の愛車はコレだ!」での投稿は以下の通り。
写真を見ているだけで車内の匂い、ハワイの暑さが甦ってくる。
高校生の分際では購入可価格と同じ位にお金を掛けても修理不可能だった。
今となっては苦い思い出しかない人生初のクルマ。
バブル時代・絶頂期、80年代のハワイは恐ろしく贅沢な時代だった。
シロッコをただ同然で下取りに出し、人生2番目の愛車はこちら。
1984 Honda Civic 1500S
3年落ちのD車、値段は確か$7,000位でした。
ハワイなのにエアコンレス、重ステ、くるくるハンドル。
グレード的には日本仕様の25R同様の1500cc・シングルカムのキャブ。
A/Tで免許を取り、マニュアルの運転は見よう見まねで習得。
当時の「現代のクルマ」だったのでシロッコとは雲泥の差。
現在もハワイ在住、悪友のセカンドカーもワンダーシビックだった。
1985 Honda Civic DX (A/T) 黒樹脂バンパーをボディ同色シルバーに塗装。
この悪友のクルマ、後にハワイで一番有名なワンダーに変貌する。また追々。
ワンダーが新車としてDに並んでいたこの時代。
ハワイでホンダ車を改造している人は誰も居なかった。
トヨタ・日産もしくはハワイの風景が似合う「VW」(ビートル・カルマンギア)もしくはお約束の「ミニ・トラック」が主流の時代。
ハワイに限って言えば、後に訪れる「爆発的・ホンダ車ブームの火付け役だった」と確信している。
アルバイトで必死に貯めた$500で念願のエアコンを装備した時は嬉しかった。
クルマの為のアルバイト、白から黒への色変更も確か$500だった。
◆ 車体・白部分を黒にオールペン(ミラーはシルバー)
◆「DOHC」じゃないのにフロント&サイドには「無限」のステッカー!
◆ 悪友のシルバー号から譲ってもらったゲインズ・フェンダートリム
◆ リアに社外サスを組み、フロントはトーションバーを一番低い位置に設定
◆ SS社製タコ足・触媒レスのストレート・Jackson Racing社製2本出しマフラー
(ハワイにはガス検がないので出来たこと…想像通り、うるさいクルマ)
細かい部品を一時帰国する度にスーツケース一杯詰め込んでは税関でもめる。
↑写真、ハッチのカロッツェリアのアンテナはもう少しで没収されそうになった。
ハワイでは違法だった黄色いヘッドライトはイエローアイというシート。
「Si 純正ホイールカバー」(13インチ)も白に塗れば大きく見える。
フロントナンバーの装着義務も無し、突っ込みどころ満載の仕様。
グレープフルーツの芳香剤の香りが甦り、大好きだったあの子を思い出す。
学校をサボり、オアフ島内を徘徊しているだけで楽しかった私の青春時代。
あまりにも馬鹿過ぎて、若かった。
タイムマシンであの頃に戻ることができたら多分、全く同じことを繰り返す。
リアハッチに貼ってあった1500Sのエンブレムだけは手元に残っている。
まだ後20台ある…。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
Posted at 2024/03/16 16:30:15 | |
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