2021年05月のみんカラ企画「最初の愛車はコレだ!」の続編。
ご興味がある方は「9番目」までは以下の通り。
3番目の愛車はコレだ!1988 Honda Accord Coupe LXi
9番目のFD所有時に結婚、嫁さん号として購入した久しぶりのホンダ車。
1993 Honda Civic DX Hatchback(A/T)
記録によると購入日は10/31/1998。
Huntington BeachのD車で価格は$8,000でした。
1998年当時「EG」シビックはカルフォルニアでは爆発的な人気車種、「EK」が発売されたばかりでとても割高だった1台。購入時に履いていた社外ホイールは後日、車高を下げるとタイヤがフェンダーに干渉することが発覚。(多分、オフセットが+35)
↑この写真は購入したばかり、フロンドウィンドウに仮登録書が貼ってある。
既に自家塗装したアイライン、社外品プロジエクターヘッドライトとクリアーコーナーに変更されている。
↓こんな感じに当時住んでいたアパートの🅿に停めていた。
いつの間にか当時勤めていた会社のマフラーもテスト装着されている。
嫁さん号なのに色々と変えた。
Tokico Blue ダンパー / サスに変更後、最終的に足はAPEXiの車高調になる。
メーカー不明・日本から持ち込んだ前後タワーバーで足回りは完成。足回りはきっちり贅沢な仕様だった。
吸気・排気系もAPEXiに変更したけど、1.5 A/Tのシングルカム!!
全く回らないエンジンだったので「だるい」感じは最後までどうにもならなかった。
内装はホワイト・パネル ELメーターに変更→指針を赤く塗る。
ステアリングは前職・担当だったNARDI(330mm)。
現代ではメーカー採用されているA/Tシフトブーツは当時、馬鹿にされた。
タコメーターが付いていなかったのでピラーに大森メーターのタコを装備。
チラッと写っているフットレストも確か別モデルの流用品。多分「Si」から。
売却までの最終形態はこんな感じ。
大流行していた「Spoon風ダックテール」とミラーも装着。
このミラー、とにかく視界性が悪かったけど、スタイルを優先。
赤・白テールも流行っていて、皆装着していた。
ホイールは4本$300のプロモーション価格で購入したP1レーシングの輸出仕様。
アメリカで「P1」だと問題があるので「K1 Racing」というネーミングでした。
(どこかで書きましたが「カルピス」の輸出名が「カルピコ」になっていたのと同じ)
サイズは「7.0Jx15 100-4H +38」にFalken195/50R15の組み合わせでした。
フロントサイドマーカーもオレンジに変更し、JDM風に。
「外見だけは現代でも十分に通用する」と自負している。
分かりにくいけど「無限」のリップも装着されている。
ヘッドライトは純正(H4)に戻し、Bellof HIDを装備。
(U.S.ヘッドライトはガラス製のH4仕様。レンズ面に光軸調整用ポッチがあるのでアイラインは装着不可。)
一番の遠出はオレンジカウンティ⇔ラスベガス往復の旅。
砂漠の一本道をひたすら走る旅でしたが、何も問題なく走ってくれた。
私はこの辺りまでのシビックが「シビック」だと思っている。
今のシビックはサイズも価格も大幅に大きく、高くなってしまい、もはや「シビック」ではなく、車格・価格もアコードと変わらないクルマになってしまった。
コンパクトなのに、後席に大人がゆったりと座ることができたEG型シビックはクルマとして完成度が高かった。ホンダらしい広い空間を感じることができた。
主にレプリカ品でしたが、アメリカの会社からも膨大の社外パーツが販売されていた。
パーツには全く困らない、逆に選ぶのに困る程パーツが溢れていた時代。
しかも安かった。ミラー$40・テール$50・プロジエクターヘッドライト$80…等々
あれから1/4世紀の時間が流れた。
この「EG型」いつの間にか国内での中古車価格が恐ろしい価格になった。
30年以上も前のシビックが400万って…誰が買うんだ?馬鹿げている。
悲しいけど、私の経済力ではもう乗ることが出来なくなってしまった。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
Posted at 2024/12/22 12:45:08 | |
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