毎回変態ネタにお付き合い頂き感謝です!!
<(_ _)>
その1、
その2、
その3、
その4、
その5、
その6、と続けてきたF1ミニカーネタ・・・
後半戦に突入です!
今回は1980年から1984年までのチャンピオンマシンを紹介します。
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[1980年]
<ドライバーズチャンピオン>:アラン・ジョーンズ(オーストラリア)
<マシン>:ウィリアムズ・フォード FW07B

ウイリアムズ初の栄冠!!
ジョーンズ初タイトル。
前年の後半戦に実力を見せ付けたウイリアムズ。
昨シーズンの改良型マシンで臨みます。
ブラバムの新鋭ピケと争いますが、ウイリアムズの勢いは衰えを見せず、初のタイトルを掴みました。
FW07と'78年のチャンピオンマシンであるLOTUS79、非常に似ています。
ロータスが実用化に踏み切ったウイングカーですが、それを模して発展させたウイリアムズが最速とは皮肉なものですね・・・
時代の流れを感じます・・・
(この先のロータスは一度もタイトルを取ることなく、’90年代に消滅します・・・)
この年からF1で内紛が勃発します。
FISA(国際自動車スポーツ連盟、現在のFIA)とFOCA(F1コンストラクター協会)の対立です。
内紛の要因は主導権争い、要はお金の行き所ですね・・・
言い替えると、FISA会長のバレストル側(フランス・イタリア系チーム)とFOCA代表エクレストン側(イギリス系チーム)の対立の構図です。
この影響で、スペインGPが選手権無効レースになるなど波乱がありました。
’80年の映像資料が少ないのも、この辺りの事情が大きいのかもしれません。
この争いは翌年以降も続くことになります・・・
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ドライバーズチャンピオンチームと同様
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[1981年]
<ドライバーズチャンピオン>:ネルソン・ピケ(ブラジル)
<マシン>:ブラバム・フォード BT49C

ブラバムが実に14年ぶりのタイトル。
新鋭N.ピケが激戦を制し初チャンプ。
前年に引き続きウイリアムが好調。
前年の雪辱を果たすべくN.ピケが後半戦で勢いを増します。
そして、ついに最終戦でウイリアムズのロイテマンを逆転!!
N.ピケが嬉しい初チャンプとなりました。
モデルはカルツォ製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ウィリアムズ・フォード
<マシン>:FW07C

ジョーンズ、ロイテマン、両ドライバーの活躍により製造者部門はウイリアムズへ。
(モデルはPMAから今年中に発売の予定。)
相変わらずF1の内紛は続いています・・・
この年も選手権無効レースが発生し、事態は混沌としてきます。
F1分裂の危機もあったようですが、ここに来て両者の間で協定が結ばれます。
後に有名になる「コンコルド協定」です。
FISA(FIA)がを管理し、FOCAが運営をするというF1での役割分担が明確に分けられました。
(無論、お金の分配も事細かに書かれているようです。)
これを以って、内紛の大きな火種は無くなることになりますが、この後も揉め事が続くことになります・・・。
この年の序盤、マクラーレンがMP4をデビューさせます。
それまでの金属素材に代ってカーボンファイバーをモノコックとシャーシーに採用した革新的なマシンです。
この後、マクラーレンのマシンコードを表す「MP4」が引き継がれることになります。
ネーミングに関してはマクラーレンの「M」と、前年にマクラーレンに参加することになったロン・デニス率いるレース屋「プロジェクト4」の頭文字をとったものと思われます。
噂に聞いていたこの年のモナコGP。
2年前、フジテレビのF1レジェンドでやっと見ることが出来ました。
噂通り、G.ヴィルヌーヴの勝利は圧巻でした!伝説の勝利だと思います。
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[1982年]
<ドライバーズチャンピオン>:ケケ・ロズベルグ(フィンランド)
<マシン>:ウィリアムズ・フォード FW08

ウイリアムズが辛くも勝者。
K.ロズベルグ、初の栄冠。
'82年は主役がレースごとに変わる混戦となります。
K.ロズベルグがポイントをコツコツと積み重ねて、シーズン僅か1勝でチャンピオンとなりました。
そしてフェラーリにとっては悪夢のような1年に・・・
事の発端は第4戦サンマリノGP・・・
終盤にトップを快走していたフェラーリ#27のG.ヴィルヌーヴ、勝利は目前でした。
2位にはチームメイトのピローニがつけています。
ここでチームから両者にスローダウンの指示が出され、ヴィルヌーヴはペースを落とします。
ここでピローニはペースを落とさず、ヴィルヌーヴをパス。
その後、ファイナルラップまでバトルを繰り返しますが、チームの指示を破ったピローニが優勝してしまいます。
この事が2人の間に深い軋轢を生み次戦での悲劇へ・・・
そしてやってきた第5戦ベルギーGP・・・
予選で2人のバトルが展開されます。
ピローニが終盤にヴィルヌーヴのタイムを更新すると、負けずとヴィルヌーヴもアタックへ!!
ピローニのタイムを更新するべく必死にアタックを続けていましたが・・・
スロー走行中のマシン(マーチのJ.マス)と接触。
ヴィルヌーヴのマシンは宙を舞い、体が投げ出され即死・・・壮絶な最期を迎えます。
そして、なおも続くフェラーリの悲劇・・・
第11戦ドイツGP
土曜日のフリー走行、天候は雨。
順調に周回を重ねるピローニでしたがスロー走行中のマシンを追い越した際、水煙の中のなかに居たもう一台(ルノーのプロスト)を避けきれずに衝突、またしてもフェラーリが宙を舞います・・・。
命に別状はありませんでしたが、クラッシュしたマシンに両足が挟まれ複雑骨折・・・、F1からの引退を余儀なくされます。
ピローニはこの時点でポイントリーダーでした。残りのレース数を考えればチャンピオンに一番近いドライバーだったと思います・・・
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:フェラーリ
<マシン>:126C2

ターボ車初のタイトルはフェラーリ!!
この年のフェラーリは4人ものドライバーが乗ることになります。
全てのドライバーがポイントを獲得し製造者部門はフェラーリへ・・・。
この年のベストマシンだと思います。
忌わしい事故や怪我の数々が無ければ・・・
モデルはPMA製。
この年に起こった数々の事故や怪我により、レギュレーションが大きく変更になります。
些細な挙動変化で大事故に繋がるウイングカーの危険性を重く見たFISAは、
翌年からウイングカーを禁止し、マシンの底面のフラット化(フラットボトム)を義務付けます。
ダウンフォース削減も狙いの一つであったようですが、
後のマシンはディフューザーの効果によってダウンフォースを得られるようになります。
(いたちごっこですね・・・)
’79年に引退をしたラウダ、ロン・デニスからの熱烈ラブコールを受けてマクラーレンから復帰します。
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[1983年]
<ドライバーズチャンピオン>:ネルソン・ピケ(ブラジル)
<マシン>:ブラバム・BMW BT52

ブラバムタイトル。
N.ピケは2度目の栄冠。
この年からウイングカーが禁止となりフラットボトム規制が始まります。
(ダウンフォースを稼ぐため、マシンのウイングが大型化しているのがミニカーからも判ると思います。)
いち早く対応したのはブラバムとルノー。
ブラバムのピケとルノープロストが激しくタイトルを争います。
最終戦前まで2ポイント差で負けていたピケでしたが、最終戦で表彰台を獲得。
4ポイントを積み重ね、見事逆転チャンピオンとなりました。
ドライバーズタイトルを獲得した初のターボ車となりました。
モデルはカルツォ製。
<コンストラクターズチャンピオン>:フェラーリ
<マシン>:126C3

アルヌー、終盤までドライバーズタイトルに絡む活躍!
タンベイもポイントを堅実に積み重ね、フェラーリが製造者部門のチャンピオンとなりました。
モデルはイクソ製。
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[1984年]
<ドライバーズチャンピオン>:ニキ・ラウダ(オーストリア)
<マシン>:マクラーレン・TAGポルシェ MP4/2

マクラーレン復活!。
ラウダが出戻りチャンプ。
マクラーレンの栄光はこの年から始まったと言って良いかもしれません。
(TAG)ポルシェのターボエンジンを獲得したマクラーレンが圧倒的な強さ!!
他をまったく寄せ付けない活躍です。
前年にピケと壮絶なタイトル争いを演じたプロストが加入。
ラウダとプロストがチャンピオンの座を掛けて争います。
勝利数では上回ったプロストですが、レース巧者のラウダは堅実な走りでポイントを積み重ねます。
結果、0.5ポイント差でラウダがチャンプ。
プロストは2年連続で数ポイントに泣き、チャンピオンになれませんでした・・・
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ドライバーズチャンピオンチームと同様
この年にA.セナがトールマンからデビュー!
雨のモナコGPの走りは伝説として今でも語り継がれています。
この年からティレルを除いた全てのチームがターボエンジンとなりました。
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プロスト、マンセル、セナ、ベルガーがデビューし、
ブラバムが長い眠りから覚め、ウイリアムズが躍進。
後半はターボエンジンが勝利の条件となった時期です。
マクラーレンは引退したラウダを引っ張り出します。
チームメイトの若き頃のプロスト、ラウダから多くのことを学んでいきます。
プロストはこの先、マクラーレンで栄光を数多く掴むことに・・・
方や前回の5年間に栄華を極めたフェラーリとロータスの影が薄くなってきました。
次回は’80年代後半! ターボエンジン全盛から禁止へ・・・