毎回、変態ネタにお付き合い頂きありがとうございます。
<(_ _)>
その1、
その2、
その3、
その4、
その5、
その6、
その7、と続けてきたF1ミニカーネタ・・・
いい加減にしろ!!って感じでしょうかね・・・
でも続けます!!(^o^)
今回は1985年から1989年までのチャンピオンマシンを紹介します。
(また文章が長くなってしまった・・・)
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[1985年]
<ドライバーズチャンピオン>:アラン・プロスト(フランス)
<マシン>:マクラーレン・TAGポルシェ MP4/2B

マクラーレン強し!!
プロスト初チャンプ。
前年を圧倒的な速さで制したマクラーレン、今年も改良型のMP4/2のBスペックで臨みます。
と言ってもレギュレーション変更によるリアウイングの形状変更が判るくらいで、ほぼ前年型と同様に見えます。
今シーズン、プロストのライバルはフェラーリのアルボレート。
前半戦に勢いを見せたフェラーリでしたが、後半は大失速・・・
シーズンを通して好調なプロストがが念願の初タイトルを獲得しました。
方や成績が今ひとつだったチームメイトのラウダ、この年を以って(2度目の)引退。
死の淵を彷徨い、3度のタイトルを獲得した超人が現場を後にしました・・・。
この年からセナがロータスへ加入、シーズン2勝を獲得します。特に予選での速さが光りました。
(ルノーエンジンの信頼性が高ければタイトル争いも出来たのでは・・・)
ターボエンジンの時代に乗り遅れ、2シーズン前から復帰したホンダとジョイントを果たしたウイリアムズ。
懸案だった信頼性を獲得し、このシーズンの半ばから徐々に力を見せます。
K.ロズベルグの速さが光りました。(苦労人マンセルも終盤に初優勝。)
翌年以降のホンダパワーへの期待が大きく膨らみます。
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ドライバーズチャンピオンチームと同様
フェラーリの後半の失速も手伝って、マクラーレンが製造者部門もタイトルを獲得。
シーズン中盤から全車ターボエンジンとなりました。
まさにターボ全盛時代です。
前年ほどの圧倒的速さはありませんでしたが、終わってみればマクラーレンの優位は変わらず。
ホンダの脅威を他チームが感じ始めた年でもあります。
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[1986年]
<ドライバーズチャンピオン>:アラン・プロスト(フランス)
<マシン>:マクラーレン・TAGポルシェ MP4/2C

マクラーレン、苦しんだ末の勝利。
プロスト、大逆転で2年連続チャンプ。
K.ロズベルグがウイリアムズからマクラーレンへ移籍、
ウイリアムズの空いたシートへブラバムからピケが加入します。
この年のドラマは最終戦オーストラリアGPに詰まっていると言って良いかもしれません。
最終戦前のポイントリーダーはウイリアムズのマンセル。
3位以内に入ればチャンピオンという絶対的に優位なポジション。
チームメイトのN.ピケとマクラーレンのプロストは優勝以外チャンプはありえません。
レーススタート!!
ポールポジションのマンセルはいつもの元気がなく、ズルズルと4位まで後退します。
(チャンピオンへの重圧でしょうか?それともポイントリーダーの余裕でしょうか?)
ここでトップに立ったのがプロストのチームメイト、K.ロズベルグ!!
こちらはシーズン中の元気のない走りがウソのような激走です。
(プロストの援護のため、燃費を無視した走りだったようです)
ロズベルグの走りに焦ったのが、優勝しか考えられない2位走行中のピケ。
序盤にスピンを喫してしまい、プロスト、マンセルに抜かれ4位・・・
代わって2位に躍り出たのはプロスト!!、ロズベルグの援護が功を奏したか!?
しかしプロストも後退します・・・
周回遅れのベルガーと接触し、タイヤ交換のためピットイン・・・
大きく遅れたプロストはチャンピオン争いから脱落したように見えました・・・
(この時のタイヤを見てグッドイヤーは「タイヤ交換必要無し」と判断、各チームへ周知します)
ニュータイヤを得たプロストは、この後に猛烈な追い上げを見せて4位まで上昇!!
ウイリアムズの2人に急接近します。
この時点での順位は、1位ロズベルグ、2位ピケ、3位マンセル、4位プロスト・・・
このまま行けばマンセルのチャンピオンです。
ここで1位走行中のロズベルグのリアタイヤがバースト!!コース脇にマシンを停めてリタイアとなります。
目の前を通過するプロストに「幸運を祈る!」の合図を送るロズベルグ・・・カッコイイです。
その直後、チャンピオンの行方を大きく左右する出来事が・・・
今度はマンセルのリアタイヤがバースト!!リタイアに追い込まれます。
この時点で1位ピケ、2位プロスト。
2度のタイヤバーストにより各チーム、タイヤ交換を余儀なくされます。
トップを走っていたピケも例外ではありません。
ピケがタイヤ交換をしたことにより、ついにプロストがトップに躍り出ます。
(プロストは既にタイヤ交換を済ませているので交換の必要はありません)
フレッシュタイヤを装着したピケが猛烈な追い上げを見せますが、プロストには一歩届かず・・・
レース中にチャンピオン候補がコロコロと入れ替わる壮絶なレース・・・
荒れたレースを制したのはプロストでした。
結果、大逆転でプロストが2年連続のタイトル獲得。
(因みに、2年連続チャンプは’60年のJ.ブラバム以来の快挙!!)
この時のプロストの飛び上がって喜んでいる様子がテレビで後に放映されましたが、今でも忘れられません。
やはり追う立場は強い!!
('07年のライコネンも同様ですね)
方や守りに入ってタイトルを目前にして失ったマンセル・・・
この先もタイトルに縁がなく、後に「無冠の帝王」と呼ばれるように・・・
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ウィリアムズ・ホンダ
<マシン>:FW11

ホンダ強し!!
シーズンを通して強さを発揮したウィリアムズ・ホンダが製造者部門のタイトルを獲得。
(ホンダにとってはF1での初タイトルです)
ただ、両ドライバーが得点を奪い合った結果のタイトルといえるかもしれません・・・
ナンバー1ドライバーを2人抱えたチームの難しさでしょうかね・・・
モデルはPMA製。
このシーズン開幕直前にウイリアムズの代表、フランク・ウイリアムズが交通事故に遇います。
シーズン中盤に現場復帰しましたが、車椅子の生活を余儀なくされるように・・・
シーズンオフに今後のレギュレーション変更を発表。
ターボエンジンの過給圧を毎年徐々に規制していくとのこと。
(併せて毎年制限されてきた燃料量も猛烈な規制が盛り込まれています。)
そして2年後の’88年を以ってのターボエンジン廃止が決定。
上がりすぎたマシンスピードとパワーの抑止が目的です。
ホンダターボエンジンの独壇場で、対抗し得るメーカーがいなかったことも要因であると考えます。
(今のF1では当たり前になっている「出る杭は打たれる」ってやつですね・・・)
この年でK.ロズベルグが引退、
自身の引退レースであるにも係わらず、プロストのチャンピオン獲得に捨て身で貢献した立役者でもあります。
(こういう引退の仕方、個人的にカッコイイと思っちゃいます)
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[1987年]
<ドライバーズチャンピオン>:ネルソン・ピケ(ブラジル)
<マシン>:ウィリアムズ・ホンダ FW11B

ウイリアムズの独壇場。
N.ピケがタイトル獲得!!
この年からロータスにもホンダエンジンが搭載され、それとともに中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバーとなり、10年ぶりに日本GPが復活!!
日本にとってのF1は(’76年ではなく)この年から始まったと言って良いかもしれません。
前年の勢いをそのままにウイリアムズが躍進します。
ターボ規制が徐々に厳しくなる中、(TAG)ポルシェエンジンは力を無くし、今やホンダに対抗し得るエンジンはありませんでした。
ホンダエンジンを搭載したロータスもセナが速さを見せますが、やはりウイリアムズが最強です。
チャンピオン争いは、N.ピケの優勢のまま第15戦日本GPへ・・・
マンセルは残りの2戦で2連勝するしかチャンピオンへの道はありませんでした。
場所は初開催の鈴鹿サーキット・・・
10年ぶりの日本GPへの期待が高まります。
しかし、マンセルが予選でクラッシュ!!
直ぐに病院へ運ばれますが、腰を痛めて欠場が決定・・・
レースを待たずしてN.ピケの3度目のチャンピオンが決定しました。
レースは今シーズンからフェラーリに移籍したベルガーが優勝!!
フェラーリにとって、実に38戦ぶりの優勝です。
最終戦もベルガーが優勝し、フェラーリが復活の気配が・・・
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ドライバーズチャンピオンチームと同様
ウィリアムズ・ホンダ強し!!他を大きく引き離し、製造者部門のタイトルも獲得。
この年で(TAG)ポルシェがF1から撤退・・・
そして、翌年からマクラーレンがホンダエンジンを搭載する事が決定します。
A.セナがそのマクラーレンへ移籍。プロストとのジョイントナンバー1体制が敷かれることに・・・
チャンピオンを獲得したN.ピケがセナの抜けたロータスへ・・・
中嶋もロータスへ残留。
その中嶋のF1デビューを拒んだウイリアムズ、結果的にホンダエンジンを失い低迷することになります・・・
(上記のこともあって’08年、中嶋ジュニアがウイリアムズからデビュー!!と言う話はかなり驚きました)
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[1988年]
<ドライバーズチャンピオン>:アイルトン・セナ(ブラジル)
<マシン>:マクラーレン・ホンダ MP4/4

マクラーレン・ホンダ最強!!
A.セナが初のタイトル。
セナとプロストの時代到来。
ホンダエンジンを獲得したマクラーレンが他を寄せ付けぬ速さ。
シーズン開幕前、ギリギリに完成したニューマシンMP4/4、序盤から猛烈な速さを見せます。
全チームを周回遅れにすること数回・・・本当に圧倒的です。それ以外言葉が見つかりません・・・
本当に安定した走りで、連勝は第11戦まで続くことになります。
その第11戦の1週間前、フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリが亡くなりました。
(フェラーリの栄華を再び見ることなく旅立って行きました・・・)
迎えた第12戦エンツォの死で異様な空気が漂うイタリアGP。
このレースも例外なく中盤までマクラーレンの2人が独走・・・
このままレースが終わるかに思えました。
ところが・・・
34周目、2位走行中のプロストがエンジントラブルでリタイア・・・
今シーズン初のエンジントラブルです。
1位走行中のセナにも同じトラブルが発生し得ると考えたマクラーレンチームはペースを落とさせます。
2位のフェラーリのベルガーとは大きな差があり、今度こそ勝利は安泰かと思われました。
しかし・・・
残り2周となった49周目、セナが周回遅れをパスしようと第1シケインでアウトから抜きにかかります。
ここで相手がブレーキングミス!?・・・
セナの駆るマクラーレンと周回遅れの車が交錯。セナはリアサスペンションを損傷しリタイアとなります。
そして・・・レースの勝者は奇跡的なワンツーフィニッシュを遂げたフェラーリ!!
ティフォシーの歓喜は凄まじいものでした。
セナをリタイアに陥れたのは、病欠のマンセルの代りにウイリアムズに搭乗していたジャン=ルイ・シュレッサー。
そのJ.L.シュレッサー、’68年にホンダから1戦のみ参戦、実験的な空冷マシンの犠牲者となったジョー・シュレッサーの甥っ子です。
第一期ホンダF1の犠牲者となった人物の末裔が、前年にホンダエンジンを失ったウイリアムズに搭乗し、(マクラーレン)ホンダの記録を途切れさせた、というまるで作られたかのようなシナリオ・・・
加えて亡くなったエンツォ・フェラーリの執念・・・
ホンダがF1史の一部なんだと感じると同時に、なんとも言えない因果を感じるレースでもありました。
その後の2レースはイタリアGPの災難が嘘の様に、無難にマクラーレンが勝利していきます。
そしてやってきた第15戦、日本GP。
プロストはここまで6勝、セナが7勝。
残りレース数を加味し当時の計算方法(※)で算出すると、先に8勝したほうがチャンピオンになれる計算です。
プロストは後がありません。
しかし、日本GPはセナのレースでした。
まるでデビューしてからのセナのレース総集編を見ているかのような・・・
ポールポジションはセナ、フロントローがプロストにつけます。
レーススタート!!
セナがスタートでストール、プロストはスタートを無難にこなしトップを快走します。
セナはスタート失敗により中段まで後退しますが、この年のブラジルGPのような猛烈な追い上げ、
途中、雨が降り出して一人だけ異次元な走り、そしてトップだったライバルのプロストをホームストレートでパス、トップへ・・・
そのままチェッカーを受けます。
セナ、8勝目を挙げ初のタイトルを獲得!!
この時のセナの涙はF1ファンなら一生忘れることは無いでしょう・・・
シーズンが終わってみれば、勝てなかったのはシュレッサーとウイリアムズの怨念?とエンツォの執念?に屈したイタリアGPのみ。
16戦15勝、1-2フィニッシュ10回という’50年代の黎明期を彷彿とさせる圧倒的な勝利でした。
※この時代は全16戦中11戦が有効なドライバーズポイントという時代でした。
因みに現在の全戦有効ポイント制で計算するとプロストがチャンピオンとなります(笑)
(今は1ポイントが大事な時代ですね・・・)
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ドライバーズチャンピオンチームと同様
マクラーレン・ホンダが他を圧倒し製造者部門もタイトルを獲得。
シーズン序盤は仲が良かったプロストとセナ、タイトルの行方が気になりだしたシーズン終盤からその関係がギクシャクし始めます。
伝説となりつつある「セナ・プロ時代」の始まりです。
これからも2人の争いは続きます・・・
この年でターボエンジンが禁止に。
来シーズンからNAエンジンの時代に戻ります。
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[1989年]
<ドライバーズチャンピオン>:アラン・プロスト(フランス)
<マシン>:マクラーレン・ホンダ MP4/5

マクラーレン相変わらず好調。
プロストが3度目の栄冠。
NAエンジンのみとなった今シーズンもマクラーレンとホンダの速さは相変わらず!!
去年ほどの勢いはありませんが、圧倒的な強さに変わりはありません。
勝ち星を順調に積み重ねていきます。
ライバルはチームメイトという状況が続く中で、2人の間の亀裂が大きくなりはじめます。
そして終盤になる頃には修復不可能な深い溝が・・・
プロストが圧倒的優位で迎えた、第15戦日本GP
セナは残り2戦を連勝しない限りタイトルはありません。(前年と逆な展開です)
ポールポジションのセナはスタートで出遅れ、プロストが序盤からトップを快走します。
暫くそのままレースは続いていきます。
タイトル争いで負けられないセナ、終盤にプロストにやっと追いつきます。
プロストがストレート重視、セナはコーナー重視のセッティング・・・
コーナーでは接近しますが、ストレートで離される・・・
セナはなかなかプロストをパスすることはできません。
暫く膠着状態が続きましたが、残り6周となる直前のシケインでセナが強引にインを突きます。
引くことは出来ないプロスト、こちらも強引にインを突きます・・・
接触・・・両車ともにコース上で停止・・・
マシンから降りる=タイトルの諦めることになるセナ、マーシャルに押し掛けをしてもらいエンジン始動!!レースに復帰します。
損傷したフロントウイングをピットインして交換、残り3周でトップのベネトンのナニーニを追いかけます。
ファイナルラップまであと1周となる直前のシケインでプロストの時と同じようにナニーニに仕掛けます。
ナニーニはインを閉めることなく、難なくセナが抜き去りトップ!!
そのままチェッカーを受けます。
チャンピオン争いは最終戦に持ち越されたように見えました。
しかし、レース終了後「セナ失格」の判定が出されます。
シケインをショートカットし、規定のコースを走っていない事が理由です。
マクラーレンはこの裁定を不服とし、FIA国際控訴裁判所に訴えます。
日本GPのリザルトは保留のまま、セナは最終戦に望みを繋ぎます。
そして最終戦、豪雨のオーストラリアGP
セナは前方の車と激しくクラッシュ、リタイアとなります・・・
この結果を以って、マクラーレンは日本GPに対しての訴えを取り下げます。
タイトル争いは決着・・・
プロストにとっては、なんとも後味の悪いチャンピオン決定となりました。
このレースで中嶋悟がファステストラップを記録!!
日本人ドライバーが未だ誰も成し遂げていない偉大な記録です。
モデルはPMA製。
<コンストラクターズチャンピオン>:ドライバーズチャンピオンチームと同様
マクラーレン・ホンダが他を圧倒!!製造者部門もタイトルを獲得。
前年から好調さを取り戻しつつあるフェラーリ、この年に意欲的なマシンを投入してきました。
セミオートマチックトランスミッションを初採用した640です。
ウイリアムズから移籍してきたマンセルが、開幕戦のブラジルGPでマクラーレン・ホンダを抜き去るなど、実力の片鱗を見せましたが、シーズンを通して力を発揮することは無く、シーズン3勝に留まりました。
しかし、来シーズンに期待が持てる結果だったことには違いはありません。
プロストがマクラーレンと決別、フェラーリへと移籍することになります。
セナ寄りのロン・デニスに嫌気がさしたとも・・・(’07年のアロンソのようですね・・・)
入れ替わるようにベルガーがマクラーレンへ加入します。
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前半はTAGポルシェエンジン、後半はホンダエンジン・・・
この時代はエンジンメーカーが主役といっていいかもしれません。
ターボが禁止され、再びNAの時代へ・・・
NA復活初年度、やはり最強はホンダでした。
フェラーリも復活の兆しが見え、これからのシーズンが楽しみになってきました。
この後はターボエンジンのパイオニア、「ルノー」がNAで活躍することに・・・
次回は’90年代前半 セナ・プロ時代の終焉、シューマッハ時代へ・・・